最弱聖女と神の孤独なアルゴリズム
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最弱聖女と神の孤独なアルゴリズム

第一章 バグだらけの運命

石造りの礼拝堂は、臓腑まで凍るような底冷えに満ちていた。

フィオナは祭壇の隅で膝を抱え、擦り切れた修道服の裾を握りしめている。視界の先では、一組の男女が女神像に祈りを捧げていた。

若い商人のハンスと、その妻エルサ。二人の背中には、ドス黒く腐乱した『魂の縁(ソウルストリング)』が垂れ下がっている。かつては黄金に輝き、「運命の二人」を証明したはずの絆は、今や膿んだ腸のように互いの首を絞め上げていた。

「おお、女神よ。なぜ妻はこれほどまでに物分かりが悪いのでしょうか」

「ああ、神様。夫の息遣いを聞くだけで、虫唾が走るのです」

口に出している祈りとは裏腹に、フィオナの瞳には、二人の頭上に浮かぶ赤黒い文字列――『本音のパラメータ』が流れて見えていた。

ハンスの背中には『自己顕示欲求の欠乏:深刻』『家庭内での孤立感:Lv.MAX』。

エルサの背中には『理想と現実の乖離:致命的』『夫の優柔不断さへの生理的嫌悪』。

フィオナは知っていた。二人の相性は、数式で表せば『マイナス無限大』だ。だが、『魂の縁』という名のバグが、二人を無理やり繋ぎ止めている。

「……フィオナ、貴様またサボっているのか」

司祭の怒鳴り声と共に、杖がフィオナの肩を打った。鈍い痛みが走る。

「申し訳、ありません……ですが、あのお二人はもう、離れた方が……」

「馬鹿を言え! 神が結んだ縁だぞ。貴様のその『人の不幸な本音が見える』だけの欠陥スキルで、神意を測るな!」

唾を吐きかけられ、フィオナは唇を噛んで俯く。

誰もわかっていない。この世界にはびこる不幸の多くが、システムエラーによって引き起こされていることを。

深夜、フィオナは教会の地下倉庫に潜り込んだ。

そこには、かつて異端として没収された「魔導石板(スレート)」が放置されている。彼女は震える手で、懐から盗み出した小刀を取り出した。

「もし、運命という名の強制力を排除して……純粋な『相性』だけでマッチングさせたら」

彼女は左手首の銀のブレスレットに視線を落とす。代々の聖女に伝わる『アリアドネの聖糸』。

幼い頃から、フィオナにはこのブレスレットの紋様が、装飾ではなく「論理回路」に見えていた。銀の表面に微細に刻まれたルーン文字の羅列。『IF(もし)』『THEN(ならば)』『GOTO(そこへ行け)』。

それは祈りの言葉ではなく、世界を動かすための命令文(コード)だったのだ。

「……痛い」

石板に小刀を突き立てた瞬間、指先から青白い火花が散った。

物理的な硬さだけではない。世界のリソースを書き換えようとする行為に対し、魔力の奔流がフィオナの神経を逆流し、灼熱の針となって指先を刺す。

それでも彼女は刻み続けた。爪が割れ、血が滲み、石板の溝に滴り落ちて「赤」と「青」の光が混ざり合う。

『変数A(個人の嗜好)』を定義。

『変数B(社会的制約)』を除外。

『魂の縁』の参照値を、ゼロに書き換える。

焦げるような臭いが地下室に充満する。フィオナの額から脂汗が滴り落ち、視界が明滅する。

脳裏に浮かぶのは、先ほどのハンスとエルサの、絶望に塗りつぶされた横顔だ。

あんな顔をさせておくのが「神の愛」だと言うなら、そんな定義は私が書き換えてやる。

「コンパイル……開始……ッ!」

最後のルーンを刻み込んだ瞬間、石板が激しい熱を放ち、地下室の闇を青一色に染め上げた。

第二章 崩壊する聖域

数日後、教会の告解室にハンスが駆け込んできた。だが、その表情は以前のような陰鬱なものではない。目は血走り、頬はこけているが、奇妙な熱狂を帯びていた。

「聖女様! あんたが裏で配ってるっていう、あの石板アプリ……こいつは劇薬だ!」

フィオナは周囲を警戒しながら、格子越しにハンスの言葉を聞く。

「何が、あったのですか?」

「妻と……エルサと、別れたよ」

ハンスは震える手で顔を覆い、そして――笑った。

「アプリが弾き出した俺の『最適解』は、隣町のパン屋の未亡人だった。最初はふざけるなと思ったさ。でも、試しに話してみたら……止まらなくなったんだ。俺のくだらない自慢話を、彼女は腹を抱えて笑ってくれた」

「エルサさんは?」

「あいつもだ。俺より一回り若い鍛冶屋の弟子と、朝まで喧嘩しながら酒を飲んでるらしい。『こんなに口答えする男は初めてだ』って、嬉しそうに悪態をついてたよ」

二人の間にあった腐った『魂の縁』は、跡形もなく消滅していた。

代わりにそこにあったのは、傷つき、悩み、それでも自らの足で立とうとする、不安定だが鮮烈な「生」のエネルギーだった。

フィオナは確信する。私のアルゴリズムは間違っていない。

だが、その変化は劇的すぎた。

「悪魔の仕業だ! 縁が……魂の絆が消えていく!」

その夜、松明を手にした群衆が教会を取り囲んだ。

先頭に立つ司祭が、フィオナの部屋の扉を蹴り破る。

「見ろ! 街中の『魂の縁』が千切れかけている! 皆、自由になった途端に不安で発狂しそうだと言っているぞ! 貴様、何をした!」

フィオナは窓から外を見た。

広場には、アプリによって「運命」から解放された人々が溢れていた。だが彼らは、手に入れた自由を持て余し、パニックに陥っていた。

『次は誰を愛せばいい?』

『正解を教えてくれ!』

『自分で選んで、もし失敗したら誰が責任を取ってくれるんだ!』

フィオナの計算通りだった。強制された運命がなくなれば、人々は一時的にカオスに陥る。

だが、計算外だったのは、そのカオスの「音」だ。

怒号、悲鳴、そして――微かな、しかし確かな「産声」のような熱気。

彼らは恐怖しながらも、誰一人として、あの腐った糸が戻ることを望んでいなかった。

「フィオナ! この魔女め、火あぶりに――」

司祭の手がフィオナの襟首を掴もうとしたその時。

彼女の手首で、『アリアドネの聖糸』が臨界点を超えた輝きを放った。

ブレスレットがひとりでに回転し、空中に巨大なホログラムのような文字列を投影する。

《システム警告:管理者権限による強制終了プロセスを検知》

《エラー要因:被造物の自律性の過剰な増大》

世界が、軋む音を立てた。

フィオナの視界が白く反転する。

彼女は直感した。これは暴動ではない。司祭の怒りですらない。

この世界を管理する「何か」が、フィオナというバグを排除するために、現実そのものをシャットダウンしようとしているのだ。

「……上等じゃない」

フィオナは震える足で床を踏みしめる。

石板に刻んだあの痛み、指先の熱さを思い出す。

神様、あなたがデバッグをしようというのなら、受けて立ちましょう。

ただし、私のコードはもう、あなたの想定よりもずっと深く、この世界に根を張っているわよ。

第三章 デバッグ・ザ・ゴッド

五感が遮断された。

気付くとフィオナは、果てしない白銀の空間に漂っていた。

上下左右の感覚はない。ただ、目の前に、無数の光のコードが絡まり合い、巨大な繭(コクーン)を形成している。

『……なぜ、彼らをそっとしておかない』

声は、フィオナの脳髄に直接響いた。威厳はない。あるのは、数千年分の疲労と、どうしようもない諦観。

繭の中心に、膝を抱えてうずくまる少年の影が見えた。

それが、この世界の創造主――神の姿だった。

「あなたが……『魂の縁』で、人々を縛っていたんですね」

『縛っていたのではない。守っていたのだ』

神の声には、頑固な老人のような響きが混じる。

『彼らは脆い。選択を与えれば迷い、自由を与えれば傷つけ合う。だから私は「運命」というレールを敷いた。思考を放棄させ、ただ幸福な結末へと自動再生される世界を作ろうとした。それこそが慈悲だ』

フィオナは首を横に振った。

「慈悲? いいえ、それはあなたの怠慢です」

彼女は右手を掲げた。指先から、あの石板アプリで収集した膨大な「ユーザーログ」がウィンドウとして展開される。

「見てください。これは、あなたが『完璧なペア』として設定したハンスとエルサのログです」

ウィンドウには、冷え切った食卓、互いに背を向けた寝室、腐っていく心のグラフが表示される。

「そして、こっちがアプリ使用後のログです」

画面が切り替わる。

ハンスが新しい恋人と大声で笑い、振られ、泥酔して泣いている姿。

エルサが若い男と掴み合いの喧嘩をし、その後で腫らした目で朝日を見上げている姿。

『……醜い』

神は顔をしかめた。

『ノイズだらけだ。エラー係数が高すぎる。こんなものは「美しい世界」ではない』

「ええ、不完全です。効率も悪いし、美しくもない」

フィオナは一歩、神へと近づく。

「でも、彼らの心拍数を見て。体温を見て。苦しみの中でこそ、魂の出力(ボルテージ)が最大化している。あなたが愛したかったのは、予定調和の人形劇ですか? それとも、血を流して生きる人間ですか!」

『私は……っ!』

神の影が揺らぐ。繭を構成する光のコードが、ノイズ混じりに明滅する。

『私は、彼らが傷つくのを見たくなかった。私が愛せば愛するほど、世界は私の意のままになり、彼らは「私」のコピーになっていく。だから私は孤独を選んだ。システムを固定し、縁をロックして、私自身が介入しなくて済むように……』

「それがバグの正体だったのですね」

フィオナはため息をつき、そして優しく微笑んだ。

なんて不器用で、人間臭い神様だろう。

「あなたはプログラマーとしては優秀かもしれないけれど、運営(アドミン)としては失格です」

フィオナはブレスレットを外し、それを神の繭へと投げた。

銀の輪が分解し、新たなパッチコードとなって神のシステムに侵入していく。

「縁を固定する必要なんてありません。彼らは勝手にくっつき、勝手に離れます。あなたはそれを制御するのではなく、ただ『見守る』ための機能だけを残せばいい」

『……そんな無責任なことが、許されるのか?』

「責任なら、私が取ります。そのためにアプリを作ったんですから」

フィオナは両手を広げ、白銀の世界に宣言した。

「さあ、神様。アップデートの時間です。バージョン2.0は、少し騒がしいですよ?」

終章 バージョン2.0の世界

教会の鐘が鳴り響く。それは礼拝の合図ではなく、朝の始まりを告げる時報だ。

あの日以来、世界から『魂の縁』を見る力は失われた。

誰もが手探りで、傷つきながら、それぞれのパートナーを探している。

街は以前よりも騒がしく、あちこちで痴話喧嘩や別れ話が聞こえてくるが、不思議と空気は澄んでいた。腐った縁の悪臭はもうしない。

教会の地下室は、今や国中から聖職者……改め「システム管理者」たちが集まるデータセンターになっていた。

無数の魔導石板が青白く明滅し、人々の膨大な「願い」と「悩み」を処理している。

「フィオナ室長、北の国でサーバー負荷が増大しています! 戦争ではなく、大規模な合コンが開催されているようです!」

「処理リソースを回して。ただし、喧嘩の仲裁機能はオフにしておいて。痛みも学習データの一つよ」

白衣を羽織ったフィオナは、中央の巨大な魔導端末の前でキーボードを叩いていた。

かつての「最弱聖女」の面影はない。その指先には無数の傷跡と、たこが残っているが、その瞳は生き生きと輝いている。

フィオナはふと、メインモニターの隅に表示されている極秘チャットウィンドウを開いた。

接続先は『Admin: GOD』。

『今日の人間界も、ひどい有様だ。ハンスがまた新しい女に振られて泣いている』

画面に文字が流れる。文面は呆れているようだが、その通信波形は、楽しげに弾んでいた。

フィオナはくすりと笑い、返信を打ち込む。

「でしょう? 最高のサンプルデータだわ」

『……まあ、退屈はしないな』

神様はもう、孤独な繭の中にはいない。

この騒がしく、面倒で、愛おしい世界の片隅で、フィオナと共にバグだらけの人間ドラマを特等席で眺めている。

「さて、次のアップデートパッチを当てましょうか」

フィオナはエンターキーを強く叩いた。

青い光が回路を走り、世界という名の物語を、今日も鮮やかに書き換えていく。

AIによる物語の考察

**登場人物の心理:**
フィオナは、人々を縛る「魂の縁」を神の愛ゆえの「孤独なアルゴリズム」が生んだバグと看破。システムの欠陥を是正し、苦しむ人々を救う使命感を持つ。神は、人間が傷つくのを恐れるあまり「完璧」を求め、結果的に不器用に孤独を選んだ創造主。フィオナによって、不完全な人間ドラマの傍観者から「共に見守る」存在へと変貌する。

**伏線の解説:**
「魂の縁」の腐敗は、神が強制した運命が、人間の自由を奪い内面を蝕む「システムエラー」だったことの象徴。フィオナのブレスレット「アリアドネの聖糸」が論理回路に見える描写は、彼女が世界の根源的な「コード」を理解し、神のシステムをアップデートする「管理者」となる宿命を示唆する。

**テーマ:**
本作は、強制された「完璧な幸福」よりも、混乱や痛みを伴う「不完全な自由」と「選択の責任」こそが、真に価値ある「生」の源泉だと問いかける。不器用な神が引き起こした「バグ」を修正し、人間と神が互いを「見守り、共に創り上げる」ことで、より豊かで鮮烈な世界が実現するという、希望に満ちたアップデートの物語である。
この物語の「続き」を生成する

あなたのアイデアをAIに与えて、この物語の続きや、もしもの展開を創作してみましょう。

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