第1章:終わらない雨と冷たい刃

冷たい雨が、容赦なくアスファルトを叩きつけていた。
鈍色の空から降り注ぐ水滴。それがカナタのくすんだ銀髪にまとわりつく。
ひどく摩耗した黒いコートは雨水をたっぷりと吸い込み、鉛のように重い。
極度の疲弊。黒いクマが張り付いた三白眼の奥には、光などとうの昔に消え失せている。
首元に刻まれた、何度ループしても決して消えない呪いのような傷跡。それが、ひどく熱を持って脈打つ。
手の中にある硬い柄。そこから伝わる、生々しく生暖かい肉の感触。
鼻腔を突くのは、雨の匂いに混じる濃厚な鉄の悪臭。
[Sensual]
薄暗い路地裏の壁際。
カナタの震える腕の中にいるのは、透き通るような長い白髪を持つ少女だった。
汚れを知らない純白のワンピースドレス。それが今、彼女自身の胸から溢れ出す深紅の液体によって、おぞましくも美しく染め上げられていく。
底知れぬ深淵を思わせる深紅の瞳が、至近距離でカナタの顔をじっと見つめ返している。
[A:カナタ:絶望]「……ごめん。また、俺は……」[/A]
喉の奥から絞り出した声。ひどく掠れ、酷い血の味がした。
無理に作った優しい声色は、激しい雨音に容易くかき消されそうになる。
刃が心臓を貫いている。立っているのも不可能な激痛のはずだ。
それなのに、シズルはごぼりと血を吐きながら、まるで午後のピクニックの予定でも立てるかのような無邪気な笑みを浮かべた。
細く白い指先が伸びる。カナタの冷たく濡れた頬を、愛おしげにそっと撫でた。
[A:シズル:愛情][Whisper]「また、次もよろしくね。カナタ」[/Whisper][/A]
[/Sensual]
[Glitch]ズガガガガガッ!!![/Glitch]
甘く鈴を転がすような声が耳膜を震わせた瞬間。視界が極彩色に反転する。
骨が砕け、肉が溶ける。脳髄がミキサーにかけられるような、言語を絶する激痛。
強烈な吐き気。目眩。
世界が、時間が、強制的に逆流していく。
[Think]……これで、八千四百三十三回目だ。[/Think]
底知れぬ狂気を孕んだ彼女の最期の言葉。
そこに潜む一瞬の違和感が脳裏をよぎるが、それを噛み砕く暇など与えられない。
カナタの意識は、深海よりも深い闇の底へと乱暴に引きずり込まれた。
第2章:狂気を含んだ箱庭の朝

眩しい陽光が、閉じた瞼の裏を容赦なく灼いた。
[FadeIn]小鳥の囀り。柔らかな風。[/FadeIn]
鼻をくすぐる、土と緑の匂い。
孤児院の中庭。使い古された木製のベンチの上。
カナタは静かに目を開く。
先程まで指先にこびりついていた生温かい血の感触。それを、腹の底へと強引に飲み込んだ。
隣には、無傷の純白のワンピースを揺らすシズルが座っている。
足をぱたぱたと揺らし、機嫌良さそうに空を見上げている姿。
[A:カナタ:冷静]「……飲むか」[/A]
少し苦めに淹れたコーヒーが入ったマグカップ。それを無言で差し出す。
擦れた低い声は、内なる狂気を隠し、平静を装うための分厚い鎧だ。
[A:シズル:喜び]「わぁ、ありがとう! カナタが淹れてくれるコーヒー、だーいすき」[/A]
両手でカップを受け取る彼女の姿。触れれば壊れてしまいそうなほど儚く、そして愛らしい。
平和な午後。何一つ欠けていない、静かな時間。
だが、カナタの首元にある傷跡が、ひりひりと痛む。
この穏やかな時間が、薄氷を張った湖面の上に過ぎないことを警告し続けているのだ。
[A:シズル:愛情]「ねえ、カナタ。もし私が世界を壊すなら、カナタが一緒に落ちてね」[/A]
カップに口をつけながら、彼女が唐突に呟いた。
幼い頃から、幾度となく聞かされてきた言葉。
かつては、ただのおとぎ話の延長だと信じきっていた。
だが、数千回のループを経て肉体の奥底まで染み付いた危機感が、カナタの背筋を凍らせる。
[A:カナタ:愛情]「……ああ。俺が、必ずお前を救う」[/A]
[Think]何度、俺の心を殺そうとも。[/Think]
カナタは静かに立ち上がる。
来たるべき「運命の夜」に備えなければならない。
裏路地へ。屋根の上へ。そして街の地下水脈に。己の寿命と引き換えにする禁忌の罠を張り巡らせるため、重い足を引きずるように歩き出す。
限界まで張り詰めた神経が、ギリギリと音を立てて軋んでいた。
第3章:死線を越えた歓喜の血飛沫

[Pulse]ドクン、ドクン、ドクン。[/Pulse]
空を引き裂くような轟音。それが、静寂に包まれていた夜を粉砕した。
街を覆っていた強固な魔術の結界が、薄氷のようにパリンと砕け散る。
硝子の雨が降る中、瓦礫の山の上に降り立った影。
重厚な黒と銀の騎士甲冑を身に纏った、岩のように屈強な大男である。
漆黒の髪を後ろでタイトにまとめている。顔や腕には、これまでの激戦を物語る無数の生々しい傷跡。
すべてを見透かすような鋭い鷹の目が、瓦礫の陰に立つシズルを射抜いた。
そして、彼女を庇うように前へと出るカナタを、冷たく見下ろす。
[A:レイヴン:冷静]「魔女は焼く。それがこの腐った世界の唯一の理だ」[/A]
抑揚のない、冷酷で高圧的な声。
運命の執行者であり、狂信的な異端審問官、レイヴン。
彼の手に握られた巨大な神聖剣が、青白い光を放ちながら夜の闇を切り裂く。
[A:カナタ:怒り][Shout]「お前に、シズルは渡さないッ!」[/Shout][/A]
地を蹴る。
数千回の人生で肉体に叩き込んだ武術。泥水の中で拾い集めた暗殺術のすべてを解放する。
交差する刃。
火花が散り、鋼と鋼が削れ合う絶叫が夜空に響き渡る。
レイヴンの剣撃は、山が崩れ落ちてくるかのように重く、そして速い。
カナタの黒いコートが紙切れのように裂け、鮮血が宙を舞った。
[A:レイヴン:冷静]「無駄だ、狂犬。己の命を削ってまで、なぜ世界を滅ぼす災厄を庇う」[/A]
[A:カナタ:狂気]「黙れ……俺は、シズルを生かすッ!」[/A]
[Flash]視界が真っ白に染まる。[/Flash]
カナタは己の寿命そのものを、強引に魔力回路へと注ぎ込んだ。
肉体が内側から焼け焦げる激痛。喉からせり上がるどす黒い血を吐き捨てながら、罠として仕掛けていた地下水脈の魔力陣を一斉に起爆させる。
[Magic]《重力崩壊(グラビティ・フォール)》[/Magic]
足場が消滅。
一瞬だけ体勢を崩したレイヴンの胸元へ、カナタは獣のような跳躍で肉薄した。
刃が、神聖な甲冑のわずかな隙間を深々と貫く。
肉を断ち切り、骨を砕く確かな手応え。
レイヴンの巨体がぐらりと揺れ、瓦礫の上へと重々しく崩れ落ちた。
血だまりが広がる。
カナタは膝をつき、肩で荒い息を繰り返す。
[Impact]終わった。[/Impact]
八千四百三十二回の死闘の果て。
ついに、最強の障壁を打ち破ったのだ。生存ルートへの扉が、今、完全に開かれた。
歓喜と疲労で震える両手を見つめ、カナタは熱い吐息を漏らす。
第4章:反転する世界と最悪の真実

[A:レイヴン:狂気]「……ククッ、滑稽だな」[/A]
血の海に沈んでいたはずのレイヴン。彼が、薄気味悪い笑い声を漏らした。
ピクリとも動かないまま、首だけをギリギリとカナタへ向ける。
その鷹の目には、侮蔑ではなく、深い哀れみすら浮かんでいた。
[A:レイヴン:冷静]「騙されているのはお前だ、哀れな犬め」[/A]
[Pulse]ドクン。[/Pulse]
カナタの心臓が、ひどく嫌な音を立てた。
その瞬間。
[Sensual]
背後から、細く白い両腕がカナタの首筋に絡みついた。
背中に押し付けられる、柔らかな体温。鼻をくすぐる、むせ返るような甘い花の香り。
耳元で、鈴を転がすような声がねっとりと甘く囁く。
[A:シズル:狂気][Whisper]「やっと、カナタが私のためだけに頑張る時間が終わったね」[/Whisper][/A]
[Tremble]背筋に、氷をねじ込まれたような悪寒が走る。[/Tremble]
振り返ろうとするカナタ。その動きを完全に封じるように、シズルはさらに強く抱きついてきた。
[A:シズル:愛情]「全部、私が作った箱庭だったの。カナタが私を殺すたびに、時間が戻るのも。あの堅物の騎士さんが、毎回律儀に私を殺しに来るのも」[/A]
[A:カナタ:驚き]「……は? お前、何を……」[/A]
[A:シズル:興奮]「私のために絶望して、ボロボロになって、命を削って……狂おしいほど私を愛してくれるカナタを見るのが、だーいすきだったの。カナタのぜーんぶ、私に頂戴ね? 骨の髄まで、全部」[/A]
[/Sensual]
シズルの純白のワンピース。それが、インクをこぼしたかのように泥のように黒く変色していく。
底知れぬ深淵を思わせる深紅の瞳が、爛々と異常な輝きを放った。
真の魔女。
世界そのものを崩壊させる力を持つ、真の黒幕。
信じていた。この手を血に染めてでも、幾千回心をすり減らしてでも、彼女の命を救うのだと。
そのすべての前提が、足元から音を立てて崩れ去っていく。
喉の奥から、言葉にならない獣のような絶叫が迸った。
[A:カナタ:絶望][Shout]「ああああああああああッ!!!」[/Shout][/A]
[Glitch]世界全体が、ドロドロの肉塊のように歪み始める。[/Glitch]
第5章:理不尽な狂気、宿敵との共闘

[A:シズル:喜び]「もう外の世界はいらないよね。二人だけで、永遠に閉じこもろう?」[/A]
シズルが両手を広げる。
空間そのものがひび割れ、虚数空間の暗い口がカナタを飲み込もうと迫りくる。
理解不能なバケモノ。
愛したはずの少女の皮を被った、異形の狂気。
カナタの膝から完全に力が抜け、手から愛用の剣が滑り落ちそうになる。
心が、ポキリと無残に折れる音がした。
その時だ。
背中を、無遠慮な蹴りが強打した。
泥の中に無様に転がったカナタ。その視界に映ったのは、胸から大量の血を流しながら、己の剣を杖代わりにして立ち上がるレイヴンの姿だった。
[A:レイヴン:怒り]「立て、未練たらしい男」[/A]
血を吐きながらも、その鷹の目は少しも鋭い光を失っていない。
[A:レイヴン:冷静]「あれはお前が救うべき少女ではない。俺たちが狩るべき、ただの魔女だ」[/A]
[A:カナタ:驚き]「お前……」[/A]
[A:レイヴン:怒り]「俺の命の残りは数分だ。その間だけ、貴様の道を切り拓いてやる。剣を握れ!!」[/A]
数秒前まで殺し合っていた宿敵の言葉。それが、冷え切ったカナタの血を再びドクンと沸騰させる。
泥まみれの手で、刃こぼれした柄を力強く握り直す。
そうだ。ここで終わるわけにはいかない。この理不尽な狂気を、俺の手で終わらせる。
カナタは立ち上がり、レイヴンと背中合わせに構えた。
[A:カナタ:怒り]「……足手まといになるなよ、異端審問官」[/A]
[A:レイヴン:冷静]「ほざけ。神聖なる光よ、我が刃に集え」[/A]
二人が同時に地面を蹴る。
シズルが放つ、漆黒の魔弾の雨。それを、レイヴンの神聖剣が次々と弾き飛ばす。
そのわずかな隙間を縫うように、カナタが疾走した。
[Impact]重い一撃が、シズルの絶対防壁に突き刺さる。[/Impact]
空間の壁に、ピシリと亀裂が走った。
第6章:8432回の記憶、そして一撃

防壁越しに、シズルと視線が交差する。
深紅の瞳の奥底に揺れる、異常なまでの執着と狂愛。
『カナタの淹れるコーヒー、だーいすき』
『もし私が世界を壊すなら、一緒に落ちてね』
カナタの脳裏に、八千四百三十二回分の記憶が走馬灯のように駆け巡る。
残虐な嘘。狂気に満ちた悪趣味な遊戯。
だが、あのコーヒーを受け取ったときの笑顔。その視線に宿っていた、不器用すぎるほどの「独占欲という名の本物の愛」。それもまた、決して嘘ではなかったのだ。
孤独だった孤児院。冷たい雨の夜。身を寄せ合って生きてきた、確かな体温の記憶。
[Think]お前の願いは、最初から呪いだったんだな。[/Think]
カナタの目から、一筋の熱い雫が頬を伝って落ちる。
[A:シズル:悲しみ][Tremble]「カナタ……? どうして、私を置いていこうとするの……?」[/Tremble][/A]
防壁に次々とヒビが入り、シズルの表情に初めて「恐怖」が浮かんだ。
[A:レイヴン:怒り][Shout]「今だッ!! 貫けェ!!」[/Shout][/A]
レイヴンが最後の一滴の生命力を絞り出す。神聖剣の強烈な光が、防壁を完全に粉砕した。
カナタは、己の全存在を右腕に込めた。
憎悪と愛情。殺意と救済。すべての矛盾する感情を、血に塗れた刃に乗せる。
[A:カナタ:愛情][Shout]「シズルゥゥゥッ!!!」[/Shout][/A]
[Flash]目も眩む閃光が弾ける。[/Flash]
カナタの刃が、シズルの薄い胸を、そしてその奥に潜む魔女の真っ黒な核を、深々と貫通した。
パリンッ。
乾いた音が、世界中に鳴り響いた。
第7章:永遠に続く溺愛の地獄
偽りの世界が、ガラス細工のように音を立てて崩壊していく。
空が割れる。大地が消滅する。
真下には、すべてを飲み込む底なしの虚数空間がぽっかりと暗い口を開けていた。
核を砕かれたシズルから、すべての力が抜け落ちる。
純白だったはずのワンピースを真っ赤な血と泥で染めながら、彼女は力なく虚空へと傾いた。
[A:レイヴン:驚き][Shout]「今すぐそこを離れろ! 巻き込まれるぞ!」[/Shout][/A]
崩れゆく瓦礫の上に倒れ伏したレイヴンが、血を吐きながら警告する。
だが、カナタはその声を無視し、刺さった剣から静かに手を離した。
[Sensual]
崩れ落ちていくシズルの細い身体。それを、両腕で強く、骨が折れるほどに抱きしめる。
血と泥に塗れた頬を彼女の首筋にすり寄せ、耳元で低く擦れた声で囁いた。
[A:カナタ:愛情][Whisper]「お前だけを死なせはしない。お前の地獄に、俺も一緒に落ちてやる」[/Whisper][/A]
それは究極の復讐。
そして、彼女の呪いのような願いを永遠に叶える、ひどく歪み切った愛の証明。
見開かれたシズルの瞳から、大粒の涙がポロポロと溢れ出した。
だがその血に染まった唇は、至上の歓喜に打ち震え、三日月のようにつり上がる。
[A:シズル:喜び][Whisper]「あぁ……嬉しい。カナタ、ずっと、ずっと一緒だよ……」[/Whisper][/A]
[/Sensual]
崩落する空間の中。
カナタは、彼女の熱い涙を親指でそっと拭う。
そのまま二人は深く絡み合うようにして、一切の光が届かない永遠の底へと堕ちていった。
[FadeIn]……ヒュウウ、と。冷たい風の音だけが残る。[/FadeIn]
崩壊を免れた現実世界の片隅。
一人取り残されたレイヴンは、静かに血塗れの神聖剣を鞘に納めた。
空っぽになった虚空を見つめ、顔の傷を歪めながら鷹の目を細める。
[A:レイヴン:冷静]「……愚かな。だが、見事な狂気だった」[/A]
誰に届くこともない言葉を吐き捨てる。
異端の騎士は、そのまま冷たいアスファルトに膝をつき、ただ静かに黙祷を捧げた。
安易な救いなど、この世界には存在しない。
残されたのは、ただ重く、ひどく苦しい愛の残骸だけ。
永遠に閉ざされた箱庭の底で、彼らは今も、互いの肉と魂を食らい合いながら、狂おしいほどに愛し合っている。