辺境の悪役令嬢は、ガラクタに真実を映す
第一章 鏡の向こうの女王
肺を満たす空気が、内側から肺胞を凍らせていくようだった。
極北の廃屋、その屋根裏部屋。隙間風が容赦なく吹き込み、セレスティーナの足指はとっくに感覚を失っている。かつて王都の夜会で最高級の絹を纏っていた肌は、今や粗末な麻布に擦れ、赤切れが滲んでいた。吐く息は白を通り越して透明に近い氷の粒となり、睫毛に霜となって張り付く。
「……寒い」
その一言さえ、喉が引きつって音にならない。
だが、部屋の中央、ガラクタの山に埋もれた遺物『魔鏡』の通信ランプが赤く点滅を始めた瞬間、彼女は自身の頬を両手で叩いた。乾いた音が響く。
痛みが意識を覚醒させる。彼女は震える指先で、ひび割れた唇に紅を引いた。唯一残された化粧品。それは戦場に向かう兵士が剣を研ぐのに似ていた。
「――接続(コネクト)」
魔力を流し込むと、鏡面が水面のように揺らぎ、光が溢れる。
その光を浴びた瞬間、猫背だった背筋が糸で吊られたように伸びた。凍えていた瞳に、演技という名の熱が宿る。
「ごきげんよう、愛すべき画面の向こうの皆様。今宵も、辺境の掘り出し物をご紹介いたしましょう」
その声は、極寒の地とは思えぬほど艶やかで、甘い毒を含んでいた。
第二章 鑑定眼と王国の破片
視界の端に、視聴者からのコメントが滝のように流れ落ちる。
『出たよ、追放令嬢のゴミ売り配信』
『今日は一段と手が荒れてない?w 苦労してんだな』
『さっさと見せろよ、詐欺師』
無遠慮な悪意の羅列。セレスティーナの胃の腑が締め付けられる。だが、彼女は口角をさらに吊り上げ、泥にまみれた金属片をカメラの前に掲げた。
右目が疼く。虹彩の奥で金色の光が渦を巻き、特異能力『鑑定眼』が強制発動する。
――物質構造解析。炭素年代測定。魔力残滓、照合完了。
ただの錆びた鉄屑に見えるそれが、彼女の脳内では黄金の輝きを放つ情報体へと変換される。
「皆様、お目が高い。確かにこれはゴミに見えますわね」
彼女は布で金属片を強く擦った。錆が落ち、下から現れた紋章が鈍く光を反射する。
「ですが、これは三百年前、建国王が愛馬の蹄鉄に打たせた『疾風の護符』。戦場を駆ける勇気の結晶です」
『は? マジ?』
『鑑定書あんのかよ』
『5000出す』
『1万!』
手のひらを返したような入札の嵐。セレスティーナは画面の向こうの愚民たちを鼻で笑う代わりに、妖艶な溜息をついてみせた。
「あら、急に威勢がよろしいこと。……では、金貨三枚で落札といたします」
彼女は知らない。自分が売りさばいているのが、王家の歴史を根底から覆しかねない「失われたミッシングリンク」そのものであることを。
第三章 崩壊する鳥籠
異変は、最後の品を手に取った時に起きた。
それは黒ずんだ水晶玉だった。ただのガラス玉にしか見えない。
『最後がそれかよ』
『解散解散』
『ブスが映ってるだけだぞ』
コメントが加速する中、セレスティーナの『鑑定眼』が、水晶の核にある異質な魔力回路を捉えた。
脳裏にノイズが走る。情報の奔流。
――記録媒体。
――封印指定:最重要機密。
――内容:先代国王暗殺ノ記録。実行犯、現国王。
セレスティーナの指が硬直した。水晶玉を持つ手が小刻みに震え出し、汗が背中を伝う。
これは、ただの骨董品ではない。現国王の喉元に突きつけられる唯一の凶器だ。
もしこれを公表すれば、自分の命はない。王家の暗部を知った者は消される。
今すぐ接続を切り、この水晶を粉々に砕いて、雪の中に埋めれば、惨めだが平穏な「ゴミ拾い」の毎日に戻れる。
『おい、固まってんぞ』
『放送事故w』
『ビビってんのか? 何も価値がないのがバレたか?』
画面に流れる嘲笑。顔の見えない安全圏から石を投げつける、無数の文字。
セレスティーナの呼吸が荒くなる。
逃げる? また?
濡れ衣を着せられ、泥を投げつけられ、この極北の地まで逃げてきた。これ以上、どこへ逃げるというのか。
「……価値がない、ですって?」
彼女の瞳から、演技の色が消えた。
代わりに宿ったのは、かつて社交界を震え上がらせた『冷血の魔女』の、昏い炎だった。
セレスティーナは震える親指を、水晶の起動術式の上に置いた。
破滅か、復讐か。
心臓が早鐘を打つ。指先が冷たい。だが、腹の底から湧き上がる熱が、彼女を突き動かす。
「いいえ。これは、あなたたちが一生かかっても支払えない、あまりに高い『ツケ』よ」
彼女は、自身の指でスイッチを押し込んだ。
第四章 告白
魔鏡の回路が強制拡張される。
セレスティーナの部屋だけでなく、王都の広場、酒場のスクリーン、貴族の化粧鏡――国中のあらゆる鏡に、水晶の記憶が投影された。
毒を盛られる先王。嘲笑いながら杯を見る現国王。そして、セレスティーナに罪を擦り付ける密談の音声。
酒場の喧騒が、ナイフで切断されたように途絶えた。
広場で笑っていた男の顔から血の気が引き、手にしたグラスが床に落ちて砕け散る音が、静寂の中で不気味に響く。
セレスティーナは、ガタガタと震える膝を必死に支え、カメラを睨み続けていた。
もう、手元だけを映す小細工は意味をなさない。
彼女は顔を覆っていたフードを鷲掴みにし、乱暴に脱ぎ捨てた。
ボサボサに伸びた銀髪、痩せこけた頬。令嬢の面影などない、やつれた女の顔。
だが、その双眸だけが、獣のようにぎらついていた。
「……ご覧になりましたか、愛すべき画面の向こうの皆様」
声が上擦る。喉が張り付く。それでも彼女は言葉を吐き出す。
「これが、あなたたちが崇めてきた玉座の正体。そして、これが」
彼女は自身の顔を指差した。
「あなたたちが『悪女』と呼んで石を投げた女の、今の姿です」
コメントは流れない。世界中が凍りついたように沈黙している。
「私はもう、城には戻りません。綺麗なドレスも、偽りの名誉もいらない。ただ、これからはこの鏡を通して、嘘のない価値を売り続けましょう。……私の目が黒いうちは、二度と模造品(フェイク)には騙させませんわ」
結末 再誕の女王
通信を切った後、セレスティーナはその場に崩れ落ちた。
心臓の音がうるさいほどに鳴り響き、指の震えが止まらない。
だが、窓の外、極北の吹雪の向こうに、微かな夜明けの光が見えた気がした。
国は変わるだろう。王権は揺らぎ、混乱が訪れる。追手も来るかもしれない。
それでも、彼女は立ち上がり、鏡についた手垢を袖口で拭った。
明日の配信の準備をしなくてはならない。
画面の向こうには、彼女の「鑑定」を待つ顧客たちがいるのだから。
「さあ、次はどんなガラクタを真実に変えてあげましょうか」
廃屋の屋根裏部屋、誰からも忘れられた場所で。
ボロボロの悪役令嬢は、世界で一番美しく、獰猛に微笑んだ。