第一章 デューデリジェンス(資産査定)
「……で、貸借対照表(バランスシート)はどこだ?」
召喚された魔法陣の光が消えるか消えないかのうちに、俺は言った。
目の前には、豪奢な玉座。そこに座る、角の生えた絶世の美女。
周囲を固める、豚の顔をした巨漢や、骸骨の剣士たち。
典型的な、異世界。
典型的な、魔王城。
だが、俺が気になったのは、玉座の肘掛けの革が擦り切れていることと、シャンデリアの魔石が半分ほど消灯していることだった。
「き、貴様、魔王リリス様に向かって口の利き方が……!」
豚面の巨漢が斧を振り上げる。
俺はスーツの内ポケットから、万年筆を取り出し、カチリと音を立ててキャップを開けた。
「俺の名は佐伯レイジ。職業は企業再生コンサルタントだ。あんたたちの『召喚儀式』の契約条項、読ませてもらったぞ」
俺は空中に浮かぶステータスウィンドウを指で弾く。
「『国家存亡の危機を救う者』。それがオーダーだろ? 勇者が攻めてくるとか、そんな物理的な話じゃない。この城の空気、腐った死体(ゾンビ)の臭いじゃないな。……『金欠』の臭いだ」
魔王リリスが、ハッと息を呑んだ。
その真紅の瞳が、僅かに潤んでいる。
「……わかるの?」
「ああ。什器備品の老朽化。兵士たちの士気の低さ。なにより、あんたのそのクマだ。経営難で首が回らない社長の顔だよ」
リリスは力なく玉座に沈み込んだ。
「ゴズ、斧を収めなさい。……この男の言う通りよ」
「し、しかし魔王様!」
「もう、限界なの。勇者パーティーが来る前に、来月の兵士への給与支払いで破綻(パンク)するわ」
俺はため息をつき、革靴の埃を払った。
「見せてみろ。過去三年分の出納帳、兵員名簿、それと勇者軍との交戦記録だ」
「え……戦わないの?」
「戦う? 無駄だ。金がない軍隊は、ただの烏合の衆だ。まずは止血だ。無駄な経費(コスト)を削ぎ落とす」
俺はニヤリと笑った。
「安心しろ。俺は『ハゲタカ』だが、死肉を漁るだけじゃない。骨までしゃぶり尽くして、黄金に変えてやる」
第二章 リストラ・イノベーション
羊皮紙の山と格闘すること三日。
魔王軍の財務状況は、想像以上に火の車だった。
「馬鹿げている」
俺は執務室の机を叩いた。
目の前には、魔王リリスと、四天王の一人であるゴズ(豚面の将軍)が直立不動で立っている。
「説明してくれ。この『対ドラゴン接待費』とはなんだ」
「は、はい! 北の山脈に住むエンシェントドラゴンとの同盟を維持するために、毎月最高級の霜降り肉と金貨を……」
「即刻打ち切れ」
「なっ!? そ、そんなことをすれば、ドラゴンが怒って攻めてきます!」
「その時は殺せばいい。……と言いたいが、それじゃコストがかかるな」
俺は羊皮紙に素早く計算式を走らせる。
「ドラゴンの維持費だけで、国家予算の15%だ。だが、こいつの『抑止力』としての価値は、勇者一行に対して機能していない。直近のレポートを見ろ。勇者はドラゴンの巣をスルーして、直接ここに向かっている」
「ぐぬぅ……」
「交渉だ。肉と金はやらない。代わりに『場所』と『熱源』を提供しろ」
リリスが首を傾げる。
「熱源……?」
「ドワーフ族の鍛冶工房をドラゴンの巣の隣に移設する。ドラゴンの吐く炎を炉の熱源として利用するんだ。ドラゴンには『寝床の暖房代』としてドワーフから排熱をもらう契約にしろ。これで食費はゼロ、逆にドワーフから場所代(テナント料)を取れる」
「そ、そんな無茶な!」
「無茶じゃない、マッチングだ。Win-Winの関係を作れ。次、スケルトン兵団」
俺は次の資料を放り投げた。
「24時間不眠不休で働けるアンデッドを、なぜ城の警備なんかに突っ立たせている? 彼らの労働生産性はゼロだ」
「し、しかし、彼らは魔王軍の象徴であり……」
「象徴で腹は膨れない。スケルトン兵団を『地下資源採掘部門』へ配置転換だ。毒ガスも落盤も関係ない彼らなら、レアメタルを掘り放題だ。人間界の商人に卸せば、外貨獲得の柱になる」
ゴズが青ざめた顔で言った。
「に、人間に売るのですか!? 我々の資源を!」
「商売に敵も味方もない。金貨に色はついてないんだよ、将軍」
俺は立ち上がり、窓の外を見た。
荒廃した魔界の大地。だが、そこには未利用の資源(ポテンシャル)が眠っている。
「いいか、魔王軍の強みは『多様性(ダイバーシティ)』だ。怪力、魔法、飛行能力、暗視。それぞれの特性(スペック)を戦闘以外に転用しろ。略奪経済から、生産経済への転換(ピボット)。それが生き残る唯一の道だ」
リリスが、震える声で尋ねた。
「それで……魔王軍は、救えるの?」
俺は振り返り、眼鏡の位置を直した。
「救う? 甘いな。……黒字化して、上場(IPO)させるんだよ」
第三章 敵対的買収(ホスタイル・テイクオーバー)
改革から半年。
魔王領は、劇的な変貌を遂げていた。
ドワーフとドラゴンの合同工場からは高品質な武具が量産され、スケルトン鉱山からは希少鉱石が運び出される。
サキュバス部隊は「精神ケアクリニック」を開業し、人間界の貴族たちがこぞってお忍びで通うようになっていた。
魔王軍の財政は、創業以来の最高益を叩き出している。
そして、ついにその日が来た。
「魔王リリス! 覚悟しろ! 世界の平和のため、貴様を討つ!」
玉座の間(ボードルーム)の扉が蹴破られる。
輝く聖剣を手にした勇者と、その仲間たち。
リリスは玉座で優雅に足を組み、ワイングラスを傾けていた。その隣に、俺が立つ。
「よく来たわね、勇者。……でも、アポイントメントは取ってあるかしら?」
「問答無用! くらえ、聖な……!」
「待て」
俺は片手を挙げて、勇者の詠唱を制した。
「誰だ貴様は! 魔王の参謀か!」
「CFO(最高財務責任者)の佐伯だ。勇者アレン。君に提示したいものがある」
俺は懐から一枚の羊皮紙を取り出し、勇者の足元に滑らせた。
「なんだこれは……『雇用契約書』……?」
勇者が眉をひそめる。
「君の現在の雇用主――人間界のアレクサンドル国王だがね。先ほど、我が社の情報網(インテリジェンス)が掴んだ情報によると、王宮の改築工事費として、勇者支援金を横領しているぞ」
「なっ、馬鹿な! 国王陛下がそんなことを!」
「証拠はある。これが裏帳簿の写しだ。……それに、君、聖剣のローンがまだ残っているだろ? 毎月の返済、キツくないか?」
勇者の剣先がピクリと揺れた。
魔法使いの少女が、小声で囁く。
「アレン……実は先月、ポーション代が支給されなくて……私の自腹なの……」
「俺もだ……宿代が出なくて、野宿だったろ……」と戦士。
俺は畳み掛ける。
「我が魔王軍ホールディングスは、成果主義だ。君の実力(スキル)を高く評価している。提示額は、現年収の3倍。加えて、ストックオプションとして魔王城周辺の土地権利を与える。福利厚生はサキュバスケア付きだ」
「さ、3倍……!?」
勇者がゴクリと喉を鳴らす。
「我々の目的は世界征服ではない。経済圏の統合だ。人間界と魔界、関税障壁をなくし、自由貿易協定を結ぶ。そのための『親善大使』として、君をヘッドハンティングしたい」
「親善……大使……?」
「剣を捨てろとは言わない。その剣で、既得権益にまみれた腐った国王を断罪しろ。それが真の正義じゃないか?」
勇者は聖剣を見つめ、そして仲間の顔を見た。
仲間たちは、無言で頷いている。
カラン。
聖剣が、床に落ちた。
「……詳細を、聞こうか」
俺はリリスと顔を見合わせ、口角を上げた。
「商談成立(クロージング)だ」
第四章 グランド・マージャー(最終章)
その後、歴史は書き換えられた。
勇者パーティーの離反と、魔王軍による経済制裁により、人間界の王国はハイパーインフレーションに陥り、崩壊。
民衆は、豊かで物資の溢れる魔王領への併合を望んだ。
血を流す戦争ではなく、資本による平和的併合。
現在、俺は旧王国の王城――現在の「魔王軍ホールディングス・人間界支社」のオフィスにいる。
「レイジ様、次の会議のお時間です」
秘書官となった元勇者の魔法使いが、コーヒーを運んでくる。
「ああ。……リリス、いや、代表は?」
「本店の視察に行かれています。『次の四半期は、神界(エルフ領)へのM&Aを仕掛けるわよ』と張り切っておられました」
「やれやれ……あの社長、次は神様を買収する気か」
俺は窓の外を見下ろす。
人間と魔族が入り混じり、活気に満ちた大通り。
剣と魔法のファンタジー世界。
ここには、俺の知る「常識」は通用しなかった。
だが、「欲望」と「損得」の法則だけは、どの世界でも変わらない。
俺はネクタイを締め直し、会議室へと向かった。
さあ、仕事の時間だ。
この世界全ての価値(バリュエーション)を、算出するために。
(了)