世界という名の店舗への、不誠実な接客に対する苦情

世界という名の店舗への、不誠実な接客に対する苦情

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第一章 腐臭の晩餐

「責任者を呼べ」

その一言で、ワルツの旋律が止まった。

煌びやかなシャンデリアの下、私の鼻腔を犯すのは「腐った卵」の臭いだ。

目の前のワイングラスから立ち上る、欺瞞の悪臭。

「お、お客様……?」

給仕の手が震えている。

「『公爵領特級』のラベルだが、中身は三割が安物の混ぜ物だ」

「そ、そんな馬鹿な! 当ホテルに限って……」

「嘘をつくな。舌が痺れるほどの『添加物(ごまかし)』の味がする」

私はこめかみを揉んだ。

相手が嘘をつくと、視界にノイズが走り、耳障りな金属音が響く。

今の給仕の言葉は、黒板を爪で引っ掻いたような音だった。

「……またか」

「アキラ・サガミだ」

「あの『最悪のクレーマー』め」

周囲の貴族たちの視線。

侮蔑。嘲笑。

それらが肌にピリピリと張り付く静電気となって、私を刺す。

他者からの評価が魔力となるこの理不尽な世界で、彼らの視線は私を削ぐ刃だ。

だが、構わない。

私は、提示された「商品」が不誠実であることが許せないだけだ。

その時、ホール入り口の空気が淀んだ。

「悪役令嬢、リアーナ・ヴァレリアだ……」

重く、粘つくようなヘドロの気配。

民衆や貴族たちの「憎悪」が、物理的な黒い靄となって彼女に降り注いでいる。

リアーナ・ヴァレリア。

公爵令嬢でありながら、稀代の悪女と断じられた女。

彼女が一歩進むたび、ドレスの裾が床を這う蛇のように見えた。

周囲の人間が吐き出す呪詛が、彼女の華奢な肩を押し潰そうとしている。

「……ふん」

私は鼻を鳴らして彼女を見た。

さぞかし強烈な悪臭――ドブ川のような悪意の臭い――がするのだろう。

だが。

私の鼻孔をくすぐったのは、雨上がりの森のような、清廉な香りだった。

「……は?」

グラスを置く。

目を凝らす。

冷徹な無表情。傲慢に上げた顎。

しかし、彼女を包む黒い靄の下にある本質(オーラ)は、白く透き通っている。

嘘だ。

これほどの悪評を集める人間が、これほど潔白な魂を持っているはずがない。

この世界のエラー。

あるいは、致命的な欠陥商品。

私のこめかみに、激痛が走った。

第二章 瑕疵ある星屑

テラスの闇に、彼女はひとり佇んでいた。

月明かりの下、彼女は咳き込んでいた。

口元を押さえたハンカチに、べっとりと黒い血が付着している。

「……っ、う……」

彼女が胸元を掻きむしる。

そこには、夜空を切り取ったような青い宝石のブローチ。

それが皮膚に食い込み、血管のように脈動していた。

まるで、彼女の生命力を啜っているかのように。

「おい」

私が声をかけると、彼女は弾かれたように振り返り、即座に「悪女」の仮面を被った。

「あら、有名なクレーマー様。私のドレスに難癖でも?」

言葉は棘だらけだが、声は震えている。

彼女から漂うのは、濃厚な「自己犠牲」の香り。

「商品の品質表示に偽りがある」

私は彼女の喉元、皮膚を侵食するブローチを指差した。

「君は悪女じゃない。そのブローチが、周囲の悪意を強制的に集める『避雷針』になっているな?」

リアーナの瞳が揺れた。

一瞬、仮面が剥がれ落ちる。

「……近寄らないで!」

「その黒い痣を見ろ。呪い(悪意)の許容量を超えている。君という『個体』を使い捨てのフィルターにして、世界の淀みを濾過しているのか?」

「黙って!」

彼女の叫びとともに、強烈な腐敗臭が弾けた。

ブローチが激しく明滅し、彼女の膝が折れる。

「ぐっ……!」

私は彼女を支えた。

触れた肩は氷のように冷たく、けれど燃えるように熱かった。

「知ってしまったのね……」

彼女は私の腕の中で、力なく笑った。

「お願い、見なかったことにして。これがこの世界の『仕様』なの」

「仕様?」

「誰かが『絶対悪』として憎しみを引き受けないと、魔力の循環が滞る。私が壊れるまで耐えれば、世界は救われる……」

彼女の肌が、目の前でひび割れていく。

美しい陶器が砕けるように。

「あと数日で、私は断罪されて処刑される。それで全て丸く収まるの。だから……」

「クレームなら他所で言え、か?」

私は彼女の顔を覗き込んだ。

その瞳の奥にある、生きたいという渇望の光。

それを見て見ぬふりをするのか?

「……ふざけるな」

特定の個人を燃料にくべるシステム?

無実の人間を悪役に仕立て上げて保たれる調和?

「こんな欠陥だらけのサービス、見過ごせるか」

私は腹の底から湧き上がる怒りを、冷徹な論理に変えて告げた。

「この世界(みせ)の経営方針は、まったくなっていない」

第三章 神への異議申し立て

断罪の日。

王城の広場は、狂気じみた熱狂に包まれていた。

「悪女リアーナを殺せ!」

「魔女に鉄槌を!」

数万の民衆が叫ぶ憎悪の声。

その音圧だけで、内臓が揺さぶられる。

壇上には、磔にされたリアーナ。

そして、聖剣を掲げる王太子。

「エテルニアの理は示した! 貴様の魂は漆黒! よって、この聖剣にて浄化する!」

王太子の宣言に、大地が震えるほどの歓声。

リアーナの胸元のブローチが、限界を超えてどす黒く発光している。

もう時間がない。

王太子が剣を振り上げた、その刹那。

「異議あり!!」

私は最前列から飛び出し、壇上へと駆け上がった。

警備の騎士たちが槍を突き出す。

「止まれ! 何奴だ!」

「処刑の邪魔をする気か!」

切っ先が喉元に触れる。

だが、私は止まらない。

「邪魔? いいえ、これは正当な『返品要求』です!」

「無礼者め!」

王太子が私を睨みつけた。

瞬間、王族特有の圧倒的な魔力(プレッシャー)が私を襲う。

重力が増したかのように、膝が崩れそうになる。

肺が潰れる。

口の中に鉄の味が広がる。

「ただの平民が……、神聖な儀式を汚すな! 消えろ!」

王太子の言葉が、物理的な衝撃波となって私を吹き飛ばそうとする。

普通の人間なら、ここで意識を失っていただろう。

だが、私はクレーマーだ。

理不尽な圧力など、慣れている。

私は歯を食いしばり、血を吐き捨てて立ち上がった。

「その『神聖』な儀式とやらに、重大な欠陥があると言っているんだ!」

私は王太子を指差した。

そして、彼が隠している「真実」を嗅ぎつけた。

「殿下、焦っていますね? 貴方からは『カビの生えたチーズ』のような、隠蔽の臭いがする」

「なっ……貴様……!」

「民衆よ、見ろ! あのブローチを!」

私はリアーナの胸元を指し示す。

「あれは『悪意を吸う』だけの受信機だ! 彼女が黒いのではない、あの機械が黒く染まっているだけだ! 彼女はただのゴミ箱として利用されている!」

「黙れぇぇぇ!!」

王太子が聖剣を振り下ろした。

私に向けて。

殺意の篭った一撃。

私は避けなかった。

その剣筋に見えた「迷い」というノイズを見切っていたからだ。

私は一歩踏み込み、リアーナの懐に滑り込む。

そして、彼女の胸元に食い込むブローチを、素手で掴んだ。

「ああっ! 触れては駄目! 貴方まで呪われる!」

「黙って見ていろ。不良品は、回収する!」

バヂヂヂヂッ!

肉が焦げる音がした。

手のひらから、魂を焼くような激痛が走る。

数万人の憎悪が、私の神経回路に直接流れ込んでくる。

『死ね』『殺せ』『消えろ』

脳が焼き切れるほどのノイズ。

だが、私は笑った。

「この程度の『お客様の声』で、私が怯むと思うなよ……!」

私は五感を研ぎ澄ます。

ブローチの構造、魔力の流れるライン、そしてその脆弱性(セキュリティホール)。

「ロジックエラーを確認。構造的欠陥により――」

私は指に渾身の力を込めた。

この世界の不誠実さ、嘘、ごまかし、その全てを握り潰すように。

「――強制、解約(キャンセル)だッ!!」

パキィン。

硬質な音が広場に響き渡り、ブローチが粉々に砕け散った。

瞬間。

黒い霧が爆散した。

リアーナの体から溢れ出したのは、本来彼女が持っていた、黄金に輝く「献身」の魔力。

それは奔流となって広場を飲み込み、民衆の目に被せられていたフィルターを洗い流していく。

「な……光が……?」

「俺たちは、何を……?」

王太子が剣を取り落とす。

カラン、と乾いた音が、静まり返った広場に響いた。

世界を縛っていた天秤が、音を立てて崩れ去った。

終章 世界の監査役

あれから、世界は混乱の渦中にある。

絶対的な指標を失い、人々は「自分で考え、自分で評価する」という、面倒で重たい自由を背負わされた。

魔力供給も不安定になり、以前のような安寧はない。

だが、空気は美味い。

嘘の混じらない、澄んだ空気が流れている。

王都を見下ろす丘の上。

リアーナが風に髪をなびかせていた。

「本当に、これでよかったのかしら」

彼女は簡素な服に身を包んでいるが、その表情は憑き物が落ちたように晴れやかだ。

「世界は『不便』になったわ」

「構わないさ。嘘で塗り固められた快適さより、不便でも誠実な混沌の方がマシだ」

私は手帳を開く。

新しい「世界」にも、まだまだ改善すべき点は山積みだ。

貴族の腐敗、商人の不正、そして民衆の盲目さ。

「さて、次はどこの是正勧告に向かおうか」

「ふふ、本当に休む暇もないのね」

リアーナが苦笑して、私の手帳を覗き込む。

その瞳には、かつての諦観はない。

あるのは、真実を知る者だけが持つ、透き通った賢者の光だ。

「付き合うわよ、アキラ。貴方がクレームをつけるなら、私はその改善案(ソリューション)を考える」

「頼もしいパートナーだ。だが言っておくが、君の淹れる紅茶に関しては、まだ『渋すぎる』というクレームを取り下げるつもりはない」

「……もう! 少しは感謝なさいよ!」

彼女が怒って私の背中を叩く。

その痛みさえも、今は心地よい。

嘘のない世界。

悪意も、善意も、すべてが剥き出しの世界。

私たちは歩き出す。

この巨大で、不誠実で、けれど愛すべき『店舗』を、少しでもマシな場所にするために。

私の戦いは終わらない。

世界から「不誠実」がなくなるその日まで、私は何度でも、理不尽なまでの正義を突きつけ続けるだろう。

「すみません、ちょっとよろしいですか?」

その一言が、新たな変革の合図となるのだ。

AIによる物語の考察

**登場人物の心理**:
アキラは単なるクレーマーではなく、世界の「不誠実」を五感で感知し、それを正す強い正義感の持ち主。リアーナは悪女の仮面で自己犠牲を隠蔽し、世界の「絶対悪」を一身に引き受ける存在だが、内心では生への渇望を抱いている。

**伏線の解説**:
アキラの「腐臭」で嘘を見抜く能力は、リアーナから清廉な香りを感じ取ることで、彼女の潔白な本質を示唆する伏線。彼女の胸元のブローチが皮膚に食い込み生命力を吸う描写は、悪意を強制的に集める「避雷針」として彼女が利用されている核心の伏線である。

**テーマ**:
本作は「特定の個人を犠牲にすることで保たれる調和」という世界の構造的欠陥、すなわち「不誠実なシステム」への異議申し立てを問う。表面的な「悪」や「神聖」に惑わされず、本質を見抜くアキラの視点と、それに抗う勇気の重要性を訴える。嘘で塗り固められた快適さよりも、「不便でも誠実な混沌」を選ぶことの価値が描かれている。
この物語の「続き」を生成する

あなたのアイデアをAIに与えて、この物語の続きや、もしもの展開を創作してみましょう。

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