鉄鎖の悪役令嬢は、仮想の夜空に反逆を歌う

鉄鎖の悪役令嬢は、仮想の夜空に反逆を歌う

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第一章 鉛色の現実は、宵闇に溶けて

シャンデリアの狂ったような煌めきが、網膜を焼く。

むせ返るような百合の香りと、脂粉の匂い。

舞踏会の空気は、腐った果実のように熟れすぎていた。

「――見ろ、アルビオン家の」

「ああ。血の通わぬ氷の令嬢……関わると呪われるぞ」

扇の隙間から覗く貴族たちの目は、どれも硝子玉のように虚ろだ。

彼らは囁く。

台本を読み上げる演者のように、決められた『悪意』を正確に吐き出す。

(……重い)

物理的な質量を伴った侮蔑が、肩に食い込む。

私の特異体質。他者の抱く「印象」をそのまま重力として受けてしまう呪い。

呼吸をするたび、見えない鉛が肺を押し潰す。

ドレスの裾が、鉄板のように重かった。

一歩踏み出すだけで、ヒールが砕けそうになる。

「道を空けていただけますこと?」

私は顎を上げ、精一杯の虚勢で眼前の令嬢を睥睨した。

「空気が、淀みますわ」

令嬢がひっと息を呑み、道が割れる。

恐怖という名のモーゼの海。

私はその中心を、溺れないように必死で泳ぎ切った。

屋敷に逃げ帰り、自室の扉を背にした瞬間、膝から崩れ落ちた。

「っ……、はぁ、うぇ……」

喉の奥から、押し殺していた嗚咽が漏れる。

指先が震えて、手袋がうまく外せない。

鏡に映る私の顔は、死人のように青白かった。

鎖骨の窪みで、星型の宝石が熱を帯びて明滅する。

祖母が遺した『星辰のチョーカー』。

唯一、私をこの世界に繋ぎ止めるアンカー。

『セレスティアナ、負けないで』

幻聴のような祖母の声。

私は這うようにして隠し扉を開けた。

防音壁に囲まれた、四畳半ほどの狭い空間。

そこには、無機質なサーバーの排熱音と、青白いモニターの光だけがある。

私の聖域。

ヘッドセットを装着し、マイクのスイッチを入れる。

深呼吸をひとつ。

銀髪の少女のアバターが、モニターの中でまばたきをした。

「――こんばんは、私の迷える仔羊たち」

声色が、自然と甘く濡れる。

重力が消える。

私はもう、悪役令嬢セレスティアナではない。

『ルナリス様きたああああああ!』

『待機勢の勝利』

『今日の声、なんか艶っぽくない? 良き』

『初見です、ここが天国か』

滝のように流れるコメント。

好意。崇拝。興奮。

それらが浮力となり、鉛のように重かった四肢を羽毛に変えていく。

「ふふ、今日はね……少し『仮面』の話をしようと思うの」

私が語れば、数字が跳ねる。

同接数三万人。

この仮想の夜空だけが、私の呼吸を許してくれる。

その時だった。

どす黒い赤色のスーパーチャットが、画面を切り裂いた。

『お前の正体を知っているぞ、セレスティアナ』

『悪役令嬢が被害者ぶるな。そろそろ終わりの時間だ』

心臓が早鐘を打つ。

指先が氷のように冷たくなる。

モニターの向こうから、何者かの粘着質な視線が、私の喉元を這い上がってきた。

第二章 透明になる指先

翌朝、私は恐怖で叫び声を上げそうになった。

紅茶のカップを持つ右手の小指が、透けている。

陶器の白い取っ手が、皮膚の下からぼんやりと見えていた。

「嘘……もう、ここまで?」

『認識の乖離』。

世間が私を「排除すべき悪役」と認識するほど、世界は私を異物として処理しようとする。

存在が希薄化し、やがて誰の記憶からも消え失せる。

「おはよう」

廊下ですれ違ったメイドに声をかける。

だが、彼女は私の横を素通りした。

まるで、そこに誰もいないかのように。

私はもう、半分以上「いないもの」になりかけている。

学園へ向かう回廊。

足音が響かない。

幽霊になった気分で歩いていると、角を曲がった先で空気が凍りついた。

「……セレスティアナ」

王太子、アレクサンドロ殿下。

私の元婚約者であり、私を断罪する筆頭演者。

紺碧の瞳が、氷柱のような冷たさで私を射抜く。

「ごきげんよう、殿下」

カーテシーをしようとして、よろめいた。

殿下の発する拒絶のオーラが、巨大な鉄球となって私を打ち据える。

「週末の建国記念パーティには必ず出席しろ。そこで、貴様に申し渡すことがある」

断罪予告。

周囲の生徒たちが、期待に満ちた目でこちらを見ている。

また悪役が吊るされるぞ、と。

私は唇を噛み、一礼して去ろうとした。

その時。

「……逃げるなよ」

殿下の声が、微かに震えた気がした。

振り返ると、彼は口元を片手で覆い、視線を床に落としている。

その指先が、ピアノを弾くように不規則に動いていた。

タン、タタン、タン。

奇妙なリズム。

どこかで聞いたことがある。

確か、私が配信トラブルで焦った時に、コメント欄で誰かが教えてくれた「落ち着くためのリズム」だ。

(まさか……)

いや、あり得ない。

あの冷徹な王太子が、そんな人間臭い仕草をするはずがない。

逃げるように物陰に隠れ、震える手で端末を取り出す。

DMの通知が一件。

差出人は『暁のヴェール』。

私の最初期からのリスナーであり、唯一の理解者。

『夜明け前が一番暗い。でも、星は必ずそこにある』

『君が声を上げるなら、僕もその時、一緒に叫ぶよ』

画面に滲む文字だけが、温かかった。

もしも明日、私が消滅するとしても。

この人だけには、本当の私を覚えていてほしい。

私は決意した。

逃げ隠れして消えるくらいなら、最期に花火を打ち上げてやる。

チョーカーに仕込んだ、祖母の遺産の「解析コード」を起動させる準備を始めた。

第三章 革命のファンファーレ

建国記念パーティの夜。

王宮の大広間は、欺瞞に満ちた光で溢れていた。

私の身体は、もう限界に近い。

ドレスの袖から覗く手首は半透明になり、血管の青さすら見えない。

チョーカーの輝きだけが、かろうじて私の輪郭を保っていた。

「セレスティアナ・アルビオン!」

アレクサンドロ殿下の声が、広間の空気を切り裂く。

音楽が止む。

数百人の貴族たちの視線が一斉に私に突き刺さる。

その全てが「蔑み」と「嘲笑」。

重い。

何トンもの土砂に生き埋めにされたようだ。

骨がきしむ音が、脳内で響く。

「貴様の数々の悪行、もはや看過できん! よって、この場で婚約を破棄し、国外追放を命じる!」

王太子の声は朗々としていて、完璧だった。

あまりにも完璧すぎる。

まるで、誰かに書かされた台詞を再生しているかのように。

彼は私を指差したまま、動かない。

その指先が、またあのリズムを刻んでいる。

タン、タタン、タン。

(――合図だ)

私の直感が叫んだ。

今しかない。

「……ふ」

私は笑った。

扇を放り捨て、胸元のチョーカーを握りしめる。

「な、何を笑っている!」

「笑わずにはいられませんわ。あまりに退屈で、陳腐な茶番劇ですもの」

私はドレスに隠していたスイッチを押した。

『星辰のチョーカー』が、閃光弾のように青白く炸裂する。

《システム侵入……承認。強制配信、開始》

バシュッ!

空間に亀裂が走り、巨大なホログラムが出現した。

映し出されたのは、呆然とする貴族たちの顔と、私の姿。

「――ごきげんよう、会場の皆様。そして、画面の向こうの迷える仔羊たち」

私の声が、アバター『宵闇のルナリス』の声と重なり、会場内の魔法スピーカーをジャックした。

『は? なにこれ』

『王宮配信!? 釣りか?』

『いや待って、ルナリス様!? なんでそこに?』

『まさか、伝説の悪役令嬢って……ルナリスだったの!?』

『うわああああああああ!』

配信サイトのコメントが、弾幕となってホログラムを埋め尽くす。

文字の奔流が、物理的な光の帯となって会場を乱舞した。

「貴方達が見ているこの『断罪』は、作られたショーよ」

私は殿下を、そして会場を見渡した。

チョーカーの光が、世界を覆う「テクスチャ」を剥がしていく。

貴族たちの背中に突き刺さる、赤黒い鎖。

彼らは自らの意志ではなく、システムに操られる操り人形だった。

そして、アレクサンドロ殿下の背中にも――誰よりも太く、おぞましい鎖が巻き付いていた。

『え、なにあの鎖』

『キモすぎワロタ』

『王太子も縛られてんじゃん……』

『これマジのやつ? 演出じゃなくて?』

「見えますか? これがこの国の真実。役割という名の呪い」

視聴者の認識が変わる。

私に向けられていた「悪意」が、「驚愕」へ、そして「熱狂」へと変質していく。

会場の空気が振動し始めた。

重かった身体が、急速に熱を帯びる。

力が溢れてくる。

『ルナリス、ぶっ壊せ!』

『全部嘘だったのかよ』

『俺たちがついてるぞ!』

数万、数十万の「応援」が、光の粒子となって私に降り注ぐ。

私は一歩、前に踏み出した。

「さあ、シナリオを書き換えるわよ!」

私が手を掲げた瞬間、パリンッ! と硬質な音が響き、私を縛っていた見えない鎖が砕け散った。

第四章 夜明けの共犯者

会場はパニックに陥っていた。

悲鳴を上げる貴族たち。バグったように痙攣する衛兵。

だが、その混沌を切り裂くように、一人の男が私の隣に歩み寄った。

アレクサンドロ殿下だ。

彼は自らの胸元を掴み、勲章を引きちぎるように投げ捨てた。

冷徹な仮面の下から、少年のような、必死な素顔が露わになる。

「……遅いよ、ルナリス」

彼は、マイクに入らないほどの小声で囁いた。

その瞳は、私がずっと画面越しに感じていた、あの温かい光を宿していた。

「ずっと、君が気づいてくれるのを待っていた」

「殿下……まさか、貴方が」

「『暁のヴェール』だ。……やっと会えたね、僕の歌姫」

彼は私の手を取り、震える指をしっかりと絡めた。

そして、カメラに向かって叫んだ。

「彼女の言う通りだ! 私は、こんな腐ったシステムを維持するための王になどなりたくない!」

殿下が、空中に浮かぶ鎖を睨みつける。

二人が並び立った瞬間、コメントの勢いが爆発的な加速を見せた。

『王太子公認きたあああああ!』

『アツすぎる展開www』

『ヴェールニキ、お前だったのかよ!』

『世界を変えろおおおお!!』

『全鯖民よ、二人に力を貸せ!』

数百万の「意思」が、物理的なエネルギーとなって会場に満ちる。

古い因習、身分の呪い、悪役令嬢システム。

それらを構成していた魔力が、圧倒的な「共感」の波に飲まれ、ガラス細工のように崩壊を始めた。

ガガガガガッ!

轟音と共に、王宮の天井が吹き飛んだ。

光の粒子となって消えていく瓦礫の向こう。

そこには、人工的な天井ではなく、本物の満天の星空が広がっていた。

「見なさい、あれが本物の空よ」

私は指差す。

もはや、私の身体は透けてなどいない。

誰よりも鮮烈に、確かに、ここに「存在」していた。

隣で、アレクサンドロが泣きそうな顔で笑う。

その笑顔は、どんな宝石よりも美しかった。

***

それから、世界は少しだけ騒がしくなった。

身分による存在の規定は崩れ去り、人々は自らの意志でその在り方を決めるようになった。

もちろん、混乱はある。

貴族たちは特権を失い、右往左往しているけれど。

「今日のゲストは、この国の新しい宰相……いえ、私の相棒です」

配信画面の中で、私は隣に座るアレクサンドロに微笑みかける。

彼はヘッドセットを少し恥ずかしそうに直しながら、マイクに向かった。

「紹介に預かりました、元王太子の『暁』です。……お手柔らかに頼むよ」

『暁ニキきたああ!』

『末永く爆発しろ』

『てぇてぇ』

流れる祝福のコメント。

私たちはもう、誰かの作った物語の登場人物ではない。

鉄鎖は砕かれた。

ここからが、私たちの本当の物語だ。

AIによる物語の考察

**登場人物の心理**:
悪役令嬢セレスティアナは、「他者の悪意」を物理的な重力として感じる特異体質に苦しみ、存在希薄化の恐怖に苛まれる。仮想世界の歌姫ルナリスとして得られる「好意」と「崇拝」が唯一の自己肯定であり、消滅を前にシステムへの反逆を決意する。一方、冷徹な王太子アレクサンドロは、自身も「役割という名の呪い」に縛られながらも、ルナリス=セレスティアナのリスナー『暁のヴェール』として水面下で彼女を支え、世界変革の機会を伺っていた。

**伏線の解説**:
アレクサンドロ殿下が刻む「落ち着くためのリズム」は、セレスティアナの配信トラブル時にリスナーが教えたものであり、彼が『暁のヴェール』である伏線。さらに『暁のヴェール』からの「君が声を上げるなら、僕もその時、一緒に叫ぶよ」というDMは、二人の共闘を暗示していた。祖母の遺した「星辰のチョーカー」の「解析コード」は、世界を支配する「システム」の正体を暴き、物語を動かす重要な鍵となる。

**テーマ**:
本作は、他者の「認識」が個人の存在を規定し、時に破壊する世界の不条理を描く。仮想空間での「共感」と「連帯」が、現実世界の「役割という名の呪い」という「鉄鎖」を打ち破る力を持ち得るかを問いかける。偽りのシステムに縛られた人々が、真実の共有と大衆の「熱狂」によって自由を勝ち取り、自らの意志で新しい物語を紡ぎ出す「革命」の物語である。
この物語の「続き」を生成する

あなたのアイデアをAIに与えて、この物語の続きや、もしもの展開を創作してみましょう。

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