光彩の輪郭、無色の真実

光彩の輪郭、無色の真実

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第一章 青の孤独と光の粒子

僕、蒼(アオイ)の世界は、常に光の粒子で満たされている。それは、僕が興味を引かれた対象――人物であれ、物であれ、概念であれ――その存在の輪郭を縁取るように漂う、微細な燐光だ。この学園の生徒たちは皆、規則に従って己の「テーマカラー」を身に纏う。僕の青、彼女の赤、彼の緑。制服のどこかに必ず配されたその色は、僕たちの所属するクラス、そして社会的な役割を示す楔だった。

昼休みの喧騒に満ちた中庭で、僕はひとり、古いケヤキの木陰に身を潜めていた。人々の周りを舞う光の粒子を眺めるのは、僕だけの秘密の習慣だ。粒子が濃密に集まるほど、その対象の「本質」がぼんやりと見えてくる。だが、その光に意識を集中させるたび、僕の網膜は微かに悲鳴を上げ、視界の端がゆっくりと白く滲んでいく。真実を見るための代償は、僕自身の視力だった。

その日、僕の目を釘付けにしたのは、ひとき仕事の強い光だった。テーマカラー「赤」をスカーフにして首に巻いた女子生徒、茜(アカネ)。彼女はまるで燃え上がる炎そのものだった。快活な笑い声が周囲の空気を震わせ、その身振り手振りの一つひとつから、生命力に満ちた無数の赤い粒子が迸る。彼女の輪郭は、他の誰よりも鮮明で、眩い。僕は思わず目を細めた。あの光の奥にある「本質」を見たい。その抗いがたい衝動が、僕の視界をまた少し、白く曇らせた。

第二章 禁じられた赤の引力

「ねえ、あなた、いつも一人で何を見てるの?」

唐突に声をかけられ、僕は息を呑んだ。顔を上げると、すぐそこに茜が立っていた。太陽の光を浴びた赤いスカーフが、僕の青いジャケットに反射して、足元に奇妙な紫色の影を落とす。学園の不文律――『異なる色は、交わるべからず』。彼女の行動は、その禁忌を真正面から踏み破るものだった。周囲の生徒たちが、好奇と非難の入り混じった視線をこちらへ投げかけてくるのが肌で感じられた。

「別に……何も」

僕は素っ気なく答え、視線を逸らした。だが、彼女の周りを渦巻く圧倒的な光の粒子から目が離せない。それは単なる「快活さ」だけではない。その奥に、何か硬質で、決して屈しない強い意志のような核が見え隠れしていた。

「ふぅん? あなたのその目、何か特別なものが見えてるんでしょ」

茜は僕の隣に躊躇なく腰を下ろした。ふわりと、柑橘系の爽やかな香りが風に乗って鼻をくすぐる。

「だって、私のこと、まるで魂の芯まで見透かすみたいに見てたじゃない」

彼女の言葉に心臓が跳ねる。僕の能力を知る者はいない。だが彼女は、その本質で見抜いているというのか。僕の青と彼女の赤。混じり合えば社会的な役割を失い、「混濁者」として蔑まれる。それがこの世界の法則だ。それでも、僕は彼女から放たれる光の引力に、抗うことができなかった。知りたい。君という存在の、本当の姿を。その渇望が、視力低下の恐怖を凌駕し始めていた。

第三章 虹色のチョークの囁き

茜は、僕を古い空き教室へといざなった。誰も使わなくなり、埃の匂いが満ちたその場所は、僕たち二人だけの秘密の聖域となった。彼女は僕の能力について深くは聞かなかったが、僕が「普通とは違う見え方」をする人間だと理解しているようだった。

ある放課後、彼女が教壇の引き出しの奥から、一本の奇妙なチョークを見つけ出した。それはどのテーマカラーにも属さない、透き通った乳白色をしていた。光にかざすと、その内部で淡い虹色の光がゆらめいている。

「見て、蒼。きれい」

茜は無邪気な笑みを浮かべ、黒板に向かった。そして、その『虹色のチョーク』で、さらさらと僕の名前を書いたのだ。

『蒼』

その瞬間、信じられないことが起きた。黒板に書かれた文字が、まるで自らの意思を持つかのように、無数の光の粒子となってふわりと空間に浮かび上がったのだ。粒子は青を基調としながらも、様々な色を内包してきらめき、やがて一つの映像を結んだ。それは、果てしない知の海を渇望するように見つめる、一人の少年の瞳だった。孤独だが、その奥に揺るぎない探究心を秘めた瞳。僕自身の「本質」が、そこに映し出されていた。

「すごい……」茜が息を呑む。「このチョーク、書いた人の本当の姿を映すんだ」

僕は言葉を失い、浮かび上がる光の文字を見つめていた。その光は、黒板から離れると、まるで道を示すかのように、教室の奥にある壁の一点を、静かに照らし始めた。

第四章 色彩の牢獄への扉

チョークが示した光は、壁に埋め込まれた古いレリーフの中心を指していた。学園の創立記念の紋章だ。茜と二人で力を込めてその紋章を押すと、ゴゴゴ、と地を這うような重い音を立てて壁が横にスライドし、下へと続く螺旋階段が現れた。ひやりとした、古書のインクと黴の匂いが混じり合った空気が吹き上がってくる。

「『色彩の牢獄』……」

茜が囁いた。学園で最も恐れられている禁断の場所。あらゆる色が混濁し、その存在意義を失った「無色の生徒」が幽閉されているという伝説の場所だ。

僕たちは互いの顔を見合わせた。恐怖よりも、謎の核心に触れられるという期待が勝っていた。僕たちは覚悟を決め、一歩ずつ、暗く冷たい階段を下りていった。

長い階段の先にあったのは、一枚の巨大な扉だった。しかし、僕たちがその扉に触れると、それはまるで幻のように霧散した。目の前に広がったのは、牢獄などではなかった。そこは、天井が見えないほど広大な、円形のホールだった。壁一面が書架で埋め尽くされ、その空間を、数え切れないほどの光の粒子が、まるで星々のように静かに、そして荘厳に舞っていた。赤、青、緑、黄……あらゆる色がそこに存在しながら、決して濁ることなく、一つひとつが独立した輝きを放っている。

そして、その広間の中心。一脚の椅子に、ひとりの生徒が静かに座っていた。その生徒のテーマカラーを示すものは何もなく、ただ純白のシャツを身に着けているだけだった。彼が顔を上げた。穏やかで、全てを見透かすような深い瞳。彼の周りには、光の粒子が一切、舞っていなかった。彼は、僕が初めて見る、「存在の輪郭」を持たない人間だった。

「ようこそ。待ちわびていたよ、新たな瞳を持つ者」

第五章 白夜が語る真実

彼の声は、空間に満ちる光の粒子を震わせるように、静かに響いた。

「僕の名は白夜(ビャクヤ)。君たちが『無色の生徒』と呼ぶ存在だ。そして、この学園の創立者でもある」

白夜と名乗る青年は、僕と茜にゆっくりと語り始めた。かつて、この学園は個性を見出すための場所だったという。彼が定めた「テーマカラー」は、生徒たちが自分自身の「本質の色」を発見するための、ほんのささやかな道標に過ぎなかった。赤は情熱、青は知性、緑は慈愛。それは決して他者を縛り、断絶させるための檻ではなかった。

「だが、いつしか人々は本質を見失い、形骸化した『色』という規則に縋るようになった。異なる色を恐れ、混ざり合うことを禁忌とした。私はその歪みを正そうとしたが、私の言葉は誰にも届かなかった」

白夜の瞳に、深い哀しみの色が浮かぶ。

「だから私は、自ら『無色』となり、ここに籠った。この場所は『色彩の牢獄』などではない。ここは、全ての色の本質、全ての存在の輝きを収めた『色彩の図書館』なのだよ」

彼は僕の目を見て言った。

「君のその能力は、物事の表面的な色ではなく、その奥にある『存在の輪郭』という真実の光を見る力だ。それは、この歪んだ世界を、本来あるべき姿に戻すために与えられたものなのかもしれない」

第六章 輪郭の融合

白夜の言葉は、僕の心の奥深くに突き刺さった。視力を失う恐怖と、真実を知りたいという渇望。その天秤が、今、大きく傾いた。僕は茜を見た。彼女の赤いスカーフが、図書館の無数の光を受けてきらめいている。彼女の本当の姿を、この目に焼き付けたい。たとえ、その代償が光そのものを失うことであっても。

「見せてください」僕は言った。「この図書館に満ちる、全ての光を」

覚悟を決めた僕の瞳に、白夜は静かに頷いた。その瞬間、図書館に漂っていた全ての光の粒子が、僕の目に向かって一斉に流れ込んできた。赤の情熱、青の知性、緑の慈愛、黄の希望……無数の感情と本質が、奔流となって僕の視神経を焼き尽くしていく。激痛と共に、視界が急速に白く染まっていく。

それでも僕は、目を逸らさなかった。最後に、茜の輪郭を捉える。燃えるような赤い粒子の奥にある、誰よりも自由を愛し、孤独を恐れる、脆くて強い魂の輝き。僕はその全てを受け止めた。

「蒼!」

茜の悲鳴が遠のいていく。僕の視界が、完全な白に覆われた。だが、それは終わりではなかった。失われた視界の代わりに、僕の内側で、全く新しい感覚が芽生えようとしていた。僕のテーマカラーであった「青」が、流れ込んだ全ての光と融合し、僕という存在そのものが、あらゆる色を内包する、名もなき「新たな色」へと変貌を遂げていくのを感じた。

第七章 新たな色が見る世界

僕が再び「目」を開けた時、そこに物理的な光はなかった。視力は、完全に失われていた。だが、僕の世界は闇に閉ざされてはいなかった。代わりに、僕は「感じる」ことができた。隣に立つ茜の、温かく力強い生命の輝き。心配そうに僕を見守る白夜の、静かで澄み切った存在の気配。この図書館に満ちる、一つひとつの本が持つ物語の光。

それは、視覚を超えた認識だった。もはや僕は、対象の周りを舞う粒子を見るのではない。その存在の「輪郭」そのものを、魂で直接感じ取ることができるのだ。

「……見えるよ」僕は囁いた。「茜、君の本当の色が。赤だけじゃない。優しさの緑も、快活な黄も、そして僕と出会ってくれた勇気の虹色も、全部」

僕の手に、茜の温かい雫が落ちた。彼女のテーマカラーである赤いスカーフが、僕の影響を受けたのか、縁の部分から淡い虹色の光を放ち始めている。

僕たちは白夜に別れを告げ、手を取り合って図書館を出た。これから僕たちは、歪められた学園の規則を変えていく。失った視力の代わりに得たこの力で、色という名の呪縛に囚われた人々に、一人ひとりが持つ、唯一無二の輝きの存在を伝えていくのだ。

僕の目にはもう、世界を区切る色の壁は見えない。ただ、無数の魂が放つ、尊く、美しい光のオーケストラが、無限に広がっているだけだった。失った光の先に見つけたこの景色こそが、僕がずっと探し求めていた、世界の真の姿なのかもしれない。

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