第一章: 血塗れの湯守と微笑む仲居
爆ぜる薪の火の粉が、夜の闇を赤く染め上げる。
火の粉が夜気を焦がし、パチリと爆ぜた。
漆黒の短髪に陰りのある鋭い双眸を伏せ、柊 煉二郎は檜の薪を無心に割り続けていた。
藍色の作務衣の袖口から覗く右腕、そして露わになった首筋には、這い回る蛇のような黒い呪印の傷跡が刻まれている。
鈍い斧の刃が薪を一刀両断するたび、乾いた木香が立ち上る。
柊 煉二郎「熱すぎる湯は、人の皮膚だけでなく魂までただれさせる」
低く擦れたハスキーボイスを漏らした瞬間、右腕の呪印が激しい拍動と共に灼熱を帯びた。
血管の内側から熱した鉛を流し込まれたような激痛。
内臓を焼かれる感覚に膝が折れ、湿った土に手をつく。
喉の奥からせり上がった赤黒い塊が、吐息とともに砂利を濡らした。
柊 煉二郎「……ぐっ、ごほっ……」
指先が痙攣し、荒い息が白く夜気に散る。
静寂の霧を割り、鈴を転がすような足音が近づく。
濡れた烏羽色の艶やかな黒髪を銀の簪で上品にまとめた美貌。
藤色の着物に白絣の前掛けを締めた千種 紗夜が、陶器のように白い指先で懐紙を差し出していた。
その瞳の奥には、底知れぬ暗い光が静謐に揺らめいている。
千種 紗夜「お湯加減はいかがどすか、煉二郎様」
紗夜は静かにしゃがみ込み、煉二郎の口元の血を懐紙で優しく拭い取る。
白く冷たい指先が、首筋のただれた呪印へと滑った。
吐息が耳朶を撫で、微かな白檀と彼岸花の匂いが鼻腔を支配する。
千種 紗夜「ええのですよ。この湯の底で、うちだけに甘えておくれやす……煉二郎様は、うちの全てでございますえ」
紗夜の濡れた唇が、黒い傷痕へと直接押し当てられた。
熱病のように疼く傷口に、氷のような舌先が這う。
皮膚が焼けるような痛覚が、生々しい甘美な痺れへと塗り潰されていく。
♥首筋に伝わる冷たい唇の感触[/Heart]に、煉二郎の無骨な背筋が強張った。
全身の毛穴が収縮し、背骨をぞくぞくと快楽の悪寒が駆け上がる。
柊 煉二郎「――構わねえよ。俺の役目は湯を沸かすことだけだ」
紗夜の手首を掴んで静止させるが、彼女はうっとりと微笑むだけで視線を逸らさない。
細い手首に込めた煉二郎の力すら、彼女にとっては至上の愛撫であるかのように。
その時、静寂に包まれていた幽月楼の山門から、豪奢な金属車輪の軋みと下卑た哄笑が響き渡った。
静寂が破られた山道に、どろりとした悪意の気配が満ちていく。
第二章: 傲慢なる闖入者と歪む給仕

最高級客殿『花鳥の間』の金箔襖に、眩い黄金の巻き毛を揺らす男の影が映る。
純白の聖銀鎧に真紅のマントを羽織ったレオンハルト・フォン・アウグストは、傲岸不遜な碧眼を細めて座敷の真ん中に踏ん反り返っていた。
足元には散乱した吸い殻と、無造作に放り出された高価な魔導剣。
レオンハルト・フォン・アウグスト「フッ、英雄とは常に選ばれし僕のことだ。こんな鄙びた宿の湯など、僕の肌を潤す露払いに過ぎんよ」
膳を運んできた紗夜の細い腰に、レオンハルトは下卑た手付きで触れようとする。
紗夜は完璧な礼儀作法を保ったまま、滑らかな所作でその指をかわし、畳の上に深く頭を垂れた。
指先ひとつ触れさせぬ完璧な間合い。
障子を押し開け、湯桶を抱えた煉二郎が無言で入室する。
立ち込める湯気の向こう、二人の視線が交錯した。
レオンハルト・フォン・アウグスト「おいおい、見覚えのある顔だと思えば……貴様のような日陰者が、いつまで生き恥を晒している?」
立ち上がったレオンハルトの鉄靴が、煉二郎の胸板を無慈悲に蹴り上げた。
鈍い打撲音。
床に激突し、作務衣に酒が染み込む。
レオンハルト・フォン・アウグスト「光に照らされるのは僕一人でいい。泥の中の虫は、泥の中で死ね。ほら、跪いて僕の足元に酒を注げ!」
床に散らばった陶片が煉二郎の掌を切り裂き、赤い筋を引く。
煉二郎は奥歯を噛み締め、俯いたまま拳を握り込む。
ここで力を解放すれば、宿の結界が崩壊する。耐えるしかない。
柊 煉二郎「……粗相をいたしました」
擦れた声で短く返し、煉二郎はこぼれた酒を拭う。
その様子を背後で見つめる紗夜の双眸から、全ての光が消失した。
陶器の白い肌が薄暗い行灯の影に沈み、引き結ばれた唇に冷酷な弧が刻まれる。
千種 紗夜「うちの神様を足蹴にしたその足……どんな色に染めて差し上げましょか」
紗夜がレオンハルトの盃に注いだ濁り酒の奥で、無色透明の霊毒が波紋を描いて溶け込んだ。
一気に呷ったレオンハルトの喉仏が、小さく鳴った。
男は気づかない。自らの命の砂時計が、すでに音を立てて砕け散ったことに。
第三章: 純情の狂乱と沸騰の宴

深夜の大露天風呂『月下紅蓮の湯』。
立ち上る硫黄の白煙が、満月を赤黒く滲ませている。
岩風呂の縁で、レオンハルトは全身を激しい痙攣に支配されていた。
指先一つ動かない。
声帯が麻痺し、喉から漏れるのは泡立った呼気だけ。
レオンハルト・フォン・アウグスト「な、んだ……身体が、動か……っ!」
紅い月光を背に、白絣の前掛けを纏った紗夜が静かに佇んでいた。
彼女の指先から伸びる極細の霊糸が、レオンハルトの手足を岩肌に縫い留めている。
銀の簪を指先で弄びながら、紗夜は愛らしい小首を傾げた。
千種 紗夜「ええのですよ。貴方様を汚す世界など、うちが全部燃やして差し上げます」
ポキリ、と湿った破壊音が夜気に響く。
霊糸が締め上げられ、レオンハルトの右手の指が逆方向に折れ曲がった。
レオンハルト・フォン・アウグスト「ぎゃああああっ! あ、足が、指がああっ!」
引き裂かれるような絶叫が、岩壁に反響する。
千種 紗夜「煉二郎様が受けた屈辱の万分の一にも足りまへんわ。もっと、綺麗に鳴いておくれやす」
岩場を歩く足音が近づき、藍色の作務衣を翻した煉二郎が湯煙の向こうから姿を現した。
手には一本の薪。
その足取りには迷いも慈悲も欠片もない。
レオンハルト・フォン・アウグスト「れ、煉二郎! 助けてくれ、昔の仲間だろう!? この狂った女を殺してくれ!」
煉二郎は冷え切った双眸で、這いつくばる金髪の男を見下ろした。
右腕の呪印が、青白い燐光を放ちながら皮膚を焼き裂く。
柊 煉二郎「俺はもう英雄じゃない。ただの、この宿の湯守だ」
《神滅術式・極熱励起》
煉二郎が右手を岩風呂の水面にかざした瞬間、真紅の閃熱が湯を一瞬で沸騰点へと押し上げた。
凄まじい水蒸気が爆発し、岩風呂の湯が白濁した溶岩の如く泡立ち狂う。
熱波が肌を焼き、水面が紅蓮の光を放つ。
千種 紗夜「ああ……なんて美しい熱量。煉二郎様、うちも一緒に堕ちとうございます……」
紗夜は恍惚とした笑みを浮かべ、霊糸を一気に引き絞った。
レオンハルト・フォン・アウグスト「やめろぉぉぉっ! 熱い、熱いぎゃあああああっ!!」
結界に縛られたレオンハルトの全身が、超高温の熱湯の底へと沈められる。
皮膚が剥離し、断末魔の気泡が数秒で弾け散り、肉骨の欠片すら残さず分子レベルで湯の中に溶け去った。
立ち込める湯煙の中、岩風呂の水面は再び鏡のような静けさを取り戻す。
不純物を呑み干した湯は、より一層澄み渡り、神秘的な青みを帯びて揺らいだ。
紗夜は血と熱気に濡れた前掛けを解き、煉二郎の胸板へと凭れかかった。
薄い着越しに伝わる、彼女の熱く湿った柔肌。
互いの荒い呼吸が、冷涼な夜気の中で重なり合う。
紗夜の細い指が、煉二郎の藍色の作務衣の合わせ目を割り、熱を持った胸元へと潜り込んだ。
♥早鐘を打つ鼓動[/Heart]が指先を伝い、二人の境界線を曖昧にしていく。
千種 紗夜「これで、邪魔者は誰もおりまへん。ずっと、ずっとうちだけの湯守様でおってくださいね」
首筋に落ちる熱い吐息。
煉二郎は首筋に触れる彼女の体温を拒むことなく、濡れた黒髪に無骨な手を滑らせた。
堕ちていくなら、底まで。
夜風が二人の輪郭を湯煙の中に溶かしていく。
朝霧が山肌を白く覆い隠し、幽月楼の湯は今日もまた、何事もなかったかのように澄んだ温もりを湛えている。
極上の湯加減で、次の獲物を待つかのように。