第一章 同接300人の日常
「みんな~! 今日も元気に潜ってる~? 『ミナのダンジョン・ライフ』へようこそっ!」
スマホの画面越しに、作り込まれた笑顔が弾ける。
俺、相馬蓮司(そうま れんじ)は、その笑顔の主――新米探索者アイドル・ミナの真正面で、ジンバル付きのスマホを構えていた。
「……はい、カット。ミナ、今のもう一回。後ろのゴブリンの死体が映り込んでる」
「え~、マジですか蓮司さん。もう疲れた~」
ミナが頬を膨らませてしゃがみ込む。
俺はため息を殺し、無表情で画角を調整した。
現在の視聴者数、324人。
コメント欄の流れは遅い。
💬『今日もかわいい』
💬『後ろのゴブリンぐろw』
💬『装備が安っぽいな』
これが俺の職場だ。
かつて世界を震撼させた「大ダンジョン時代」の到来から10年。
未知の恐怖だったダンジョンは、今やただの「コンテンツ」に成り下がった。
命懸けの探索?
そんなものは流行らない。
求められているのは、適度なスリルと、過剰な演出と、承認欲求を満たすための「映え」だ。
「ほら、休憩終わり。次はE区画の宝箱開けるぞ。リアクション大きめで頼む」
「はーい。……ねえ蓮司さん、たまには顔出ししましょうよ。マネージャーがイケメン枯れ専だって話題になれば、もっと伸びるのに」
「断る。俺は裏方だ」
俺はかつて、探索者だった。
だが、やめた。
俺の「才能」が、あまりにも配信映えしなかったからだ。
そして何より、この「命をチップにした賭け事」を、安全圏から消費する連中の目が、反吐が出るほど嫌いだった。
「あ、スパチャありがとうございます! 『ミナちゃんのパンツ見たい』さん、500円あざまる~!」
笑顔で下劣なコメントを読み上げるミナ。
その背後。
ダンジョンの壁面が、ノイズのように明滅した。
「……おい」
「ん? なんですか?」
「下がれ。何かがおかしい」
俺の警告と同時。
空間が裂ける音がした。
ブツン、とスマホの通信が一瞬途切れる。
コメント欄がフリーズする。
次の瞬間。
ミナの背後の空間から、巨大な「真紅の腕」がぬっと現れた。
設定ミスだ。
ここは初心者向けのFランク層。
Eランク以上のモンスターが出現するはずがない。
だが、目の前にいるそれは、どう見ても推定Bランク指定の『レッド・オーガ』だった。
「え……?」
ミナの声が裏返る。
オーガの咆哮が、洞窟内の空気を震わせた。
GYAAAAAAAAAA!!
スマホの画面が激しく揺れる。
しかし、俺の手は止まらなかった。
職業病とは恐ろしいもので、俺はこの異常事態においても、無意識に「最も視聴者が恐怖する画角」を探していた。
通信が復帰する。
同接数が、跳ね上がった。
500人。
1000人。
5000人。
『【速報】ミナの配信で事故』
『これCG?』
『逃げろバカ!』
『死ぬぞこれ』
コメントが滝のように流れ出す。
俺たちの命が、コンテンツとして消費され始めた瞬間だった。
第二章 バグ・フィクサー
「きゃあああああああ!」
ミナが弾き飛ばされる。
薄っぺらい防護障壁(シールド)など、オーガの一撃の前では紙切れ同然だった。
壁に叩きつけられ、ぐったりと動かなくなるミナ。
赤いHPバーが、危険水域の点滅を始める。
「……チッ」
俺は舌打ちをした。
オーガが、ゆっくりとミナへ歩み寄る。
その手には、錆びついた巨大な鉈(なた)が握られている。
俺はスマホを地面に置いた。
レンズを、あえて「何も映らない壁」に向けたまま。
「おい、聞こえてるか、運営(クソガキ)ども」
俺は虚空に向かって呟く。
ダンジョン配信には、一つの都市伝説がある。
モンスターの強さや出現率は、配信の「盛り上がり」に連動している、という噂だ。
「そんなに数字(あかいみず)が欲しいかよ」
俺はネクタイを緩め、スーツの袖を捲り上げた。
オーガが鉈を振り上げる。
ミナの悲鳴すら上がらない。
俺は、走らなかった。
ただ、一歩、踏み出しただけだ。
――スキル発動『レイテンシー・コントロール(遅延掌握)』。
世界が、俺の知覚の中でコマ送りになる。
0.1秒が、数秒に引き伸ばされる。
俺の才能は、派手な魔法でも、剛力でもない。
ただ、「世界との同期をずらす」だけの地味な能力だ。
俺はオーガの懐に潜り込んだ。
客観的に見れば、それは自殺行為だ。
だが、俺には見えている。
オーガの攻撃判定は、既に「振り下ろされた後」にある。
だが、グラフィックとしての鉈は、まだ頭上にある。
「ラグいんだよ、お前」
俺はオーガの膝関節を蹴り抜いた。
ボゴォッ!
遅れて衝撃音が響く。
オーガは何もない空間につまずき、盛大にバランスを崩した。
視聴者には何が起きたか分からないだろう。
ただ、絶体絶命のピンチに、モンスターが勝手に転んだようにしか見えない。
俺は倒れたミナの襟首を掴み、安全地帯へ放り投げる。
そして、再びオーガに向き直った。
地面に放置されたスマホが、俺の足元だけを映している。
音声だけが、配信に乗っているはずだ。
『え? なに?』
『オーガがバグった?』
『運営の調整ミス乙』
『誰かいるのか?』
コメント欄が困惑で埋め尽くされる。
オーガが起き上がり、怒り狂って鉈を横薙ぎにする。
俺は避けない。
鉈は俺の胴体をすり抜けた。
判定の消失。
俺は自分の存在座標を0.5秒未来に置いている。
今の俺は、この空間における残像だ。
「ここだ」
俺は実体を0.5秒過去に戻し、オーガの顔面に拳を叩き込んだ。
ただし、ただのパンチではない。
接触の瞬間に、俺自身の質量情報をパケット爆撃のように過剰送信する。
ドォォォォォォォン!!
オーガの顔面が、内側から破裂したように弾け飛ぶ。
血しぶきは上がらない。
処理落ちしたポリゴンのように、オーガの巨体がノイズ混じりに崩壊していく。
「……つまんねえ仕事だ」
俺は息一つ乱さず、崩れ去る粒子の光の中で呟いた。
第三章 バズり、あるいは炎上
「……ん、う……」
ミナがうめき声を上げる。
俺は急いでスマホを回収し、画角をミナに戻した。
オーガの死体(ドロップアイテム)が映り込まないように、巧みに足で隠す。
「大丈夫か、ミナ」
「れ、蓮司さん……? オーガは……?」
「逃げたよ。なんかバグってたみたいだ。ラッキーだったな」
俺は平然と嘘をついた。
ミナは涙目で安堵し、へたり込む。
その姿は、庇護欲をそそる最高の「絵」だった。
現在の視聴者数、58,000人。
国内トレンド1位。
💬『逃げた? 嘘だろw』
💬『あの音はなんだよ』
💬『マネージャー何者?』
💬『バグらせたの?』
💬『神回確定』
スパチャの嵐が画面を埋め尽くす。
俺は心の中で舌打ちしながら、表面上は冷静なマネージャーとして振る舞った。
「配信はここまでだ。ミナの怪我の手当が優先だからな」
「えっ、でも今すごい人が……!」
「切るぞ」
俺は強引に配信終了ボタンを押した。
暗転した画面。
静寂が戻ったダンジョンで、俺は深く息を吐き出した。
「……蓮司さん、さっきの」
ミナが震える声で尋ねてくる。
俺は、落ちていたオーガの魔石(レアアイテム)を拾い上げ、ポケットにねじ込んだ。
「何もなかった。いいね?」
「でも……」
「帰ったら、今日のアーカイブは削除する。理由は『運営のバグによる事故映像だから』だ。そうすれば、お前は悲劇のヒロインとしてさらに売れる」
俺は打算的な言葉を並べた。
ミナを守るためではない。
俺の平穏を守るためだ。
だが、俺は気づいていなかった。
配信を切る直前。
オーガが消滅した場所に残された、鏡のような水たまり。
そこに、ネクタイを緩め、青白い光を纏った俺の姿が、鮮明に映り込んでしまっていたことを。
そして、その映像がSNSで拡散され、
『正体不明のゴースト・マネージャー』
『リアル・チート能力者』
として、俺自身が最大の「コンテンツ」になろうとしていることを。
ポケットの中で、スマホが狂ったように通知を震わせ始めた。
日常(ログ)が、壊れていく音がした。