第一章 空気が読めない探索者
「えー、現在の深度は地下14階層。気温は12度。湿度はやや高めです」
暗闇の中、俺、相沢レンジは淡々と呟いた。
アクションカメラが捉えているのは、苔むした石壁だけ。
派手な魔法エフェクトもなければ、美少女との掛け合いもない。
ただ、俺の独り言と、足音だけが響く。
スマホの画面を見る。
【同接:1人】
「コメント、ありがとうございます。『もっと前に出ろ』とのことですが、今は慎重に進むべき局面です。右側の壁のシミ、見えますか? あれは『石喰い』の排泄痕です。つまり、近くに待ち伏せ型の敵がいる可能性が高い」
俺は立ち止まり、バックパックから測量用のレーザーポインターを取り出した。
壁に向かって赤い点を照射する。
「……やはり。反応あり。迂回します」
踵を返し、来た道を戻り始める。
その瞬間、コメント欄が動いた。
『は? 逃げんのかよ』
『つまんね』
『切るわ』
【同接:0人】
画面右上の数字がゼロになった。
俺は大きく息を吐き出し、マスクの下で口角を上げた。
「よし」
誰も見ていない。
今だ。
俺は猛ダッシュで、さっき「迂回する」と言った通路へ突っ込んだ。
壁が蠢く。
擬態していた『石喰い』――体長2メートルの岩石蜥蜴が、牙を剥いて飛びかかってくる。
普通なら、Aランク相当のモンスターだ。
ソロで挑めば死が見える。
だが。
「ギャアアア!」
蜥蜴の動きは、あくびが出るほど遅かった。
皮膚は柔らかい粘土のように垂れ下がり、凶悪な牙はボロボロに欠けている。
俺は走り抜けざま、腰のナイフを逆手に持ち、すれ違いざまに蜥蜴の喉元を撫でた。
ズブり。
豆腐に箸を通したような感触。
巨体が崩れ落ち、黒い霧となって消滅する。
俺はナイフの血糊を振るい、再びカメラを確認する。
視聴者ゼロ。
「……セーフ」
この世界にダンジョンが出現して3年。
探索者が配信者(ストリーマー)を兼ねるのが常識となった時代。
誰も気づいていない法則がある。
『ダンジョンは、観られているほど強くなる』
視線こそが、モンスターへのバフ(強化魔法)だ。
同接1万人を超えた時のゴブリンは、戦車すら弾き返す。
逆に、誰にも見られていない時のドラゴンは、ただの大きなトカゲに成り下がる。
俺の才能。
それは『空気が読めない』こと。
徹底的に地味で、理屈っぽくて、映えない配信をする。
視聴者を退屈させ、ブラウザバックさせる。
そうして世界(ダンジョン)の注目を殺した時だけ、俺は無敵になれる。
「さて、ドロップ品回収して帰るか」
誰もいない画面に向かって、俺はそう呟いた。
第二章 100万人の処刑台
地上に戻り、ギルドの換金所で素材を売った帰り道だった。
ロビーの大型モニターに、人だかりができている。
『緊急クエスト発生! Sランク配信者・天宮キラリ、第20階層でボス遭遇!』
画面の中で、銀髪の美少女が悲鳴を上げていた。
「嘘でしょ……なんでこんなに硬いの!?」
彼女は『閃光の魔女』と呼ばれるトップランカーだ。
放たれる雷撃魔法は、本来なら階層主(ボス)を一撃で葬る威力がある。
だが、画面に映るボス――『処刑執行人(エクスキューショナー)』は、傷一つ負っていなかった。
巨大な斧を持った骸骨騎士。
その鎧は、不気味な赤光を放っている。
画面端の数字を見て、俺は吐き気を催した。
【同接:1,204,500人】
120万人。
「おいおい、バカかよ……」
視聴者たちは、コメント欄で熱狂している。
『キラリちゃん頑張れ!』
『神回確定!』
『エグい強さwww 絶望感半端ない』
『スパチャ送るから逃げ切って!』
違う。
お前らが殺しているんだ。
その応援(ちゅうもく)が、ボスに無限のエネルギーを注ぎ込んでいる。
今のあいつは、神話級の怪物だ。
画面の中で、キラリの魔法障壁がガラスのように砕け散った。
巨大な斧が振り上げられる。
「きゃあああっ!」
彼女の片足が瓦礫に挟まり、動けない。
絶体絶命。
視聴者数がさらに跳ね上がる。
130万人。
ボスの動きが加速する。
残像すら見える速度。
ロビーの冒険者たちが息を飲む。
「あ、死んだわこれ」
「救助隊も間に合わねえよ」
俺は舌打ちをした。
気づけば、身体が動いていた。
非常用の転移ゲートへ走る。
「おい、そっちは関係者以外立ち入り禁止だぞ!」
「うるせえ、トイレだ!」
警備員を突き飛ばし、俺はゲートの操作盤を叩いた。
座標、第20階層、ボス部屋直上。
俺は、あの『映えない』男だ。
誰よりも空気を読まず、誰よりも数字を持っていない男だ。
「配信開始」
スマホのスイッチを入れる。
タイトルは『数学Ⅲの補習 ~積分と人生について~』。
俺はゲートに飛び込んだ。
第三章 世界一退屈なショー
転移の光が収まると、そこは地獄の釜の底だった。
目の前で、巨大な斧がキラリの首めがけて振り下ろされる寸前。
俺はポケットから発煙筒(スモーク)を取り出し、ボスの顔面に投げつけた。
「グオオオオオッ!?」
物理的なダメージはない。
だが、視界が遮られる。
俺はその隙にキラリの前に滑り込み、抱きかかえるようにして瓦礫の陰へ転がった。
「え……誰……?」
キラリが涙目で俺を見る。
俺のドローンカメラと、キラリの高性能追尾カメラ。
二つのレンズが俺たちを捉える。
今、この映像は130万人の目に晒されている。
『誰だこいつ?』
『乱入者? モブか?』
『邪魔すんなよ、いいところだったのに』
俺は深呼吸した。
ここからが戦いだ。
剣を振るう戦いじゃない。
「いいか、黙って俺に合わせてくれ」
俺はキラリに耳打ちし、カメラに向かって、今までで一番暗い声を出した。
「あー、えーと。ただいまより、ボス部屋の構造解析における、石材の材質変化についての考察を行います」
『は?』
コメントが止まる。
俺は懐から分厚い参考書を取り出した。
そして、抑揚のない声で読み上げ始めた。
「この第20階層の玄武岩は、モース硬度7であり、魔力伝導率は通常の岩石の0.5倍にとどまります。したがって、先ほどの雷撃魔法が効かなかったのは、敵の防御力というよりは、床材の絶縁効果によるエネルギー減衰が主な原因でありまして……」
煙が晴れていく。
ボスが再びこちらを向き、咆哮を上げる。
迫力満点の映像だ。
だが、俺はカメラのレンズを手で半分隠し、自分の顔と、参考書の文字だけを映した。
「ちなみに、ここの湿度は78%。カビの生育には適していますが、長時間の配信機材の使用には不向きです。カメラの結露対策としてはですね……」
『何言ってんだこいつ』
『ボス映せよ!』
『画面暗いんだけど』
『声がボソボソしてて聞き取れねーよ!』
『うざ』
怒涛の低評価。
罵詈雑言。
いいぞ。
もっと怒れ。
もっと飽きろ。
「キラリさん、君も何か喋って。昨日の晩御飯のおかずについて、成分表示まで詳しく」
「は、はい!? えっと、コンビニのサラダチキンで、タンパク質が……」
「もっと単調に! 感情を込めるな!」
俺たちの『絵にならなさ』は異常だった。
後ろでボスが暴れ回っているのに、画面に映るのは、ブツブツと成分表を読み上げる男と、困惑する美少女のアップだけ。
そして、決定的な一手を打つ。
俺はスマホを取り出し、あろうことか、配信画面上で『因数分解の解説動画』をピクチャ・イン・ピクチャで流し始めた。
「ここ、テストに出ますよー」
『ふざけんな!』
『もう見るわこんなの』
『解散解散』
『他のチャンネル行くわ』
数字が、崩落した。
130万。
100万。
50万。
10万。
視聴者たちがブラウザバックするたび、空間の圧力が下がっていくのを感じる。
ボスの纏っていた赤いオーラが薄くなる。
巨大化していた筋肉が萎縮していく。
『同接:3,400人』
まだ多い。
もっとだ。
もっと俺を無視しろ。
「……さて、ここで円周率を100桁まで暗唱します。3.14159……」
『狂ってんのか』
『放送事故だろ』
『運営に通報した』
1000人を切った。
ボスの動きが、スローモーションのように鈍る。
さっきまで見えなかった『隙』のワイヤーフレームが、俺の視界に浮かび上がった。
「……キラリ、立てるか?」
「え、あ、はい。なんとか」
「カメラ、切っていいぞ」
「え?」
「ここからは、有料会員限定でも見せられない、地味な作業だ」
俺は参考書を放り捨てた。
同接、12人。
その中には、ギルドの監視員もいるだろう。
だが、構わない。
今のボスは、ただの『骨』だ。
俺は駆け出した。
スキルも、魔法も使わない。
ただの『前蹴り』を、ボスの膝関節に叩き込む。
パキッ。
乾いた音がして、巨体が体勢を崩した。
「終わりだ」
首の骨の隙間。
わずか数ミリの空洞に、ナイフを滑り込ませる。
カラン、と。
兜が落ちた。
第四章 英雄はログアウトする
静寂が戻ったボス部屋。
骸骨は塵となり、ドロップアイテムの巨大な魔石だけが転がっていた。
キラリが呆然と俺を見上げている。
「あ、あの……! あなたは……」
俺は彼女の言葉を遮り、自分の配信を切った。
アーカイブも残さない設定にする。
「礼ならいい。たまたま通りかかっただけだ」
「そんなわけないですよね!? あの強さ……どうして今まで無名なんですか? どうして、あんな変な配信を……」
彼女は賢い。
きっと、何かに気づきかけている。
俺は背を向け、手を振った。
「人気商売は向いてないんだ。俺は、ただの探索者(オタク)だからな」
そう言い残して、俺は闇の中へ消えた。
翌日。
ネットニュースは『放送事故! 謎の乱入者が配信を荒らして炎上』という見出しで埋め尽くされた。
俺のアカウントには、数千件の誹謗中傷コメントが届いていた。
『空気読めないやつ』
『二度と配信すんな』
『キラリちゃんの邪魔をするな』
俺は、カップラーメンを啜りながら、そのコメントをスクロールする。
「ふっ……」
笑みがこぼれた。
これでいい。
俺が嫌われれば嫌われるほど、俺の『視界』はクリアになる。
ふと、DM(ダイレクトメッセージ)の通知が一件。
送信者は、天宮キラリ。
『昨日はありがとうございました。私、気づいちゃいました。貴方が本当は何をしたのか。……今度、コラボしませんか? 絶対に視聴者が集まらない、最高に退屈な場所で』
俺は箸を止めた。
画面の向こうで、退屈な世界が、少しだけ面白くなりそうな予感がした。
「……まあ、悪くないか」
俺はスマホを伏せ、ズルズルと麺を啜った。
窓の外では、今日もダンジョンが、人間の欲望を飲み込んで肥大化している。
だが、心配はいらない。
世界が熱狂に包まれた時、冷や水をぶっかける性悪な掃除屋が、ここに一人いるのだから。