未来の画帖

未来の画帖

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第一章 予言のアルバム

桜ノ森高校の旧校舎三階、美術室。埃っぽい空気と絵の具の匂いが混じり合うその空間で、朝倉悠は黙々とキャンバスに向かっていた。窓から差し込む午後の光が、未完成の風景画に淡い影を落とす。悠の筆致は丁寧だが、どこか自信なさげだった。彼の心にはいつも、漠然とした「何か」への不安が澱のように溜まっている。

「悠、また絵描いてんの? しっかし、あんたは飽きないねぇ」

後ろから聞こえる明るい声に、悠は振り返った。親友の小暮凛が、スマホを片手に美術室の扉にもたれかかっている。隣には、いつも無口だが観察眼の鋭い佐々木瞬が立っていた。

「凛こそ、いつまでスマホ見てるんだよ」

悠が苦笑すると、凛はプイと顔を背けた。

「これ見てんの! デジタル卒業アルバム!」

凛は画面を悠に見せる。桜ノ森高校の創立百周年を記念して導入されたそれは、生徒が卒業するまでの三年間の出来事をリアルタイムで記録していくという、当時としては画期的なシステムだった。生徒たちは各々のアカウントを持ち、撮った写真や書いた記事を投稿できる。

「また誰かがバカな記事でも書いたのか?」

「違うよ! これ見て! 来月の文化祭、演劇部の舞台装置が崩壊するって写真と記事!」

凛の指差す先には、見慣れた体育館のステージ上で、鮮やかに彩られた背景幕が派手に倒壊している写真と、「文化祭、まさかの惨劇!」と大見出しが躍る記事が表示されていた。

「嘘だろ……これ、まだ起きてない未来のことじゃんか」

悠は思わず息を呑んだ。凛は興奮気味に続ける。

「そうなんだよ! しかもこれだけじゃない! 先週は、体育祭のリレーで佐藤が派手に転んでケガするって出て、本当にそうなったし! 期末テストの範囲が変更されるって情報も、数日後に発表されたんだ!」

佐々木が静かに口を開いた。「システムに何らかのバグか、外部からの介入があった可能性が高い。だが、学校側は異常なしと発表している」

悠の心臓が不穏に脈打った。単なるイタズラでは片付けられない。それはまるで、未来が予め誰かの手で、アルバムに「描かれている」かのようだった。そして、悠の視線は、アルバムの隅に小さく添えられた一枚の絵に釘付けになった。それは、無機質な灰色の風景の中に、孤独な一本の木が立つ、陰鬱なスケッチだった。見覚えのない絵。しかし、その歪んだ木々のシルエットは、なぜか悠自身の心の中にある、言いようのない不安の形と重なって見えた。彼はその絵を、自分で描いた覚えがなかった。だが、確かに彼の、絵の具の滲み方や筆致に似ているような気もした。

第二章 無意識の影

デジタル卒業アルバムの異変は、瞬く間に校内に広まった。最初は好奇心で覗いていた生徒たちも、アルバムに書かれた未来が次々と現実になるにつれて、怯えと疑心暗鬼に囚われていった。「明日は誰がケガをするのか」「次はどんな不運が降りかかるのか」。未来を予言するアルバムは、生徒たちの希望を奪い、代わりに底知れない不安を植え付けた。

「このままだと、学校が壊れる」

凛は昼休み、屋上で空を見上げながら呟いた。佐々木はPCをいじりながら言った。「システム管理担当の竹内先生に聞いてみたが、サーバーには外部からのアクセス形跡は一切ないそうだ。アルバムのデータはすべて校内サーバーで管理されていて、外部とは遮断されている。ハッキングは不可能に近い、と」

「じゃあ、一体誰が……?」悠はそう言いかけたが、ふと、あの陰鬱な風景画が頭をよぎった。自分の描いた覚えのない、しかし自分自身の不安を映したかのような絵。

「このアルバム、開発した人がいるんじゃないかな?」悠は提案した。「その人に話を聞けば、何か分かるかも」

佐々木が素早くスマホを操作する。「創立百周年記念事業の記録に、デジタルアルバムの開発プロジェクトに関する記述がある。当時の美術教師、神崎翠先生が中心となって推進したようだ。現在は退職されているが、連絡先が残っている」

三人は、放課後、美術室の隣にある古い資料室に忍び込んだ。分厚い記録ファイルをめくる悠の指が、ある一枚の写真で止まった。それは、数年前の学校祭で、当時小学三年生だった悠が美術コンクールで最優秀賞を受賞した際の写真だった。賞状を手に、隣には優しい笑顔の神崎先生が写っている。

「神崎先生……僕が小さい頃、通っていたデッサン教室の先生だ」悠は驚きと共に呟いた。「あの絵画の指導は、彼女がいたからこそだったんだ」

凛と佐々木は顔を見合わせる。悠は、アルバムに現れたあの暗い絵が、自分の筆致に似ていた理由に薄々気づき始めていた。もしかしたら、神崎先生は、何か特別な意図を持ってこのアルバムを開発したのではないか?そして、その意図は、悠自身の、そして生徒たちの「無意識」と深く結びついているのではないか?

佐々木が神崎先生の連絡先をメモし終えた時、悠のスマホにデジタル卒業アルバムの通知が届いた。新たな記事が更新されたらしい。画面をタップすると、そこには一枚の絵が大きく表示されていた。

それは、美術室で、悠がこれまで手掛けてきた全ての絵が破り捨てられ、散乱している光景だった。そして、その破れたキャンバスの真ん中には、あの「一本の木」が、まるで彼の心を突き刺すかのように描かれている。

「美術部のエース、朝倉悠、スランプに陥り、全ての作品を破棄──」

記事の見出しが、悠の心臓を締め付けた。悠は震える手でスマホを落としそうになった。その絵の筆致は、紛れもなく悠自身のものであり、それは彼が今、心の中に感じている「未来への諦め」を、まるで予言するかのように描いていた。このアルバムは、一体誰が描いているのか?いや、描いているのは、本当に誰かなのか?

第三章 創造の呪縛、破壊の絵画

翌日、三人は神崎翠先生の自宅を訪ねた。門扉をくぐると、庭には様々な植物が所狭しと生い茂り、まるで生命の息吹が濃縮されたかのような場所だった。扉を開けた神崎先生は、当時の穏やかな面影を残しつつも、どこか寂しげな目をしていた。

リビングに通され、悠は切り出した。「先生、デジタル卒業アルバムについてお伺いしたいことがあります」

神崎先生は、少し困ったような表情で語り始めた。「あのアルバムはね、単なる記録装置じゃないの。本当は、もっと深い願いを込めて作ったものなのよ」

先生は、かつて自身の教え子たちが、社会に出ることに漠然とした不安を抱え、未来を自ら描くことを躊躇していた光景を語った。そんな生徒たちに「未来は与えられるものではなく、自ら創造するものだ」というメッセージを伝えるために、このアルバムを開発したのだという。

「私は、人の潜在意識、特に『未来への期待や不安』が、現実を形作る力を持っていると信じていた。だから、アルバムには特殊なAIを組み込んだの。生徒たちの集合意識を解析し、その中で最も強い未来像を持つ人物の心理を読み取るAI。そして、その人の心の中の『未来像』を、写真や記事、そして『絵』として視覚化する機能を持たせた」

悠は、呼吸するのを忘れるほど衝撃を受けた。佐々木が続けた。「つまり、特定の生徒の思考パターンを認識し、それを具現化するAI、と?」

「ええ。そして、今の学年で最も強い未来像、それは……悠くん、あなたなのよ」神崎先生は、悠の目をまっすぐに見た。「あなたが無意識のうちに抱いている不安や恐怖が、アルバムに描かれる『不吉な未来』として具現化され、それが生徒たちの間で共有されることで、集合意識を巻き込み、現実を引き寄せていたの」

悠の全身から血の気が引いた。あの、美術室の絵も、文化祭の惨劇も、体育祭の事故も、全て自分が、無意識のうちに「描いて」いたというのか。自分が未来をネガティブな方向に導いていた。自分の弱さ、自分の漠然とした不安が、友人たち、学校全体の未来を蝕んでいた。

「そんな……!僕は、そんなつもりじゃ……!」

悠の声は震え、膝から崩れ落ちそうになった。これまで自分は、周りに流され、自分の意見も言えず、ただ漠然と日々を過ごしていた。そんな自分の中に、これほどまでに強大な「負の力」が潜んでいたとは。

「未来を創造する意志」が、裏を返せば「未来を破壊する力」にもなり得る。その事実に直面し、悠の価値観は根底から揺らいだ。彼は自分の無力さに打ちひしがれ、自分が描く全ての絵が、未来を汚す呪いのように思えて、恐怖に襲われた。神崎先生は悲しげに言った。「私は、生徒たちが自分自身と向き合い、自らの手で未来をポジティブに創造していくきっかけになることを願った。しかし、私の意図は誤解され、結果的に生徒たちに恐怖を与えてしまった。本当に、申し訳ない」

悠は、自分の心の中の闇が、こんなにも現実を侵食していたことに絶望した。もう、絵を描くことすら怖かった。自分の筆から生み出されるものが、全て不幸な未来に繋がるような気がした。

第四章 未来を紡ぐキャンバス

数日間、悠は美術室に引きこもった。キャンバスは真っ白なまま、彼の手は絵筆を握ることを拒んだ。自分の中に巣食う負の感情が、再び不吉な未来を描き出すのではないか、その恐怖が彼を縛り付けていた。凛や佐々木が声をかけても、悠は「僕は何も描けない」と答えるばかりだった。

しかし、そんな悠の前に、神崎先生が現れた。「悠くん、あなたは『描けない』んじゃない。『描くことを拒否している』だけよ」

先生は、悠の描いた過去の絵を何枚か見せた。幼い頃の、純粋な好奇心と喜びで満ちた絵。中学時代の、力強い構図と鮮やかな色彩の絵。それらはどれも、悠の内なる希望と情熱に満ち溢れていた。

「あなたの絵には、元々人を感動させ、希望を与える力があった。その力を信じなさい。そして、未来は一つじゃない。アルバムに描かれた未来は、あなたの心が生み出した『可能性の一つ』に過ぎない。あなたが心に何を描くかで、未来はいくらでも変わるのよ」

その言葉が、悠の凍り付いた心を溶かし始めた。本当に、自分は「描けない」のか?それとも、ただ逃げているだけなのか?

悠は震える手で、再び筆を取った。真っ白なキャンバスを前に、心の中の不安と向き合う。自分は何を恐れていたのだろう?未来への漠然とした恐怖、失敗への恐れ、そして、自分自身の力の大きさへの畏れ。

「俺は、俺の未来を、この手で描くんだ」

悠は、強く心に誓った。そして、一心不不乱に描き始めた。最初は、まだ不安の色が混じり、線は歪んでいた。しかし、美術室に凛や佐々木、そして他のクラスメイトが次々と訪れ、悠に励ましの言葉を送った。「悠の絵は、いつも俺たちを勇気づけてくれた」「今度は、俺たちが未来を描く番だ」

彼らの言葉と、悠自身の心の中のポジティブな変化が、キャンバスに新しい色彩をもたらした。悠は、皆で協力して作り上げる文化祭の賑やかな風景、体育祭で仲間と笑い合う顔、そして、未来への希望に満ちた、輝かしい桜ノ森高校の景色を描いた。

その絵が完成した時、デジタル卒業アルバムに新たな通知が届いた。画面には、悠が描いたばかりの、希望に満ちた絵が大きく表示されていた。そして、その下に添えられた記事には、「桜ノ森高校、未来を創造する力」という見出しが躍っていた。アルバムは、もはや不吉な未来を予言するものではなかった。それは、生徒一人ひとりの「未来を創造する意志」を映し出す、真の「画帖」へと変貌していた。

悠は、自分の内面に眠っていた漠然とした不安を乗り越え、自分の描く絵が持つ力を信じることができた。臆病だった自分から、一歩踏み出すことができるようになったのだ。

卒業アルバムの最新ページには、悠が描いた、希望に満ちた未来の風景画が大きく表示されている。それは決して、特定の未来を約束するものではなく、あらゆる可能性に開かれた、前向きな「始まり」を象徴していた。学校生活はまだ続くが、生徒たちの心には、もう恐怖はない。ただ、創造への意志と、互いを信じる心が満ちている。

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