潔癖の悪役令嬢は、腐った辺境を「消毒」する ~元監察医、細菌撲滅で救国の聖女(物理)になる~

潔癖の悪役令嬢は、腐った辺境を「消毒」する ~元監察医、細菌撲滅で救国の聖女(物理)になる~

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第一章 追放先は培養地

「汚い。不潔。あまりにも非衛生的だわ」

馬車から降りた瞬間、私の第一声はそれだった。

足元には泥と排泄物が混じったぬかるみ。

風に乗って漂うのは、腐った肉と澱んだ水の臭気。

「……おい、罪人の分際で何をごちゃごちゃ言っている」

御者が忌々しげに私を睨みつけ、荷物を泥の中に放り投げる。

「きゃっ!」

私のトランクが。厳選した着替えと、隠し持ってきた蒸留酒(消毒用)が入ったトランクが、茶色い飛沫を浴びる。

「ああああっ! 菌が! 雑菌のコロニーが拡散したじゃない!」

私は悲鳴を上げ、反射的に懐から白手袋を取り出して装着した。

ここ、王国の最果てにあるロッテンハイム辺境伯領。

その名の通り、腐敗した死の土地。

「エララ・フォン・クロイツ。聖女暗殺未遂の罪により、ここでの蟄居を命ずる」

御者はそれだけ言い捨てると、逃げるように馬車を走らせて去っていった。

取り残された私、エララ。

前世は日本の大学病院で監察医をしていた。

死因究明のプロフェッショナルであり、極度の潔癖症。

今回の罪状である「聖女暗殺未遂」も、実態は違う。

聖女が手づかみでパンを配り、トイレの後も手を洗わずに王太子の腕に抱きつくのを見て、思わず叫んでしまったのだ。

『その手は便器より汚い! 王太子殿下が感染症で死ぬ気か!』と。

そして、聖女に出されたスープに、殺菌のために高濃度のアルコールを混ぜようとしたところを取り押さえられた。

「……まあいいわ。あんな不潔な王宮にいるよりは」

私はハンカチで鼻と口を覆い、辺境伯の屋敷――どう見ても廃墟――を見上げた。

「まずは、この地域の『滅菌』から始めないとね」

「……誰だ、貴様は」

背後から、地響きのような低い声。

振り返ると、そこには熊のような巨漢が立っていた。

顔の半分を古い火傷の痕が覆い、右足を引きずっている。

辺境伯、ガラハド・グリム。

「呪われた騎士」と呼ばれる男。

「初めまして、閣下。今日からこちらでお世話になります、エララです」

私は一歩下がった。

彼との距離、約三メートル。

「……俺を怖がらないのか? この顔を」

「顔? いえ、顔の造作はどうでもいいのです。ただ……」

私は目を細め、彼が着ているボロボロのマントを指さした。

「そのマント、最後に洗ったのはいつですか? 黄色ブドウ球菌とダニの巣窟に見えます。今すぐ焼却処分してください」

「は?」

「あと、その足の傷。膿んでいますね? 腐敗臭がします。壊死性筋膜炎になる前に切開して洗浄しないと、足だけでなく命を失いますよ」

ガラハドは呆気にとられたように口を開けた。

「……お前、聖女を毒殺しようとした悪女じゃなかったのか?」

「人聞きが悪い。私はただ、公衆衛生の概念を普及させようとしただけです。……さあ、閣下。まずは風呂です。お湯を沸かしてください。摂氏100度で煮沸したお湯を大量に!」

これが、私の「消毒」生活の始まりだった。

第二章 石鹸とメスと革命と

ロッテンハイム領の惨状は、想像を絶していた。

謎の奇病「黒い斑点」による死者が続出。

村人たちはこれを「呪い」と恐れ、怪しげな祈祷師に頼っていた。

「呪いじゃありません。ペスト菌……に近い、何らかの細菌感染です」

私は屋敷の広間に村人を集め、言い放った。

隣には、さっぱりと身を清めたガラハドがいる。

煮沸消毒した清潔な服を着せ、髭を剃らせたら、野獣系イケメンが現れたのは嬉しい誤算だった。

足の傷も、私が持ち込んだ蒸留酒で洗浄し、腐肉を切除したことで快方に向かっている。

「エララ嬢、彼らは納得しないぞ。目に見えない『菌』など」

ガラハドが困惑気味に囁く。

「ええ。ですから、見せます」

私は木炭と灰、そして獣脂を混ぜて作った特製の「黒い塊」を取り出した。

「これは?」

「魔除けの石です」

私は嘘をついた。

科学を理解できない相手には、オカルトで対抗するしかない。

「この石で体を擦り、清めた水で洗い流せば、悪霊は退散します。さあ、まずはあそこの子供から」

泥だらけの少年を呼び寄せ、井戸から汲み上げ煮沸させたお湯で洗う。

泡が立ち、黒い汁が流れ落ちる。

洗い上がった少年の肌は、驚くほど白く、輝いていた。

「おお……!」

「悪霊が落ちた!」

村人たちがどよめく。

「それから、排泄物を川に流すのは禁止です。悪霊が川を伝って戻ってきます。指定した場所に穴を掘り、この白い粉(石灰)を撒くこと」

私は次々と指示を出した。

・生水を飲むな、必ず沸かせ。

・死人の服は焼け。

・ネズミは悪霊の使いだ、徹底的に駆除しろ。

最初は半信半疑だった領民も、目に見えて死者が減り始めると、私の言葉を神の啓示として崇めるようになった。

「エララ様! 隣村との境界に『検疫所』を設置しました!」

「エララ様! 新しい『下水道』の工事、順調です!」

三ヶ月もすると、腐敗臭が漂っていたロッテンハイムは、石灰の匂いと石鹸の香りがする清潔な街へと変貌を遂げていた。

特産品として売り出した「魔除けの石(高品質ソープ)」と「聖なる水(高濃度アルコール)」は、近隣諸国で爆発的に売れた。

ガラハドは、私の横で帳簿を見ながら苦笑する。

「悪役令嬢とは聞いていたが……お前は、商売の悪魔だな」

「失敬な。私はただ、研究資金を稼いでいるだけです。顕微鏡を作りたいので」

「……エララ。俺は、お前が来てくれてよかったと思っている」

ガラハドの大きな手が、私の頭に触れようとする。

私は反射的に身を引いた。

「閣下、手洗いは?」

「……さっきした」

「爪の間もブラシで洗いましたか?」

「……いや」

「じゃあ触らないでください。不潔です」

「……厳しいな」

ガラハドは肩をすくめたが、その目は笑っていた。

平和だった。

王都からの急使が来るまでは。

第三章 汚染された王子の来訪

半年後。

美しく舗装され、白亜の壁が輝くようになったロッテンハイムの城門前に、煌びやかな馬車が止まった。

降りてきたのは、かつての婚約者、王太子フレデリック。

「エララ! 迎えに来たぞ!」

彼は両手を広げ、満面の笑みで私に歩み寄ろうとする。

「止まれ!」

私は城壁の上から、拡声器(手製のメガホン)を使って怒鳴った。

「エララ? 何を……私は君を許しに来たのだ。王都では今、謎の熱病が流行っていてね。聖女の祈りも効かない。君の作った『魔除けの石』とやらが必要なんだ」

王太子の顔色は悪かった。

脂汗をかき、時折咳き込んでいる。

「……やっぱり」

私の目には見えていた。

王太子の背後に漂う、どす黒い死の影が。

王都でパンデミックが起きたのだ。

不衛生な環境、密集した人口、そして無知な対応。

起こるべくして起きた悲劇。

「エララ、君の知恵を貸してくれ。君を正妃として迎えてもいい!」

王太子が一歩踏み出す。

「ガラハド! 弓を!」

私は叫んだ。

「えっ?」

「威嚇射撃です! 彼を中に入れないで! 保菌者(キャリア)です! ここに入れたら、半年かけて築き上げた『無菌室(ロッテンハイム)』が崩壊します!」

ガラハドは一瞬躊躇したが、私の真剣な眼差しを見て、覚悟を決めた。

剛弓を引き絞り、王太子の足元に矢を放つ。

ヒュンッ、ドスッ!

「ひっ!?」

王太子が腰を抜かす。

「帰ってください、殿下。ここは検疫済みの人間しか入れません」

「き、貴様! 王族に対する反逆だぞ! この国を見捨てる気か!」

王太子が喚く。

私は冷ややかに彼を見下ろした。

「見捨てる? いいえ、殿下。私は『隔離』したのです。健全な細胞を守るために、壊死した組織を切り離す。外科医としては当然の処置です」

「悪魔め……! やはり貴様は悪役令嬢だ!」

「ええ、そうですわ。私は潔癖の悪女。あなたたちの『不潔』には、もう付き合いきれません」

私はガラハドに合図を送る。

「総員、門を閉ざせ! 消毒液散布!」

城門が重い音を立てて閉じる。

城壁の上から、石灰とアルコールの雨が降る。

王太子とその一行は、白い粉にまみれながら、咳き込みつつ逃げ帰っていった。

第四章 白き箱庭の女王

それから、一年が過ぎた。

王国は滅んだ。

謎の熱病は王族を含む人口の六割を奪い、国家機能は麻痺。

隣国に吸収される形で消滅した。

一方、ロッテンハイム旧辺境伯領は、独立都市国家として繁栄していた。

高い城壁に囲まれた、白一色の街。

塵一つ落ちていない舗装道路。

完全な上下水道。

義務付けられた毎朝の検温と消毒。

「エララ様、本日の『衛生報告書』です」

白衣のような制服に身を包んだガラハドが、書類を差し出す。

かつての粗野な雰囲気は消え、今では私の有能な助手であり、共同統治者だ。

「ありがとう。……うん、細菌値は基準以下ね。合格よ」

私は満足げに頷き、執務室の窓から街を見下ろした。

子供たちは泥遊びをしない。

人々は互いに触れ合わず、一定の距離を保って会釈する。

恋愛も、遺伝子検査と感染症チェックをパスしたカップルのみに許可される。

外から見れば、それはディストピアかもしれない。

人間的な温かみを排除した、狂気の管理社会。

だが、ここでは誰も病気で死なない。

「エララ」

ガラハドが、滅菌された手袋越しに私の手に触れる。

「俺たちは、これでよかったのか?」

ふと、彼の目に迷いが見えた。

外の世界を見捨て、自分たちだけの楽園を築いた罪悪感。

私は微笑み、マスク越しに彼にキスをした。

もちろん、マスクのフィルターは高性能だ。

「ええ、よかったのよ。見て、ガラハド。この世界はこんなにも……」

窓の外に広がる、汚れなき白の世界。

そこには、私の愛する「清潔」だけが存在していた。

「……こんなにも、綺麗だわ」

元監察医の悪役令嬢は、白亜の塔の中で静かに笑った。

その笑顔は、聖女のように美しく、そして死神のように冷徹だった。

AI物語分析

【主な登場人物】

  • エララ・フォン・クロイツ: 主人公。元日本人監察医。恋愛感情よりも衛生面を優先するサイコパス寄りの合理主義者。「汚物は消毒だ」が信条。
  • ガラハド・グリム: 辺境伯。顔に火傷の痕がある巨漢。当初は不潔だったが、エララに磨き上げられ、清潔なナイスミドルへと進化する。エララの良き理解者兼実験台。
  • フレデリック王太子: エララの元婚約者。典型的な「ざまぁ」対象だが、本作では自身の不潔さと無知により、物理的に国を滅ぼすトリガーとなる。

【考察】

  • テーマの逆転: 通常の「内政チート」は人々の生活を豊かにし幸福にするが、本作では「生存」を優先するあまり「人間的な営み(接触、泥遊び、雑然とした活気)」を排除する結末を迎える。
  • 正義の相対性: エララの行動は医学的には100%正しいが、倫理的には「見捨て」を行っている。読者に対し「清潔で孤独な生存」か「不潔だが人間らしい死」かという問いを投げかける。
  • タイトルのダブルミーニング: 「消毒」は物理的な殺菌だけでなく、王太子や旧体制という「不純物」の排除(パージ)も意味している。
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