五十年目のおはようと、最初で最後のさようなら

五十年目のおはようと、最初で最後のさようなら

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第一章 色褪せない花と、錆びつく時間

「英雄レオン万歳! 平和の礎に乾杯!」

街は喧騒に包まれていた。色とりどりの紙吹雪が舞い、リュートの音色が石畳を跳ねる。魔王が討伐されてから五十年。人間にとっては半世紀という長い歳月も、歴史の教科書にはたった数行で記される「平和記念日」となっていた。

広場の中央、真新しい銅像を見上げる人混みから離れた路地裏。

フードを目深に被った小柄な影が、酒場の壁に背を預けていた。

「……うるさいわね」

吐き捨てる声は、鈴を転がしたように若々しい。

フードの隙間から覗く長い耳。銀色の髪。そして、五十年前と何ひとつ変わらない、陶器のように滑らかな肌。

ハイエルフの魔術師、エララ。

かつて英雄レオンと共に世界を救った「導きの魔女」その人である。

「おい、そこの姉ちゃん。随分とでかい荷物だな」

赤ら顔の酔っ払いが、エララの足元を指さして笑った。

彼女の傍らには、背丈ほどもある長方形の箱が置かれている。黒い革で覆われ、鎖でがんじがらめにされたそれは、旅の荷物にしてはあまりにも不吉で、楽器ケースにしては重厚すぎた。

「触らないで」

エララの声色が、一瞬で路地裏の空気を凍らせた。

酔っ払いがヒッと喉を鳴らして後ずさる。

「ただの……思い出の品よ」

エララは愛おしそうに、黒い箱の革を指先でなぞった。

冷たい。けれど、彼女には温かい鼓動が聞こえる気がした。

(もう少しよ、レオン。もうすぐ、あの場所に着くから)

彼女は箱に結び付けた太い革ベルトを肩に食い込ませ、立ち上がる。

見た目の華奢さとは裏腹に、その箱はずっしりと重い。物理的な重さだけではない。そこには、五十年分の「執着」が詰まっているのだから。

「エララ様、ですよね?」

背後から、遠慮がちな声がかかった。

振り返ると、冒険者風の若い青年が立っていた。まだ二十歳そこそこだろうか。瞳に、憧憬という名の厄介な光を宿している。

「やっぱり! 伝説の魔女エララ様だ! 俺、子供の頃から憧れてて……あの、レオン様のお墓参りですか? 広場はあっちですよ」

「……墓なら、ここにあるわ」

エララは小さく呟き、再び歩き出した。

「え?」

「ついて来ないで。時間の無駄よ」

「待ってください! 俺、荷物持ちますよ!」

青年が箱に手を伸ばした瞬間、バチッ! と青白い火花が散った。

「うわっ!?」

「言ったはずよ。これは私にしか触れられない」

エララは冷ややかな瞳で青年を見下ろした。

「それに、人間の寿命なんてあっという間なんだから。こんな年寄りの道楽に付き合ってないで、自分の人生を生きなさい」

そう言い残し、彼女は喧騒を背に、街の門へと向かう。

人間にとっての五十年は、人生の過半。

けれどエルフのエララにとっては、ほんの数日前の出来事が引き伸ばされているに過ぎない。

彼女だけが、まだ「冒険」の中にいた。

終わったはずの旅を、たった一人で続けている。

第二章 凍てついた棺

街を抜け、街道を外れ、人の立ち入らぬ「忘却の森」へ。

道なき道を進むこと三日。エララの足取りは重いが、決して止まることはなかった。

背後の箱――『柩』が、ゴトゴトと不気味な音を立てて地面を擦る。

「ねえ、レオン。あの時のこと、覚えてる?」

エララは誰もいない森で、柩に話しかける。

「君が言ったのよ。『平和になったら、一番景色のいい場所で昼寝がしたい』って。だから私、探したの。世界で一番、魔力が澄んでいて、誰にも邪魔されない場所」

返事はない。

あるはずがない。

英雄レオンは、五十年前の最終決戦で死んだ。

魔王と刺し違え、その命を散らした。それが、世間に伝わる真実だ。

だが、エララだけが知っている「続き」がある。

森の奥深く。古代遺跡の入り口が見えてきた。

崩れかけた石柱。苔むした祭壇。そこは、時空の魔力が渦巻く特異点。

エララは祭壇の中央に、重たい柩を下ろした。

肩のベルトを外すと、白く変色した痣が露わになる。だが、痛みなど感じなかった。心の空洞に比べれば、肉体の苦痛など些細なノイズだ。

「……やっと、準備が整ったわ」

彼女は懐から、一冊の古びた書物を取り出した。

禁術書『時の牢獄』。

彼女の特異な才能は、対象の時間を「固定」すること。

腐敗も、風化も、あらゆる変化を拒絶し、その瞬間に留める力。

五十年前、息絶えたレオンの体を、エララは即座に凍結した。

死後数秒の状態のまま、五十年。彼はずっと、この柩の中で眠り続けている。

「蘇生魔法の理論は完成したの。今の私の魔力なら、あの時の傷を塞いで、止まった心臓をもう一度動かせる」

エララの手が震える。

「人間はすぐに死んでしまう。置いていってしまう。……でも、もう大丈夫。私が君の時間になるから」

彼女は呪文を詠唱し始めた。

周囲の空気が振動し、マナの光が蛍のように舞い上がる。

鎖がひとりでに弾け飛び、革のカバーが剥がれ落ちる。

露わになったのは、透き通るような水晶の棺。

その中には、まるでついさっき眠りについたかのような、若き日の英雄レオンが横たわっていた。

第三章 エゴイズムの代償

「……起きなさい、レオン」

エララは水晶の蓋を開け、彼の手を握った。

冷たい。だが、死後硬直はしていない。彼女の魔法が、彼を「生」と「死」の狭間に縛り付けているからだ。

膨大なマナを注ぎ込む。

五十年間、この瞬間のためだけに練り上げてきた魔力。

ドクン。

レオンの胸が、小さく波打った。

「!」

エララの瞳が見開かれる。

ドクン、ドクン。

心音が強くなる。頬に赤みが差し、止まっていた肺が空気を求めて痙攣した。

「あ……ああ……レオン!」

涙が溢れ出し、エララは彼の上半身を抱きしめた。

成功した。禁忌を超えた。

神の摂理さえも、エルフの執念の前には無力だったのだ。

「う……」

レオンの口から、かすかな呻き声が漏れる。

まぶたが震え、ゆっくりと、その琥珀色の瞳が開かれた。

「レオン? 私よ、エララよ。わかる?」

エララは必死に呼びかける。

レオンの瞳が、焦点を結ぼうと彷徨い、やがてエララの顔を捉えた。

「……エ、ララ?」

「そうよ! 戻ってきたのね。五十年……長かったわ。でも、これからはずっと一緒よ」

エララは笑顔を作ろうとした。しかし、レオンの瞳に宿っていたのは、喜びでも安堵でもなかった。

それは、底知れぬ「恐怖」と「困惑」。

「なんで……」

レオンの声は掠れていた。

「俺は……あの時、終わったはずだ。満足して……逝ったんだ」

「え?」

「体が……重い。魂が、無理やり……引き戻される……痛い……」

レオンが苦悶の表情を浮かべ、自分の胸を掻きむしる。

蘇生した肉体と、昇華されたはずの魂。そのズレが、彼に激痛を与えているのだ。

「待って、すぐに治すわ。回復魔法を――」

「やめろ!」

レオンがエララの手を振り払った。

その力は弱々しいが、拒絶の意志は強烈だった。

「エララ……君は、何をしたんだ?」

「私は、ただ……もう一度、君に会いたくて」

「俺の時間は終わったんだ。人間には、寿命がある。それを全うしてこそ、俺たちの旅は完成するんだよ」

レオンの瞳から涙が流れた。

「これは生きているんじゃない。君のエゴという檻に、俺を閉じ込めているだけだ」

その言葉は、どんな魔術よりも鋭く、エララの胸を貫いた。

「でも……私は独りぼっちなの! 君がいなくなってからの五十年、どれだけ長かったか! エルフの寿命は長すぎるのよ……思い出だけじゃ、生きていけない!」

エララは叫んだ。それは五十年分の孤独の爆発だった。

レオンは痛みに耐えながら、優しく微笑んだ。

かつて、焚き火のそばでエララに向けてくれた、あの笑顔で。

「ごめんな。俺たちが、君を置いて先に逝く種族で」

彼は震える手を伸ばし、エララの濡れた頬に触れた。

「でも、君には才能があるだろう? 時間を止めるんじゃなく……進める才能が」

「進める……?」

「俺を、過去にしてくれ。美しい思い出のまま、終わらせてくれ。……それが、俺への最後の手向けだ」

第四章 銀色の涙

遺跡に風が吹き込んだ。

エララはレオンの手を握りしめ、嗚咽を漏らす。

わかっていた。

心のどこかでは、ずっとわかっていたのだ。

この柩が、彼を守るシェルターではなく、彼の魂を縛る鎖だったことを。

「……嫌よ」

「エララ」

「嫌だけど……君が苦しむのは、もっと嫌」

エララは涙を拭い、立ち上がった。

彼女の周囲に漂っていた「停滞」の魔力が、揺らぎ始める。

「術式解除(リリース)。……対象、英雄レオン」

彼女は杖を掲げた。

「五十年目の、おはよう。……そして」

唇を噛み締め、万感の思いを込めて告げる。

「……最初で最後の、さようなら」

眩い光が弾けた。

魔法による強制的な生命維持が断たれる。

「ありがとう、エララ。……愛していたよ」

光の中で、レオンが満足そうに目を閉じた。

次の瞬間、五十年間せき止められていた「時間」が、一気に押し寄せた。

レオンの肉体は瞬く間に風化し、砂となり、光の粒子となって空へ溶けていく。

柩の中に残ったのは、彼が身につけていた錆びたペンダントと、一握りの塵だけ。

エララは崩れ落ちた。

空っぽになった柩に縋り付き、子供のように声を上げて泣いた。

森の鳥たちが驚いて飛び立つほどに、その慟哭は響き渡った。

最終章 旅の続きは一人で

遺跡を出たエララの手には、もう重たい柩はなかった。

その代わり、首元には錆びたペンダントが揺れている。

肩の重みは消えた。

だが、胸の痛みは消えない。きっと、この先数百年、この痛みは彼女と共にあり続けるだろう。

「……エララ様?」

森の入り口で、あの若い冒険者が待っていた。

三日間、野営をして彼女が出てくるのを待っていたらしい。

「まだいたの? 暇人ね」

エララの言葉には、以前のような刺々しさはなかった。

「荷物は……?」

「置いてきたわ。あそこが、終着点だったから」

青年は何かを察したように、深くは聞かなかった。

「街まで送りますよ。俺、昔話とか聞きたいです。レオン様のこと、教えてくれませんか?」

エララは空を見上げた。

雲の隙間から、眩しいほど青い空が見えている。

「……長くなるわよ」

「構いません! 俺の寿命が尽きるまで、付き合いますから」

生意気な口調に、エララはふっと小さく笑った。

「いいわ。……とりあえず、酒場に行きましょう。最高の武勇伝と、最低の失敗談を話してあげる」

エララは歩き出す。

過去を背負うのではなく、胸に抱いて。

長い長いエルフの生、その孤独な旅路に、少しだけ新しい風が吹き始めていた。

AI物語分析

【主な登場人物】

  • エララ: ハイエルフの魔術師。かつての英雄パーティの一員。長命種ゆえに「取り残される恐怖」を抱えており、50年間レオンの遺体を時間凍結して持ち歩いていた。「執着」と「愛」の境界線で苦しむ。
  • レオン: 50年前に魔王と相打ちになり死亡した人間の英雄。陽気で誰からも愛される性格。死してなお、エララの心に縛り付けられていたが、蘇生時に彼女を諭し、解放へと導く。
  • 青年(冒険者): 現代の若者。エララを伝説として崇める一方、彼女の孤独に無自覚に寄り添う「次世代」の象徴。

【考察】

  • 「柩」のメタファー: エララが引きずっていた柩は、物理的な重荷であると同時に、彼女が手放せなかった「過去そのもの」を象徴している。それを遺跡に置いてきたことは、彼女が精神的な停滞から脱したことを意味する。
  • 長命種の孤独とエゴ: 人間にとっての「安らかな死」が、残される長命種にとっては「永遠の喪失」となる残酷な対比。エララの蘇生行為は愛ゆえの行動だが、レオンにとっては「魂の牢獄」でしかなかったという逆説的な構造が、種族間の断絶を浮き彫りにしている。
  • タイトルの意味: 「五十年目のおはよう」は蘇生の瞬間の喜びを、「最初で最後のさようなら」は、50年遅れでようやく彼を正しく死なせてあげられた(=未来へ送り出した)という決別を表している。
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