第一章 砂塵のシンフォニー
頭蓋骨の裏側を、無機質な電子音が引っ掻く。
「カイト、同期率が九五を超えたわ。これ以上は脳が焼き切れる」
通信機越しの警告。だが、俺はニューラルリンクを切断しなかった。
視界に広がるのは、荒涼とした火星のマリネリス渓谷。
しかし、俺の網膜に投影されているのは赤茶けた岩肌ではない。
地下数キロメートルまで透過する、LiDAR(ライダー)スキャンの三次元点群データだ。
無数の光の粒子が、暗闇の中で明滅している。
俺にはそれが、音として聞こえる。
岩盤の密度、地層の歪み、地下水脈の微かな振動。
すべてが重なり合い、壮大な交響曲を奏でている。
「うるさいな……黙ってろよ、エルザ」
俺は奥歯を噛み締め、意識をさらに深く、地下へと潜らせる。
この才能――「データ共感覚」こそが、俺が企業連合から高額で雇われている理由だ。
他の発掘屋が見逃す微細なノイズを、俺は不協和音として聴き分ける。
ザザッ、ザザザッ。
突然、美しい旋律の中に、鋭いノイズが混じった。
まるで、ピアノ線の切れる音。
「……見つけた」
座標、北緯一二度、西経六四度。
地下三〇〇メートル。
自然界には存在し得ない、完全な直角。
そして、異常なほどの「静寂」。
そこだけ、データがブラックホールのように吸い込まれ、音が消えている。
「エルザ、ドリルを用意しろ。ビンゴだ」
「嘘でしょ? そっちは地質学的に不安定な――」
「いいから掘れ。そこに『神』が埋まってる」
俺はリンクを強制切断し、コクピットの狭い座席で荒い息を吐いた。
鼻から垂れた温かい液体を、汚れた袖で乱暴に拭う。
血の鉄錆の臭い。
この星と同じ臭いだ。
第二章 鏡像の迷宮
エレベーターシャフトが軋み音を立てて降下していく。
ヘッドランプの光が、闇を切り裂く。
舞い上がる塵。
俺とエルザは、強化外骨格のサーボモーターを唸らせながら、掘削された空洞へと降り立った。
「信じられない……」
エルザが息を飲む音が、無線越しに響く。
俺たちの目の前には、巨大な「扉」があった。
高さは十メートル以上。
表面には幾何学模様が刻まれているが、風化の痕跡が一切ない。
「材質は?」
「スペクトロ解析不能。でも、炭素ベースの重合体……ダイヤモンドに近いわ。こんな技術、現代の地球にもない」
俺はグローブを外し、素手でその扉に触れた。
冷たい。
だが、指先に触れた瞬間、微かな振動が伝わってくる。
脈動。
まるで生き物だ。
「カイト、離れて! 放射線量が上がってる!」
警告灯が赤く点滅する。
だが、俺は動けなかった。
扉の表面に、光のラインが走る。
複雑な幾何学模様が組み変わり、一つの形を成した。
それは、DNAの二重らせん構造。
いや、違う。
よく見ると、らせんの一部が欠けている。
『認証を開始します』
脳内に直接、声が響いた。
翻訳機を通した機械音声ではない。
明確な、しかし古風な響きを持つ「日本語」だった。
「日本語……? なぜだ?」
エルザが銃を構える。
「カイト、何を言ってるの? 何も聞こえないわよ」
「聞こえないのか? この声を」
『遺伝子照合、九九・九%合致。ようこそ、管理官』
重厚な音と共に、扉がスライドした。
中から溢れ出したのは、腐敗した空気ではなく、滅菌された無臭の風。
俺たちは顔を見合わせ、その暗闇へと足を踏み入れた。
そこは神殿ではなかった。
壁一面に埋め尽くされた、サーバーラックのような黒い柱。
中央に鎮座する、巨大な球体のコンソール。
これは、コントロールルームだ。
「見て、カイト。この文字」
エルザがコンソールの一部を指差す。
震える指先が照らしたのは、見慣れない記号。
いや、俺はその形を知っている。
古代シュメール文字に似ているが、もっと洗練されたフォント。
俺の共感覚が、その文字を「音」に変換する。
『TERRA-FORMING PROJECT ARK』
「テラフォーミング・プロジェクト……アーク?」
俺の呟きに、部屋全体が呼応するように青白く発光し始めた。
第三章 反転する歴史
中央の球体が展開し、ホログラムが浮かび上がる。
そこに映し出されたのは、二つの惑星。
一つは、青く輝く美しい星。
もう一つは、灰色の雲に覆われた死の星。
「これ、地球と火星よね?」
エルザがホログラムに近づく。
「待て。配置が逆だ」
俺はホログラムを操作する。
青い星の軌道データ。
重力係数、自転周期。
「この青い星は、火星だ」
そして、灰色の死の星。
有害なガスに覆われ、生命が存在できない地獄。
それは、太古の「地球」だった。
『記録再生』
再び脳内に声が響く。
ホログラムの映像が早回しで再生される。
青い火星に、巨大な都市群が築かれていく。
高度な文明、見たこともない飛翔体。
しかし、やがて空が暗転する。
ナノマシンによる暴走事故。
あるいは、戦争。
「グレイ・グー(自己増殖するナノマシンの海)……」
美しい火星が、銀色の粘液に飲み込まれていく。
逃げ惑う人々。
彼らは最後の希望を託し、巨大な宇宙船を建造した。
その船が向かった先は、隣の惑星。
過酷な環境の「地球」。
船は地球の大気圏に突入し、自己崩壊しながら、大量のバクテリアと遺伝子シードを散布した。
「嘘だろ……」
俺は膝から崩れ落ちそうになった。
俺たちが探していた「異星人の遺跡」じゃない。
俺たちが「異星人」だったんだ。
火星こそが故郷(ホーム)。
地球は、火星人が生き延びるために無理やり改造した、緊急避難用のシェルターに過ぎない。
そして、人類の進化の過程にある「ミッシングリンク」。
あれは進化の飛躍じゃない。
火星由来の遺伝子が、地球の猿に定着するための調整期間だったんだ。
「なんてこと……。私たちは、侵略者の末裔だったのね」
エルザが呆然と呟く。
その時、コンソールが赤く点滅し、アラート音が鳴り響いた。
『環境修復プログラム、待機モード終了。対象惑星:第三惑星(地球)の環境汚染レベルが閾値を超過しました』
無機質な声が、絶望的な事実を告げる。
『初期化プロトコルを起動しますか?』
第四章 選択の重力
「初期化……?」
「カイト、やめさせて! 何をする気!?」
俺は必死にホログラムのログを読み解く。
この施設は、ただの記録庫じゃない。
地球のテラフォーミングを管理するための、バックアップシステムだ。
地球の環境が悪化し、種の保存に適さなくなったと判断された場合、システムは地球上の生態系を一度リセットする。
そして、保存された「純粋な火星生命」の種を再散布する。
つまり、現在の人類を絶滅させ、やり直すためのスイッチ。
『管理官の生体認証を確認。承認を待機中』
俺の手のひらが、コンソールの上で浮いている。
「カイト! 手を退けて!」
エルザが銃口を俺に向ける。
彼女の目は恐怖で見開かれていた。
「撃てるか? エルザ。これを止めれば、地球は救われるかもしれない。だが、地球はもう限界だ。温暖化、資源枯渇、戦争……俺たちはシェルターを食いつぶしたんだ」
俺の脳裏に、スラムで泥水を啜る子供たちの姿が過ぎる。
腐敗した企業連盟。
金で買われる命。
「でも、生きているのよ! 今、そこで!」
エルザの叫び。
『承認まで、あと十秒』
カウントダウンが始まる。
俺は、ホログラムに映る「かつての青い火星」を見た。
あまりにも美しく、完全な世界。
そして、今の地球。
汚くて、騒がしくて、どうしようもない世界。
俺の指先が、肯定(イエス)のボタンへと吸い寄せられる。
この退屈で絶望的な日常を、俺の手で終わらせることができる。
それは甘美な誘惑だった。
九、八、七……。
「カイト!!」
銃声が轟いた。
肩に激痛が走る。
衝撃で体がよろめく。
だが、俺の手はコンソールから離れなかった。
血が、コンソールのパネルに滴り落ちる。
『生体DNAサンプルを受領。追加認証完了』
皮肉なことだ。
エルザが俺を止めようとして撃った弾丸が、俺の血を媒介に、システムの最終ロックを解除してしまった。
「あ……」
エルザが銃を取り落とす。
地響きが始まった。
この遺跡だけではない。
火星全体が、そして地球の衛星軌道にある「月」と思われていた監視衛星が、一斉に起動する。
俺は薄れゆく意識の中で、美しい旋律を聞いた。
それは、終わりの始まりを告げる、葬送曲。
第五章 星を継ぐもの
『初期化プロセスを開始します。所要時間、約五〇〇年』
光の柱が、火星の地表から宇宙へと伸びていく。
それは攻撃兵器ではない。
超長距離通信による、ナノマシンの再プログラム信号だ。
地球上のすべてのプラスチック、コンクリート、そして「適合しなかった有機物」が分解され、土へと還っていく光景が、脳裏に浮かぶ。
俺は床に倒れ込みながら、天井を見上げた。
「ごめんな、エルザ」
「……最低よ、あんた」
エルザは俺の隣に座り込み、止血もせずにタバコを取り出した。
酸素濃度が低下しているこの空間で火をつけるのは自殺行為だが、もう関係ない。
「でも、少しだけ、せいせいしたかも」
紫煙が、青白い光の中で揺らぐ。
俺たちが守ろうとしていた「文明」とは何だったのか。
ロストテクノロジー。
それは、失われた技術ではなく、捨て去るべき過去の遺物だったのかもしれない。
視界が暗転していく。
最後に聞こえたのは、システムからの祝福のメッセージ。
『おかえりなさいませ。プロジェクト・アーク、第二フェーズへ移行します』
俺たちの肉体はここで朽ち果てる。
だが、五〇〇年後、この赤い星と、青く生まれ変わった地球で、新しい「人間」が目を覚ますだろう。
彼らが、俺たちのような過ちを繰り返さない保証はどこにもない。
それでも、種は蒔かれた。
俺は目を閉じ、永遠の静寂という名の音楽に身を委ねた。
(了)