放課後カタストロフ探偵団

放課後カタストロフ探偵団

3
文字サイズ:

「なあ、海斗。世界って、マジで退屈だよな」
屋上で寝転がりながら、親友の陽太がペットボトルの炭酸を呷った。抜けるような青空と、グラウンドから聞こえる気怠い掛け声。それが僕、杉浦海斗の高校生活のすべてだった。昨日と同じ今日、そしてきっと今日と同じ明日。そんな灰色の日常に、僕はとっくに飽き飽きしていた。

「面白いこと、どっかに転がってねえかな」
陽太の独り言に、僕は生返事をするだけ。そんな都合のいいものが、この平凡な町にあるわけがない。

その日の放課後、事件は起きた。
「いいもん見つけた! ついてこい!」
陽太が僕の腕を掴み、引きずるように向かったのは、旧校舎の奥、誰も使わないはずの化学準備室だった。古びたドアには『非日常観測部』と書かれた、やけに達筆なプレートが掛かっている。

ドアを開けると、薬品の匂いと古書の匂いが混じり合った不思議な空気が僕らを包んだ。雑然と積まれた機材や本の山の奥、窓際の椅子に一人の女子生徒が座っていた。
腰まで伸びた黒髪、白衣がやけに似合う、人形のように整った顔立ち。彼女は読んでいたハードカバーの本から顔を上げ、僕らを静かに見つめた。
「新入部員? それともただの迷い羊?」
凛とした声。彼女が、この部の部長である七瀬(ななせ)マナ先輩だと陽太が小声で教えてくれた。三年生の有名人で、成績優秀、眉目秀麗、だけど少し変わり者として知られている。

「面白いことを探しに来ました!」
陽太が胸を張る。七瀬先輩はふっと口元を緩め、立ち上がった。
「いい心がけね。ちょうど、面白い観測対象があるの」
先輩は壁に貼られた校内地図の一点を指差した。プールだ。
「今夜、ここでカタストロフが起きるわ」
「か、カタストロフ?」
「『深夜零時、誰もいないプールが青白く光る』。ここ数週間、複数の目撃情報がある。正体不明の発光現象。私たちは、今夜それを観測し、正体を突き止める。――ようこそ、非日常観測部へ」
その瞳は、退屈な世界を壊してくれるような、力強い輝きに満ちていた。僕の心臓が、久しぶりに大きな音を立てた。

その夜、僕と陽太は固唾をのんで校門の前に立っていた。七瀬先輩は指定された時間に、まるで散歩でもするかのようにひらりと現れた。手には何やらごつい機材の入ったケースを持っている。
「いい? 私たちの目的は観測よ。決して騒がないこと」
先輩の指示で、僕らは用務員さんだけが知っているという通用口から、息を殺して校舎に侵入した。月明かりだけが頼りの廊下は、昼間とは全く違う、巨大な生き物の体内のような不気味さを漂わせている。隣の陽太が小刻みに震えているのが分かった。正直、僕も怖かった。でも、それ以上に、胸が躍っていた。

プールサイドに到着し、物陰に身を潜める。時計の針が、ゆっくりと零時を指した。
その瞬間だった。
「……うわっ」
陽太が息をのむ。僕も言葉を失った。静まり返った水面が、中心からじわりと、まるで深海魚のように青白い光を放ち始めたのだ。それは不気味なほど幻想的で、ゆらゆらと揺れながらプール全体を満たしていく。噂は、本物だった。

「先輩、これって……幽霊とか……」
震える陽太の隣で、七瀬先輩は冷静だった。ケースから取り出した機器を構え、慣れた手つきで操作している。
「スペクトル分析を開始。波長は……なるほど。イオン化傾向とリン光のハイブリッドね」
専門用語が飛び交う中、先輩はこともなげに言った。
「これはね、数十年前の設備工事で紛れ込んだ特殊な防水塗料に含まれる希少金属が、プールの水とごく微量の塩素に反応して、特定の条件下で発光する現象よ。その条件っていうのが――」
先輩は空を指差した。
「――あの通信衛星が発する、ごく微弱なマイクロ波。それが真上を通過する、この時間だけ」
先輩のタブレットには、人工衛星の軌道図と、光の成分分析を示すグラフが映し出されていた。目の前で起きている怪奇現象が、鮮やかに数式とデータに翻訳されていく。

「な、なんだ。オカルトじゃなかったのか……」
がっかりしたような、安心したような声を陽太が漏らす。
僕も、少しだけ同じ気持ちだった。だが、七瀬先輩は僕らの顔を見て、楽しそうに笑った。
「がっかりした? でも、考えてみて。この世界の片隅で、古い塗料と宇宙を飛ぶ衛星が、誰にも知られずに出会って、こんなに美しい光景を生み出していたのよ。それを最初に発見して、謎を解き明かしたのは、私たち」
先輩は青く光る水面を見つめて続けた。
「科学で解明できるなんて、最高にエキサイティングじゃない。退屈な世界なんてないの。あるのは、まだ私たちが知らない秘密だけ。カタストロフの正体は、いつも私たちのすぐそばにあるのよ」

その言葉が、雷のように僕の胸を貫いた。
そうだ。世界は退屈なんじゃない。僕が、世界を退屈なものだと思い込んでいただけだ。目の前の光景は、幽霊よりもずっと不思議で、壮大で、美しい奇跡に見えた。

観測を終え、東の空が白み始める頃、僕らは校舎を後にした。夜明けの冷たい空気が、火照った頬に心地いい。
「なあ海斗、次は何を観測するんだろな! 開かずの音楽室とか、夜中に歩く二宮金次郎像とか!」
隣で興奮気味に話す陽太。僕は彼の言葉に頷きながら、先を歩く七瀬先輩の、白衣を翻すその後ろ姿を見つめていた。

灰色の世界は、もうどこにもなかった。僕らの足元には、まだ誰も解き明かしていない無数の謎と、これから始まる冒険が広がっている。放課後カタストロフ探偵団の、最初の事件が終わった。そして、僕の本当の高校生活が、今、始まった。

TOPへ戻る