最後の砂粒は君の色
第一章 輝きを喰らう者
俺、ルクスは呪われている。生まれ落ちたその瞬間から、胸の奥で燃える『感情石』は、夜空で最も明るい星よりも強く、禍々しいほどに輝いていた。それは祝福ではなかった。俺の輝きは、他者の輝きを喰らう。俺が傍にいるだけで、人々は心の彩りを失っていくのだ。
街の灯りが滲む窓辺に立ち、俺は息を殺す。路地を行き交う人々は皆、胸の内にささやかな光を宿している。琥珀色の喜び、瑠璃色の悲哀、茜色の愛情。それらが混じり合い、世界はかろうじてその形を保っている。だが俺がその輪に加われば、調和はたやすく崩れ去る。俺の感情石が、まるで飢えた獣のように他者の輝きを求め、無慈悲に吸い尽くしてしまうからだ。
吸い取られた者は、徐々に感情を失い、存在が希薄になる。やがて誰の記憶からも消え、世界の法則に従って塵のように消滅する。
幼い頃、たった一人の親友がいた。カイだ。
太陽のような笑顔を浮かべる彼の感情石は、ひまわりのように暖かな黄金色に輝いていた。俺は、彼を遠ざけようとした。だがカイは、俺の孤独を見透かし、その手を離さなかった。「ルクスの隣が、一番あったかいんだ」と、屈託なく笑った。
その温もりが、彼を殺した。
ある朝、カイは忽然と姿を消した。彼の部屋はもぬけの殻で、家族さえも彼の存在を覚えていなかった。世界から、彼という存在の記録が、綺麗に消し去られていた。俺の胸に残る、抉られるような痛みだけが、彼が確かに存在した証だった。
それ以来、俺は誰とも深く関わらず、感情という名の蓋を固く閉ざして生きてきた。愛することも、憎むことも、自分に禁じた。この輝きが誰かを傷つけるくらいなら、俺は無色の影として、世界の片隅で朽ち果てればいい。そう、心に決めていた。あの日、あの再会を果たすまでは。
第二章 虚ろな再会
雑踏の中、見覚えのある銀色の髪が、俺の視界を貫いた。
心臓が凍りつく。嘘だ。いるはずがない。世界から消えた者が、戻ってくることなどあり得ないのだから。
だが、そこに立っていたのは、紛れもなくカイだった。少しだけ背が伸び、大人びた顔立ちになっている。しかし、何かが決定的に違っていた。彼の瞳は、かつての光を失い、まるで磨かれた硝子玉のように虚ろだった。胸の奥に宿るはずの感情石の輝きも、今はまるで感じられない。
「……カイ?」
掠れた声で呼びかけると、彼はゆっくりとこちらを向いた。その目に、懐かしさの色は浮かばない。ただ、得体の知れないものを見るような、無機質な視線が返ってくるだけだった。
「誰だ?」
その一言が、俺の胸を鋭く抉った。
彼は生きている。だが、それはカイではない何かだった。感情を失い、記憶さえも失った、空っぽの人形。俺が、俺のこの呪われた体質が、彼をこんな姿に変えてしまったのだ。
絶望に打ちひしがれる俺に、街の古物商の老人が声をかけた。「その青年、どこかで…」。老人は首を傾げ、やがて何かを思い出したように、店の奥から古びた砂時計を持ってきた。
「『想石の砂時計』じゃ。失われた感情を、砂が落ちきる間だけ守ってくれるという伝説の…だが、代償も大きい。持ち主の感情を喰らうからのう」
その砂時計は、鈍い光を放っていた。内部で煌めく砂は、まるで砕かれた無数の感情石の破片のようだった。老人は言った。「世界の涙から生まれたという話もある。最近、どうも空の色が薄い。世界の感情が、どこかで滞っておるのかもしれんのう…」
その言葉が、妙に胸に引っかかった。俺は震える手で砂時計を受け取った。代償など、どうでもよかった。たとえ一瞬でも、カイにあの笑顔を取り戻せるのなら。
第三章 世界の涙
砂時計をカイに近づけた瞬間、微かな変化が起きた。カイの虚ろな瞳に、一瞬だけ戸惑いの色が揺らめいた。そして、ぽつりと呟いたのだ。
「…ひまわり…?」
それは、かつて二人で育てた花の名前だった。感情は失われても、記憶の欠片が魂の底に眠っている。希望の光が、暗闇の中に差し込んだ。
だが、喜びも束の間、俺は激しい虚無感に襲われた。砂時計が俺の感情を吸い上げているのだ。カイに光を与えれば与えるほど、俺の中から色が消えていく。このままでは、俺がカイのようになってしまう。
その時、世界の真実が、まるで啓示のように頭の中に流れ込んできた。
この世界は、人々の感情の輝きによって成り立っている。しかし、感情が満ちすぎれば、世界は飽和し、自重で崩壊する。俺の体質は呪いではなかった。増えすぎた感情を回収し、世界を正常に保つための『循環装置』。俺は、世界の調停者だったのだ。
カイが消滅せず、中途半半端な形で現れたのは、俺が彼の感情を不完全に吸い取ってしまったが故に生じた、世界の歪みそのものだった。
そして老人の言った通り、俺が感情を抑え続けた結果、世界の感情は循環を止め、飽和寸前になっていた。空が色褪せ、人々の輝きが弱まっているのは、その前兆だった。
世界を救い、カイを元に戻す方法は、ただ一つ。
俺が世界中の感情石をその身に受け入れ、自らが『世界の感情の核』となり、この飽和した世界をリセットすること。それは、俺という存在の完全な消滅を意味していた。
カイを人気のない鐘楼へと連れて行く。街を見下ろしながら、俺は覚悟を決めた。
「カイ、聞いてくれ」
感情のない彼に、俺は全てを語った。幼い日の思い出、俺の犯した罪、そして、これから俺が為すべきことを。
カイは黙って聞いていた。だが、俺が「だから、俺は消える」と言った瞬間、彼の硝子玉の瞳から、一筋の雫が零れ落ちた。
「…行くな」
感情のないはずの声が、震えていた。
「なぜだか、わからない。でも、君がいなくなると、俺の何かが、永遠に欠けてしまう気がするんだ」
それは、魂の叫びだった。感情を失っても、記憶を失っても、心の奥底で繋がっていた絆が、最後の抵抗を見せていた。
俺の胸の内で、閉ざしていた感情が爆発した。
「俺だって行きたくない!お前ともう一度笑い合いたかった!お前のいない世界なんて、俺にとっては意味がないんだ!」
涙と共に、俺の感情石が激しく輝きを放つ。愛しさ、悔しさ、悲しみ、そして決意。あらゆる感情が奔流となって、俺の体を駆け巡った。もう、迷いはなかった。
第四章 永遠の一粒
俺はカイを強く抱きしめ、天を仰いだ。
「来たれ!世界の全ての輝きよ!この身に!」
その瞬間、世界中から無数の光の筋が俺の胸へと殺到した。街から、森から、海から、空から、ありとあらゆる感情の輝きが、俺という器に注ぎ込まれていく。体は灼けるように熱く、意識は光の奔流に溶けていく。
存在が消え去る、その寸前。
俺は最後の力で『想石の砂時計』を逆さにした。そして、この身に残ったたった一つの、最も強い感情をそこへ注ぎ込んだ。
――カイへの愛と、共に過ごした、ひまわりのように輝く記憶。
砂時計の中を満たしていた破片が、一つの温かな黄金色の輝きに満たされていく。
「さよなら、カイ」
世界が白く染まり、俺の意識は完全に途切れた。
・・・
カイが目を覚ました時、彼は鐘楼に一人で立っていた。世界は驚くほど鮮やかに色づき、人々の笑い声が風に乗って聞こえてくる。彼の胸には、ひまわりのように暖かな黄金色の感情石が、力強く輝いていた。
だが、何かを忘れている。
とても大切で、決して忘れてはいけない何かを、失ってしまったような、途方もない喪失感が胸を締め付ける。
「……誰だろう」
理由もなく涙が頬を伝った。彼は空を見上げる。どこまでも青い空を見つめながら、なぜ自分が泣いているのか、わからないままだった。
世界のどこか、誰にも認識されることのない次元の狭間で。
一つの小さな砂時計が、静かに時を刻んでいる。
黄金色に輝く砂が、一粒、また一粒と、ゆっくりと落ちていく。
その最後の砂粒が落ちきることは、永遠にない。それは、世界から忘れられた少年が、たった一人の親友へ捧げた、最後の輝きだったのだから。