第一章: 毒肉の首輪
レオンハルト「殺せ、魔女め! 貴様の汚らわしい手で俺に触れるな!」
泥と赤黒い凝血にまみれた銀地金の甲冑を力任せに剥ぎ取られ、冷えた石畳へ組み伏せられた男が唾を吐き捨てる。額を割った傷口から滴る血潮が黄金のまつ毛を濡らし、射抜くような碧眼の奥で猛毒じみた殺意の炎が爆ぜた。肺腑を絞る荒い呼気。剥き出しの太い首筋に、青黒い血管が脈打つ。
ヘルハ「死にたいなら勝手におし。でもね、誰がそんな勿体ないことをするもんかい」
膝裏まで届く濡れ羽色の黒髪を微かに揺らし、病的な白肌の胸元に禍々しい紫の呪印を走らせた魔女――ヘルハは、愉悦を隠さず薄い唇を吊り上げた。素肌の上に直に羽織った擦り切れ気味の漆黒ローブから、湿った毒草と腐葉土の青臭い匂いが濃密に立ち込める。骨張った指先が、男の顎骨を万力のように締め上げた。
ヘルハ「お前は今日から、あたしの可愛い番犬だよ」
カチリと、黒鉄の呪縛輪がレオンハルトの頸椎へ容赦なく食い込んだ。
レオンハルト「貴様……ッ、魔女などに屈するものか! 殺してやる!」
ヘルハは冷え切った指先で、激情に跳ねる喉仏を弄ぶように撫で下ろし、男の生傷を黒いブーツの爪先でじわりと踏み抜く。
ヘルハ「安心しな。壊れるまで愛でてあげるから」
引き裂かれた唇の隙間へ、妖しい紫煙を纏う劇薬の小瓶が躊躇なく傾けられた。甘く痺れる粘液が口腔を蹂躙し、舌を焼き、喉奥を溶かしながらむき出しの神経束へ直接染み渡っていく。
レオンハルト「が……ッ、あぁぁぁッ!?」
跳ね上がる脈拍。
三倍に跳ね上がった激痛が全身の筋繊維を針の束となって刺し貫き、鋼の肢体が弓なりに跳ね上がる。背骨が軋み、指先が石畳の隙間を狂ったように掻きむしる。爪が剥がれ、鮮血の筋が床に刻まれた。
ヘルハ「いい目だ。その憎しみがどこまで持つか、じっくり育て直してあげるよ」
お前をこの森へ差し出したのが、命を捧げた聖女様だとも知らずにね。
耳朶へ吹き込まれた乾いたハスキーボイスを最後に、レオンハルトの意識は光を失い、底知れぬ泥濘の底へと叩き落とされた。
第二章: 反転の萌芽

青白く燐光を放つ夜光植物の群生の下、黒土の上で重い金属音が絶え間なく軋みを響かせる。
レオンハルト「……三十、三十一。足音が遅いぞ、魔女」
ヘルハ「減らず口を叩く元気があるなら、根をすり潰しな。薬効が抜けるよ」
数ヶ月に及ぶ致死量の微毒投与によって鍛え直された肉体は、無数の紫斑と傷痕を刻み込みながらも、しなやかな黒豹のごとき筋密度を宿していた。首に食い込む呪縛輪を無造作に擦り、レオンハルトは片手で重い石の薬研を力任せに回す。皮膚のすぐ下で、研ぎ澄まされた腱が鋼鉄のワイヤーのように軋んだ。
レオンハルト「貴様の思惑をすべて吐かせるまでは、死なんと言ったはずだ」
ヘルハ「なら長生きすることだね。あたしの飽きが来る前にさ」
その刹那、背後の黒樹が爆竹のような轟音を立てて裂け、毒液を滴らせる双頭の巨獣が姿を現す。調合の儀式で魔力を底まで絞り取られていたヘルハの無防備な背中へ、巨大な影が音もなく覆いかぶさった。
肉の裂ける鈍い破裂音。
レオンハルト「伏せろッ!」
引きちぎれんばかりに呪縛の鎖を軋ませ、レオンハルトの剛腕がキマイラの顎深くまで肉を裂いて突き刺さる。噴き出した熱い鮮血が、ヘルハの陶器のように白い頬を鮮烈に汚した。
ヘルハ「……なぜ庇った?」
牙に骨を砕かれ、激痛に顔を歪めながらも、青年の碧眼は昏い熱を宿して魔女の瞳を逃さず縛りつける。
レオンハルト「貴様を殺すのは……俺だ! こんな獣の餌にさせてたまるか!」
肩で息を荒らげる男の血濡れた頬に、ヘルハの細く冷たい指がそっと触れた。
ヘルハ「……くだらないね。本当に、頑丈な番犬だよ」
絶命した巨獣の首元から、見覚えのある白銀の呪符が転がり落ち、冷淡な月光を照り返す。聖王国騎士団の紋章――レオンハルトがかつて命を捧げた、あの神聖なる刻印がそこにあった。
第三章: 白銀の裏切り、真紅の覚醒

白濁した霧の立ち込める断崖を、夥しい松明の紅蓮の火が幾重にも包囲していた。鎧擦れの音と無慈悲な殺気が、夜の冷気を塗りつぶしていく。
セラフィナ「哀れな魂を救いましょう。魔女の毒に狂わされた我が婚約者を」
完璧に編み込まれたプラチナブロンドを揺らし、豪奢な白銀の聖衣を纏った聖女セラフィナが、崖上から憐憫を装った嘲笑を浮かべて眼下を見下ろしていた。
レオンハルト「セラフィナ……? なぜ討伐隊の紋章ではなく、私兵を率いている……」
セラフィナ「よく生き延びて魔女の毒を吸い上げてくれたわ、レオンハルト。あなたという最高の人身御供のおかげで、結界に穴が空いたのよ」
陶酔に揺れる紫の瞳に宿る底知れぬ蔑みが、青年の胸骨を氷の刃となって抉り抜く。
セラフィナ「神はお赦しになります。ですが私は許しません。死に損ないの役立たず、最後に魔女の首を獲って死になさい」
かつて信じ抜いた信仰も誇りも、その一言で音を立てて粉々に砕け散った。裏切りの重圧に、レオンハルトの膝ががくりと折れかける。
ヘルハ「手出しはさせないよ。こいつはあたしが育て上げた、世界でたった一匹の狂犬なんだ」
ヘルハが遮るように前に進み出た瞬間、頭上から降り注いだ無数の光弾が彼女の漆黒のローブを焼き払い、白銀の柔肌を容赦なく引き裂いた。真紅の血が夜霧に散る。
レオンハルト「ヘルハッ――!」
首輪が赤黒い光を放ち、内側からの膨大な魔力奔流によって粉々に弾け飛んだ。
それは隷属の枷などではなかった。真実の絶望を呑み込み、毒を血肉へと変えた者だけが解き放つ、命の共有契約。
レオンハルト「誰の犬に指図している、偽りの聖女め!」
全身から溢れ出す漆黒の魔導焔を纏い、黄金の獣と化したレオンハルトが垂直の断崖を蹴破って跳躍した。光の矢を素手で叩き落とし、聖女の喉笛を目がけて閃光のように肉薄する。
第四章: 首輪を継ぐ者
青藍の夜明けの光が、血煙の残る調合室の石床を淡く青く照らし出していた。聖女の私兵を屠り尽くした余熱が、冷えた大気を焦がしている。
ヘルハ「……お前はもう自由だよ、レオンハルト。復讐を果たす力もやった。どこへでも行きな」
深く腰掛けた古い石の玉座で、満身創痍のヘルハは細い肩を震わせ、力なく視線を伏せた。傷ついた魔力核が、呼吸のたびに乾いた音を立てる。
砕け散った黒鉄の首輪の破片を踏みしめ、全身に敵の返り血を浴びた大躯が、気配すら殺して間合いを詰めた。
ドサリと、硬質な音がヘルハの膝の間に落ちる。
レオンハルトは玉座の前に恭しく跪き、己の首を締め上げていたはずの呪縛の鎖を、魔女の細い両手首へと自らの手で幾重にも巻きつけた。鎖の端を、ヘルハの青白い掌の中へ押し込む。
レオンハルト「自由などいらない。俺を壊し、俺を作り直したのは貴様だ」
氷のように冷え切ったヘルハの指先をすくい上げ、傷だらけの唇で甘噛みするように熱い口づけを落とす。男の荒い吐息が、彼女の手首に刻まれた呪印を熱く炙り立てた。
ヘルハ「……正気かい? あたしはお前を地獄へ突き落とした毒婦だよ」
レオンハルト「ああ、地獄だ。だが、貴様の毒なしでは、呼吸すらできない」
ヘルハが冷笑を浮かべ、乱暴に黄金の髪を鷲掴みにしてその顎を強引に跳ね上げる。首筋に爪が食い込んでも、青年の碧眼は底知れぬ狂気と、全てを捧げ尽くす悦びに濡れていた。
ヘルハ「……なら、二度と離さないよ。死ぬまであたしに飼われな」
引き寄せ合って重なり合う唇の隙間から、鉄と蜜の混ざり合った甘い毒の味が熱く溶け広がる。
舌が絡み合い、互いの呼吸がひとつの熱塊となって胸の奥を激しく焦がした。首を絞められるような錯覚のなかで、二人の心音が狂ったリズムで完全に重なり合う。
レオンハルト「♥「御心のままに、我が主」[/Heart]」
朝露に濡れた森の奥底で、神の祝福よりも残酷で甘美な、永遠の呪縛が結ばれた。