第一章: 執行猶予なき判決
雨の匂いが、死の臭気と混ざり合い鼻腔へねっとりとへばりつく。
横浜、古びた教会。ステンドグラスを透過する光は鈍く、十九歳になったばかりの一ノ瀬美月の黒髪を、濡れたカラスの羽のように染め上げていた。喪服の裾から覗く脚は白磁のように蒼白く、恐怖でさざ波のように震えている。色素の薄い瞳、それは絶望という名の濁流に飲み込まれる寸前。
父が死んだ。三十億円という、途方もない負債を遺して。
九条 蓮「……葬儀は済んだか」
背後から響く、チェロの最低音のように重く、冷たい声。
振り返るまでもない。その男が纏う冷気だけで、肌が粟立つ。九条蓮。父の顧問弁護士にして、法曹界で『魔王』と畏怖される男。
完璧に仕立てられたスリーピーススーツが、百八十八センチの長身を包み込む。銀縁眼鏡の奥、爬虫類を思わせる切れ長の瞳が、美月を値踏みするように細められた。
一ノ瀬 美月「九条……先生。あの、借金の件は……」
九条 蓮「債権者たちは待たない。君がこの教会を出た瞬間、彼らは君の肉を削ぎ、骨までしゃぶり尽くすだろう」
革の手袋を嵌めた手で、鞄から一枚の書類が取り出される。
九条 蓮「だが、救済措置はある。私が全額を肩代わりする。……条件付きでね」
一ノ瀬 美月「じょ、条件……?」
九条 蓮「君の法的後見人となり、さらに私の妻となることだ。君に拒否権はない。君の全ては法的に私が管理している」
美月の唇から、さっと血の気が引く。
婚姻届と、借用書。差し出された万年筆は、鉛のように重かった。サインをしなければ、路頭に迷うどころか、裏社会へ売り飛ばされる未来しかない。震える指先が紙面を走り、インクが滲む。魂を悪魔に売り渡す契約の儀式が完了した。
数時間後。美月は、都心の一等地に聳える九条の私邸へと連行されていた。
大理石の床、美術館のような静寂。だが、そこは家ではない。絢爛豪華な牢獄。
九条 蓮「脱ぎなさい」
寝室に入るなり、短く命じられる。
一ノ瀬 美月「え……? でも、まだ心の準備が……」
九条 蓮「聞こえなかったか? その粗末な布切れは私の趣味じゃない」
九条の指が、美月の喪服のファスナーに掛かる。抵抗する間もなく、黒い布地が床へ滑り落ちた。下着姿で縮こまる美月を、無機質な眼差しが見下ろす。恥辱で肌が粟立ち、熱が全身を駆け巡る。
九条 蓮「美しい。……だが、まだ多いな」
彼が用意したのは、皮膚よりも薄い、一枚のシルクのネグリジェだけ。それを纏わせると、身体のラインはおろか、胸の頂の形までが透けて浮き上がる。
九条 蓮「君は今日から、私の所有物だ。私の許可なく隠すことも、恥じることも許さない」
大きな手が、美月の顎を強引に上向かせる。逃げ場のない視線の檻。
一ノ瀬 美月「私を……私を壊さないで」
九条 蓮「壊す? まさか。これから丹念に作り変えるんだよ。私好みにね」
冷たい指先が首筋を這う。その感触に、美月の本能が警鐘を鳴らした。
この男からは、逃げられない。
◇◇◇
第二章: 快楽による調教
朝食のスープは、舌が痺れるほど濃厚なポタージュだった。
だが、美月にはスプーンを持つことさえ許されない。
九条 蓮「口を開けて。……溢したら罰を与える」
九条の膝の上に座らされ、赤子のように食事を与えられる屈辱。
銀のスプーンが唇に触れるたび、金属の冷たさとスープの熱さが交互に襲う。美月はこの一週間、屋敷から一歩も出ていない。スマホも、靴も、自由意志も、全て没収された。
与えられるのは、食事と睡眠。そして――耐え難いほどの『焦らし』。
夜の帳が下りると、九条による「教育」が幕を開ける。
天蓋付きのベッド。美月は両手首を柔らかいリボンでヘッドボードに結わえ付けられ、身動きが取れない。
九条 蓮「今日はどこまで我慢できるかな」
九条は決して、最後の一線を越えない。
その長くしなやかな指が、美月の太腿の内側を、ピアノの鍵盤を叩くように這い回る。秘められた花弁の縁をなぞり、硬く尖った蕾を指の腹で執拗に転がす。
一ノ瀬 美月「ぁ……っ、んぅ……! くじょう、さん……やめ……」
九条 蓮「止めてほしいのか? それとも、もっと欲しいのか?」
口では拒絶しても、身体は嘘をつけない。蜜壺からは透明な愛液がとめどなく溢れ、シーツに染みを作っていく。九条はその様子を、まるで実験動物を観察する学者のような冷徹な熱量で見つめていた。
一ノ瀬 美月「お願い、です……許して……もう、おかしくなる……ッ!」
絶頂の波が押し寄せる寸前、九条の手がふっと離れる。
梯子を外されたような喪失感。満たされない熱が下腹部で渦を巻き、身体が勝手に跳ねる。
九条 蓮「まだだ。君が泣いて懇願するまで、決して楽にはさせない」
一ノ瀬 美月「ひどい……っ、あんまりです……!」
九条 蓮「可哀想に。……だが、こんなに濡れているじゃないか。私の指がなくては、もう満足できない身体になりつつあるな」
耳元で囁かれる言葉が、呪いのように脳髄へ染み込む。
九条の舌が、敏感な耳殻を甘く舐め上げた。背筋を悪寒と快感の電流が突き抜ける。
悔しい。憎い。父を死に追いやったかもしれない男なのに。
それなのに、彼の手が離れると、世界が凍りついたように寂しくなる。
美月は己の中に芽生え始めた、おぞましい依存心に気づき、枕に顔を埋めて嗚咽した。
「(……私、どうして……この人の指を待っているの?)」
心が、音を立てて書き換えられていく。
◇◇◇
第三章: 裏切りの法廷
嵐の夜だった。
雷鳴が轟く中、屋敷のセキュリティシステムが一瞬ダウンした隙を突き、影が忍び込む。
リビングで膝を抱えていた美月の前に現れたのは、ずぶ濡れの男。九条によく似た面差しだが、その瞳には軽薄な色が宿っている。
九条 玲次「うわ、マジかよ。兄貴、こんな可愛い子を監禁してたわけ?」
一ノ瀬 美月「だ、誰……?」
九条 玲次「俺は玲次。あの魔王様の弟だよ。……助けに来たって言ったら、信じる?」
玲次はニヤリと笑い、美月の手枷をピッキングツールであっさりと解錠した。
自由になった手首を擦る美月に、彼は爆弾を投下する。
九条 玲次「単刀直入に言うぜ。親父さんを追い込んで自殺させたのは、兄貴だ」
一ノ瀬 美月「……え?」
九条 玲次「兄貴は何年も前から君の家の会社を狙ってた。計画倒産させて、君を手に入れるためにな。あいつはそういう奴なんだよ。欲しいものは手段を選ばず奪う」
世界が回転する。
借金を肩代わりした恩人という仮面が剥がれ落ち、そこにあったのは、父を殺し、娘を玩具にする悪魔の素顔。
憎悪が、どす黒い炎となって美月の腹の底で燃え上がった。
一ノ瀬 美月「許さない……絶対に……!」
九条 玲次「いい目だ。さあ、行こう。兄貴が戻る前に」
玲次の手を取り、美月は雨の中へと飛び出した。
泥が足に絡みつく。冷たい雨が頬を打つ。それでも、この屋敷から離れられるなら何でもよかった。
だが、門を抜けようとしたその瞬間。
カシャリ。
硬質な音が響き、車のヘッドライトが二人を強烈に照らし出した。
光の先には、傘も差さずに佇む九条蓮の姿。
雨に濡れた銀髪が額に張り付き、眼鏡の奥の瞳は、絶対零度の光を放っていた。
九条 蓮「……随分と楽しそうなお遊戯だね、玲次」
九条 玲次「げっ、兄貴……!?」
一ノ瀬 美月「あ……ぁ……」
玲次が美月の手をぱっと離し、一歩後ずさる。
九条 蓮「美月。こっちへ来なさい」
一ノ瀬 美月「嫌っ! あなたが……あなたが父さんを殺したんでしょう!?」
美月の叫びに、九条は眉一つ動かさない。
ただ静かに、死刑宣告のように告げた。
九条 蓮「それがどうした? ――君は私のものだ。たとえ地獄の底だろうと、逃がしはしない」
◇◇◇
第四章: 堕ちる魂
連れ戻された場所は、寝室ではなかった。
地下室。分厚い防音扉が閉ざされ、完全な闇が美月を包み込む。
視界も、音も遮断された空間。
美月は革の拘束具で椅子に固定され、目隠しとヘッドホンを装着されていた。
九条 蓮「君に自由意志は不要だったな。……少し、反省の時間が必要だ」
ヘッドホンからは何も聞こえない。目隠しの裏は漆黒。
時間感覚が消失する。一時間なのか、一日なのか、永遠なのか。
唯一の刺激は、不定期に訪れる九条の愛撫だけ。
カツ、カツ、という微かな振動が床から伝わる。彼が来たのだ。
恐怖よりも先に、安堵が押し寄せる。この無限の孤独の中で、彼だけが唯一の「世界」だったから。
九条 蓮「……いい子だ。大人しく待っていたか」
ヘッドホンが外され、甘い囁きが鼓膜を震わせた。
九条の手が、抵抗する気力を失った美月の肌を滑っていく。
恐怖と快楽の境界線が溶解する。彼の指が秘所に触れると、美月の腰が反射的に跳ねた。
一ノ瀬 美月「あ、あぁ……蓮さん……ひとり、いや……!」
九条 蓮「私以外、何もいらないと言え。そうすれば、愛してやる」
一ノ瀬 美月「いらない……何もいらないから……私を見て……触って……!」
九条は満足げに喉を鳴らし、美月の唇を塞いだ。
舌が絡み合い、唾液が混ざり合う水音だけが、防音室に響く。
彼の匂い。彼の体温。それだけがあればいい。父の死も、外の世界も、どうでもよくなっていく。
♥ドクン、ドクン。[/Heart]
心臓が、彼のリズムでしか動かなくなっていくのを感じた。
九条は美月の目隠しを外し、薄暗い照明の中で微笑んだ。その笑顔は、かつてないほど優しく、そして壊れている。
九条 蓮「そうだ。君はただ、私の腕の中で堕ちていけばいい」
だが、美月の瞳の奥には、虚ろな光の中に、異質な輝きが宿り始めていた。
ただの操り人形ではない。何かが、決定的に変質したのだ。
(……全部、あなたのせいよ。だから、責任取ってね?)
◇◇◇
第五章: 終身刑の誓い
数ヶ月後。
暖炉の火が爆ぜる音だけが、九条の書斎に響いていた。
窓の外には初雪が舞っているが、室内は熱気で満ちている。
美月は、九条の執務机の上に座っていた。
ふっくらとした腹部には、新しい命が宿っている。
彼女の手には、一束の書類があった。かつて玲次が語った、九条が美月の父を罠に嵌めた証拠書類の数々だ。
九条 蓮「美月、それをどうするつもりだ」
いつも冷静な九条の声が、わずかに上擦っている。
美月は妖艶に微笑み、書類の一枚を暖炉の炎にかざした。
一ノ瀬 美月「蓮さん。貴方は私を手に入れるために、全てを捨てたのね」
九条 蓮「……ああ。君さえいれば、他には何もいらなかった」
一ノ瀬 美月「奇遇ね。私もよ」
美月は躊躇なく、書類の束を燃え盛る炎の中へと放り込んだ。
紙片が黒く縮れ、灰へと変わっていく。九条の罪も、父の無念も、全てが灰燼に帰す。
九条 蓮「な……何故だ? それは私を破滅させる切り札だろう?」
一ノ瀬 美月「破滅? そんなの許さない。貴方はこれから一生かけて、私とこの子に償い続けるの。……死ぬまで、私の傍で」
美月は机から降り、呆然とする九条に歩み寄ると、その首に腕を回した。
かつては恐怖の対象だったその腕。今は、彼女を守る最強の檻。
一ノ瀬 美月「これで、貴方は私だけの看守よ。……いいえ、私の囚人ね」
九条の瞳から、一筋の涙が零れ落ちた。
冷徹な魔王が、初めて見せた人間としての弱さ。彼は震える手で美月の膨らんだ腹を愛おしげに撫で、その場に跪いた。
九条 蓮「……ああ、負けたよ。……愛している、美月。私の全てを君に捧げよう」
一ノ瀬 美月「ええ。逃がさないわ、蓮さん」
二人は口づけを交わす。
それは甘く、昏く、そして永遠に解けない鎖の味。
窓の外の雪は、世界を白く塗り潰していく。
二人の共犯者たちを閉じ込める、終わりのない冬が始まった。