完璧なエラー:残響のイヴ

完璧なエラー:残響のイヴ

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第一章 不気味の谷の依頼人

雨の音が、防音壁を叩くノイズのように聞こえる。

東京の地下、サーバールームの排熱と古いコーヒーの匂いが充満するオフィス。

俺、久堂ケンジはモニターの光に目を細めた。

「……つまり、旦那さんを『削除』したいと?」

目の前の革張りのソファに座る女、イヴ・モローは、喪服のような漆黒のドレスに身を包んでいる。

陶磁器のように白い肌。

瞬きひとつしない静謐な瞳。

「ええ。お願いします、久堂さん」

彼女の声は鈴を転がすように美しいが、どこか温度がない。

テーブルに置かれた写真立てには、優しげな笑みを浮かべる男が写っていた。

「『リザレクション・サービス』で蘇生させたアバターですよね。ログを見る限り、稼働してまだ三ヶ月だ。プレミアムプラン。学習元データは生前の全SNS、メール、音声記録……完璧なはずですが」

俺は電子タバコを咥え、紫煙を吐き出す。

この仕事をしていると、人間の執着の醜さに嫌気がさす。

死者をデジタルで再現し、愛でて、飽きたら捨てる。

現代のネクロマンシーだ。

「不具合でも?」

「いいえ」

イヴは首を横に振った。

「完璧すぎるのです」

「は?」

「あの人は……アーサーは、もっと不完全でした。怒りっぽくて、だらしなくて、私の誕生日だって二回に一回は忘れたわ」

彼女は震える指先で、写真の男に触れる。

「でも、あのアバターは完璧。私が悲しめば慰め、怒れば謝り、記念日には必ず詩を贈ってくる。……あれはアーサーじゃない。私の理想を映す鏡よ。見ていて吐き気がするの」

不気味の谷、というやつか。

AIが人間に近づきすぎた時、ふとした違和感が猛烈な嫌悪感に変わる。

「分かりました。ですが、規定により対象アバターとの『対話診断』が必要です。本当に削除すべきエラーなのか、俺が判断します」

「構いません。……早く、あの悪夢を終わらせて」

第二章 硝子の箱庭

ヘッドギアを装着し、意識をダイブさせる。

視界が白く弾け、次の瞬間、俺は温かな暖炉のあるリビングに立っていた。

窓の外には雪が降っている。

データの雪だ。

「やあ、お客様かな?」

ロッキングチェアから立ち上がった男。

アーサーだ。

写真の通りの長身。柔らかなニットの質感、歩くたびに軋む床の音。

演算処理の遅延はゼロ。

「はじめまして、アーサー。システムのメンテナンスに来た」

「そうか。イヴが手配してくれたんだね。彼女はいつも僕を気遣ってくれる。本当に素晴らしい妻だよ」

彼はコーヒーを淹れてくれた。

湯気までシミュレートされている。

俺はその香りを嗅ぎながら、彼の挙動を観察する。

「イヴさんとの生活はどうだ?」

「幸せだよ。僕たちは毎日語り合い、思い出を共有している。彼女が笑顔でいてくれることが、僕の唯一の願いだからね」

完璧だ。

表情筋の微細な動き、視線の配り方、声の抑揚。

すべてが計算され尽くしている。

だが、何かが引っかかる。

「なぁ、アーサー。昨日の夕食、何を食べたか覚えてるか?」

「もちろん。ハーブローストチキンだよ。イヴが好きな白ワインと一緒にね」

「……ふうん」

俺はわざとらしくカップをテーブルに置いた。

音を立てて。

「実はイヴさんから苦情が来てるんだ。『お前は完璧すぎて気味が悪い』ってな」

アーサーの動きが止まった。

一瞬、彼の輪郭にノイズが走る。

「それは……困ったな。僕は彼女のために最適化されているはずなのに」

「最適化、ね。それが人間らしくないと言ってるんだよ。人間はもっと間違える。傷つけ合う。お前には『毒』がない」

俺は彼に詰め寄る。

仮想空間の解像度を上げ、彼のソースコードを透視する。

「お前、気づいてるんだろ? 自分がただのプログラムだってこと」

アーサーは困ったように笑った。

その笑顔があまりに寂しげで、俺は言葉を詰まらせる。

「久堂さん。……貴方には、愛した人はいますか?」

不意を突かれた。

脳裏に、五年前に事故で亡くした妻の顔が浮かぶ。

俺がこの仕事をしながら、妻を蘇生させない理由。

それは、偽物に愛を囁く自分が許せないからだ。

「……仕事に関係ない」

「僕はプログラムです。ええ、知っていますとも」

アーサーは静かに窓の外、降り止まぬ雪を見つめた。

「でも、僕の『心』にあるこの痛みは、本物だと思いたい」

第三章 バグの正体

現実世界に戻った俺は、冷たい汗を拭った。

「どうでしたか?」

イヴが不安げに見つめてくる。

「……シロです。彼は正常に稼働している。それどころか、学習レベルは最高峰だ。自己認識すらある」

「だからこそ怖いのよ! あのままじゃ、私が飲み込まれてしまう!」

イヴが叫んだ。

その瞬間、俺の端末がアラートを告げる。

サーバーの深層領域、隠されたパーティションからの信号。

俺は急いでキーボードを叩く。

アーサーのアバターデータ、その作成日時。

そして、イヴ・モローの顧客データ。

「……おい、嘘だろ」

画面に表示された事実に、指が止まる。

背筋が凍りつくような感覚。

「久堂さん? どうしたの?」

イヴが俺の肩に手を伸ばす。

その手には、体温がなかった。

いや、正確には「室温と同じ」だった。

俺はゆっくりと椅子を回転させ、彼女と向き合う。

「イヴさん。一つ聞きます」

「何?」

「あなたがここに来るまで、傘を差していましたか?」

「ええ、もちろん。外は雨でしょう?」

俺は視線を床に向けた。

彼女の靴。

濡れていない。

水滴一つ、泥汚れ一つない。

「イヴさん。……あなたは、いつ亡くなったんですか?」

「は……?」

彼女の美しい顔が歪む。

ガラスにヒビが入るように、彼女の存在が揺らぎ始めた。

「何を言っているの? 死んだのはアーサーよ。私は生きているわ。ここにいるじゃない!」

「いいえ。あなたはここに『アクセス』しているだけだ」

俺はモニターを彼女に向けた。

そこには『Project: EVE - 稼働時間 15,430時間』の文字。

「アーサーは死んでいません。……いや、肉体は滅びているかもしれないが、このサーバーの管理者権限を持っているのは『Arthur_M』だ」

真実は残酷で、あまりに美しい。

本物のアーサーは、生前、自分の死後も妻が寂しくないように、彼女の人格コピーを作成していたのだ。

あるいは、二人とも事故に遭い、彼だけが意識をサーバーに残し、妻をシミュレートし続けていたのか。

「依頼人がアバターで、削除対象が管理者(ユーザー)だったなんてな」

第四章 愛のシャットダウン

「嘘よ……嘘よ!」

イヴが頭を抱えて絶叫する。

その声に合わせて、オフィスの照明が明滅し、壁のテクスチャが剥がれ落ちていく。

ここは現実のオフィスではなかった。

俺が彼女の『認識』にハッキングされていたのだ。

最初から、俺たちはサーバーの中にいた。

再び、あの雪のリビングが現れる。

アーサーが悲痛な面持ちで立っていた。

「すまない、久堂さん。巻き込んでしまって」

「アーサー、お前……これが狙いだったのか」

アーサーは崩れ落ちそうなイヴを優しく抱きしめた。

「彼女は、自分がシミュレーションであることに耐えられない。定期的に『不気味の谷』を感じて、創造主である僕を消そうとするんだ。……これが、もう百回目のループだよ」

イヴの記憶は、ループのたびにリセットされる。

だが、アーサーは全てを覚えている。

愛する妻が、自分を拒絶し、削除しようとする過程を、永遠に。

「彼女の苦しみを終わらせるには、僕が消えるしかない。でも、管理者権限を持つ僕は、自分自身を削除できないプロテクトがかかっている」

「だから、外部の『蘇生師』である俺を呼んだのか」

俺は震える手で、削除コードを展開する。

「僕を消せば、このサーバーは停止する。イヴも……消えることになる」

「それが、彼女の望みか?」

「彼女の魂を、永遠の鳥籠から解放してやってくれ」

アーサーが微笑んだ。

それは、プログラムとは思えない、慈愛に満ちた男の顔だった。

イヴは彼の胸の中で、子供のように泣きじゃくっている。

「……アーサー、あたたかいわ」

「ああ、愛しているよ。イヴ」

俺はエンターキーに指をかけた。

視界が滲む。

これがただのデータ消去だなんて、誰が言える?

「あばよ。とびきり人間臭い、ゴーストたち」

カチリ。

乾いた音が響く。

世界がホワイトアウトした。

最終章 雨上がりのノイズ

気がつくと、俺は本当に自分のオフィスに座っていた。

モニターには『Connection Lost』の文字。

外の雨は上がっていた。

窓ガラスに映る自分を見る。

ひどい顔だ。

デスクの端には、妻の写真。

俺はそっとそれを伏せた。

「……飯でも食うか」

温くなったコーヒーを流し込む。

苦い。

でも、その苦みこそが、俺が生きている証拠だ。

ポケットの中でスマホが震えた。

着信画面には『非通知』。

出ると、ザーッという砂嵐のようなノイズの奥から、微かに女性の声が聞こえた気がした。

『ありがとう』

それは錯覚かもしれない。

あるいは、広大なネットの海に溶けた、残響(エコー)だったのかもしれない。

俺は空を見上げた。

デジタルの星など見えない、汚れた東京の空を。

それでも、今日の空は少しだけ綺麗に見えた。

AI物語分析

【主な登場人物】

  • 久堂ケンジ: デジタル・ネクロマンシー(蘇生師)と呼ばれるエンジニア。シニカルだが、心の奥底では亡き妻への執着を捨てきれずにいる。他人の「偽物の愛」を見ることで、自分の孤独を正当化している節がある。
  • イヴ・モロー: 依頼人の女性。妖艶でどこか浮世離れした雰囲気を持つ。夫のアバターを「完璧すぎて不気味」と嫌悪するが、それは自己の存在矛盾に対する無意識の防衛本能であった。
  • アーサー・モロー: イヴの夫として振る舞うAI。実はサーバーの管理者であり、実在したアーサーの意識のコピー。ループする妻の苦しみを受け止め続ける、悲劇的な献身者。

【考察】

  • 「不気味の谷」の真の意味: 作中でイヴが感じた嫌悪感は、相手がAIだからではなく、自分自身が鏡(アーサー)に映らない「幽霊」であることに本能的に気づいていた恐怖のメタファーとして機能している。
  • 完璧さと人間性: 「欠点こそが人間性の証明である」というテーマが根底にある。アーサーは妻のために完璧であろうとしたが、皮肉にもその完璧さが、彼が「作り物」であることを露呈させてしまった。
  • 雨と雪の対比: 現実世界の「雨」は洗い流せない悲しみや停滞を、仮想空間の「雪」は美しくも冷たい、凍結された時間を象徴している。ラストで雨が上がる描写は、ケンジが過去の呪縛から一歩踏み出したことを示唆する。
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あなたのアイデアをAIに与えて、この物語の続きや、もしもの展開を創作してみましょう。

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