スコア・ゼロの反逆者

スコア・ゼロの反逆者

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ネオンの雨が降り注ぐ二〇四二年の東京。この街では、あらゆる価値がAI「SOLON(ソロン)」によって算出される社会貢献スコアで決定された。職業、住居、受けられる医療サービスに至るまで、人生の全てがディスプレイに表示される三桁の数字に支配されていた。

そして俺、桐生カイトのスコアは「000」。測定不能、社会不適合者の烙印だ。

かつては俺も、エリートコースを約束された九〇〇点台のホルダーだった。だが、三年前の「事故」で全てを失い、今は高層ビル群の影に追いやられた無法地帯、通称「デジタル・スラム」で息を潜めて生きている。

「兄さん……」

薄暗いコンテナハウスの一室で、妹のミウが苦しそうに咳き込んだ。遺伝性の心疾患。SOLONのスコアが低い者は、高度な医療アクセス権を持たない。ミウに残された時間は、もう僅かだった。

選択肢は一つしかなかった。

俺は錆びついた机に向かい、旧式のターミナルを起動する。指先が記憶している感覚を呼び覚ます。この街の隅々まで張り巡らされたSOLONの神経網へ、違法なダイブを敢行するのだ。目的は、ミウのスコアの一時的な改竄。彼女を救うためなら、悪魔に魂を売る覚悟はできていた。

仮想空間の深層へ潜っていく。幾重にも張り巡らされたセキュリティの壁を、俺はかつて培ったスキルで蝶のようにすり抜けていく。だが、システムの最深部に到達した時、俺は奇妙なコードの存在に気づいた。それは、単なるバックドアではなかった。特定の個人や集団のスコアを、意図的に、合法的に見せかけながら暴落させるための「天罰」プログラム。

――三年前の事故。俺が友人を庇って起こしたとされる、あのデータクラッシュ事件。あれは仕組まれていた……?

背筋に氷の刃が突き立てられたような悪寒が走った。俺は罠に嵌められたのだ。SOLONという名の神に、理不尽な裁きを下されたのだ。

その時、ターミナルが激しい警告音を発した。侵入を検知されたのだ。黒塗りのドローンがコンテナハウスの窓を突き破って侵入してくる。俺はミウの手を引き、裏口から駆け出した。

スラムの迷路のような路地を、追っ手から逃げ惑う。追い詰められた俺たちの前に、一台のバンが急停止した。開いたスライドドアから、見知った顔が覗く。

「カイト! 早く乗って!」

アカリだった。かつて俺と共にSOLONのシステム開発を目指した、最高のパートナー。今は、SOLONに反旗を翻すレジスタンスのリーダーとなっていた。

アカリの隠れ家で、俺は発見した「天罰」プログラムのことを話した。彼女の顔が険しくなる。
「やっぱり……。SOLONは公平な神なんかじゃない。開発元であるNEXUSコーポレーションが、自分たちに都合の悪い人間を社会的に抹殺するための道具よ」

NEXUS社。表向きは社会インフラを支える救世主。そのCEO、黒田は時代の寵児としてメディアにもてはやされている。奴が、この歪んだシステムの頂点にいるのか。

「連中の陰謀を暴く」俺は言った。「俺みたいな人間をこれ以上増やさないために。そして、ミウを救うために」
「無茶よ。NEXUSの本社は、物理的にも電子的にも鉄壁の要塞だわ」
「要塞なら、落とせばいい」

俺の目には、迷いはなかった。

作戦は、NEXUS社が主催する次世代SOLONの発表会当日。世界中が注目するその瞬間に、奴らの不正を白日の下に晒すのだ。アカリの仲間たちの陽動に乗り、俺は単身、NEXUSタワーのサーバーファームへと潜入した。

最終防壁を突破し、俺はついに黒田の不正の証拠データが眠るメインサーバーにアクセスした。だが、その背後に冷たい声が響いた。
「そこまでだ、スコア・ゼロ」

振り返ると、CEOの黒田が立っていた。
「君のような予測不能なバグは、社会の効率を著しく下げる。だから排除する必要があった。SOLONは完璧な社会を創るための、究極の剪定鋏なのだよ」

黒田が手にした端末を操作すると、サーバーがロックダウンを開始する。タイムリミットはあと僅か。
「無駄だ。正義は私にある」

「正義だと?」俺はキーボードを叩きながら笑った。「お前が決めるな。人間の価値を、数字で測るな!」

最後のコードを打ち込む。それは、ロックダウンを回避するプログラムではなかった。俺が仕掛けた、最後の切り札。NEXUSタワーの壁面に設置された巨大スクリーンが、発表会の映像からノイズ混じりの画面に切り替わった。そこに映し出されたのは、黒田の不正を示すデータログと、彼の口から語られた歪んだ理想の告白だった。全世界への生中継だ。

「貴様……!」
「あんたの言う『完璧な社会』なんて、ただの檻だ。俺は、それを壊す」

俺は最後のコマンドを実行した。SOLONの根幹システムに、自己崩壊のウイルスを流し込む。街中のディスプレイから、人々のスコアが、まるで砂の城のように崩れ落ちて消えていく。

警報が鳴り響く中、俺はNEXUSタワーを脱出した。街は、大混乱に陥っていた。スコアという絶対的な物差しを失った人々が、途方に暮れ、あるいは歓喜の声を上げていた。

数日後、俺はアカリと落ち合った。彼女の手配で、ミウは正規の医療を受けられるようになった。命は、繋がった。
「NEXUSは崩壊し、黒田は逮捕された。でも、世界はこれからどうなるか分からないわ」とアカリが言う。
「ああ。それでいい」俺は答えた。「俺たちは檻を壊した。どんな空を飛ぶかは、これからの人間が決めることだ」

俺は社会を救ったヒーローか、それとも秩序を破壊したテロリストか。答えはまだ出ない。俺は再び、人々の雑踏の中に姿を消した。スコア・ゼロの反逆者の戦いは、まだ始まったばかりなのだから。

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