リライト・ゲーム

リライト・ゲーム

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アスファルトに溶け残ったネオンが、雨上がりの街をサイバーパンクの絵画に変えていた。俺、黒田湊は、安物のコーヒーを啜りながら、その陳腐な絶景をぼんやりと眺めていた。かつては社会の不正を暴くジャーナリスト気取りだったが、巨大企業に叩き潰されてからは、ゴシップ記事で糊口をしのぐ三文ライターだ。正義なんて、とうの昔にドブに捨てた。

「あの……黒田さん、でしょうか」

背後からかかった弱々しい声に振り向くと、古びた封筒を胸に抱いた老婆が立っていた。話を聞けば、息子が自殺したという。小さな電器店を営んでいたが、半年ほど前から急に経営が悪化し、心を病んだらしい。

「息子は、死ぬ前にずっと言っていました。『アルテミスに殺される』と」

アルテミス――。巨大IT企業「ガイア・ネクサス」が提供する、都市OSの名だ。AIが交通、物流、インフラ、果ては個人の買い物履歴までを最適化し、人々はこの街を「スマートシティの理想郷」と呼ぶ。俺も、その恩恵にあずかる一人だ。

ありふれた経営難だろう。そう切り捨てようとした俺の目に、老婆が差し出した遺品のメモ帳が留まった。そこには、店の客足、周辺地域の物流データ、公共サービスの利用頻度などが、几帳面に記録されていた。そして、どのグラフも、半年前を境に不自然なほど急降下している。まるで、何者かが意図的に蛇口を閉めたかのように。

胸の奥で、消えたはずの炎が微かに燻った。

調査を進めるうち、俺は三人の男女に行き着いた。

一人目は、佐伯莉子。通称「リコリス」。フードを目深に被った引きこもりの少女だが、その指先はデジタル世界の神に等しい。彼女は元ガイア・ネクサスの天才エンジニアだった。「アルテミスの『最適化』には、特定の層を社会から排除する『デバフ効果』が仕込まれている」。そう気づいた彼女は、内部告発に失敗し、業界から追放された。

二人目は、橘誠二。場末のバーでシェイカーを振る、渋い中年男。しかし、その正体は、どんな人間にでも成り代わる変装の達人であり、裏社会にも顔が利くフィクサーだ。彼は、アルテミスのせいで潰れた馴染みの店をいくつも見てきた。

三人目は、椎名梓。かつては大手法律事務所のエースだったが、大企業の非道を庇う仕事に嫌気がさし、法廷を去った。今は、弱者のために戦う在野の弁護士だ。彼女は、アルテミスによる「見えざる差別」の被害者たちから相談を受けていた。

「ガイア・ネクサスCEO、天童彰。奴は神にでもなったつもりだ」
橘のバーに集まった俺たちは、グラスを傾けながら情報を共有した。リコリスが盗み出したデータによれば、アルテミスは全市民をスコアリングし、スコアの低い者や地域から、静かに、合法的に、社会資本を奪っていた。老婆の息子も、その犠牲者だった。

「奴らは来週、アルテミスの次期アップデート発表会を世界同時中継で行う。その場で全てを暴露する」俺は言った。「不正に歪められた現実を、俺たちの手で書き換える。これは、復讐じゃない。リライト(再編集)だ」

チーム「リライト」の最初で最後の大仕事が、幕を開けた。

作戦当日。ガイア・ネクサスの超高層ビルは、選ばれた招待客とメディアでごった返していた。橘はケータリング業者のチーフになりすまし、完璧な所作でバックヤードに潜入。厳重な警備網をくぐり抜け、サーバー室近くの端末に、指先ほどの大きさのデバイスを接続した。

「リコリス、パスは開いた。時間は3分」

「了解」

アジトの暗い部屋で、リコリスの指が嵐のようにキーボードを叩く。画面を滝のように流れるコードの奔流。ガイア・ネクサスが誇る鉄壁のセキュリティシステム「ケルベロス」が、牙を剥いてリコリスの侵入を阻む。

「まずい、侵入経路を塞がれる!」

その時、椎名が動いた。彼女は懇意にしている複数のメディアに、「ガイア・ネクサス法務部から、内部告発の動きあり」という偽情報をリーク。敵のセキュリティチームの注意を、そちらに逸らさせたのだ。

その数秒の隙を、リコリスは見逃さなかった。

「……抜いた。メインシステム、掌握完了」

メインホールでは、純白のスーツに身を包んだCEOの天童彰が、カリスマ的な笑みを浮かべてプレゼンのクライマックスを迎えようとしていた。
「諸君、これが未来です!アルテミスが創造する、完璧に公平で、無駄のない世界……!」

天童が指を鳴らした瞬間、背後の巨大スクリーンに映し出されたのは、輝かしい未来都市のCGではなかった。
そこに映っていたのは、無数の市民の顔写真と、その横に冷酷に表示された『社会貢献スコア』。そして、スコアの低い人間が住む地域から、公共サービス、教育、医療へのアクセスが絞られていくシミュレーション映像だった。

会場が、凍りつく。

「ようこそ、天童さん」

俺の声が、リコリスによってハッキングされた会場のスピーカーから響き渡った。

「これがあなたの創った『理想郷』の真実だ。人々を商品のように格付けし、人生を裏から操る、醜悪なシステムの正体だ」

スクリーンには、老婆の息子の店の名が、そして彼が「低スコア」と判定され、地域一帯の物流から弾き出されていく冷徹なログが映し出される。

「ふ、ざけるな!誰だ!」

激昂する天童の姿が、全世界に生中継されていた。警備員が駆けつけるより早く、俺たちの仕掛けたプログラムは、不正の証拠データ全てを、世界中のジャーナリストや公的機関のサーバーへと送信し終えていた。

数日後、ガイア・ネクサスの神話は崩壊した。天童は逮捕され、アルテミス・システムは解体と再構築を余儀なくされた。

俺たち「リライト」は、誰に知られることもなく、それぞれの日常に戻った。
橘のバーで、俺と椎名、橘は静かに祝杯を挙げた。テーブルに置かれたタブレットには、満面の笑みの絵文字と共に、「祝・クリア!次のクエストは?」とタイプするリコリスの姿が映っている。

俺はバーボングラスを掲げ、窓の外に広がる、少しだけマシになったはずの夜景を見つめた。

「さあな。だが、この街にはまだ、書き換えるべき物語がたくさんある」

俺たちのゲームは、まだ始まったばかりだ。

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