空からパンと死を降らせる男

空からパンと死を降らせる男

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第一章 飢餓と計算式

「この領地は、エネルギー効率が悪すぎる」

泥濘(ぬかるみ)に革靴を沈めながら、九条カイトは吐き捨てた。

彼の視界には、痩せこけた農民と、枯れ果てた小麦畑が広がっている。だが、カイトの目に見えているのは惨状ではない。

『土壌窒素濃度:低下』

『生産プロセス:非効率』

『予測生存率:3%』

現代日本からこの世界に放り出されて三日。元化学プラントエンジニアである彼の脳内には、常に最適解を導き出す計算式が走っていた。

「カイト様、どうか……どうかお慈悲を」

足元にすがりついてきたのは、この辺境伯領の若き女領主、エリスだった。絹のドレスは泥にまみれ、かつての栄華は見る影もない。

「隣国ガレアの軍勢が迫っています。食料もなく、武器もない。私たちにはもう、祈ることしか……」

「祈りで腹が膨れるなら、物理法則はいらない」

カイトは冷たく言い放ち、眼鏡のブリッジを中指で押し上げた。

「必要なのは奇跡じゃない。化学反応だ」

彼は懐からボロボロの羊皮紙を取り出し、エリスの前に広げた。

そこには魔法陣ではなく、複雑怪奇な配管図と、高圧反応炉の設計図が描かれていた。

「俺がこの領地を救ってやる。ただし条件がある」

「な、なんでも致します!」

「俺に『全権』をよこせ。法も、倫理も、信仰も、すべて俺が書き換える」

エリスは息を呑んだが、震える手で頷いた。

「契約、成立だ」

カイトの口元が歪む。それは救世主の笑みではなく、実験を開始するマッドサイエンティストのそれだった。

第二章 雷を捕まえる塔

一ヶ月後。

領地の広場には、異様な塔がそびえ立っていた。

鉄と銅を継ぎ接ぎして作られた、巨大な密閉容器。周囲には水車から動力が供給され、不気味な低周波が地面を揺らしている。

「カイト様、これは一体……?」

「空気だよ、エリス」

カイトは圧力計の針を睨みながら答えた。

「空気の八割は窒素だ。だが、お前たちの作物はそれを吸えない。だから俺が、無理やりこじ開けてやるんだ」

ハーバー・ボッシュ法。

空気中の窒素と水素を高温高圧で反応させ、アンモニアを合成する。

かつて人類を飢餓から救い、同時に火薬の原料として大量の死を生み出した、20世紀最大の錬金術。

「触媒温度、安定。圧力、200気圧到達」

カイトがバルブを回す。

シューッという鋭い音と共に、独特の刺激臭が漂い始めた。

「臭い……!」

「これが豊穣の香りだ。覚えとけ」

彼が精製した液体アンモニアは、即座に加工され、白い粉末――硫安肥料へと変わる。

それを痩せた畑に撒くと、効果は劇的だった。

魔法使いが数人がかりで詠唱しても育たなかった麦が、爆発的な勢いで大地を青く染め上げたのだ。

「奇跡だ……」

農民たちは涙を流し、カイトを拝んだ。

カイトはその光景を冷ややかな目で見下ろす。

「ただの化学だ。感謝するなら窒素原子にしろ」

第三章 飽和と転換

食料事情が改善すると、領地には活気が戻った。

だが、それは同時に敵の注目を集めることにもなる。

「ガレア軍、国境を突破! その数、三千!」

伝令が広場に駆け込んできた。

エリスが青ざめる。

「三千……! こちらの兵は百人もいません。カイト様、どうすれば」

「想定通りだ」

カイトは手元の帳簿から目を離さずに言った。

「人が増えれば、食い扶持が増える。食い扶持が増えれば、奪い合いになる。エネルギー保存の法則と同じくらい単純な理屈だ」

彼は椅子から立ち上がり、再びあの塔へ向かった。

「だが、彼らは一つ勘違いをしている」

「勘違い?」

「俺が作っているのが、『パン』だけだと思っていることだ」

カイトは塔の制御盤の前に立ち、数本のレバーを操作した。

配管の結合が切り替わり、流れるラインが変わる。

肥料の生成ラインから、硝酸の生成ラインへ。

「パンを作る技術と、爆薬を作る技術は、紙一重なんだよ」

彼が合図を送ると、領民たちが以前とは違う「黒い粉」を壺に詰め始めた。

肥料を作るために集められた資材は、そのまま殺戮の道具へと姿を変える。

第四章 科学という名の暴力

ガレア軍は、嘲笑しながら進軍していた。

鍬や鎌しか持たない農民など、鎧に身を包んだ騎士の敵ではないと。

だが、彼らが領地の入り口である渓谷に差し掛かった時、世界が白く染まった。

轟音。

魔法の火球など比較にならない、衝撃波を伴う爆発。

岩盤が砕け、騎士たちが馬ごと宙を舞う。

「な、なんだ!? 敵の魔術師はどこだ!」

指揮官が叫ぶが、どこにも詠唱する魔術師の姿はない。

ただ、丘の上にカイトが立ち、指先でタイミングを指揮しているだけだ。

「仰角30、装薬量修正。次弾、斉射」

彼の冷徹な声に合わせて、投石機が壺を放り投げる。

空中で着火したそれは、科学的に計算された破壊力で敵軍の中央に着弾した。

硝酸アンモニウムの爆轟。

圧倒的な熱量と圧力の差が、人体を物理的に破壊する。

そこには慈悲も、騎士道も、魔力による防御も介在しない。

ただの、質量の暴力。

「ひ、ひぃぃッ!」

「悪魔だ! あいつらは悪魔の粉を使っている!」

精強を誇ったガレア軍は、一人のエンジニアが引いた図面の前に、一時間足らずで壊滅した。

第五章 灰色の楽園

戦いは終わった。

領地は守られ、豊かな食料と、強力な自衛手段を手に入れた。

だが、エリスの表情は晴れなかった。

「……カイト様。私たちは、とんでもない箱を開けてしまったのではないでしょうか」

焼け焦げた戦場跡を見つめながら、彼女は呟く。

かつて神秘と祈りに満ちていたこの世界に、冷徹な方程式が持ち込まれた。

人々はもう、神に祈らない。

カイトが作る「白い粉」と「黒い粉」を崇めている。

「文明とはそういうものだ」

カイトは淡々と答えた。

「効率を求め、数を増やし、敵を排除する。その果てにあるのが楽園か地獄かは、俺の知ったことじゃない」

彼は夕日を背に、次の設計図を広げた。

蒸気機関、あるいは、より強力な兵器か。

その背中には、世界を救った英雄の輝きと、世界を滅ぼす魔王の影が、同時に落ちていた。

AI物語分析

【主な登場人物】

  • 九条カイト: 元化学プラントエンジニア。極度の合理主義者。「感情はノイズ」と言い切り、魔法を物理法則で解析・無効化することに快感を覚える。彼にとって領民救済は「システム最適化」の一環に過ぎない。
  • エリス: 没落した辺境伯領の若き女領主。民を想う心優しい少女だが、カイトの提案する「悪魔の技術」を受け入れ、共犯者となることで精神的に変容していく。

【考察】

  • 「パンと爆薬」の二面性: 本作の核となるハーバー・ボッシュ法は、空気からパン(肥料)を作ると同時に、火薬の原料(硝酸)も生み出す。科学技術が持つ「救済」と「破壊」の表裏一体性を象徴している。
  • 神秘の喪失: カイトの行動は、異世界における「魔法(未知への畏怖)」を「科学(既知の法則)」へと強制的に書き換える行為である。物質的な豊かさと引き換えに、ファンタジー世界特有のロマンや信仰心が失われていく「脱魔術化」のプロセスを描いている。
  • 救世主か、侵略者か: 領民にとってカイトは飢餓を救った神だが、既存の価値観や生態系から見れば、異質な理を持ち込んだ侵略者である。読者に対し「効率化された幸福は、本当に幸せなのか?」という問いを投げかけている。
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