永遠の時計技師と、秒針を止めた少女

永遠の時計技師と、秒針を止めた少女

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第一章 錆びた記憶とネオンの雨

オイルと古紙の匂いが染み付いたこの店の中だけが、俺にとっての「世界」だった。

店の外では、ホログラムの広告が極彩色の光を撒き散らし、重力制御された車が空を切り裂いている。

かつてここが、見渡す限りの針葉樹林だったことを知る者は、もうこの街に俺一人しかいない。

「いらっしゃい」

俺はルーペを目に当てたまま、作業台から顔を上げずに言った。

入口のベルが鳴ってから、客がカウンターに辿り着くまでの足音。

右足が少し重い。義体化率が高い人間の特徴だ。

「ここが、どんなガラクタでも直してくれる店?」

少女の声だった。

少しノイズ混じりの、合成音声に近い響き。

顔を上げると、濡れた透明なビニール傘を畳む少女が立っていた。

年齢は十代後半に見えるが、首から下は無骨なカーボン素材のフレームが剥き出しになっている。

「ガラクタじゃない。歴史だ」

俺はピンセットを置き、ルーペを外した。

エルフ特有の尖った耳を髪で隠す癖は、三百年経っても抜けない。

「で、持ち込みか?」

「うん。これ、直せる?」

少女がカウンターに置いたのは、手のひらサイズの木箱だった。

炭化したように黒ずみ、蝶番は朽ちかけている。

だが、俺の心臓は確かに一拍、大きく跳ねた。

その箱の側面に彫られた小さな百合の紋章。

それは、二百年前に俺が彫り、当時の恋人へ贈ったオルゴールだったからだ。

「……どこでこれを?」

「おばあちゃんの、そのまたおばあちゃんの蔵から。家系図を辿ったら出てきたの」

少女は悪びれもなく言った。

俺の手が微かに震える。

人間という種族は、どうしてこうも残酷な巡り合わせを運んでくるのか。

「かなり古い。中のシリンダーも錆びついているだろう」

「どうしても直したいの。来週までに」

「来週?」

俺は少女の目を見た。

左目は美しい碧眼だが、右目は赤い光を明滅させるカメラアイだ。

「私、来週には『向こう側』に行くから」

「死ぬのか?」

「ううん。フルダイブ・アップロード。肉体を捨てて、意識をサーバーに移住させるの。永遠に生きられるんだよ」

彼女は誇らしげに笑った。

俺にとっての「永遠」が呪いであることも知らずに。

第二章 刹那を生きる者たち

作業は難航した。

現代のナノマシンを使えば一瞬で修復できるだろうが、俺はそれを使わない。

三百年前の木材には、三百年前の修復材が必要だ。

「ねえ、おじさん。そんな手作業でやってて、飽きない?」

三日目。少女――マヤは、カウンターの隅に座り込んで俺の作業を眺めていた。

「俺の名前はレンだ。それに、手作業だから意味がある。時間は省略するものじゃない。積み重ねるものだ」

「変なの。サーバーに行けば、思考速度は一千倍だよ? 一瞬で十年分の映画も見れる」

マヤが指先で空中にウィンドウを展開し、光の粒子を弄ぶ。

「味気ないな」

「合理的でしょ。……私の体、もう生体部品が五%しか残ってないの。脳細胞も少しずつデータに置き換わってる」

カチ、と小さな音がして、俺は極小のネジを嵌め込んだ。

「だから、完全に機械になる前に、この音を聞きたいの。人間だった私の、最後の記憶として」

マヤの声色が、ふと温度を失った気がした。

俺は作業の手を止めた。

長命種(エルフ)の俺からすれば、人間の寿命など瞬きのようなものだ。

彼らはすぐに死に、すぐに忘れ、そしてまた新しい命が生まれる。

その儚さを愛していたはずだった。

だが、今の人間はどうだ。

肉体を捨て、データとなってまで「生」に執着する。

「なぁマヤ。肉体がなくなっても、それは『お前』なのか?」

「どういう意味?」

「痛みも、匂いも、この店の湿気た空気も感じない。それは生きてると言えるのか」

マヤは義体の指で、カウンターの傷跡をなぞった。

「レンには分からないよ。ずっと生きられる人には、消えてなくなる怖さなんて分からない」

「……逆だ」

俺はオルゴールのゼンマイに指をかけた。

「ずっと生きるからこそ、見送る怖さを知っている」

俺がそう呟くと、マヤは少し驚いたように右目のカメラアイを絞った。

かつての恋人も、そうやって俺を見つめることがあった。

種族も、時代も、体の構造さえ違うのに、魂の形だけが似ている。

「ねえ、レン。直ったら、一番最初に聞かせてね」

「ああ。約束する」

それは、かつて恋人と交わし、守れなかった約束のリフレインだった。

最終章 秒針のその先へ

約束の日の朝、街は深い霧に包まれていた。

俺は最後の調整を終え、オルゴールを磨き上げた。

黒ずんでいた木肌は飴色の艶を取り戻し、真鍮のパーツは鈍い光を放っている。

「できたぞ」

誰もいない店内で、俺は独り言ちた。

マヤは来ない。

いや、もう「ここ」には来られないのだ。

彼女のアップロード手術は、今朝行われているはずだった。

ブウン、と低い音がして、カウンターの上にホログラムが投影された。

マヤだ。

ただし、そこにあるのは光の集合体としての彼女だった。

『レン! 聞こえる? すごいよ、向こう側は! 体が軽いなんてものじゃない、意識が空全体に広がってるみたい!』

スピーカーから響く声には、一切のノイズがなかった。

あまりにもクリアで、あまりにも平坦だ。

「……そうか。無事だったか」

『うん。約束、覚えてる? 直ったんでしょ?』

俺は無言でオルゴールのゼンマイを巻いた。

カリ、カリ、と乾いた音が店内に響く。

ホログラムのマヤが、期待に胸を膨らませるように揺らめいた。

ストッパーを外す。

流れてきたのは、三百年前に流行った、素朴な子守唄だ。

金属の爪がシリンダーを弾き、物理的な振動が空気を震わせる。

その音色は、デジタルの波形では絶対に再現できない「揺らぎ」を持っていた。

『わぁ……』

ホログラムの少女が、うっとりと目を閉じる仕草をした。

データである彼女に、音の振動は届かないはずだ。

マイクが拾った電気信号を解析しているに過ぎない。

それなのに。

『懐かしい。……ねえ、レン。私、思い出したよ』

「何をだ」

『おばあちゃんのおばあちゃんが、これを誰に貰ったか。……日記データも一緒にアーカイブされてたの』

俺の喉が熱くなる。

『“耳の長い、不器用な時計屋さん”。……ふふ、レンのことだったんだね』

ホログラムの彼女が、光の粒子でできた涙を流した。

プログラムされた反応なのかもしれない。

あるいは、魂の残滓なのかもしれない。

「……バカな奴だ。わざわざ古い日記まで掘り起こして」

『レン。私ね、こっちに来てよかったと思ってる。でもね……』

彼女の姿が、少しずつ薄れていく。

サーバーへの完全同化が始まったのだ。

『この音の温もりだけは、データにできなかったみたい』

「当たり前だ。それは、そこに“在る”ものだからな」

『ありがとう、レン。……さようなら』

光が弾け、マヤの姿が消滅した。

あとには、回転を続けるオルゴールと、静寂だけが残された。

俺はオルゴールを止めた。

店の中は再び、雨音とネオンのノイズに支配される。

だが、不思議と孤独ではなかった。

「文明が変わろうと、器が変わろうと、想いは残る、か」

俺は作業台の引き出しから、新しい工具を取り出した。

これからは、あの電子の海を漂う連中のために、あえてアナログな記憶を残すのも悪くない。

数世紀を生きて、初めてそう思えた。

「さて、仕事に戻るか」

俺はルーペを目に当て、次の「歴史」と向き合った。

外の雨は、まだ止みそうにない。

AI物語分析

【主な登場人物】

  • レン: 300年以上生きるエルフ(長命種)。かつての森林地帯に建てられたサイバーパンク都市で、時代遅れの骨董品店を営む。人間の「死」に慣れすぎて冷笑的になっていたが、技術屋としての情熱と、過去への執着を併せ持つ。
  • マヤ: 全身の95%を機械化した人間の少女。肉体の脆弱さを嫌い、意識をクラウドへ移行する「フルダイブ・アップロード」を控えている。合理的でありながら、人間としての最後の証を求めた。

【考察】

  • 「錆び」と「データ」の対比: 本作において、錆びや劣化は「生きていた証(時間の蓄積)」として肯定的に描かれている。一方、永遠に劣化しないデータは、レンにとって無機質なものとして映っていたが、最終的には「形を変えた魂の器」として受容される。
  • オルゴールの役割: オルゴールは、物理的な振動(アナログ)と、繰り返される記憶(ループ)の象徴。マヤがデータとなっても、レンがゼンマイを巻くという「物理的な干渉」がある限り、二つの世界は繋がることができるという希望を示唆している。
  • 長命種にとっての文明: レンにとって文明の進歩は「喪失」の歴史だったが、マヤとの対話を通じて、変化もまた一つの「蓄積」であると気づく。彼が最後に新しい工具を手に取ったのは、過去の保存だけでなく、未来への適応を選んだことを意味する。
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