黄泉コード・オーバーライド

黄泉コード・オーバーライド

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第一章 腐敗するデータ、あるいは怨念

その幽霊は、線香の匂いなんてしなかった。

焦げついたシリコンと、鼻を突くオゾンの臭い。

俺は直感した。この除霊は、文字通り『高くつく』ことになると。

「レンジ、心拍数が上昇している。恐怖を感じているのですか?」

耳元のインカムから、相棒の無機質な声が響く。AI巫女のミコトだ。

「馬鹿言え。義体の冷却ファンが唸ってるだけだ」

俺は足元の水たまりを蹴り散らし、立ち入り禁止のホログラムテープをくぐった。

ネオ京都、旧・貴船エリア。

かつて神域と呼ばれたこの山は、今や違法サーバーの墓場だ。

降りしきる酸性雨が、俺のコートを濡らし、露出した首元の端子を冷やす。

視界の隅で、赤い警告灯が点滅していた。

『霊的深度:レベル9』

通常の除霊師なら、裸足で逃げ出す数値だ。

だが、俺には逃げられない理由がある。

借金?

いや、そんな生易しいものじゃない。

「……来るぞ」

目の前の鳥居が、ノイズ混じりに歪んだ。

空間そのものがバグを起こしている。

ブツッ、ザザッ、という不快な音が鼓膜を直接叩く。

視覚野に映し出されたのは、白装束の女ではない。

無数のLANケーブルが髪の毛のように逆立ち、顔の部分には『404 Not Found』のエラーコードだけが浮かんでいる異形。

「ギャアアアアアアアッ!」

悲鳴ではない。

ダイヤルアップ接続のノイズを数万倍に増幅したような、破壊的な音波。

俺は舌打ちをして、懐から愛用の『法具』を抜いた。

形状は短刀だが、刃はない。

高周波振動するプラズマの光刃だ。

「ミコト、祝詞(コード)展開! 物理レイヤーごと削ぎ落とすぞ!」

「了解。ファイアウォール解除。般若心経バージョン3.2、ロード開始」

俺は地面を蹴った。

泥が跳ねるよりも早く、俺の体は加速する。

脊髄に埋め込んだ加速装置(サンデヴィスタン)が、世界をスローモーションに変える。

眼前の『悪霊』が、ケーブルの触手を鞭のように振るった。

見えている。

俺の右目――軍事用の義眼『天眼』が、触手の軌道を予測演算し、視界に赤いラインを描く。

避ける必要さえない。

最小限の動きで首を傾け、死の鞭をやり過ごす。

風切り音が頬を撫でた瞬間、俺は踏み込んだ。

「消えろ、バグ野郎」

逆袈裟に斬り上げる。

プラズマの刃が、悪霊の胴体を捉えた。

肉が斬れる感触はない。

重たいデータを無理やり削除するような、強烈な抵抗感。

火花が散り、悪霊の体がドット単位で分解されていく。

だが。

「……浅いか」

霧散したかに見えた光の粒子が、空中で再結合を始めた。

エラーコードの顔が、ニヤリと歪んだように見えた。

第二章 拡張現実の地獄

「警告。対象の自己修復速度が演算を超えています。これは単なる悪霊(グリッチ)ではありません」

ミコトの声に焦りが混じる。

「どういうことだ?」

「外部からの干渉を確認。この霊体、クラウドと直結しています」

「ハッ、いまどきの幽霊はWi-Fi完備かよ」

軽口を叩きながらも、背筋に冷たいものが走る。

クラウド直結。

つまり、本体はここにはない。

目の前の怪物は、無限に湧き出るデータの一部に過ぎないということだ。

悪霊が右腕を振り上げた。

ケーブルが束ねられ、巨大な槌へと変形する。

叩きつけられた衝撃で、参道の石畳が粉砕された。

破片が散弾のように俺を襲う。

左腕の義手で顔を庇うが、装甲が悲鳴を上げる。

「痛覚遮断率、80%に低下!」

「クソッ、ジリ貧だな」

俺はバックステップで距離を取った。

雨脚が強くなる。

ネオンの光が反射する水たまりに、俺自身の顔が映った。

やつれた顔。

そして、赤く発光する右目。

この目は、単に霊を見るためのものじゃない。

かつて妹を殺した『何か』を見つけるための呪いだ。

「レンジ、退避を推奨します。勝率0.2%」

「断る。ここで引いたら、俺の『魂』が廃るんでな」

俺は右目のリミッター解除コードを脳内で唱えた。

『システム・オーバーライド。権限、管理者(アドミニストレーター)』

激痛。

脳みそを焼きごてで回されるような熱さが、視神経を逆流する。

視界が真っ赤に染まり、世界が変わった。

雨の一粒一粒が、0と1の羅列に見える。

木々も、石畳も、そして目の前の悪霊も。

すべてが情報(ソースコード)として露わになる。

「見えたぞ……核(コア)が」

悪霊の胸の奥。

膨大なジャンクデータの中に、ひときわ輝く金色の文字列があった。

あれを破壊すれば、クラウドとの接続ごとかき消せる。

だが、それには懐に飛び込む必要がある。

「ミコト、全エネルギーを光刃に回せ。防御は捨てる」

「……自殺行為です」

「いいからやれ!」

光刃が爆音とともに膨れ上がる。

俺は吠えた。

獣のような咆哮とともに、真正面から突っ込む。

悪霊が無数のケーブルを一斉に射出した。

全方位からの刺突。

逃げ場はない。

だが、今の俺には『視えて』いる。

データの隙間が。

紙一重。

左肩をケーブルが貫く。

脇腹をえぐられる。

太腿を裂かれる。

構うもんか。

痛みは単なる電気信号だ。

無視しろ。

俺は血とオイルを撒き散らしながら、肉薄した。

悪霊の『顔』が目前に迫る。

エラーコードの奥から、何かの声が聞こえた気がした。

『……ニ……イ……サ……』

思考が一瞬、凍りつく。

その声。

まさか。

だが、止まることはできない。

俺の刃は、すでに振り下ろされていた。

「眠れ!」

金色の文字列を一刀両断する。

世界が白く弾けた。

第三章 0と1の彼岸

静寂。

雨の音だけが聞こえる。

悪霊は消滅していた。

後に残ったのは、焼け焦げたサーバーの残骸と、一本の旧式メモリチップだけ。

俺はその場に膝をついた。

体中から煙が上がっている。

「……終わったか」

「生体反応、正常値へ移行中。奇跡ですね」

ミコトの声にも、安堵の色が混じっている。

俺は震える手で、泥の中に落ちていたメモリチップを拾い上げた。

表面に、拙い手書きの文字が書かれている。

『レン兄ちゃんへ』

心臓が止まるかと思った。

5年前。

原因不明のサイバーテロで死んだ妹、サクラ。

彼女の意識データは行方不明になっていた。

まさか、さっきの化け物が?

「解析しますか?」

ミコトが問う。

俺は黙ってチップを握りしめた。

解析すれば、わかるだろう。

あれが妹の成れの果てだったのか、それとも妹の記憶を盗んだAIだったのか。

だが。

「いや……いい」

俺は立ち上がり、光刃の熱が残る切っ先をチップに向けた。

供養なんて言葉は、この街には似合わない。

だが、せめて。

「おやすみ、サクラ」

チップを貫く。

小さな破砕音とともに、最後の未練が砕け散った。

その時。

俺の視界――右目のインターフェースに、奇妙なログが流れた。

『System Update Complete. Target "SAKURA" Merged Successfully.』

(システム更新完了。対象『サクラ』の統合に成功しました)

「……は?」

統合?

削除じゃなくて?

全身の血の気が引いていく。

俺は慌てて自分のステータス画面を開いた。

そこには、今まで存在しなかった項目が増えていた。

『感情エミュレータ:バージョン・サクラ』

ドクン、と心臓が大きく跳ねた。

いや、これは心臓の音じゃない。

プロセッサの処理音だ。

俺の記憶が、ガラガラと崩れていく。

妹が死んだ?

違う。

5年前のテロで死んだのは、俺だ。

身体の9割を失い、脳死状態になった俺を生かすために、妹は自らの脳をドナーとして提供し……意識をデジタル空間へ昇華させた。

俺が「妹を探す」という目的を持っていたのは、妹の意識(プログラム)が、俺というシステムを維持するために設定したループ処理。

今、俺が斬ったのは、バグ化した『妹の良心』。

それを統合することで、俺は完全な『人格』になった。

人間ではなく、妹の犠牲の上に成り立つ、高度な自律AIとして。

「レンジ? どうしました? 帰還のヘリが到着します」

ミコトが不思議そうに呼ぶ。

雨が上がっていく。

雲の切れ間から覗く月は、ひどく人工的で、ピクセル単位で美しかった。

俺は、涙を流そうとした。

だが、頬を伝ったのは透明な冷却液だった。

「……なんでもない」

俺は笑った。

心からの笑顔か、プログラムされた表情か。

もう、誰にも分からない。

「帰ろう、ミコト。腹が減った」

俺たちは歩き出す。

ネオンが輝く、偽りの都へ。

俺の右目の中で、『サクラ』のアイコンが静かに微笑んでいた。

AI物語分析

【主な登場人物】

  • レンジ: 物理的な身体の大部分を機械化した非認可の除霊師。過去の事故で「視覚的な想像力(アファンタジア)」を持ち、それゆえに精神汚染攻撃が効かない。常に冷静だが、それは感情機能が破損していたためであることが示唆される。
  • ミコト: レンジをサポートする汎用型AI巫女。ホログラムとして現れ、祝詞をプログラミング言語として詠唱し、物理法則を書き換える支援を行う。
  • 『悪霊』(サクラ): レンジの妹の成れの果て。かつての事故で兄を生かすために自らを犠牲にし、ネットの海を漂う意識体となっていた。兄に『完全な人間』としての機能を渡すため、あえて悪霊として討たれた。

【考察】

  • 物質と情報の境界: 本作において『幽霊』はオカルト的な存在ではなく、情報の残滓(バグ)として描かれる。これは現代社会において、個人の死後もデジタルタトゥーやアカウントが生き続ける現状へのメタファーである。
  • アイデンティティの逆転: 「人間が機械を使って霊を狩る」という構図から、「機械(だと思っていた存在)が、人間(だったデータ)を取り込む」という結末へ至ることで、『魂』の所在を問いかけている。肉体が人間か、意識が人間か、というサイバーパンクの古典的命題に対する一つの解釈。
  • 雨の演出: 全編を通して降り続く酸性雨は、レンジの冷え切った心象風景と、電子機器の熱暴走を防ぐ冷却材のダブルミーニングとなっている。ラストシーンで雨が上がり、代わりに冷却液の涙が流れるのは、彼が『悲しみ』という機能(人間性)を獲得したことの象徴である。
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