汚部屋のタイムライン

汚部屋のタイムライン

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第一章 腐臭のアルゴリズム

「うわ、きっつ……。マジかよこれ」

マスク越しでも鼻腔を突き刺す、甘ったるい腐敗臭。

新人のカケルが、玄関先で露骨に顔をしかめた。

俺、相馬ケンジは無言で防護服のファスナーを顎まで上げる。

慣れとは恐ろしい。

かつて大手証券会社のディーラーとして、数億の金を動かしていた頃の俺なら、この臭いで気絶していただろう。

だが、ギャンブルで全てを溶かし、家族も職も失った今の俺にとって、これは「飯の種」の匂いだ。

「ケンジさん、これ『孤独死』って聞いてましたけど、若くないっすか?」

カケルが指差した先には、ピンク色のパンプスが片方だけ転がっている。

「依頼書には22歳とある。死後二週間。発見者は大家だ」

「22歳で孤独死? しかもこのゴミ屋敷……今の若い奴って意味わかんねー」

俺たちは、特殊清掃会社『メメント』の作業員だ。

今日の現場は、都内の古いアパートの一室。

ドアを開けた瞬間、天井近くまで積み上げられたコンビニ弁当の空き容器、ペットボトル、そして色あせた雑誌の山が雪崩のように押し寄せてきた。

足の踏み場はない。

「とりあえず、導線を作るぞ。分別は俺がやる。カケルは搬出だ」

「へいへい。しかし、どんな生活してたらこうなるんすかね。親の顔が見てみたいっすよ」

カケルがゴミ袋を蹴飛ばす。

俺は、散乱するモノたちを見つめた。

俺には、妙な特技がある。

『部屋を読む』ことだ。

株価のチャートを読むように、ゴミの堆積層や配置から、住人の生活習慣、性格、そして死の直前の感情すらも読み取ってしまう。

この部屋は、何かがおかしい。

違和感が、俺の背筋を冷たく撫でた。

第二章 フィルター越しの虚像

作業開始から二時間。

俺の手元には、数枚の写真とスマートフォンが残された。

「おい、ケンジさん! 見てくださいよこれ!」

カケルが興奮気味にスマホの画面を突きつけてくる。

「この部屋の住人、インフルエンサーの『キララ』っすよ! 知ってます? フォロワー50万人越えの!」

画面の中の少女は、煌びやかなカフェでパフェを食べ、ブランドの服に身を包み、完璧な笑顔を振りまいている。

背景はいつも洗練されたホテルや、モデルルームのような自室。

『今日は早起きしてヨガ♡ 丁寧な暮らしが一番だよね』

投稿には、数千の「いいね」がついている。

「うわー、現実はこれかよ。ネットじゃキラキラしてて、裏じゃゴミの中で死んでたとか、マジで笑えないっすね。闇深すぎ」

カケルは嘲笑うように言った。

世間の反応も同じだろう。

『虚飾の末の孤独死』。

週刊誌が好みそうな見出しだ。

だが、俺はゴミの中から出てきた「ある物」を見つめていた。

大人用のおむつ。

介護用の流動食のパウチ。

そして、昭和歌謡のレコードジャケット。

これらは、22歳のインフルエンサーの生活とは明らかに乖離している。

「カケル、お前、この部屋のゴミの『層』に気づいたか?」

「層? 何すかそれ」

「一番下の層にある新聞紙、日付が5年前だ。キララがここ越してきたのは2年前のはずだろ」

「え? じゃあ前の住人のゴミ?」

「いや、違う。この部屋のゴミは、外部から持ち込まれたものじゃない。ここで生活していた痕跡がある。だが、その主はキララじゃない」

俺は視線を部屋の奥、唯一の収納である押し入れに向けた。

「そこに、何がある?」

第三章 密閉されたサンクチュアリ

押し入れの前にも、うず高く古雑誌が積まれていた。

それを慎重に取り除き、ふすまに手をかける。

ガタッ。

開いた瞬間、そこだけ別世界が広がっていた。

「……なんすか、これ」

カケルが絶句する。

押し入れの中は、徹底的にリノベーションされていた。

壁には白い吸音材が貼られ、リングライト、最新のPC、そして背景用の可愛らしい壁紙。

一畳にも満たないその空間だけが、塵一つない『キララ』の世界だった。

「彼女は、ここで配信をしてたのか……」

「こんな狭い箱の中で? 嘘だろ……」

俺はデスクの上に置かれた一冊のノートを手に取った。

表紙には『ママの記録』と書かれている。

ページをめくる。

『10月5日。ママ、またゴミを拾ってきた。捨てようとすると暴れる。ごめんなさい、ごめんなさいって泣きながら』

『11月12日。徘徊がひどい。外から鍵をかけるしかない。私が守らないと。施設に入れたら、ママは死んじゃう』

『12月24日。クリスマスの配信。みんなが私の生活に憧れるってコメントくれる。本当は、この押し入れから一歩も出られないのに。ここは私のシェルター。でも、ママのうめき声がマイクに入りそうになって、怖くて切った』

手が震えた。

これは「ゴミ屋敷の住人」の物語じゃない。

「ヤングケアラー」の記録だ。

この膨大なゴミは、認知症を患い、ため込み症を発症した母親が集めたものだったのだ。

キララ……本名、美咲は、母親を世間の目から隠し、同時に自分もこの地獄から精神的に逃避するために、あの「完璧な虚像」を作り上げていた。

「おい、カケル。遺体の発見場所、どこだっけ」

「え? 玄関っすよ。倒れてたって……」

「死因は?」

「栄養失調による心不全……」

カケルの顔色が変わる。

「じゃあ、母親は? 母親はどこに行ったんすか!?」

その時、玄関の方でガサガサと音がした。

第四章 タイムラインの最期

「みさき……? みさきちゃん、どこ?」

入り口のゴミ山をかき分けて入ってきたのは、薄汚れたコートを羽織った老婆だった。

手には、潰れた空き缶が握りしめられている。

「おい! 入ってきちゃダメだ!」

カケルが止めようとするが、俺はそれを手で制した。

老婆は徘徊して保護されていたのだろうか。それとも、ゴミ拾いに出て戻ってきたのか。

彼女の目は焦点が合っていない。

「みさきちゃん、お腹すいたでしょ。これ、拾ってきたよ……」

老婆が差し出したのは、賞味期限切れのパンだった。

俺の脳内で、パズルのピースが激しい音を立てて嵌まった。

美咲は、母親を監禁していたんじゃない。

母親の徘徊を止める体力が尽き、自分が先に倒れてしまったんだ。

そして、母親は美咲が倒れている横を通り過ぎ、娘のために「食料」を探しに外へ出ていた。

美咲のスマホが震えた。

ロック画面には、予約投稿の完了通知。

俺は手袋を外し、その通知をタップした。

SNSのタイムラインに、新しい投稿が表示される。

画像は、珍しく加工のない、窓辺の花瓶に挿された一輪の野花。

文章は短かった。

『みんな、今まで嘘ついててごめんね。キラキラした生活なんて、どこにもなかった。

でも、ママが笑ってくれる時だけは、本当に幸せだったよ。

この世界は汚くて、臭くて、苦しい。

だけど、愛する人がいる場所なら、そこはやっぱり私の家なんだ。

バイバイ。探さないでね』

画面の中で、「いいね」の数が爆発的に増えていく。

コメント欄は阿鼻叫喚だ。

『え? どういうこと?』

『嘘でしょ?』

『警察に通報したほうがいい?』

ネットの向こうの何十万という人間が、初めて「本物」の彼女に触れた瞬間だった。

「みさきちゃん……?」

老婆が、ゴミの中に埋もれた、美咲が倒れていた跡地を撫でている。

「ケンジさん……これ……」

カケルが涙目で俺を見る。

「ああ。仕事だ、カケル」

俺は声を絞り出した。

「この部屋を片付けるぞ。彼女が最期まで守り抜こうとした、この場所を」

第五章 残された光

作業が終わったのは、日が暮れてからだった。

ゴミは全て搬出され、床の染みも特殊な薬品で消し去った。

何もない、ガランとした6畳間。

唯一残ったのは、押し入れの中の「スタジオ」だった。

大家の意向で、そこだけは遺族……つまり、施設に入ることになった母親が落ち着いてから判断することになった。

帰り道、俺はコンビニで一番高いビールを買った。

スマホを開く。

『キララ』のアカウントは、追悼の言葉で埋め尽くされていた。

だが、俺たちの仕事は誰にも知られない。

彼女の本当の姿を知っているのは、世界で俺たち二人だけだ。

「ケンジさん」

自販機の前で、カケルが缶コーヒーを握りしめている。

「俺、今までSNSなんてバカにしてました。全部フェイクだって。でも……」

「でも?」

「あの押し入れの中の笑顔だけは、本物になりたかった『願い』だったんすね」

俺はビールを一口煽った。

苦みが喉を焼く。

「人は二度死ぬと言う。肉体の死と、誰からも忘れられた時だ」

俺は空を見上げた。

都会の空は明るすぎて、星など見えない。

「だが、彼女の『願い』は、デジタルの海に残った。それが真実かどうかなんて、関係ないのかもしれんな」

俺はポケットから、作業中に見つけたSDカードを取り出した。

警察に渡す前のバックアップだが、中身は見ない。

これは彼女が生きた証。

汚部屋の中で必死に輝こうとした、小さな光の記録だ。

「行くぞ、カケル。次の現場が待ってる」

「……はい!」

俺たちは歩き出す。

誰も見向きもしない、街の影の中を。

俺のスマホの中で、キララの最後の投稿が、静かに、だが確かに拡散され続けていた。

AI物語分析

【主な登場人物】

  • 相馬ケンジ (Kenji Soma): 特殊清掃会社「メメント」のベテラン社員。元々は優秀な証券マンだったが、ギャンブル依存症により全てを失う。他人の人生の「損益」には敏感だが、自分の人生は赤字続き。ゴミの配置から死者の感情を読み解く「プロファイリング」の才能を持つ。
  • カケル (Kakeru): ケンジの相棒で今どきの若者。SNS世代らしく、当初はヒロインの二面性を嘲笑するが、真実に触れて成長する。読者の視点を代弁するキャラクター。
  • キララ / 美咲 (Kirara / Misaki): 22歳の人気インフルエンサー。SNS上では完璧な生活を演じていたが、実態は認知症で溜め込み症の母を一人で介護するヤングケアラー。押し入れの中だけが彼女の聖域だった。

【考察】

  • 「ゴミ」の定義: 一般的には不要なものだが、本作では「母が娘のために集めた愛の残骸」として描かれる。美咲にとって、それは捨てられない「絆」そのものであり、彼女を閉じ込める檻でもあった。
  • デジタルタトゥーの逆説: 通常、ネットに残る記録は「消えない傷」として扱われることが多いが、本作では孤独な死を迎えた彼女が生きた唯一の「証(遺書)」として、ポジティブな意味合いも含ませている。
  • 見えない透明人間たち: 社会問題となっている「8050問題」や「ヤングケアラー」。隣人の異変に気づかない現代社会の希薄な関係性を、煌びやかなSNSとの対比で浮き彫りにしている。
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