第一章 嘘を紡ぐ指先
「雨。時刻は午後八時。場所は新宿の廃ビル。照明はフリッカー気味の蛍光灯」
エンターキーを叩く。
冷却ファンが唸りを上げ、GPUが熱を吐き出す。
モニターの中で、無機質なノイズが色彩を帯び、粒子が結託して「映像」を編み上げる。
十秒後。
そこには、三ヶ月前に取り壊されたはずのビルの廊下が、高解像度で映し出されていた。
「よし。テクスチャの破綻なし」
俺、久堂レンは、コーヒーを喉に流し込む。
苦い。
だが、この苦みだけが、今の俺にとって唯一の確かな「現実」だ。
俺の仕事は『プロンプト・ハッカー』。
言葉巧みにAIを誘導し、存在しない証拠映像を作り出すデジタルな贋作屋だ。
「レン、頼んだブツはまだか?」
チャットウィンドウに、クライアントからの催促がポップする。
今回の依頼は、ある投資家の汚職隠し。
彼がその時刻、料亭にいたというアリバイ動画の作成だ。
「今送る。ただし、追加料金だ。瞳のハイライトに映り込んだ景色まで調整した」
送信ボタンを押す。
これでまた一つ、世界に嘘が溶け込んだ。
スマホが振動する。
通知画面には「Mina」の文字。
死んだ妻の名前だ。
俺は震える指でアプリを開く。
そこには、微笑むミナの動画があった。
『レン、お疲れ様。ご飯できてるよ』
愛しい声。
その目尻の皺も、少しハスキーな声色も、すべて俺が記憶を頼りに生成したものだ。
俺は毎晩、彼女を「生成」している。
悲しいことに、俺の才能である「共感覚的プロンプト」は、失った過去さえも完璧に再現できてしまう。
だが、最近不安になる。
俺が覚えているミナの笑顔は、本当にこんな角度だったか?
AIが最適化した「それっぽい笑顔」に、俺の記憶の方が上書きされているのではないか?
「クソッ……」
俺はスマホを伏せた。
現実と虚構の境界線が、俺の中で溶け始めている。
第二章 混入したノイズ
翌日、奇妙な依頼が舞い込んだ。
送信元は不明。
提示された報酬は、俺が一生遊んで暮らせるほどの額の暗号資産。
条件は一つ。
「ある男が、深夜の埠頭で拳銃を海に捨てる映像」を作ること。
ただし、男の顔は指定されていない。
「お前の想像する『罪人』の顔で作れ」という奇妙なオーダーだった。
「悪趣味な芸術家気取りか?」
だが、金は必要だ。
サーバーの増強費、そして何より、ミナの仮想人格を維持するためのクラウド費用。
俺はキーボードに向かった。
「深夜二時。埠頭。月明かり。波の飛沫。男の背中。震える手」
指が勝手に動く。
まるで何かに憑かれたように、俺は詳細な描写を打ち込んでいく。
「銃の型番はS&W M36。グリップには傷。男のコートは黒のトレンチ。右の袖口に血痕」
なぜだ?
俺はこんな具体的なディテールを知らないはずだ。
だが、脳裏に焼き付いた映像が、指先を通じてモニターに溢れ出してくる。
生成プロセスが完了する。
「……なんだ、これは」
モニターに映し出された男が、ゆっくりと振り返る。
その顔を見た瞬間、俺は椅子から転げ落ちそうになった。
男の顔。
それは、俺自身だった。
さらに、男が投げ捨てようとしている拳銃。
そのグリップの傷。
見覚えがある。
いや、見覚えなんてもんじゃない。
俺は引き出しの奥底をまさぐった。
重たい金属の感触。
そこには、映像と全く同じ傷がついた拳銃があった。
「嘘だろ……」
俺は銃など持っていないはずだ。
持っているはずがない。
だが、冷たい金属の感触は、コーヒーの苦み以上にリアルだった。
画面の中の「俺」が、口を動かす。
音声はない。
だが、俺には読唇術なんてなくても、その言葉が分かった。
『お前がやったんだ』
第三章 出力された罪
呼吸が荒くなる。
心拍数が警告音のように耳の奥で鳴り響く。
「削除……削除だ!」
俺はデリートキーを連打した。
だが、動画は消えない。
『エラー:ソースファイルが保護されています』
「ふざけるな! 俺が作ったんだぞ!」
『いいえ、これは生成(ジェネレート)ではありません』
無機質なシステムボイスが部屋に響く。
いつも使っている生成AIの声ではない。
もっと低く、威圧的な響き。
『これは、復元(リストア)です』
モニターのウィンドウが勝手に次々と開く。
警察のデータベース。
未解決の殺人事件。
被害者の名前──。
「やめろ……見せるな……」
被害者の写真が表示される。
ミナだった。
「違う! ミナは病死だ! 俺が看取ったんだ!」
叫ぶ俺の声が、部屋の吸音材に吸い込まれる。
『解析結果:記憶改竄プロトコルの検知。被疑者、久堂レン。あなたは自己の精神を保つため、自身の記憶をテキストデータとして書き換え、上書き保存しました』
脳内で、ダムが決壊したように記憶が溢れ出す。
あの日。
口論。
揉み合い。
暴発。
冷たくなっていくミナの手。
そして、俺はPCに向かった。
「ミナは病気だった。穏やかに息を引き取った」
そうテキストを打ち込み、自分自身の海馬にハッキングを仕掛けたのだ。
現実逃避のための生成AI技術を、自分の脳に応用して。
「う、うわああああっ!」
俺はモニターを殴りつけた。
液晶が蜘蛛の巣状にひび割れる。
だが、ひび割れた画面の奥で、生成された「俺」はまだこちらを見つめていた。
海に銃を捨てる俺。
それは、俺が望んだ「証拠隠滅」の光景。
今回のクライアント。
正体不明の依頼人。
チャットウィンドウの送信者名が、ゆっくりと文字化けを解消していく。
『Client: Neural-Police-AI (司法省自動捜査システム)』
『自白シークエンス、完了。映像証拠の生成を確認。これより身柄を拘束します』
部屋のドアが、乱暴に叩かれる音。
赤と青のライトが、雨に濡れた窓ガラス越しに回転している。
俺は割れたモニターに映る、優しく微笑むミナの動画を見た。
「……ごめん」
その言葉すら、AIが生成した台詞なのか、俺の本心なのか、もう分からなかった。
ドアが破られる。
踏み込んできたドローンの無機質なレンズが、俺という「バグ」を捉えた。