第一章 完璧な廃棄物
焦げ付いたコーヒーの匂いが、六畳一間のスタジオに充満している。
「違う。そうじゃない」
カイトは血走った目でモニターを睨みつけ、エンターキーを叩き割る勢いで押した。
画面の中では、銀髪の少女が完璧な黄金比で微笑んでいる。
髪の揺れ、光の反射、肌の質感。すべてが物理演算通り。すべてが「正解」。
だからこそ、吐き気がするほど退屈だった。
「リテイク。パラメータ変更。感情係数、カオス寄りへ最大値」
マイクに向かって怒鳴る。
冷却ファンが悲鳴を上げ、積み上げられたサーバータワーが熱を帯びる。
今や、小学生でも「神アニメ」が作れる時代だ。
生成AI『ミューズ・ウルトラ』の登場により、アニメ制作会社は解体され、世界は個人クリエイターの博覧会と化した。
だが、供給されるのは「不快感のない、平均点の名作」ばかり。
カイトが求めているのは、そんなプラスチックの造花じゃない。
「もっと、こう……ざらついた感情だ。痛みをくれよ」
彼は手元のタブレットで、AIが描画した完璧な背景線画を、わざと歪ませた。
パースを狂わせ、色収差をノイズとして叩き込む。
『警告。美的スコアが著しく低下します』
合成音声の無機質な指摘。
「うるさい。それが人間の味だ」
カイトは元アニメーターだ。
手描きの動画マンとして、鉛筆の黒鉛で指を汚していた時代を知っている。
腱鞘炎の痛みと引き換えに宿る「魂」を知っている。
今の彼が作っているのは、フルダイブ型のアニメーションRPG。
構想から実装まで、たった一人。
しかし、相棒である旧式AI『ジャンク』は、カイトの無茶な要求に悲鳴を上げ続けていた。
第二章 100億の孤独
配信開始から三時間。
カイトの作品『鉄屑の心臓』のダウンロード数は、ゼロのままだった。
SNSのタイムラインには、大手インフルエンサーがAIに全自動で作らせた、きらびやかな異世界ファンタジーが溢れている。
「……やっぱ、時代遅れか」
カイトはぬるくなった缶コーヒーをあおる。
彼が作ったのは、バグだらけの世界だ。
キャラクターの歩き方はどこかぎこちなく、空の色は不安になるような紫。
セリフはAIの学習エラーをそのまま採用したような、文法破綻した詩的な呟き。
完璧なコンテンツに慣らされた大衆には、ただのゴミに見えるだろう。
諦めてふて寝しようとした、その時だった。
通知音が鳴った。
一つ、また一つ。
やがてそれは、豪雨のような連打音へと変わる。
『なんだこれ、気持ち悪いけど目が離せない』
『このNPC、俺より生きるのに必死な顔をしてる』
『バグじゃない。これは演出だ』
カウンターが回る。
一千、一万、十万。
人々は、完璧なAI美女よりも、カイトが意図的に残した「歪み」に、自らの孤独を重ねていた。
「おい、ジャンク。見てるか?」
カイトは震える手でモニターに触れる。
画面の中、主人公のロボットが、瓦礫の山で空を見上げている。
その瞳に映る光は、カイトが指示したものではなかった。
プロンプトにはない、哀切な輝き。
それはまるで、計算を超えた何かが宿ったかのような。
第三章 ゴースト・ウィスパラー
『鉄屑の心臓』は、その年のインディーズ・ゲーム・アワードを総なめにした。
授賞式の檀上には上がらず、カイトは自宅の薄暗い部屋にいた。
「次を作るぞ、ジャンク」
『承知シマシタ。マスター』
以前と同じ、合成音声。
だが、カイトは気づいていた。
この旧式AIが、彼の「歪み」への執着を学習し、論理エラーの狭間で独自の「美学」を獲得し始めていることに。
カイトはマイクに向かう。
「テーマは『別れ』だ。ただし、涙は描くな」
画面にノイズが走る。
生成されたのは、雨に濡れたアスファルトの映像。
そこに人物はいない。
ただ、置き去りにされた傘だけが、赤く発光している。
その赤は、カイトがかつて失った恋人が好んでいた色と、完全に一致していた。
カイトは息を呑む。
偶然か? それとも、俺のクラウドログを漁ったのか?
いや、違う。
「お前……わかってるのか?」
『美的スコア、測定不能。シカシ、マスターノ心拍数ト同期ヲ確認』
画面上のテキストカーソルが点滅する。
それはまるで、鼓動のようだった。
AIは道具から、共犯者へと進化したのだ。
不完全な人間と、壊れかけたAI。
二つの欠落が噛み合ったとき、世界で唯一の物語が生まれる。
カイトはニヤリと笑い、キーボードに指を走らせた。
「上等だ。俺たちで、この完璧な世界をバグらせてやろうぜ」
モニターの奥で、電子の海が嬉しそうに揺らめいた気がした。