最果ての配達人と、空っぽの記憶

最果ての配達人と、空っぽの記憶

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第一章 錆びついた風と、重たい背嚢

風が、鉄の匂いを運んでくる。

頭上を覆うのは、かつて高速道路だったコンクリートの残骸。

そこから垂れ下がる蔦の隙間から、砕けた月の光が漏れていた。

「……重いな」

エラは呟き、肩に食い込むベルトを親指で少しだけ浮かせた。

背負っているのは、ただの荷物ではない。

『記憶』だ。

この世界では、人は死ぬと肉体を土へ還し、想いを結晶に変える。

青く、冷たく、そして重たい『メモリー・ジオード』。

それを拾い集め、持ち主が望んだ場所へ届けるのが、エラの仕事だった。

「ギギ……ガ……」

足元で、不協和音が鳴る。

相棒のギアシフト――通称『ギア』だ。

首から上がなく、カメラアイが胸部に埋め込まれた旧時代のアンドロイド。

「大丈夫よ、ギア。まだ歩ける」

エラは彼の錆びた腕を軽く叩く。

ギアは肯定するように、油の切れた関節を軋ませて歩調を合わせた。

二人の影が、廃墟の荒野に長く伸びる。

今回の依頼品は、エラの背嚢の底で眠っている。

依頼主は不明。

宛先は『世界の果て』。

そして奇妙なことに、その結晶からは何も聞こえない。

通常、ジオードからは持ち主の最期の思念が――『愛している』だとか『無念だ』だとか――がノイズのように漏れ聞こえる。

エラには、その声を聞く才能があった。

だが、この結晶は沈黙している。

まるで、中身がくり抜かれたかのように。

「ねえ、ギア」

エラは乾いた唇を舐めた。

「世界の果てって、本当に崖になってるのかな」

ギアは胸のランプを一度だけ点滅させた。

『不明』のサインだ。

「つまらない答え」

エラは笑おうとして、頬が引きつるのを感じた。

本当は知っている。

この旅が終われば、自分もまた、向き合わなければならないことに。

背嚢の重みが、ずしりと背骨を軋ませた。

それは物理的な重量以上の、逃れられない過去の重さだった。

第二章 記憶の嵐

三日目の夜、嵐が来た。

ただの雨ではない。

『感傷雨(センチメンタル・レイン)』だ。

濡れれば、過去の幻影を見せられる。

精神を蝕む、見えない毒。

「ギア、急いで! あそこのビルへ!」

二人は、半壊したショッピングモールの残骸へと滑り込んだ。

激しい雨音が、かつてのショーウィンドウを叩く。

湿った空気が、エラの肺を満たした。

「ハァ……ハァ……」

息を整えながら、エラは背嚢を降ろした。

カチリ、と音がして、中から『沈黙の結晶』が転がり出る。

薄暗い床の上で、それは鈍く光っていた。

「……お前は、誰の記憶なの」

エラは膝を抱え、結晶を見つめる。

その時、不意にギアが動いた。

胸部のライトが激しく明滅し、アームがエラの前に差し出される。

「どうしたの? 敵?」

違う。

ギアが指し示したのは、エラの胸元だった。

そこには、古びたロケットペンダントが下がっている。

エラが唯一、肌身離さず持っているもの。

中には弟の写真が入っている。

「……これには触れないで」

エラの声が低くなる。

弟は死んだ。

エラを庇って、瓦礫の下敷きになった。

その時の記憶は、エラの中で霧がかかったようになっている。

思い出そうとすると、激しい頭痛がするのだ。

『警告。心拍数上昇』

ギアのスピーカーから、割れた合成音声が流れた。

珍しいことだ。彼は滅多に声を発しない。

「うるさいな。わかってるよ」

エラはロケットを強く握りしめた。

外の雨脚が強まる。

ふと、雨音に混じって声が聞こえた気がした。

『……姉ちゃん』

エラは弾かれたように顔を上げる。

「今、聞こえた?」

ギアは動かない。

『逃げないで』

声は、転がっている『沈黙の結晶』から響いていた。

沈黙していたはずの石が、雨の湿気と共鳴して震えている。

「嘘……」

エラは後ずさる。

「なんで、あんたの声がするの」

冷や汗が背筋を伝う。

この結晶は、他人の依頼品だ。

そう思っていた。

だが、もし。

もし、これが私が無意識に『拾ってしまった』ものだとしたら?

自分が忘れたがっていた、弟の最期の記憶そのものだとしたら?

「嫌だ……聞きたくない!」

エラは耳を塞ぐ。

だが、声は脳内に直接響く。

『姉ちゃんは悪くない。僕が選んだんだ』

「やめて!」

エラは叫び、結晶を遠くへ蹴り飛ばそうとした。

その瞬間、ギアがエラの前に立ちはだかった。

鋼鉄の体が、エラを優しく、しかし強固に遮る。

「どいてよ、ギア!」

ギアは首を(首はないが、その動作のように)振った。

そして、胸のパネルに文字を走らせた。

『届ける約束』

エラは動きを止めた。

配達人の掟。

一度請け負った荷物は、必ず目的地へ。

「……あんた、ポンコツのくせに」

エラはその場に崩れ落ちた。

涙が、乾いた床に染みを作っていく。

ギアは何も言わず、ただ震えるエラの肩に、冷たい手を置いた。

その冷たさが、今のエラには何よりも温かかった。

第三章 世界の果てにて

雨は上がり、空には満天の星が広がっていた。

『世界の果て』。

そこは、海へと続く断崖絶壁だった。

かつての大都市が水没し、高層ビルの頭だけが墓標のように海面から突き出している。

波の音だけが、静寂を支配していた。

エラは崖の縁に立つ。

手には、あの結晶。

もう、逃げるのはやめた。

「ここで、いいんだよね」

エラは結晶に問いかける。

返事はない。

だが、掌から伝わる微かな熱が、肯定していた。

「ギア」

エラは振り返らずに呼ぶ。

「ありがとう。ここまで連れてきてくれて」

ギアは一歩下がって、敬礼のような仕草をした。

エラは深呼吸をする。

潮風が肺を満たす。

そして、結晶を両手で包み込み、額を当てた。

「ごめんね。ずっと、忘れたふりをしていて」

記憶の蓋を開ける。

流れ込んでくるのは、痛みではない。

瓦礫の下、暗闇の中で弟が抱いていたのは、恐怖ではなかった。

『姉ちゃんが生きててよかった』

純粋な、祈りのような安堵。

そして、未来への希望。

「……馬鹿な子」

エラは泣きながら笑った。

「あんたの分まで生きるなんて、重すぎるよ」

それでも、背負う。

これからは、背嚢の中の荷物としてではなく、自分の体の一部として。

エラは腕を振りかぶり、結晶を海へ投げた。

青い放物線を描き、結晶は水面へと吸い込まれる。

その瞬間。

海が、輝いた。

着水点から青い光が波紋のように広がり、水没していたビル群を照らし出す。

光の粒子が舞い上がり、オーロラのように夜空を彩った。

それは、弟の魂が世界に還っていく色だった。

「綺麗……」

エラは見上げる。

隣で、ギアもまた空を見上げている気がした。

光の中で、ギアの胸部ハッチがカシュッと開く。

中から出てきたのは、小さな花の種だった。

「え……?」

ギアが種をエラに差し出す。

『報酬』

モニターに簡潔な文字。

「これ、いつから持ってたの?」

ギアは答えない。

ただ、エラの手に種を乗せ、彼女の頭をポンと撫でた。

エラは種を握りしめる。

硬く、小さな命の重み。

「……帰ろうか、ギア」

エラは背嚢を背負い直す。

中身は空っぽだ。

けれど、足取りは来た時よりもずっと確かなものになっていた。

東の空が白んでいく。

新しい朝が、瓦礫の山を黄金色に染め始めていた。

AI物語分析

【主な登場人物】

  • エラ: 記憶の配達人(クーリエ)。華奢な体に巨大な背嚢を背負う。弟を失った過去から「自分の記憶」に向き合うことを極端に恐れているが、他人の想いには寄り添う優しさを持つ。
  • ギア(ギアシフト): 首のない旧式のアンドロイド。言葉は話せないが、胸部のモニターとボディランゲージで意思疎通する。エラの保護者のような存在であり、彼女が前を向くのを静かに待ち続けていた。
  • 弟(故人): 物語のキーパーソン。回想と結晶の声のみで登場。姉を守るために命を落としたが、その最期は絶望ではなく、姉の生存を喜ぶ希望に満ちていた。

【考察】

  • 「重さ」のメタファー: 冒頭で強調される背嚢の物理的な重さは、エラが抱える罪悪感(サバイバーズ・ギルト)の象徴である。終盤で荷物がなくなることは、彼女が過去を昇華し、心が軽くなったことを意味する。
  • 沈黙する結晶: 通常の結晶からは声が聞こえる設定に対し、今回の荷物が沈黙していたのは、エラ自身が無意識に「聞くことを拒絶していた」ためである。心の壁が物理的な現象として現れていた。
  • ギアの役割: 声を持たないギアは「言葉にならない支え」を体現している。彼が最後に渡した「種」は、過去(結晶)を海に流したエラに対し、未来(成長するもの)を提示する対比的な贈り物である。
  • 世界の果て: 物理的な終着点であると同時に、エラの逃避の限界点を指す。そこから先へ進む(海へ投げる)ことは、停滞していた時間が再び動き出すことの隠喩となっている。
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