第一章: 死都の帳簿と目覚めの脈動
紫煙の混じる濃密な瘴気が、肺胞の奥まで容赦なく焼き尽くしていく。無造作に伸びた漆黒の髪を荒々しく振り払い、レオン・ヴァルハイトはひび割れた防毒マスクを引き剥がして足元へ投げ捨てた。
煤けたロングコートの裾を切り裂くような極光の寒風が叩く。擦り切れた黒革の手袋で無骨な魔導測量計を握り直すと、針の軋む音が静寂を削り取った。鋭利な琥珀色の双眸が、淀んだ灰色の虚空を冷たく射抜く。
呪詛濃度の減衰率、地下魔力配管の残存率七二パーセント。上等だ。計算通りに動いている。
レオン・ヴァルハイト「ガラクタに見えるか? ならば全財産を賭けて買い取らせてもらおう」
帝都の肥え太った愚物どもが、体裁のよい死刑宣告の代わりに押し付けてきた絶対死滅都市『ゲヘナ・ベール』。見渡す限りの瓦礫の山、かつて神殿だった崩壊空間の最深部において、天を突く超巨大な水晶柱が凍てつき、青白い燐光を放っていた。
結晶の胎内深くに封じられているのは、白銀の長髪を静寂に漂わせた巫女の形骸。纏う薄布の神官服が、永久凍結した空気の中でかすかに揺らめく。
レオンは冷徹な眼差しのまま腰の短剣を抜くと、躊躇なく己の左掌を一文字に切り裂いた。滴る生温かい鮮血が、白く凍結した魔導核の表面へねっとりと押し当てられる。
《生体認証完了――管理者権限の譲渡プロセスを開始》
ドクン、と数百年眠り続けた心臓が、鼓膜を直接叩くように跳ね上がった。
ピシリと音を立てて亀裂が走り、爆砕する氷塊の飛沫の中から、淡いアメジストの瞳が熱っぽい潤みを帯びてゆっくりと開かれる。
シエル・アルカディア「あ……あつ、い……もっと……注いで……私を満たして……」
シエルは細くしなやかな両腕を伸ばし、縋り付くようにレオンの頑強な首筋へと絡みついた。彼の裂けた掌を強引に引き寄せ、自らの瑞々しい桜色の唇を深く、貪るように押し当てる。
生体魔導回路が奔流となって走る彼女の白磁の背筋が、快楽に狂ったように反り返る。濃密で熱い純度百パーセントの魔力が、滴る血液を媒介にして二人の間を激しく循環し、肌を焦がす熱情へと変わっていく。
シエル・アルカディア「この街の心臓が止まる時、私も死にます。……だから、絶対に私を見捨てないで」
ゴオオオッ、と地底深くから大陸を揺るがす咆哮が轟いた。
幾百年もの永き眠りを貪っていた超巨大魔導炉が紅蓮の火を噴き上げ、渦巻く紫の瘴気を白銀の浄化光へと強引に変換していく。
天を穿つ極大の光柱が、空を覆っていた呪詛の暗雲を瞬時に消し飛ばした。
死都に眠る無数の超巨大歯車が一斉に噛み合い、軋みをあげながら、世界を塗り替える再稼働の音を響かせ始めた。
第二章: 黒字化の夜と暴虐の侵略者

再起動から三ヶ月。かつての死都は、張り巡らされた魔導配管から青い燐光を放ち、夜のない魔導経済特区へと劇的な変貌を遂げていた。
修復された迎撃管制タワー最上階の執務室で、レオンは無機質に羽ペンを走らせていく。その背後には、彼の引き締まった肩へ白磁の顎を預け、蕩けるような甘い吐息を耳元へ吹きかけるシエルの艶めかしい姿があった。
シエル・アルカディア「貴方の帳簿、また危険な赤字予告が出ていますよ?」
レオン・ヴァルハイト「迎撃弾頭の減価償却費を前倒し計上しただけだ。採算は完全に合っている」
シエルの細く冷たい指先が、レオンの無防備な首筋をゆっくりとなぞり、自らの体温を刻み込むように微弱な魔熱を流し込んでいく。
シエル・アルカディア「……ふふ。私の莫大な維持コスト、今夜もたっぷりと支払ってくださいね?」
甘美な静寂を切り裂くように、都市全域の境界警報がけたたましい咆哮をあげて鳴り響いた。
地平線の彼方を黒々と埋め尽くすのは、三万を数える帝国正規軍の威容。先頭で白馬を駆るのは、金髪を完璧なオールバックに固め、氷のような青い瞳を嘲笑で細める将軍、ヴェルナー・フォン・クロイツだ。
ヴェルナーは純白の手袋を掲げ、拡声魔導具へ傲慢極まる怒声を叩きつける。
ヴェルナー・フォン・クロイツ「死者の墓場に価値などない! 帝国を追放された不法占拠者レオン、貴様ごと瓦礫の下に永遠に埋めてやろう!」
レオンは眉一つ動かさず、静かに帳簿を閉じると、タワー中央に鎮座する防衛コンソールの魔導鍵を無造作に回した。
レオン・ヴァルハイト「正規軍三万の侵入による損害想定額、計上完了。……最新迎撃演習の実験台として、きっちり命ごと請求させてもらう」
《古代魔導殲滅砲・全門一斉斉射》
轟音とともに死都の巨大外壁が一斉に変形し、数千条の閃光弾が漆黒の夜空を灼熱の真昼へと塗り潰していく。
絶叫をあげて四散する帝国軍の背後で、地中から巨大な防壁が競り上がり、彼らの退路は瞬時に、完全な絶望とともに遮断された。
第三章: 破滅の査定と反転する主従

焦土と化した荒野に、硝煙と焼け焦げた鉄の生臭い悪臭が重く垂れ込めている。
泥水に塗れ、金糸の刺繍が引き裂かれた豪奢な軍礼装の膝をつき、ヴェルナーは血走った青い瞳で泥を激しく睨みつけていた。震える指先が、冷酷な大地を無様に掻きむしる。
ヴェルナー・フォン・クロイツ「ば、化け物め……! 帝国公爵たる私を殺せば、国が総力を挙げて貴様を滅ぼすぞ!」
微塵の汚れもない漆黒のロングコートを夜風に翻し、レオンがシエルを従えて冷然と歩み寄る。その手には、一枚の乾いた羊皮紙が握られていた。
レオン・ヴァルハイト「貴様がこの無断侵攻のために裏で発行した帝国国債、およびクロイツ家の全担保資産……先ほど市場を介してすべて買い取らせてもらった」
ヴェルナー・フォン・クロイツ「な……何を、言っている……!? 国家の財を、一介の追放者が買えるはずが……!」
レオンは冷徹な眼差しで見下ろし、絶句して唇を震わせる男の胸元へ、容赦なく冷酷な破産通告書を突きつける。
レオン・ヴァルハイト「迎撃費用、都市修繕費、並びに精神的損害賠償。貴様の資産総額をすべて充当しても、まだ赤字だ。貴様の身柄ごと、我が都市の永久債務奴隷として査定したに過ぎない」
シエル・アルカディア「路傍のゴミですね。帳簿の桁を汚す前に、速やかに掃き掃除を済ませましょう」
ヴェルナー・フォン・クロイツ「嘘だ、私の栄光が、地位が、全財産が……あぎゃぁぁぁっ!」
武装を剥ぎ取られたヴェルナーが絶叫を上げながら衛兵に引きずられていく最中、上空から一羽の伝令魔導鳥が血塗られた親書を落とす。
燦然と輝く金泥の帝室紋章。破産寸前に追い込まれ、恐慌に震える帝国皇帝からの、恥も外聞もかなぐり捨てた泣きつきの書状であった。
第四章: 箱庭の王と世界の買収劇
天を衝くゲヘナ・ベール最上階、すべてを見下ろす統治玉座の間。
レオンは皇帝からの哀願状に一瞥もくれず、赤熱する暖炉の炎の中へと無造作に放り込んだ。
燃え盛る火の粉を散らし、帝国の権威はただの黒い灰となって煙突の闇へ吸い込まれていく。
シエルが音もなく背後から忍び寄り、白磁のような柔肌をレオンの背中に隙間なく密着させた。
妖しい魔光を宿したアメジストの瞳が細められ、火照った甘美な吐息がレオンの耳裏をねっとりと愛撫するように撫でる。
シエル・アルカディア「次はどこの国を買い取りますか、私の愛しい主様……?」
レオンは強引に振り返ると、華奢な腰を引き寄せて彼女の瑞々しい唇を激しく、深く塞いだ。
二人の結合部から極彩色の極光が溢れ出し、都市の全中枢回路が狂おしく明滅する。
都市の霊核を通じ、大陸全土に張り巡らされた古代の巨大魔脈が、強引な逆流を起こしてこの死都へと収束し始めていた。
帝国も、諸王国も、魔力という経済とインフラの血液を根こそぎ抜き取られ、気づいた時にはこの都市に首根っこを完全に掌握される。
最初から、荒野を開拓して満足する気など微塵もなかった。
手帳を開き、全世界の国境線が綿密に書き込まれた黒革の帳簿に、鋭利なペン先を突き立てる。
レオンの唇に、世界を喰らい尽くす絶対的覇王の残忍な笑みが刻まれた。
レオン・ヴァルハイト「さあ、世界中の帳簿を開け。破産宣告の時間を始めよう」