第一章: 視聴率のための処刑
地下五十階層、ボス部屋前。腐肉と鉄錆が混ざり合う湿った風が、容赦なく鼻孔を犯す。
雨宮カイ「……ピント、合ってますか?」
震える喉から絞り出した声。それは空気の振動にすらならず、闇へ吸い込まれた。
目深に被った薄汚れたフード。視界の端に見切れるのは、痩せこけた自分の鼻先のみ。擦り切れた安物のタクティカルベストが、浮き出た肋骨をきしりと締め付ける。首から下げた業務用の高性能撮影ゴーグル――僕の命そのものである黒いレンズだけが、冷ややかな光沢を放っていた。病的に白い指先は、機材と同化するように強張っている。
神宮寺レン「バッチリだぜ、カイ。お前、最高のカメラマンだよ」
目の前で、神宮寺レンが白銀の軽鎧をガチャリと鳴らし、振り返る。計算され尽くした「無造作ヘア」の金髪。浮遊するドローンカメラの照明(ライト)を浴び、神々しい輝きを纏うその姿。顔に張り付いた完璧な笑顔は、数百万の人間を虜にする英雄の仮面。
神宮寺レン「さあ、クライマックスだ! みんな、準備はいいか!?」
レンが大げさに両手を広げる。呼応するように、背後の巨大な扉が悲鳴のごとき軋みを上げて開き始めた。闇の奥から響く、地響きのような唸り声。Sランクダンジョンボス、『紅蓮の処刑人』の殺気が肌を焦がす。
逃げなきゃ。
警鐘を乱打する本能。けれど、足は石のように動かない。僕の存在意義は、レンの輝きを最前列で記録すること。ただのレンズ。ただの背景。
神宮寺レン「でさ、カイ。知ってる? 最近の視聴者って、ただの攻略じゃ満足しないんだよね」
レンの声色から、ふっと体温が消えた。
直後、腹部に走る鋭い衝撃。
がはっ……!?
強制的に吐き出される肺の空気。明滅する視界。宙を舞う身体。背中が硬い石畳に叩きつけられる鈍い音。
激痛に顔を歪めて見上げると、そこには冷徹な瞳で見下ろすレンがいた。レンズ越しに向けてくれていた親愛の情など、微塵もない。
神宮寺レン「欲しいのはさ、『悲劇』なんだよ。残酷で、救いようのない、リアルな死」
レンの手には、青く輝く結晶石。『帰還石(ポータル・ストーン)』だ。
雨宮カイ「レ、レン、さん……? 何を……」
神宮寺レン「お前の死に顔、最高のサムネになるよ。安心して逝け。スパチャの収益で、お前の好きな栄養ゼリー、墓に供えてやるから」
神宮寺レン「じゃあな、生贄くん!」
弾ける光。
レンと、その取り巻きたちが粒状になって消失していく。
残されたのは、僕と、開ききった扉から這い出る巨大な影のみ。
ゴーグルのディスプレイに、コメントが滝のように流れる。
『うわマジかよwww』
『生贄キターーー!』
『レン様ナイス判断』
『はやく死ね』
『グロ注意』
『荷物持ちざまぁww』
文字の暴力。悪意の濁流。
誰一人として、僕の生存を願っていない。憧れていた世界、その汚濁した本性。
『紅蓮の処刑人』が、巨大な戦斧を振り上げる。
僕の全てを覆い尽くす、死の影。
ああ、やっぱり。僕は主役になんてなれなかったんだ。
風を切り裂き、落下する斧。
僕のHPバーが砕け散る幻聴。それが、最期の音。
◇◇◇
第二章: 深淵からの声
痛みは、なかった。
あるのは、底なしの寒さと、耳鳴りのような静寂。
僕は死んだのか?
条件達成を確認。
個体名:雨宮カイのHPが0.1%以下で固定されました。
精神深度が『冥界』に接続。
ユニークスキル『死界配信(ネクロ・ストリーミング)』が覚醒しました。
脳髄を直接揺さぶる、無機質な機械音声。
重いまぶたを持ち上げる。世界の色調(トーン)が一変していた。
血のような赤と、深海の青が混ざり合う視界。ボスの戦斧は、鼻先数センチで静止している。いや、止まっているのではない。
『危ないッ!』
『逃げてぇぇぇ!!』
『死なせない、絶対に!』
『あの子を守れ! 総員、霊壁(バリア)展開!』
斧を受け止める、無数の「手」。
青白く透き通った、何百、何千という人間の腕。
雨宮カイ「……え?」
ゴーグルのコメント欄、その異常な更新速度。
先刻までの暴言は消え失せ、見たこともない言語と、温かい言葉が溢れかえる。
『カイくん! 生きて!』
『こいつは俺を殺したボスだ……頼む、仇を討ってくれ!』
『霊力譲渡(スパチャ)! 私の残り火、全部あげる!』
リスナー『名もなき剣士』より、霊力500が譲渡されました。
リスナー『裏切られた魔導師』より、霊力1200を受領。
リスナー『星を夢見た少女』より、霊力3000の譲渡を確認。
……
現在接続中の死者数:4,890,201人。
全ステータス、限界突破(オーバーフロー)。
沸騰する血液。いや、血管を駆け巡るのは溶けた光。
恐怖で震えていた指先に、力が漲る。怯えて揺れていた瞳孔に、青白い鬼火(ウィル・オ・ウィスプ)が灯る。
雨宮カイ「……聞こえる。みんなの声が」
立ち上がる、その足取りの軽さ。
巨大なボスが、畏怖するように後ずさる。生きた人間には視えぬ「死者たちの壁」が、絶対的な圧迫感で奴を凌駕しているのだ。
雨宮カイ「君たちが、僕のカメラ(め)になってくれるんですか?」
『応ッ!!』
数百万の死者の咆哮。僕の喉を通し、世界へ響く。
かざした右手。特別な技術など不要。ただ、溢れ出る「彼ら」の怒りを、前方へ解き放つのみ。
《鎮魂の光(レクイエム・バースト)》
青白い閃光。ダンジョンの闇を喰らい尽くす。
断末魔すら許されず、ボスは光の粒子となって霧散した。
戻る静寂。
しかし、終わりではない。
死者たちの嘆き。ダンジョンのさらに奥、光の届かない深層で、誰かが泣いている。
行かなきゃ。
ゴーグルを握りしめ、暗闇の先へ。その一歩は、もう逃げるためのものではなかった。
◇◇◇
第三章: 英雄の罪
深層。そこは、墓場だった。
モンスターの姿はない。あるのは、累々と積み上げられた冒険者たちの遺体。
装備はどれも新しく、背中の傷が致命傷になっているものばかり。
雨宮カイ「ひどい……」
その中央、見覚えのあるローブが横たわっていた。
重力に逆らい、ふわふわと浮くショートカットの髪。生前と変わらない、魔法使い風の軽装。けれど胸元には、鋭利な刃物で抉られたような巨大な空洞。そこから蛍のような光の粒子が零れ落ちる。
雨宮カイ「エナ……さん?」
僕の初恋の人。
いつも優しく声をかけてくれた、先輩冒険者の星野エナ。三ヶ月前、ダンジョンで行方不明になったはずの彼女。
遺体から、半透明の少女がゆらりと立ち上がった。
透き通った指先が、僕の頬に触れようとして、すり抜ける。
星野エナ「カイくん……。来ちゃだめだよぉ」
彼女の声は、鼓膜ではなく心臓を直接撫でる。冷たくて、でも泣きたくなるほど甘く優しい響き。
哀しげに眉を下げ、僕の首にかけられたゴーグルに視線を落とす彼女。
星野エナ「ずっと、見てたよ。カイくんの配信。私、最古参だもんね」
僕の身体を包み込むように揺らめく、彼女の霊体。
生身の体温はない。けれど、魂が触れ合うような、背筋を駆け上がる痺れるような感覚。胸元の傷から漏れる光が僕の視界を白く染め、彼女の最期の記憶が流れ込んでくる。
――『ごめんねエナ。君のレアスキル、ドロップさせないと』
――レンの冷酷な笑顔。突き刺される剣。
――薄れゆく意識の中で、彼女が最後に思ったのは。
――『カイくん、逃げて』
雨宮カイ「レンが……君を?」
記憶のフラッシュバック。こみ上げる強烈な嘔吐感。
星野エナ「そうだよ。あいつらはね、ダンジョンと契約してるの。『新鮮な強者の命』を捧げる代わりに、『SR級レアアイテム』を確定ドロップさせる契約」
震えるエナの声。
星野エナ「私が死んだのも、他の子たちが死んだのも、全部あいつらの『配信映え』する装備のため。英雄譚なんて嘘。ここはね、死体で作られた舞台セットなんだよ」
カチリ。
僕の中で、何かが決定的に噛み合った音。
憧れは殺意へ。怯えは覚悟へ。
タクティカルベストのポケットで握りしめる拳。食い込む爪、滲む血。
雨宮カイ「……撮らなきゃ」
星野エナ「え?」
雨宮カイ「僕の仕事はカメラマンです。真実を記録して、あのクソみたいな英雄ごっこの幕を引く。それが、僕の……僕たちの復讐だ」
涙の粒のような光を散らし、微笑むエナ。
星野エナ「うん。やろう、カイくん。私が、あなたのモデレーターになる」
◇◇◇
第四章: 孤独な告発
地上、ドームスタジアム。
神宮寺レンの「引退記念・感動の大型配信」は最高潮を迎えていた。
数万の観客、数千万の同接。レンが涙ながらに「仲間の犠牲」を語り、会場が感動の波に包まれたその瞬間。
巨大スクリーンの映像が乱れた。
砂嵐(ノイズ)。そして、映し出されたのは、暗闇に青白い燐光を浮かべる、死人のような僕の顔。
『……ピント、合ってますか?』
ざわめく会場。
エナのハッキング能力を借り、レンの配信電波を強制的に掌握したのだ。
神宮寺レン「な、なんだ!? スタッフ、切れ! 早く切れ!」
画面の向こうで叫ぶレン。僕は構わず、深層の惨状を映し出す。山積みの遺体。エナの無惨な姿。
雨宮カイ「これが、お前たちの英雄の正体だ!! アイテムのために仲間を殺し、感動ポルノに変えて売りさばく、人食い悪魔だ!」
告発は完璧なはずだった。証拠も揃えた。
けれど。
コメント欄を埋め尽くしたのは、冷笑。
『はいはいCG乙』
『レン様を侮辱するな!』
『売名行為キモすぎ』
『死ねよ精神異常者』
『感動を邪魔するなゴミ』
地上の人間たちが求めていたのは、真実などではない。彼らが貪るのは、心地よい嘘と、消費できる感動だけ。
僕の声は、誰にも届かない。
雨宮カイ「なんで……なんでだよ……! 目の前にあるのに……!」
切れそうになる接続。余裕を取り戻し、嘲笑うレンの顔がワイプに映る。
無力感。孤立感。
やっぱり、僕は透明なままなのか。
もう、ダメか。
膝をつきかけた、その時。
『ふざけるなぁぁぁぁッ!!!』
僕の口からではない。
ダンジョンの底から。
いや、世界中の「理不尽な死」を迎えた魂たちから。
数億の咆哮が重なり、物理的な衝撃波となって大地を揺らした。
爆ぜるスタジアムの照明。亀裂が入る地面。
モニターの中、恐怖に引きつった顔で空を見上げるレン。
星野エナ「カイくんの声が届かないなら……私たちが、直接『わからせて』あげる」
僕の背後に実体化する、数え切れないほどの幽霊たち。
彼らの目は、深い憎悪と、僕への限りない慈愛に満ちていた。
雨宮カイ「……放送延長(エクステンド)だ。ここからは、死者たちの時間です」
◇◇◇
第五章: 鎮魂の光
パニックに陥るスタジアム。
しかし、逃げ場はない。死者たちの霊圧が、会場全体をドーム状の結界(ケージ)で覆い尽くしたからだ。
神宮寺レン「く、来るな! 俺はSランクだぞ! 幽霊ごときが!」
聖剣を抜くレン。だが、その剣筋は無様に震え、腰が引けている。
僕――いや、僕たち(・・・)は、ゆっくりとレンに歩み寄る。一歩進むごとに、僕の身体から青白い炎が噴き出し、スタジアムの巨大スクリーンをジャックしていく。
映し出されるのは、レンが過去に見捨て、殺してきた仲間たちの「最期の視点映像(キルカム)」。
命乞いをする声。裏切りへの絶叫。
逃れようのない真実が、観客たちの脳内に直接ストリーミングされる。
『うわああああ! 見たくない!』
『嘘だ……レン様が……人殺し……?』
『最低……吐き気がする』
翻る観客の手のひら。称賛は罵倒へ。愛は軽蔑へ。
レンの力の源泉である「数字」が、急速に剥がれ落ちていく。
神宮寺レン「やめろぉぉぉ!! 俺を見ろ! 俺を崇めろ! 俺は神だぞぉぉぉッ!!」
雨宮カイ「いいえ、あなたはただの、孤独な殺人者です」
突き出した右手。
星野エナが、僕の手を取り、重ね合わせる。彼女の手は氷のように冷たいけれど、今は確かに触れ合っている。
《死界配信・最終回(フィナーレ):因果応報(カルマ・リターン)》
数億の死者の無念。それが極大のレーザーとなり、レンを貫いた。
痛みはない。ただ、彼が奪ってきた「命の重さ」が、その精神を粉々に砕くまで圧し掛かる。
あがぁぁぁぁぁぁッ!!!
白目を剥き、泡を吹いて倒れるレン。物理的な死ではない。社会的な死と、精神の崩壊。二度と、表舞台には立てない。
収束していく騒乱。
結界が解け、霊たちが天へと昇っていく。空には、久しぶりの朝日が差し込んでいた。
星野エナ「……終わったね、カイくん」
光の粒子となってほどけ始めるエナの身体。
彼女だけではない。僕の身体もまた、透け始めていた。
死者の力を使いすぎた代償。現世での存在(テクスチャ)の消失。
僕の首に腕を回すエナ。今度は、しっかりと温もりを感じた。
朝日に透ける彼女の笑顔。どんな宝石よりも綺麗だった。
星野エナ「ありがとう。私の、最高のカメラマン」
彼女の唇が、僕の額に触れる。
甘い痺れと共に、彼女の姿は完全に光の中に溶けた。
スタジアムに雪崩れ込む警備員や警察。
彼らは倒れたレンを取り囲むが、そのすぐ傍に立っている僕には、誰も気づかない。素通りしていく。
雨宮カイ「……本当に、透明になっちゃったな」
自分の手を見る。向こう側の景色が透けて見える。
もう、生きた人間の声は届かないかもしれない。誰にも認識されないかもしれない。
でも、不思議と孤独ではなかった。
耳をすませば、まだ聞こえるから。
『ありがとう、カイ』
『また配信してくれよな』
『俺たちはずっと見てるから』
雨宮カイ「……はい。次の現場へ向かいましょう」
フードを目深に被り直し、誰もいない空間に向かって小さく手を振った。
都市の喧騒の中、一人の幽霊配信者が、静かに闇へと溶けていった。
配信を終了します。
アーカイブは、死者たちの記憶に永遠に保存されます。