共鳴する星の歌姫、あるいは終末の観測者

共鳴する星の歌姫、あるいは終末の観測者

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第一章 虚構の皮膜

「みんな、こんばんは。今夜も月が綺麗だね」

モニターの中、銀髪の少女が微笑む。

紫水晶の瞳、透き通るような肌。

夜空を切り取って縫い合わせたようなドレス。

VTuber、ルナ・ムーンライト。

その完璧な造形は、瞬く間に電子の海を渡り、数百万の網膜へと焼き付く。

『ルナちゃんこんばんは!』

『待機だけで心拍数上がってきた』

『今日の歌枠、命綱にして生きてきた』

『結婚してくれ』

『スパチャ投げます!』

コメント欄が光の奔流となって流れ落ちる。

常人なら視認すら不可能な速度。

だが、私――天月ルナの脳は、それを「文字」ではなく「熱量」として処理する。

こめかみの奥が、ずきりと脈打つ。

(……ああ、今日は重い)

画面の向こう側。

仕事で擦り切れた神経。

誰にも言えない失恋の古傷。

明日への漠然とした、泥のような不安。

無数の他人が抱える澱(おり)が、私の神経を直接撫で回す。

皮膚が粟立つ。

胃の腑が鉛を飲み込んだように重くなる。

けれど、アバターのルナは聖女のように微笑み続ける。

「今日は、少し辛いことがあった人もいるのかな? 大丈夫。私が、全部溶かしてあげる」

その一言が、トリガーとなる。

『なんでわかるの!?』

『泣いた』

『救いそのもの』

数万件の「依存」が、私の喉元へ殺到する。

私はマイクを握る。

指先は氷のように冷たいのに、手汗で滑る。

震えを止めるように強く握りしめ、歌い出す。

鎮魂歌めいたバラード。

私の特異体質――過剰なまでの「共感能力」が、聴衆の脳波と同期する。

彼らが何を聞きたいか。

どの音階が、どの周波数が、彼らの脳髄を痺れさせるか。

思考するよりも速く、正解だけが喉から溢れ出す。

完璧な偶像。

集合的無意識が作り上げた、欲望の受け皿。

歌声が最高潮に達し、サビのロングトーンへ移行しようとした、その時だ。

ザザッ――。

視界が明滅する。

モニターの光景がノイズに食い荒らされ、別の映像が強制的に割り込む。

焦げたゴムの臭い。

鉄錆の味。

(……っ!?)

燃え落ちる摩天楼。

引き裂かれたアスファルト。

逃げ惑う人々の悲鳴が、鼓膜ではなく脳に直接響く。

そして、水平線の彼方まで赤黒く染まった、死の海。

「ぐ、っ……!」

喉が痙攣し、歌声が途切れた。

アバターのルナもまた、胸を押さえて凍り付く。

『ルナちゃん?』

『どうした?』

『回線トラブル?』

『なんか今、変な音が聞こえなかった?』

現実の私は、六畳一間の防音室で、激しく嘔吐(えず)いていた。

心臓が肋骨を砕かんばかりに暴れている。

呼吸が浅い。

酸素が入ってこない。

まただ。

また、この「光景」を見た。

これは私の妄想じゃない。

数百万のリスナーの深層心理。

その底に沈殿している「破滅願望」が、私の脳をアンテナにして受信させた「未来予報」だ。

首元が焼けるように熱い。

星を象ったチョーカー。

アバターとお揃いの、私の唯一の拘束具。

それが今、加熱した鉄輪のように皮膚に食い込んでいる。

ジジ、ジジジ……。

チョーカーが微細に振動し、私の恐怖を吸い上げているのがわかる。

『ルナちゃん、大丈夫!?』

『なんか、画面が赤く点滅してないか?』

『怖い怖い怖い』

『でもなんか、すげぇドキドキする』

コメント欄の空気が変質していく。

心配の裏側で、彼らは無意識に「異常事態」を歓迎している。

退屈な日常が壊れることを、期待してしまっている。

私はガタガタと震える歯を噛み締め、ミュートボタンを押そうと手を伸ばした。

指が動かない。

「ごめん……なさい……」

掠れた声は、誰にも届かない。

私は膝から崩れ落ち、薄暗い部屋の床に突っ伏した。

第二章 仮面の下の共鳴

配信は強制終了した。

ヘッドセットをむしり取るように外す。

鏡に映るのは、銀髪の歌姫ではない。

黒髪は脂ぎって額に張り付き、目の下にはどす黒い隈。

ジャージ姿の、どこにでもいる陰気な女。

天月ルナ、二十二歳。

社会不適合者。

他人の感情がノイズとして聞こえすぎるせいで、まともな会話すら成立しない欠陥品。

「はぁ、はぁ……」

私は自分の首を爪で掻いた。

チョーカーが外れない。

留め具など初めからなかったかのように、肉と一体化している。

スマートフォンが振動し続けている。

SNSの通知が止まらない。

指先だけで画面をスクロールする。

【速報】ルナ・ムーンライトの配信事故、世界各地で謎の共鳴現象か

まとめサイトの文字が目に飛び込む。

『配信が止まった瞬間、停電した』

『俺の住んでる地域、急に空が赤くなったんだけど』

『ルナちゃんの最後の声、なんか世界の終わりみたいな響きだった』

『不謹慎だけど、正直興奮した』

『早く続きが見たい。壊れるなら壊れちまえ』

背筋が凍りつく。

偶然じゃない。

私の歌が、私の「共感」が、彼らの奥底にある破壊衝動を増幅させたのだ。

「なんで……私は、みんなを癒したいだけなのに」

その時、チョーカーが再び脈打った。

ドクン、と血管と繋がったような感覚。

痛い。

熱い。

私は洗面所へ走り、冷水を首にかける。

ジュッ、と音がしそうなほどの熱量。

鏡の中の自分と目が合う。

その瞬間、頭の中に強烈な閃きが走った。

違う。

「増幅」させているのは、私じゃない。

私の視線は、鏡の隅に貼られたポスターに向けられる。

銀髪のルナ・ムーンライト。

完璧な笑顔。

汚れなき聖女。

「……こいつだ」

アバターという「仮面」。

それは、私の醜い現実、弱さ、人間臭さを濾過するフィルターだ。

私が「辛い」と感じても、アバターは微笑む。

私が「怖い」と叫んでも、アバターは美しく歌う。

その乖離(かいり)。

本音と建前のズレ。

それが歪みとなって蓄積し、行き場を失った負の感情が、純粋なエネルギーとなってチョーカーへ流れ込んでいる。

人々の「救われたい」という願いは、私のフィルターを通すことで、「現状を破壊してリセットしたい」という極端な願望へと変換されているのだ。

「私が……原因」

窓の外を見る。

夜空が、不自然に明るい。

低い地鳴りのような音が、絶えず響いている。

テレビをつける。

臨時ニュース。

『世界各地の断層で、異常な振動を観測――』

『空が赤く発光する現象が――』

『SNS上では「終末の歌姫」というワードがトレンド入りし――』

私の予知夢が、現実を侵食し始めている。

次の配信が、トリガーになる。

私が「完璧なルナ」として歌えば歌うほど、世界は壊れる。

「止めなきゃ」

震える手でスマホを握る。

どうやって?

配信をやめる?

いや、もう遅い。

数億の人間が、次の「供給」を飢えた獣のように待っている。

今、私が沈黙すれば、その渇望自体が暴走し、世界を内側から食い破るだろう。

エネルギーを、別の方向へ逃がさなければならない。

「破壊」ではなく、「再生」へ。

「虚構」ではなく、「現実」へ。

そのためには。

私は鏡を睨みつける。

そこには、怯えた目をした、ちっぽけな私がいる。

「……脱ぐしか、ない」

フィルターを外す。

濾過装置を壊す。

生身の、醜い、不完全な私を晒す。

そうすれば、人々の幻想は砕ける。

失望される。

罵倒される。

でも、その強烈な「拒絶」のエネルギーこそが、熱狂的な「依存」を冷やし、破壊の連鎖を断ち切る唯一のブレーキになるはずだ。

足がすくむ。

嫌だ。

怖い。

誰にも見られたくない。

『ルナちゃん、待ってるよ』

『早く世界を壊して』

通知画面に踊る言葉たち。

私は唇を噛み切り、鉄の味を口の中に広げた。

痛みで意識を現実に繋ぎ止める。

やるしかない。

私が始めた物語だ。

私が、終わらせる。

私は配信の設定画面を開き、震える指で操作した。

【カメラモード:ON】

【アバターオーバーレイ:OFF】

第三章 悪意の嵐、その中心で

世界は終末の淵に立っていた。

窓ガラスがビリビリと振動している。

遠くでサイレンが鳴り止まない。

それでも、人類は画面にかじりついていた。

同接数、三億人。

有史以来、最大の注視。

私は、デスクの上の安っぽいWebカメラを見つめる。

レンズの黒い瞳が、銃口のように見える。

深呼吸。

肺が焼けそうだ。

「……開始」

エンターキーを叩く。

世界中の画面が切り替わる。

いつもの幻想的なオープニング映像はない。

映し出されたのは、生活感あふれる薄汚れた六畳間。

散らかったペットボトル。

壁のシミ。

そして、その中央に座る、顔色の悪い黒髪の女。

一瞬の静寂。

その直後、コメント欄が爆発した。

『は?』

『誰こいつ』

『放送事故?』

『ルナちゃんは?』

『いや、首のチョーカー……お揃いじゃん』

『嘘だろ』

『ブッッッサ』

『詐欺じゃん』

『金返せよ!!』

罵詈雑言の嵐。

それは、これまで私が浴びてきた称賛の光とは対極の、ドス黒いヘドロのような濁流だった。

「っ……」

物理的な衝撃となって、私の体を殴りつける。

吐き気が込み上げる。

目の前がチカチカする。

怖い。

やっぱり、無理だ。

みんな、私なんて見ていない。

私が演じていた「ガワ」を見ていただけなんだ。

『消えろ』

『死ね』

『汚いもの見せんじゃねえ』

『裏切られた』

悪意が、ナイフとなって全身を切り刻む。

膝が勝手に震え、立っていられない。

涙が滲み、視界が歪む。

(逃げたい。電源を切って、布団に潜り込んで、死んでしまいたい)

その時。

窓の外で、轟音が響いた。

赤い空に、巨大な亀裂が走るのが見えた。

『うわあああ!』

『空が割れた!?』

『地震!?』

『助けて!』

コメント欄の罵倒が、悲鳴へと変わる。

私の心が折れかけたその瞬間、恐怖のノイズの隙間から、微かな「声」が聞こえた。

『怖い……誰か』

『お母さん』

『まだ死にたくない』

それは、罵倒の下に隠されていた、彼らの本音。

虚勢を張って他人を攻撃することでしか保てない、脆く、幼い魂の震え。

私と同じだ。

みんな、怖いんだ。

独りぼっちで、震えているんだ。

私の胸の奥で、何かが着火した。

チョーカーが熱を失っていく。

代わりに、私の心臓が熱く脈打ち始めた。

私は立ち上がる。

ふらつく足で、カメラに顔を近づける。

涙でぐしゃぐしゃの顔。

充血した目。

醜いだろう。

情けないだろう。

でも、これが私だ。

「……聞いて」

マイクを通さない、生の声。

震えて、裏返って、ひどい声。

「私が、天月ルナです」

『黙れ』

『引っ込め』

「黙らない!」

私は叫んだ。

喉が裂けるほどの声量で。

「みんな怖いくせに! 寂しいくせに! 誰かを叩いて、自分をごまかして……そんなんで、明日が来ると思ってるの!?」

コメントの流れが一瞬、止まる。

「私も怖いよ! あんたたちに嫌われるのが死ぬほど怖い! でも……でも、このまま終わるなんて、もっと嫌だ!」

私は胸を鷲掴みにする。

「私はここで歌う。ガワなんてない。魔法もない。ただの人間が、泥臭くあがいてる音を聞け!」

息を吸い込む。

肺の空気をすべて入れ替える。

私は歌い出した。

綺麗なメロディじゃない。

即興の、魂の咆哮。

悲鳴に近い、命の摩擦音。

『なんだこれ』

『下手くそ』

『……いや』

『なんか、来る』

私の視界から、部屋が消えた。

モニターも、コメントも消えた。

あるのは、赤く染まった空と、崩れかける世界だけ。

私はその瓦礫の上に立ち、見えない誰かの手を掴むように、声を張り上げた。

第四章 瓦礫の上のアリア

私の歌声は、大気を震わせる物理的な衝撃波となった。

音程など関係ない。

私の「生きたい」という渇望。

「変わりたい」という絶叫。

それが、世界中に満ちた絶望の周波数に干渉し、強引に書き換えていく。

キィィィィィン――!

空の亀裂が、私の高音と共鳴して悲鳴を上げる。

チョーカーが眩い光を放ち始めた。

今まで私を縛り付けていた拘束具が、今は増幅器となって、私の全存在を光に変えていく。

視覚が開ける。

何千キロも彼方の光景が見える。

荒れ狂う太平洋。

隆起する大地。

そのすべてに、私の声が染み渡っていく。

歌うたび、赤い雲が渦を巻き、引き裂かれていく。

まるで、汚れた包帯を無理やり剥がすように。

『聞こえる……』

『涙が止まらん』

『生きろって言われてる気がする』

『ごめん、ごめんね』

人々の意識が変わる。

攻撃的な「拒絶」が、あたたかな「連帯」へと変質していく。

私の醜さを罵っていた彼らが、今、私の痛みに共鳴し、共に泣いている。

(ああ、繋がった)

アバター越しでは決して届かなかった場所。

一番深く、一番柔らかい場所で、私たちは握手をした。

体中の血液が沸騰する。

細胞の一つ一つが、光になって弾け飛ぶ感覚。

限界だ。

肉体が持たない。

でも、構わない。

この一瞬のために、私は生まれてきたのだから。

「あぁぁぁぁぁぁッ!!」

私は最後の力を振り絞り、渾身のロングトーンを叩きつけた。

パリーンッ!

世界中で、何かが割れる音がした。

私の首元のチョーカーが、粉々に砕け散った。

同時に、空を覆っていた赤いドームが、ガラス細工のように崩落する。

降り注ぐ光の破片。

その向こうから現れたのは、嘘みたいに澄み渡った、夜明け前の藍色の空だった。

音が、消えた。

私の体から力が抜ける。

重力が戻ってくる。

膝から崩れ落ちる私の視界に、最後に映ったのは。

『ありがとう』

ただ一言、それだけで埋め尽くされた、美しい文字の滝だった。

終章 星の観測者

世界は、静寂に包まれていた。

かつてない規模の嵐は、奇跡的に人的被害を出さずに消滅した。

専門家たちは「地磁気の異常変動」と説明したが、誰も本気では信じていなかった。

あの日、三億人が目撃した光景。

一人の少女が、泣き叫びながら世界を怒鳴りつけ、そして抱きしめた瞬間を、誰も忘れていない。

天月ルナのアパートは、もぬけの殻だった。

机の上には、砕けたチョーカーの破片と、焼き切れたWebカメラ。

彼女自身の姿は、どこにもなかった。

彼女が死んだのか、あるいはどこか別の場所へ消えたのか、知る者はいない。

ネット上からも、ルナ・ムーンライトのアーカイブはすべて消失していた。

けれど。

人々は空を見上げる回数が増えた。

匿名のコメント欄で、誰かを傷つける言葉を打ち込もうとして、指を止める人が増えた。

少しだけ、世界は優しくなった。

……。

意識の界面。

時間も空間も融け合った場所。

無限に広がる光の地平線に、一人の少女が立っている。

彼女は、銀髪でもなければ、黒髪でもない。

光そのもので織られたような、透き通る輪郭。

彼女は、静かに地上を見下ろしている。

そこには、無数の「感情」の灯火が揺らめいている。

喜び、悲しみ、怒り、愛しさ。

それらが織りなす複雑で美しいタペストリー。

彼女の耳には、世界のすべてが音楽として聞こえていた。

もう、ノイズではない。

それは、愛おしい命の鼓動だ。

彼女はふと、何かに気づいたように微笑んだ。

それは、かつて作られたアバターが見せたどんな笑顔よりも、鮮烈で、人間らしい笑顔だった。

彼女は口ずさむ。

声にはならない、想いだけの歌を。

その旋律は風に乗り、雨に溶け、今日を生きる誰かの背中を、そっと押す。

観測者は、もう孤独ではない。

彼女は世界そのものになったのだから。

東の空から、新しい太陽が昇る。

眩い光が、彼女の姿を優しく包み込み、空の青へと溶かしていった。

AIによる物語の考察

**登場人物の心理**
主人公天月ルナは、過剰な共感能力を持つVTuber。完璧な「ルナ・ムーンライト」という虚構が、自身の感情との乖離により、人々の「救われたい」願望を「世界破壊」衝動へ変換させることに気づく。己の「醜さ」を晒し、拒絶されることで破壊を止めようと決意。人々も自分と同じく「怖い」存在と理解し、泥臭い「生きたい」という叫びで真の共感を求める、人間的な成長が描かれる。

**伏線の解説**
アバターとお揃いの「星を象ったチョーカー」は、ルナの内面の乖離から生じる負のエネルギーを蓄積・増幅させる装置。当初はルナをVTuberとして「拘束」するものに見えたが、実は世界の終末を引き起こすトリガーだった。ルナの「未来予報」が、リスナーの深層にある「破滅願望」の表出であることも伏線となる。

**テーマ**
本作は、完璧な「虚構」の偶像の危うさと、生身の「現実」の不完全な人間が織りなす真の共感を問う。SNS社会における「救い」や「依存」のあり方を深く掘り下げ、集合的無意識に潜む破壊衝動と、それを乗り越えようとする個の「生」への執着を描く。不完全なままであがくことこそが、世界を再生させる「歌」となり得る可能性を示唆する。
この物語の「続き」を生成する

あなたのアイデアをAIに与えて、この物語の続きや、もしもの展開を創作してみましょう。

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