第一章 崩壊定数とガラクタの王
「係数調整、マイナス0.03。……クソ、湿度が計算に入ってない」
レンは舌打ちをして、手元のデバイスをドライバーで強引に抉った。
火花が散る。
焦げた回路の臭い。
それはかつて『トースター』だったものと、『自動車のバッテリー』、そして『謎の青い結晶』をビニールテープでぐるぐる巻きにした、不格好な塊だった。
「おいレン! 来るぞ、あのデカいの!」
背後で少女が叫ぶ。
エラだ。
彼女の指先からは、物理法則を無視した赤紫色の粒子――『魔力』と呼ばれる未知のエネルギーが漏れ出している。
「黙ってろ。今、共振周波数を合わせている」
レンはゴーグルのレンズを回し、視界の倍率を上げた。
崩れたビルの谷間。
そこに鎮座しているのは、全長5メートルを超える『鉄喰い(スクラップ・イーター)』だ。
かつて重機だったものが、高濃度の魔力汚染によって有機的な筋肉を得てしまった、悪夢のような融合体。
グオオオオオオオッ!
鉄喰いが咆哮する。
その衝撃波だけで、周囲のコンクリート片が浮き上がる。
この世界では、重力すら気まぐれだ。
「レン! あたしが燃やす!」
「却下だ。お前のその非効率な発火能力じゃ、奴の装甲を溶かすのに4000キロジュール足りない。それに、ここで熱膨張を起こせば足場のビルが崩れる」
「じゃあどうすんのよ!」
「物理で殴る。……よし、接続(リンク)完了」
レンは、不格好なデバイスのスイッチを親指で弾いた。
キィィィィィン……。
トースターのコイルが赤熱し、青い結晶が明滅を始める。
レンの『眼』には、世界が数式で見えていた。
風のベクトル。
重力偏差。
鉄喰いの装甲が持つ、固有振動数。
すべてが美しく整列する一点。
「食らえ、『高周波振動破砕機(ソニック・クラッシャー)・改』」
レンがデバイスを突き出す。
目に見えない波が、一直線に鉄喰いへと放たれた。
音はない。
だが、次の瞬間。
鉄喰いの巨大な装甲が、まるで砂の城のようにサラサラと崩れ落ちた。
「え……?」
エラが口を開けて呆けている。
「分子結合を強制的に剥離させた。硬いものほど脆い。基礎的な材料力学だ」
レンは鼻を鳴らし、オーバーヒートして煙を上げるデバイスを冷淡に投げ捨てた。
「行くぞ。奴の心臓(コア)は、いいエネルギー源になる」
第二章 感情という名の不確定要素
焚き火の炎が、不規則に色を変える。
青、緑、時折ピンク。
大気中の成分が安定しないせいだ。
「ねえ、レン。昔の世界には『インターネット』ってのがあったんでしょ?」
スープをすすりながら、エラが尋ねた。
そのスープは、レンが携帯用蒸留器でろ過した雨水と、保存食の粉末で作ったものだ。
味は、濡れた段ボールに似ている。
「あったな。人類の知恵の結晶であり、愚かさの墓場だ」
レンは手元のタブレット端末(画面の半分が割れている)を修理しながら答えた。
「どんな場所だったの?」
「ここよりはマシだ。少なくとも、クリック一つでピザが届いた。今は、命がけで廃墟を漁って、得られるのはカビた缶詰か、凶暴な変異生物だけだ」
「ふーん。……でも、あたしは今の世界も嫌いじゃないよ」
エラは、夜空を見上げた。
オーロラのような光の帯が、星々を隠すように揺らめいている。
「綺麗だし、レンと一緒にいられるし」
レンの手が止まった。
彼は顔を上げず、微細なハンダ付け作業を続ける。
「……お前のその思考回路は理解不能だ。この世界はエラーだらけのプログラムだぞ。定数は狂い、エントロピーは増大する一方だ。修正しなければならない」
「レンはさ、世界を直したらどうするの?」
「どう、とは?」
「あたしみたいな『魔女』は、どうなるの?」
痛いところを突かれた。
レンたちが目指しているのは、旧時代の科学者たちが遺した『環境修復炉(テラフォーミング・コア)』だ。
それが起動すれば、狂った物理法則は正常化される。
重力は一定になり、魔力という未知のエネルギーは消滅する。
つまり、魔力で生きている変異生物は死滅し、魔力を体に宿すエラのような人間も――ただでは済まない。
「……仮説だが」
レンは言葉を選んだ。
「魔力感応者は、能力を失うだけで済む可能性が高い。普通の人間になるだけだ」
「そっか。普通、か」
エラは寂しそうに笑い、炎に手をかざした。
彼女の指先から、小さな火の鳥が生まれ、夜空へと消えていく。
「この魔法も、レンには『バグ』に見えるんだね」
「ああ。熱力学第一法則を無視している」
「ふふ、堅物」
レンは黙って作業に戻った。
胸の奥に、計算では導き出せない不快なノイズが走っていた。
彼はそれを『疲労』と定義し、思考をシャットダウンした。
第三章 特異点の解法
目的の場所、『第零研究所』は、空中に浮いていた。
文字通り、地盤ごと重力から切り離され、地上300メートルに静止している。
「レン、あれ! どうやって登るの!?」
「登らない。落ちるのを待つ」
レンはバックパックから、巨大な筒状の装置を取り出した。
道中で狩った変異生物の骨と、廃工場のパイプ、そして高出力モーターを組み合わせた『逆位相重力アンカー』だ。
「エラ、お前の魔力をここに注げ。全力でだ」
「え? でも、これ壊れそうだよ?」
「壊れる前に撃つ。研究所を支えている重力場に干渉し、局所的に1Gに戻す。そうすれば降りてくる」
「無茶苦茶だあ!」
エラは文句を言いながらも、両手を装置に当てた。
眩い光が溢れる。
「今だ! 照射!」
ズドォォォォン!!
見えない杭が空を穿つ。
浮遊していた巨大な岩盤が、悲鳴のような音を立てて降下を始めた。
だが、それと同時に。
研究所の入り口から、黒い影が飛び出した。
『守護者(ガーディアン)』。
旧時代の防衛AIが、周囲の瓦礫を取り込んで自己進化し、全長20メートルの巨人となっている。
「侵入者ヲ、排除シマス」
機械音声と共に、巨人の腕からプラズマキャノンが放たれた。
「くっ!」
レンはエラを抱えて横に飛んだ。
熱波が頬を焦がす。
「レン! あたしの魔法も通じない! あいつ、魔力を吸収してる!」
「ああ、奴の装甲は『対魔力コーティング』済みだ。魔法は通用しない。そして、俺の手持ちのガラクタじゃ、あの装甲を貫く物理エネルギーを出せない」
詰みか。
レンの脳内で、生存確率が0.001%へと限りなく近づいていく。
逃げるか?
いや、背後には崖。
戦うか?
武器がない。
(思考しろ。材料はあるはずだ。この場のすべてが、俺の武器だ)
レンは周囲を見渡した。
降り注ぐプラズマの雨。
暴走する重力場。
そして、隣にいる、強大なエネルギー源(エラ)。
「……一つだけ、手がある」
レンは、先ほど使った『逆位相重力アンカー』の残骸を拾い上げた。
「エラ、俺を信じろ」
「え?」
「奴のプラズマを、これで受け止める。そして、お前の魔力を上乗せして、倍返しにする」
「な、何言ってんの!? そんなことしたら、レンの体が持たないよ! 炭になっちゃう!」
「計算上、3秒なら耐えられる。俺の防護服(スーツ)と、このデバイスの冷却機能を信じろ」
嘘だった。
計算では、0.5秒で蒸発する。
だが、ここで引けば二人とも死ぬ。
「来るぞ!」
巨人が、最大出力のチャージを始めた。
青白い光が収束する。
レンは前に出た。
ボロボロのデバイスを構える。
「レン!!」
エラが叫び、レンの背中にしがみついた。
「馬鹿野郎! 離れろ!」
「嫌だ! 一人で死なせない! あたしの魔力、全部あげるから……勝ってよ!」
温かい奔流が、レンの背中から流れ込んでくる。
それは、冷徹な数式だけのレンの世界には存在しなかった、『熱』だった。
(……ったく。これだから、感情ってやつは計算できない)
レンは苦笑し、ゴーグルのディスプレイに走る警告表示(エラー)を無視した。
「回路、全開(フルオープン)。……因果地平の彼方まで吹き飛びやがれ!」
極大のプラズマが放たれる。
レンは真正面からそれを受け止め――そして、捻じ曲げた。
科学と魔法。
相反する二つの力が、レンという『触媒』を通して融合する。
白い閃光が、世界を塗り潰した。
最終章 瓦礫の空、数式の祈り
目が覚めると、そこは静寂の中だった。
研究所の残骸の上。
空は、嘘のように澄み渡った青色をしていた。
「……レン?」
エラの声が聞こえる。
レンは起き上がろうとして、体の自由が利かないことに気づいた。
右腕がない。
いや、感覚はあるが、動かない。
見ると、右腕は黒く炭化し、ボロボロのデバイスと一体化していた。
「レン! よかった……生きてる……!」
エラが泣きじゃくりながら抱きついてくる。
レンは左手で、彼女の頭をぎこちなく撫でた。
「……状況報告を」
「バカ! そんなこと言ってる場合!?」
「空が、青いな」
「うん……。研究所の装置が、壊れた衝撃で誤作動したみたい。この一帯だけ、空気が綺麗になったの」
レンは、ゴーグルを外した。
彼の『眼』には、もうあの複雑な数式は見えなかった。
風のベクトルも、重力の歪みも、ただの『風景』として映っている。
あの融合エネルギーの負荷が、彼の脳の特殊な処理能力を焼き切ったのだ。
(……静かだ)
情報の洪水が止んだ世界は、驚くほど空虚で、そして穏やかだった。
世界は完全には直らなかった。
魔法も消えなかった。
エラも、魔女のままだ。
だが。
「……悪くない」
レンは呟いた。
「え?」
「色が、綺麗だと言ったんだ」
レンは、ポケットから小さな金属片を取り出した。
あの『鉄喰い』の核から削り出した指輪だ。
数式による解析はもうできない。
ここにあるのは、ただのガラクタと、不確かな未来だけ。
それでも、隣に泣き虫な魔女がいるなら、この瓦礫の世界も、そう捨てたものではない。
「さて、行くかエラ。腹が減った。まともな飯を作れる道具(クラフト)から始めよう」
レンは立ち上がる。
その背中は、以前よりも少しだけ、人間らしく見えた。
(了)