虚構の美、真実の配信

虚構の美、真実の配信

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第一章 泥濘と黄金の筆

冷たい雨が、肌を刺す。

路地裏の腐臭が、かつて聖女と呼ばれた私の肺を満たしていた。

水たまりに映る自分の顔を見る。

泥にまみれ、頬はこけ、目は落ち窪んでいる。

そして頭上には、呪いのような数字。

『0』

この国では、魂の美しさが数値化される。

数値が高ければ富み、低ければ捨てられる。

『0』の私は、廃棄物だ。

「……ここで死ぬの?」

震える手を見る。

指先は青白く、感覚がない。

けれど、懐には一本の筆があった。

追放の夜、祭壇から持ち出した『真理の化粧筆』。

大神官は言った。

『その筆は、心の醜い者が使えば命を削る』

私の心は醜いらしい。

ならば、どうなっても構わない。

ただ、最後に一度だけ。

「夢を、見たい」

私は泥水を啜り、立ち上がった。

筆が勝手に動くのを待つのではない。

私が、描くのだ。

震えを奥歯で噛み殺し、虚空に筆を突き立てる。

インクの代わりに、私のわずかな命を吸って、穂先が黄金に輝いた。

——描け。

なりたかった自分を。

焦がれた美しさを。

空気を切り裂き、光の線を引く。

極彩色の粒子が舞い、雨の冷たさを遮断した。

目の前に、半透明のウィンドウが展開する。

そこに映っていたのは、泥だらけの私ではない。

光そのもので編まれたような、至高の少女。

私が幼い頃から夢想していた、「強くて美しい私」の姿(アバター)だった。

『接続確立。配信を開始します』

無機質なシステム音と共に、視界の端で数字が跳ね上がる。

1人、10人、100人……。

《……え?》

《なにこの映像》

《大聖堂の配信? いや、違う》

《すごく、綺麗だ……》

文字が流れる。

彼らの頭上に浮かぶ数字は、決して高くはない。

けれど、その言葉の一つ一つに、体温が宿っているように感じた。

私はアバターの唇を重ね、息を吸い込んだ。

「初めまして。……名乗るほどの者ではありません」

声が震えなかったことに、自分でも驚く。

これは虚構だ。けれど、この決意だけは本物だ。

「ただ、今夜は寒くて……誰かとお話がしたかったのです」

第二章 仮面の告白

《名無しさん? 声、泣いてるの?》

《仕事でミスって死にたかったけど、なんか手が止まった》

《この光、温かい。モニター越しなのに》

滝のように流れるコメント。

そこには、スラングや冷やかしだけではない、切実な「生」の吐露があった。

私は気づく。

この人たちは、飢えているのだ。

教団が垂れ流す、整いすぎて冷徹な「美」ではなく、もっと不格好で、泥臭くて、温かい何かを求めている。

「泣かないで。あなたたちは、十分頑張っています」

私は筆を振るう。

画面の中に、光の花びらを舞わせる演出(エフェクト)を加えた。

《うわあ……》

《救われた気がする》

《俺、明日も生きていいのかな》

その時、アバター越しに不思議な感覚が流れ込んできた。

彼らの「感情」が、熱量となって私の指先に宿る。

これが、魔法?

一方的に与えるものではなく、彼らの想いが私を支えている。

だが、安寧は長くは続かない。

「ここか、ネズミめ」

冷え切った殺気。

路地裏の入口に、純白のローブを纏った男たちが立っていた。

教団の「美化部隊」。

彼らの顔は陶器のように滑らかで、頭上の数値は『80』を超えている。

「未登録の違法配信を確認。直ちに処分する」

男が杖を掲げる。

殺すことに躊躇のない、手慣れた動作。

以前の私なら、悲鳴を上げてうずくまっていただろう。

けれど今、背後には「彼ら」がいる。

画面の向こうで、何千人が私を見つめている。

《え、なに? 誰か来た?》

《逃げて!》

《あのローブ、美化部隊だ! やられるぞ!》

私は一歩、前へ踏み出した。

泥濘が靴を汚すが、構わない。

「配信の邪魔は、させません」

私は筆を構えた。

アバターが、凛とした表情で男たちを見据える。

それは、私が一番なりたかった「守れる人」の顔だった。

第三章 枯渇する世界

「生意気な!」

男の杖から火球が放たれる。

熱波が顔を焦がす。

「くっ……!」

私は筆を横薙ぎにした。

光の障壁を展開するが、衝撃で身体が吹き飛ぶ。

背中を壁に打ち付け、肺から空気が漏れた。

痛い。熱い。

アバターの映像にノイズが走る。

《おい、大丈夫か!?》

《ふざけんな教団!》

《やめろよ! その子は何もしてないだろ!》

「ハァ、ハァ……」

口の中に鉄の味が広がる。

やはり、私の『0』の魔力では、彼らには勝てないのか。

「身の程を知れ、ゴミ屑が」

男が嘲笑いながら近づいてくる。

その時、私は奇妙な「音」を聞いた。

ミシミシ、パキパキ。

男が足を踏み出すたび、足元の石畳が灰色に風化していく。

路脇の雑草が、一瞬で枯れて塵になった。

「……そうか」

私は悟った。

彼らの美しさは、自ら発光しているのではない。

周囲から「奪って」いるのだ。

世界そのものの生命力を啜り、自らの仮面を維持している。

だから、都の花は枯れ、人々の心は荒む一方だったのだ。

「あなたたちの数値(美)は……ただの『強奪量』だったのね!」

「黙れ!」

男が激昂し、杖を振り下ろす。

私は避けなかった。

いや、避けてはいけない気がした。

画面の向こうのリスナーたちに、真実を見せるために。

筆を突き出し、杖を受け止める。

腕の骨がきしむ。

筆が折れそうだ。

《負けるな!》

《俺たちの祈りを届けろ!》

《推しを傷つけるやつは許さねえ!!》

その瞬間、端末から爆発的な光が溢れた。

リスナーたちの怒り、悲しみ、応援。

それら全てが奔流となって、私の筆に流れ込む。

「みんなの想いを……返してッ!」

私は絶叫と共に、筆を振り抜いた。

インクではなく、純粋な光の斬撃。

それが男の仮面に直撃する。

——パリーンッ!

硬質な音が響き、陶器の肌が剥がれ落ちた。

その下から現れたのは、醜く干からびた、ミイラのような素顔。

過剰摂取した魔力に蝕まれた、哀れな成れの果て。

《うわああ!》

《なんだあれ、化け物……?》

《あれが、俺たちが崇めてた奴らの正体かよ》

「顔が、顔があああ!」

男は顔を覆ってのたうち回る。

その体から漏れ出した瘴気で、周囲の壁が腐り落ちていく。

「見なさい」

私は息を切らしながら告げる。

カメラに向かってではなく、世界そのものに向かって。

「これが、あなたたちが信じた数字の正体よ」

第四章 真の美の創世

男たちは逃げ去った。

残されたのは、静寂と、冷たい雨音。

けれど、寒くはなかった。

ウィンドウの向こうから、無数の光が私に降り注いでいるからだ。

《ありがとう》

《目が覚めたよ》

《あんたこそ、本物の聖女だ》

称賛の嵐。

その中で、私の頭上の『0』が、バチバチと火花を散らし始めた。

故障したのではない。

桁が、変わろうとしているのだ。

……いいえ、違う。

私は気づいてしまった。

このシステムは、「自己への愛(ナルシシズム)」を数値化していたのだ。

自分を飾ることに執着する者ほど、数値は高くなる。

私は、自分のことが嫌いだった。

誰かのために生きたかった。

私の愛のベクトルは、常に「自分以外」に向いていた。

だから、『0』だったのだ。

「ふふ、あはは……」

笑いが込み上げてくる。

なんだ、そんなことだったの。

この『0』は、空っぽという意味じゃない。

器(うつわ)だ。

みんなの想いを受け入れ、反射するための、透明な鏡。

「みんな、最後にもう一つだけ、魔法を使わせて」

私は筆を空高く掲げた。

アバターの輝きを解除する。

泥だらけの、ボロボロの、ありのままの私が画面に映る。

《えっ、それが素顔?》

《ボロボロじゃん……》

《でも、すげぇ目力だ》

《こっちの方が、ずっと綺麗だぞ!》

「——プリズム・リベレーション(魂の解放)」

筆が砕け散るほどの勢いで、世界を描き換える。

都を覆っていた巨大な結界が弾け飛んだ。

欺瞞の魔法が解け、人々の頭上から「数字」が消滅していく。

石畳の灰色が、雨に濡れた黒曜石の色に戻る。

枯れ木に、小さな緑の芽が吹く。

世界は、派手な黄金色ではなかった。

もっと雑多で、不揃いで、鮮やかな色彩に満ちていた。

そして、私の頭上の『0』もまた、光の粒となって消え失せた。

「……あ」

雨が上がっていた。

雲の切れ間から、朝陽が射し込む。

その光は、泥だらけの私を優しく照らした。

カメラの向こうの人々と、確かな繋がりを感じる。

数字なんていらない。

私たちは、ただそこで呼吸をしているだけで、こんなにも色彩豊かだ。

私は泥をぬぐい、画面に向かって、はじめて心からの笑顔を見せた。

「おはよう、新しい世界。……配信は、これからが本番よ」

朝焼けの空に、無数の「いいね」のような鳥たちが飛び立っていく。

それは、物語の始まりを告げる、何よりも美しい景色だった。

AIによる物語の考察

「虚構の美、真実の配信」は、システムが魂の美を数値化し、人々を支配する世界で、主人公が真の美と自己の役割を見出す物語です。

1. **登場人物の心理**: 主人公「私」の「夢を見たい」という願いは、絶望の中での自己救済だけでなく、他者を救いたいという利他的な動機に根ざしています。自身の命を削る『真理の化粧筆』を使い続けるのは、自分の心は醜いと思いつつも、他者に光を与えたいという自己犠牲的な愛の表れです。

2. **伏線の解説**:
* 筆が「心の醜い者が使えば命を削る」という設定は、システムが「自己愛」を美の基準とする中で、他者への愛に傾く主人公には命を削る作用があったという伏線です。
* 頭上の『0』は当初「廃棄物」を意味しましたが、自己への執着がないが故の評価であり、最終的に他者の想いを受け止める「器」と転じます。
* 教団の「美」が世界から生命力を奪う描写は、その虚構性と世界枯渇の原因を示唆しています。

3. **テーマ**: 物語は「真の美とは何か」を深く問いかけます。数値化された虚構の美と、不格好でも他者との共感や繋がりから生まれる温かい真の美を対比させ、システムが定義する価値観からの解放と、個の尊厳、そして利他的な愛こそが世界を再生する力であることを力強く提示します。
この物語の「続き」を生成する

あなたのアイデアをAIに与えて、この物語の続きや、もしもの展開を創作してみましょう。

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