第一章 凍てつく花嫁と熱帯の夜
重厚なオークの扉が、軋んだ音を立てて閉ざされた。
カチリ。
鍵のかかる音が、エレナの理性を縛る鎖のように響く。
天蓋付きの巨大なベッド。
部屋を支配するのは、むせ返るような薔薇の香りと、蠟燭の揺らめき。
そして、窓際に立つ男の背中だった。
「……震えているのか? エレナ」
低く、腹の底に響くようなバリトン。
振り返ったのは、この国の「獣」と恐れられる公爵、カエルムだ。
乱れた黒髪。
シャツのボタンを三つほど開け、逞しい胸板を惜しげもなく晒している。
その瞳は、獲物を前にした肉食獣のように、金色に爛々と輝いていた。
「こ、怖くなど……ありません」
エレナは声を絞り出す。
政略結婚。
没落寸前の伯爵家を救うため、莫大な持参金と引き換えに売られた身だ。
「氷の令嬢」
社交界でそう呼ばれる彼女は、幼い頃から感情を殺すことだけを教育されてきた。
夫となる男に何をされようと、人形のように耐えればいい。
そう自分に言い聞かせていた。
だが。
カエルムはゆっくりと歩み寄ると、エレナの眼前で足を止めた。
触れそうで触れない距離。
彼から発せられる圧倒的な熱気が、エレナの肌をじりじりと焼く。
「嘘だな」
彼は嘲笑うように呟くと、大きな手でエレナの顎を掴んだ。
強引に上を向かされる。
抵抗しようとした身体が、彼の親指が唇をなぞった瞬間に強張った。
「ん……っ」
「良い声だ。だが、まだ硬い」
カエルムの視線が、純白のドレスの胸元へと滑り落ちる。
「脱げ」
短く、絶対的な命令。
エレナは屈辱に顔を歪めながらも、震える指で背中のリボンに手をかけた。
布擦れの音が、静寂な部屋にやけに大きく響く。
ドレスが床に落ちる。
露わになったのは、薄いシルクのシュミーズ一枚。
コルセットによって締め上げられた腰のラインと、そこから溢れ出そうな柔らかな膨らみが、頼りない布越しに透けている。
「美しい」
カエルムが喉を鳴らした。
次の瞬間、エレナはベッドへと押し倒されていた。
「きゃっ……!」
逃げる間もない。
覆いかぶさる彼の体重、筋肉の硬さ、そして荒い息遣い。
すべてが暴力的で、それでいて甘美な毒のようにエレナの感覚を麻痺させる。
「これから俺が、お前のその『氷』を砕いてやる」
彼の唇が、エレナの耳元に触れた。
「泣いて許しを請うまで……徹底的にな」
熱い吐息が耳孔に吹き込まれる。
ゾクリ、と背筋を電流が駆け抜けた。
それは、エレナが初めて知る「背徳」という名の熱の始まりだった。
第二章 指先の魔術
痛みを覚悟して目を閉じたエレナを待っていたのは、予想を裏切る行為だった。
「……んぅ?」
カエルムの手が、エレナの太ももの内側を這う。
乱暴に掴むのではない。
まるで壊れ物を扱うかのように、指の腹で円を描くように。
シルクの布越しに伝わる熱が、敏感な内腿の皮膚をじらす。
「ひ、や……やめて、ください……」
「嫌か? 身体は正直だぞ」
彼の言う通りだった。
恐怖で縮こまっていたはずの身体が、彼の指が動くたびに、甘く疼き始めている。
カエルムの手が、ゆっくりとシュミーズの裾を捲り上げていく。
外気に晒された肌が粟立つ。
その反応を楽しむように、彼は膝の裏、ふくらはぎ、そして足首へとキスを落とした。
「あ……っ、そこ、は……!」
予期せぬ場所への口づけに、エレナは声を上げた。
「ここは敏感なのか?」
ニヤリと笑い、彼は膝の裏を舌先で転がすように舐めた。
「ひゃうっ!」
恥ずかしい声が漏れる。
こんな声、出したことがない。
「伯爵家では教わらなかったか? 淑女の嗜みを」
カエルムの手が、再び太ももへと戻ってくる。
今度は、より深く。
核心へと近づく指先。
焦らし、焦らし、焦らされる。
「お願い、です……もう……」
何を「お願い」しているのか、自分でもわからない。
ただ、身体の奥底で燻っていた火種が、ガソリンを注がれたように燃え上がっていく。
カエルムは残酷だった。
核心には決して触れない。
その周囲、ギリギリの場所を執拗に攻め立てる。
へその下。
くびれた腰。
そして、張り詰めた胸の頂。
薄い布越しに、彼の指が頂を摘んだ瞬間、エレナの視界が白く弾けた。
「ああっ! んんっ!」
弓なりに反り返る背中。
シーツを握りしめる指が白くなる。
「そうだ、その顔が見たかった」
カエルムが囁く。
「高潔な令嬢が、快楽に溺れて堕ちていく顔を」
彼はエレナの唇を奪った。
挨拶のようなキスではない。
酸素を奪い、唾液を貪り、舌を絡み合わせる、獣の口づけ。
頭が痺れる。
理性が溶ける。
自分が自分でなくなっていく。
「カエルム……さま……」
気がつけば、エレナは自ら彼にしがみつき、その背中に爪を立てていた。
第三章 蜜の決壊
「欲しいか?」
意地悪な問いかけに、エレナは涙目で頷くことしかできない。
シュミーズはとうに破り捨てられ、エレナの肢体は完全に露わになっていた。
白磁のような肌は、いまや上気して桜色に染まり、汗で艶めいている。
「言葉にしろ。何をされたい?」
カエルムは許さない。
彼は支配者だ。
エレナの心も体も、すべてを剥き出しにさせなければ気が済まないのだ。
「……か……」
声が震える。
「奥……奥まで、あなたの……証を……」
羞恥で死んでしまいそうだ。
けれど、それ以上に。
空虚な渇きが、下腹部で暴れまわっている。
満たされたい。
貫かれたい。
侵略されたい。
「よく言った」
カエルムの瞳が、暗い欲望の色に染まる。
彼は自身の熱り立った欲望を、エレナの濡れそぼった秘所に押し当てた。
「あ……熱い……っ」
あまりの熱量に、腰が引ける。
だが、逃がさない。
カエルムは太い腕でエレナの腰を固定すると、一気に体重をかけた。
ズプッ、という湿った音と共に、異物が侵入してくる。
「あぐっ……!」
痛み。
しかし、それは瞬く間に、脳髄を揺さぶるような強烈な快楽へと変換された。
「き、つい……。だが、最高だ……」
カエルムが苦しげに唸る。
彼の楔が、エレナの最奥をこじ開け、埋め尽くしていく。
「あっ、あぁっ! 深い、深いですっ!」
「まだだ、もっと奥へ……魂まで届くほどに」
彼は容赦なく腰を打ち付ける。
パン、パン、と肌と肌がぶつかる音が、淫靡なリズムを刻む。
突かれるたびに、エレナの思考は吹き飛び、ただ快楽の波に翻弄される小舟となる。
「カエルム様、カエルム様ぁっ!」
名前を呼ぶことしかできない。
彼に抱きつき、彼の一部となり、彼の熱に溶かされる。
氷の令嬢は、もうどこにもいない。
そこにいるのは、愛欲に乱れ、獣の愛を受け入れる一人の雌だ。
「イク……っ、一緒に……!」
カエルムの動きが激しさを増す。
最深部を抉るような強烈な一撃。
エレナの身体が大きく跳ねた。
目の前が真っ白になり、世界が崩壊する。
身体の芯から熱い蜜が溢れ出し、同時に、彼からも灼熱の奔流が注ぎ込まれた。
「あぁぁぁぁぁっ……!」
絶叫。
そして、長い余韻。
二人の荒い呼吸だけが、部屋に満ちていた。
カエルムは崩れ落ちるようにエレナの上に重なる。
その重みすら、今のエレナには愛おしかった。
「……溶けたな」
耳元で、彼が優しく囁く。
「お前はもう、俺のものだ」
エレナは力なく微笑み、彼の汗ばんだ背中に腕を回した。
この政略結婚は、契約ではない。
逃れられない、甘美な檻への招待状だったのだ。
(了)