緋色と瑠璃の砂時計
0 3631 文字 読了目安: 約7分
文字サイズ:
表示モード:

緋色と瑠璃の砂時計

第一章 燃える肌の色

彼の肌は、いつも燃えるような緋色をしていた。

僕、アキトの目には、人が僕に向ける恋愛感情が、その人の肌の色として映る。恋人であるレンの肌は、出会った日からずっと、情熱の頂を意味する鮮やかな赤色だった。彼の指が僕の髪を梳くとき、その指先から伝わる熱は、視覚的な色彩と一致して僕の心を溶かした。

僕らの部屋の窓辺には、奇妙な砂時計が一つ置かれている。上下に二つのガラス球が重なった、どこにでもある形。だが、それはレンが僕らのために作ってくれた特別なものだった。

「これは『時間共有』の始まりを告げる時計なんだ」

彼はそう言った。この世界では、真に愛し合う魂が出会うと、互いの時間が同調を始めるという。片方の命の蝋燭が尽きれば、もう片方の時間も、まるで寄り添うようにその場で静止する。孤独な別れのない、究極の愛の証明。

その砂時計は、最近になって不思議な振る舞いを見せ始めた。どちらか一方の砂が落ちきると、もう片方のガラス球からも、まるで幻のように砂が掻き消えるのだ。僕らの時間が、ゆっくりと一つになり始めている証拠だった。

レンの淹れてくれるコーヒーの香りが部屋に満ちる。彼の緋色の腕が僕を後ろから抱きしめる。疑う余地のない幸福。この永遠が、ずっと続くと信じていた。

第二章 青い染み

異変は、ある雨の日の午後に訪れた。

降りしきる雨音が窓ガラスを叩き、部屋の空気をしっとりと冷やしていた。ソファで本を読んでいたレンの横顔に、ふと目をやった瞬間、僕は息を呑んだ。

彼の頬に、ほんのわずか、夜明け前の空のような青色が滲んでいた。

「……レン?」

声が震えた。彼はゆっくりと僕に顔を向けた。その瞳はいつも通り優しい。けれど、彼の頬から首筋にかけて、緋色の中にたしかに冷たい瑠璃色が混じり始めていた。無関心を示す、絶望の色が。

「どうしたんだ、アキト。顔色が悪いぞ」

彼の声は穏やかだが、その言葉が僕の耳には届かない。僕は彼の頬に手を伸ばした。触れた肌は温かい。なのに、僕の目には氷のような青が見える。

「なんでもない……少し、疲れてるだけかも」

嘘だった。心臓が嫌な音を立てていた。

その日から、レンの肌を蝕む青は、日に日にその面積を広げていった。情熱の赤は、まるで潮が引くように後退し、彼の優しさは、どこか遠い場所から差し伸べられる手のように、実体を失っていくように感じられた。

第三章 蝕まれる時間

なぜ。その一言が、喉の奥に鉛のように詰まって出てこない。

僕は何度も彼に尋ねようとした。他に好きな人ができたのか。僕に何か不満があるのか。けれど、彼の態度は以前と何も変わらない。彼は変わらず僕のために食事を作り、僕の髪を撫で、同じベッドで眠る。ただ、その肌の色だけが、僕たちの間に横たわる絶対的な亀裂を告げていた。

窓辺の砂時計は、僕を嘲笑うかのように、着実にその役割を果たし続けていた。上のガラスから落ちる砂が、下のガラスに溜まることなく消えていく。僕らの時間は、間違いなく一つになろうとしている。愛が冷めていくのとは裏腹に、運命は僕らを固く結びつけようとしている。この矛盾が、僕の心を掻きむしった。

ある夜、眠れずに彼の寝顔を見つめていると、その顔のほとんどが深海の青に染まっていることに気づいた。残された緋色は、まるで消えかけの残り火のように、額のあたりでかろうじて明滅しているだけだった。

涙が零れた。音を立てずにベッドを抜け出し、冷たい床に膝をつく。

このまま彼の愛が完全に消え去り、肌が完全な青色になったとき、僕らの『時間共有』はどうなるのだろう。愛のない永遠を、二人で生き続けることになるのだろうか。それとも――。

第四章 未来のスケッチ

転機は、僕が持病の発作で倒れた日に訪れた。

幼い頃から抱える心臓の病。普段は落ち着いているが、強いストレスがかかると、胸を万力で締め付けられるような痛みに襲われる。彼の色の変化に心をすり減らしていた僕は、ついに限界を超えてしまったのだ。

意識が遠のく直前、駆け寄ってきたレンの顔が見えた。その表情に、僕は凍りついた。彼の顔は、悲嘆と絶望で歪んでいた。それは僕の知る、穏やかな彼の顔ではなかった。そして、その一瞬、彼の肌を覆っていた冷たい青が揺らぎ、鮮血のような赤が迸るのを、確かに見たのだ。

数日後、体調が回復した僕は、ずっと胸に引っかかっていたあの日の彼の表情の理由を探していた。彼の書斎に入ると、机の上に無造作に置かれたスケッチブックが目に留まった。開くのをためらったが、僕は震える手でそれを手に取った。

ページをめくるたびに、心臓が冷えていく。

そこに描かれていたのは、僕だった。しかし、それは僕の知らない僕の姿だった。

ある絵では、僕は悲しげな笑顔でレンに背を向けていた。ある絵では、病室のベッドで、窓の外を寂しそうに眺めていた。そして最後のページには、一人きりで雪の降る景色の中に佇む、年老いたレンの姿が描かれていた。

その絵の横に、小さな文字でこう記されていた。

『君に、この孤独を味わわせてはいけない』

第五章 君のための嘘

スケッチブックを抱きしめ、僕はリビングで待つレンの元へ向かった。窓の外は、夕焼けが世界を茜色に染め上げていた。

「レン、教えて」

僕の声は、自分でも驚くほど静かだった。レンは僕が持っているスケッチブックに気づくと、諦めたように息を吐いた。彼の肌は、今やほとんどが冷たい瑠璃色に染まっている。

「あなたが見ているものは、何?」

彼はしばらく黙っていたが、やがて重い口を開いた。

「……夢を、見るんだ」

その声は掠れていた。

「未来の夢だ。僕らの『時間共有』が、もうすぐ完成する未来の。そして……君が、自分の身体の限界を知る夢だ」

レンの言葉が、一つ一つ、僕の心に突き刺さる。

「夢の中の君は、僕の時間を止めないために、僕を独りにしないために……僕を突き放そうとするんだ。『愛がなくなった』と嘘をついて、僕の前から消えようとする。君の優しさが、君自身を孤独にするんだ」

彼の瞳から、一筋の涙がこぼれ落ちた。その涙が伝う頬の青は、悲しみの色を帯びていた。

「だから、決めたんだ。君がそうする前に、僕の方から君の愛を失くしてしまおうと。君が僕を憎んで、僕から離れていけるように。そうすれば、僕が先に逝ける。僕の時間が止まれば、君は苦しむことなく、穏やかに時を終えられる。君に……あの絵のような孤独を、味わわせたくなかった」

第六章 再び、緋色へ

彼の告白は、僕が想像していたどんな理由よりも、残酷で、そしてあまりにも深い愛に満ちていた。

僕を孤独にしないために、彼は自ら孤独を選ぼうとしていたのだ。僕に穏やかな終わりを与えるために、彼は心を殺し、愛を偽っていた。

「馬鹿だよ、レンは」

涙が止まらなかった。僕は彼の前に進み、その冷たい色の頬に触れる。

「僕が、そんなことで幸せになれるとでも思ったの?君のいない世界で、穏やかに時間を終えることなんて、僕にとっては地獄だ」

僕の言葉に、彼の瞳が大きく見開かれる。

「僕は、君と一緒にいたい。一秒でも長く。たとえ、それが明日終わる命だとしても。君の隣で終わりたいんだ」

僕の手のひらが触れている場所から、奇跡が起こった。

瑠璃色の肌に、まるでインクが滲むように、温かい緋色が広がっていく。それは夜明けの光が闇を払うように、瞬く間に彼の全身を駆け巡った。冷たい青は跡形もなく消え去り、僕の目の前には、出会った頃と同じ、燃えるような緋色の肌をしたレンが立っていた。

「アキト……」

彼は震える声で僕の名を呼び、力強く抱きしめた。互いの涙が混じり合い、失われたはずの時間が、確かな熱を取り戻していく。

第七章 僕らの時間

窓辺で、カタリと小さな音がした。

二人で見つめると、砂時計の最後の砂が、きらりと光って下のガラス球へと落ちていく。そして、次の瞬間、まるで陽炎のように、上下のガラス球からすべての砂が掻き消えた。

永遠の静寂。

けれど、僕らの心臓は、まだ確かに鼓動を刻んでいた。

レンの肌は、今までに見たこともないほど深く、美しい緋色に輝いている。僕の手を握る彼の手は、温かい。

「ねえ、レン」

「うん?」

「今、何時かな」

彼は僕の瞳をじっと見つめ、優しく微笑んだ。

「僕らの時間だよ、アキト」

世界から切り離されたのか、あるいは世界と一つになったのか、僕らにはもう分からなかった。ただ、確かなことは一つだけ。僕の時間は、彼の時間。彼の時間は、僕の時間。

始まりも終わりもない、永遠の瞬間のなかで、僕らはただ、互いの存在だけを確かめ合うように、静かに抱きしめ合っていた。

この物語の「別の結末」を創作する

あなたのアイデアをAIに与えて、この物語の続きや、もしもの展開を創作してみましょう。

0 / 200
本日、あと...

TOPへ戻る