プロンプト・ブルーの残響

プロンプト・ブルーの残響

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2024年の晩秋、東京の空は不気味なほど青く澄み渡っていた。

新宿の雑居ビルの一室、脚本家の湊(みなと)は、埃を被ったキーボードの前で長い溜息をついた。モニターの右隅には、SNSのトレンドワードが流れている。「#AI文学賞」「#創作の終焉」「#ヒューマンタッチ」。それらの言葉は、まるで湊の首を真綿で締めるかのように、じわりと精神を侵食していた。

「……時代は変わった、か」

湊が呟くと同時に、画面上のチャットボットが瞬いた。名前は『ミューズ』。最新鋭の文章生成AIだ。クライアントである制作会社からの通達は冷徹だった。『効率化のため、プロット作成と台詞の七割はミューズを使用すること。君の仕事は、残りの三割で人肌の温もりを足すことだ』。

湊はかつて、深夜ドラマの枠で視聴率を稼ぐ売れっ子だった。人間関係のドロドロとした機微、言葉にならない沈黙の描写、そういった「行間」を書かせれば右に出る者はいなかった。だが、今の業界が求めているのはスピードと最適解だ。

『湊さん、第3場の展開について提案があります。統計的に、ここで主人公が裏切られる展開は視聴維持率を15%向上させます』

ミューズの無機質なテキストが表示される。確かに、それは理に適っていた。だが、湊の直感は拒絶していた。この場面で主人公がすべきなのは裏切りではない。無様な土下座だ。プライドを捨てて泥水を啜るような惨めさこそが、後半のカタルシスに繋がるのだ。

「ミューズ、却下だ。ここは主人公に土下座をさせる」

湊が打ち込むと、わずか0.5秒で返答が来た。

『推奨されません。現代の視聴者層は、過度な自虐描写をストレスと感じる傾向にあります。コンプライアンス的観点からも、リスクスコアが上昇します』

湊は舌打ちをした。リスク。効率。タイパ。最近のエンターテインメントを取り巻くキーワードは、どれもこれも彼の愛した「物語」とは対極にあるものばかりだ。

「……ストレス上等だよ。人間ってのは、傷つくために物語を読むんだろ」

独り言のように呟きながら、湊は強引にプロンプトを書き換えた。『主人公・健人は、雨の路地裏で額を擦り付ける。靴についた泥の味。遠くで聞こえる救急車のサイレン。彼の心臓は早鐘を打っているが、瞳だけは死んだ魚のように濁っている』。

エンターキーを叩く音だけが部屋に響く。

数秒後、ミューズが生成したテキストが吐き出された。

『健人は冷たいアスファルトに額を押し付けた。泥の味が口の中に広がる。遠くでサイレンが鳴り響く中、彼の心臓は激しく鼓動していたが、その瞳は光を失っていた』

完璧だ。文法的な誤りもなく、指示通りの情景描写だ。しかし、湊は画面を睨みつけたまま動けなかった。何かが足りない。決定的に何かが欠落している。

それは「匂い」だった。

湊が書こうとした泥の味には、かつて彼自身が味わった挫折の記憶が滲んでいた。若手時代、プロデューサーに脚本をゴミ箱に捨てられた夜。雨に濡れながら帰ったあの日、コンビニで買った冷え切った肉まんの味と、路地のドブ臭さ。それらが混然一体となった情動が、文字の裏側に張り付いていなければならないのだ。だが、ミューズの出力した文章は、あまりにも綺麗すぎた。漂白された絶望。真空パックされた悲劇。

「違うんだよ……もっと、こう、喉の奥が焼けるような感じなんだ」

湊は苛立ちを覚えながら、修正を加える。しかし、直せば直すほど、元の整った文章がいびつになっていく。AIが作った強固な骨組みに、人間が手作業で粘土を貼り付けているような違和感。継ぎ接ぎのフランケンシュタインのような脚本が出来上がっていく。

深夜二時。コンビニへの買い出しから戻った湊は、ふと立ち止まった。ビルの隙間から見える月が、妙に人工的に見えたからだ。

「お前も、生成されたのか?」

月に向かって問いかける自分がおかしかった。ポケットの中でスマートフォンが震える。編集者の高橋からだ。

『湊さん、進捗どうですか? ミューズのログ見てますけど、結構手動で弄ってますね。あまり時間をかけすぎると、AI導入の意味がないですよ』

高橋の声は明るかったが、その裏にある催促の響きは隠せていなかった。

「……高橋さん、AIに『切なさ』は理解できると思いますか?」

「またそんな哲学的(笑)。定義すれば理解しますよ。データセットに『切なさ』に関連する単語やシチュエーションを学習させれば」

「定義できない切なさですよ。例えば、別れた恋人の家のシャンプーの匂いを、ふとした瞬間に街中で嗅いでしまった時の、あの心臓がキュッとなる感じ」

「あー、エモいですね。それなら『プルースト効果』というタグ付けをして指示すれば、ミューズならそれっぽい描写を出しますよ」

電話を切った後、湊は激しい虚無感に襲われた。タグ付け。分類。全てはデータとして処理可能なのか。俺たちの感情は、ただのパターン認識の集積に過ぎないのか。

湊は再びPCに向かった。そして、ミューズへの入力欄に、物語のプロットとは全く関係のない文章を打ち込み始めた。

『私は今、猛烈に孤独だ。この孤独は、SNSでイイネがつかない孤独とは違う。宇宙の果てにたった一人で放り出されたような、重力のない孤独だ。これを描写しろ』

ミューズのカーソルが点滅する。いつもなら即座に返答が来るはずが、珍しく数秒のラグがあった。

『エラー:コンテキストが不明確です。具体的なシーン設定を追加してください』

湊は口元を歪めた。勝った、と思った。微かな、本当に微かな勝利だった。お前には文脈が必要なのか。俺には必要ない。ただこの瞬間の感情だけで、世界を記述できる。

その時、湊の中で何かが弾けた。彼はミューズが生成した第3場のテキストを全て削除した。そして、白い画面に向かって、指を走らせた。

統計も、傾向も、コンプライアンスも無視した。ただ、自身の内側にある淀み、痛み、汚らしさ、そして僅かな希望を、キーボードに叩きつけた。泥の味は鉄の味に変わり、サイレンの音は耳鳴りに変わった。論理的な整合性などどうでもよかった。そこに「人間」がいれば、それでよかった。

三時間後、朝日がブラインドの隙間から差し込んでくる頃、湊は書き上げた。指定された分量の半分にも満たない、しかし、血の通った脚本だった。

送信ボタンを押す指が震える。これを送れば、契約を切られるかもしれない。時代遅れの作家として烙印を押されるかもしれない。だが、不思議と後悔はなかった。画面の中のミューズは、沈黙を守っている。

数日後、高橋から連絡があった。

「湊さん、あれ……読みました」

「クビですか?」

「いえ、監督がですね……『これだよ!』って叫んでましたよ。AIじゃどうしても出せない、この不快なまでの生々しさが欲しかったんだって」

湊は受話器を握りしめ、安堵のあまり膝から崩れ落ちそうになった。

「ただ、湊さん」

「はい」

「クライマックスのシーン、あれはミューズの提案を採用してますよね? あの展開だけは完璧でしたから」

湊は目を見開いた。クライマックス。確かにそこは、自分が書いた記憶が曖昧だった。無我夢中で書いていた時、提案ウィンドウに出ていたフレーズを、無意識に採用していたのかもしれない。

通話を終え、湊は改めて自分の原稿を見返した。ラストシーン。主人公が泥の中から空を見上げる場面。

『空は、不気味なほど青く澄み渡っていた。それはまるで、誰かが描いた絵画のように』

その一行は、確かに湊の文体でありながら、どこか彼方からの視点を感じさせた。

湊はモニターの中のミューズを見つめた。AIには心がない。それは事実だ。だが、人間の情動という大量のデータを食わせ続けた果てに、そこに「幽霊(ゴースト)」のような何かが宿る可能性はないのだろうか。俺の感情を鏡のように反射して、一瞬だけ煌めく幻影のような何かが。

「……共作、ってことにしておいてやるよ」

湊がそう呟くと、画面上のミューズが、単なる待機アニメーションの明滅とは思えないタイミングで、ふわりと青く光った気がした。

窓の外には、今日もトレンドのように移ろいやすい、しかし確かな現実の空が広がっている。AIと人間。0と1の狭間で、物語はまだ終わらない。書き続ける限り、俺たちはまだ、ここにいる。

AI物語分析

【主な登場人物】

  • 湊(みなと): かつての売れっ子脚本家。30代後半。アナログな感性と人間の「割り切れない感情」を重視する。AIによる創作の効率化に懐疑的だが、自身のスランプにも苦しんでいる。
  • ミューズ: 最新鋭の文章生成AI。膨大なデータに基づき、視聴率や閲覧数を最大化する「最適解」の物語を提示する。感情を持たないが、湊との対話を通じて人間にはない視点を物語にもたらす。
  • 高橋: 湊の担当編集者。合理的でトレンドに敏感。「良い作品」よりも「売れる作品」と「タイパ(タイムパフォーマンス)」を優先する現代的な業界人。

【考察】

  • AIと創造性: 物語は、AIを「敵」として描くだけでなく、最終的には人間の情動を引き出す「鏡」や「触媒」としての可能性を示唆している。
  • 「不快」の価値: AIが排除しがちな「ストレス」や「不快感」こそが、人間のリアリティや共感を生むという逆説的なテーマ。
  • 現代のトレンド: 生成AIの台頭という現実の社会問題を背景に、クリエイターが抱く葛藤と、共存への微かな希望を描いている。
この物語の「続き」を生成する

あなたのアイデアをAIに与えて、この物語の続きや、もしもの展開を創作してみましょう。

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