真実は売約済みにつき ―追放公爵のライブコマース革命―
第一章 辺境の夜、泥に塗れた宝石
北の果て。肺腑を凍らせる風が、廃屋の窓枠をガタガタと揺らしている。
アリエル・フォン・エルトンは、ささくれだった机に突っ伏し、古びた毛布を頭から被っていた。胃袋が空っぽであることを訴える痙攣が、数時間おきに襲ってくる。かつて王都で絹の寝具に包まれていた身体にとって、この三日間の絶食と寒さは、拷問以外の何物でもなかった。
目の前には、唯一持ち出せた魔道具『遠見の水晶(クリスタル・スコープ)』が置かれている。通信機能がついているだけの、型落ちの安物だ。映像は砂嵐混じりで、音声も途切れがちになる。
アリエルは乾いた唇を舐め、震える指で起動スイッチを押した。
ブツン、という不快なノイズと共に、空間に荒い粒子の光が投影される。視聴者数、ゼロ。
「……あー、テステス。……聞こえているか、下賤な……いや、民草よ」
咳払いをして、彼は精一杯の威厳を作った。背筋を伸ばし、泥で汚れた銀のスプーンをカメラの前に突き出す。道端で銅貨三枚で買い叩いたガラクタだ。
「これを見よ。これは……由緒正しき銀食器である。えー、その輝きは月光のごとく……」
視聴者数が『1』になり、すぐに『0』に戻った。
アリエルはこめかみに汗が滲むのを感じた。言葉が出てこない。貴族院で学んだ修辞法も、詩的な表現も、この薄汚れたスプーンの前では空回りするばかりだ。
再び視聴者が入ってくる。今度は『5』人。
『何これ?』
『画質悪っ』
『おっさんがスプーン持ってるだけじゃん。解散』
『気取った喋り方が鼻につくわー』
コメントが流れるたび、アリエルの顔色から血の気が引いていく。
違う。そうじゃない。これはただのガラクタではないのだ。
彼は焦燥に駆られ、スプーンを握りしめた。その時、指の腹に無数の「傷」が触れた。
冷たい銀の感触。こびりついた汚れ。そして、柄の部分にある、小さな噛み跡。
アリエルの脳裏に、ふと記憶がよぎる。幼い頃、乳母が口に運んでくれた温かいスープ。熱くないようにと、何度も息を吹きかけて冷ましてくれた、あの優しい時間。
このスプーンにも、同じ時間があったはずだ。
この無数の傷は、食器棚の中でついたものではない。誰かが毎日使い、洗い、そしてまた誰かの口へと運んだ、生活の痕跡だ。
「……違う」
アリエルは、作ったような貴族の声音を捨てた。
彼はスプーンをレンズの極限まで近づけ、その表面にある「傷」を指でなぞった。
「よく見てくれ。この柄の、小さな窪みを」
彼の声のトーンが落ち、地を這うような重低音が響く。それは虚勢ではなく、目の前の事象を分析する鑑定士の響きだった。
「これは銀の純度が高い証拠だ。柔らかいからこそ、乳歯でも傷がつく。……想像してほしい。冬の朝、凍えるような台所で、母親が鍋をかき混ぜている音を」
アリエルは目を閉じ、言葉を紡ぐ。網膜に焼き付いた映像を、語彙という絵筆で視聴者の脳裏に直接描き出すように。
「この歪みは、子供が癇癪を起こして床に叩きつけた時のものだろう。この黒ずみは、暖炉の煤だ。五十年……いや、六十年は使い込まれている。王宮の宝物庫にある磨き上げられたプラチナよりも、このスプーンは遥かに多くの『家族の風景』を吸い込んでいる」
砂嵐混じりの映像の向こうで、何かが変わる気配がした。
視聴者は減らない。むしろ、増えている。
「冷たいスープを啜る侘しさも、分け合うパンの温かさも、この銀は知っている。君たちの家の食卓にある新品の皿にはない、重みのある『物語』がここにはある。……銅貨三枚だ。誰か、この『記憶』を引き継いでくれる者はいないか」
沈黙。
廃屋の寒さが、一瞬和らいだ気がした。
『……ばあちゃん家にも、似たようなのがあったな』
『なんか、シチュー食べたくなってきた』
『言葉だけで、匂いがした気がする』
『買う。俺が買うよ』
コメント欄が加速する。数字が跳ね上がる。
「売約済み(ソールド・アウト)!」
アリエルは叫んだ。喉の渇きも、胃の痛みも忘れていた。
画面の向こうにいる見知らぬ誰かと、一つの「価値」を共有した瞬間。その熱が、凍えた指先を確かに温めていた。
第二章 虚飾の市場に風穴を
半年後。
アリエルの配信は、大陸全土でカルト的な熱狂を生んでいた。
「言葉の魔術師」「鑑定の悪魔」。人々は彼をそう呼び、夜な夜な開催される『真実のオークション』に群がった。
彼が扱うのは、一級品の骨董から、誰かが捨てた万年筆まで様々だ。だが共通しているのは、アリエルがその来歴と価値を、徹底的な知識と観察眼で「再定義」することだった。
彼の言葉にかかれば、ただの石ころが「星の欠片」に変わり、高価な宝石が「ただのガラス玉」へと墜ちる。
その夜、アリエルは発送用の木箱を梱包しながら、眉間に皺を寄せていた。
胃の腑に鉛を流し込まれたような不快感。原因は、先ほど市場に出回ったという『建国の宝珠』のニュース映像だ。
出品者は、アリエルを追放へと追いやった政敵、ヴァレリウス公爵。
「……吐き気がするな」
アリエルは作業の手を止め、ニュース映像を静止させた。
画面の中、ヴァレリウスが掲げる紫色の宝珠。群衆は熱狂し、その美しさを称えている。
だが、アリエルの眼は騙せない。
彼は映像を拡大し、光の屈折率と、宝珠の内部にある微細な気泡の配置を凝視した。
かつてアリエルは、父の宝物庫で本物の宝珠を見たことがある。本物は、見る角度によって色彩が変わる『変光特性』を持っていた。だが、ヴァレリウスが持っているそれは、どの角度からも一様に紫色だ。
そして何より、台座との接合部。そこには現代の魔導接着剤特有の、青白い燐光が微かに漏れ出ている。
「なるほど。古代の秘宝を、現代の模造品とすり替えたか」
アリエルの口元が歪む。怒りではない。これは、プロフェッショナルとしての矜持を土足で踏みにじられたことへの、冷徹な殺意だ。
ヴァレリウスは、アリエルの鑑定眼を「若造の妄言」として退け、彼を追放した。その上で、自らが贋作を売りさばき、巨万の富を得ようとしている。
アリエルは立ち上がり、ボロボロのコートを羽織った。
「準備だ。……今夜の配信は、少しばかり趣向を変える」
彼は棚から一冊の分厚い書物――『古代鉱物学大系』を抜き出し、乱暴に机に叩きつけた。
第三章 革命は生中継で
王都の中央広場。建国記念の祝賀会が催され、特設ステージにはヴァレリウス公爵が立っていた。
彼の背後には巨大なスクリーンがあり、手元の『建国の宝珠』が大写しにされている。
「これぞ王家の守り神! 我がヴァレリウス家が長きに渡り守り抜いてきた、真の輝きである!」
拍手喝采。貴族も平民も、その美しい紫色に酔いしれている。
だがその時、広場中の携帯端末、そして背後の巨大スクリーンが一斉にノイズに包まれた。
『……聞こえるか、審美眼なき羊たちよ』
不協和音のような声と共に、画面が切り替わる。
映し出されたのは、薄暗い部屋で書物を片手に持ち、冷ややかな視線を向けるアリエルの姿だった。
「な、何だ!? 衛兵、切れ! 映像を切れ!」
ヴァレリウスが叫ぶが、アリエルのハッキングは止まらない。
『ヴァレリウス公爵。貴殿が手に持っているその石ころについて、少々講義をさせてもらいたい』
アリエルの声は落ち着き払っていた。それが余計に、会場の空気を凍りつかせる。
『まず、その宝珠のカットだ。それは58面体のブリリアント・カットだな?』
「だ、だからどうした! 美しいだろう!」
『無知とは罪深い。そのカット技法が確立されたのは、今からわずか五十年前。東方の職人によるものだ。……建国は三百年前だが、当時の職人は未来予知でもしたのか?』
会場がざわめく。ヴァレリウスの顔が引きつる。
「こ、これは後世に研磨し直したのだ!」
『ほう、研磨し直した? ならば重量が変わるはずだ。王家の記録にある宝珠の重さは300グラム。貴殿の手にあるそれは、見たところ直径が同じだが……もし研磨したなら、一回り小さくなっていなければ計算が合わない。それとも、質量保存の法則すら無視する奇跡の石か?』
アリエルは手元の資料をめくり、淡々と数字と論理を突きつけていく。
感情論ではない。圧倒的な知識量と、物理的な矛盾の指摘。
視聴者たちの視線が、アリエルの言葉に誘導され、宝珠へと注がれる。
言われてみれば、輝きが安っぽい。言われてみれば、台座との隙間が不自然だ。
『そして極めつけは、その色だ』
アリエルは画面越しに、指を突きつけた。
『本物の宝珠に使われている鉱石『紫星石(アメジスト・ノヴァ)』は、熱に反応して赤く変色する性質を持つ。……ヴァレリウス公、貴殿の脂汗で台座が温まっているはずだが、その石は紫のままだな?』
数千人の視線が、ヴァレリウスの手元に集中する。
宝珠は、頑として紫色のままだった。
「ち、違う! これは……!」
ヴァレリウスは狼狽し、思わず宝珠を袖で擦った。摩擦熱が加わる。それでも色は変わらない。
その瞬間、彼が守ってきた「権威」という名の魔法が解けた。
『ガラス玉に価値を与えるのは、そこに宿る真実の物語だけだ。嘘で塗り固めたガラスになど、道端の石ころ以下の価値しかない』
アリエルの宣告と共に、会場の空気が反転した。
称賛は侮蔑へ。羨望は嘲笑へ。
「詐欺師め」「偽物を売りつける気か」「追放されるべきはお前だ」
罵声の嵐がヴァレリウスを打ちのめす。彼は膝から崩れ落ち、手から滑り落ちた「宝珠」は、虚しい音を立てて石畳の上で砕け散った。
第四章 王冠なき王
革命は、血を一滴も流さずに成し遂げられた。
必要なのは剣でも魔法でもなく、ただ「正しい言葉」だけだった。
数日後。アリエルの廃屋の前に、豪奢な馬車が止まった。
降りてきたのは王家の使いだ。彼は恭しく羊皮紙を差し出した。
「アリエル様。此度の功績により、爵位の復権、ならびに王立美術館館長のポストをご用意いたしました。国王陛下も、貴殿の帰還を心待ちにしております」
アリエルは羊皮紙を受け取ると、そこに書かれたきらびやかな文言を一瞥し、鼻を鳴らした。
そして、無造作にそれを丸めると、暖炉の焚き付けとして放り込んだ。
「あ……っ!? な、何を!?」
使者が目を剥く。
「あいにくだが、私は多忙なんだ」
アリエルは顎で部屋の隅を指した。そこには、世界中から届いた鑑定依頼の小包が山のように積まれている。
泥だらけの農具、欠けた陶器、錆びた剣。どれも一見すればガラクタだが、アリエルには視えていた。その一つ一つに眠る、切実で、愛おしい人間の営みが。
「王宮の埃被った宝物庫で、死んだ過去を磨く趣味はない。私はここで、生きた物語を掘り出し、それを必要とする誰かへ届ける。……それが私の仕事だ」
「し、しかし……! 名誉も富も約束されているのですよ!?」
「名誉? 富?」
アリエルは薄汚れた椅子に深く腰掛け、不敵に笑った。
その瞳は、どんな宝石よりも鋭く、澄んだ光を放っていた。
「私の言葉一つで、国中の価値観がひっくり返る様を見ただろう? 今の私にとって、王冠など安っぽい帽子に過ぎない」
彼は使者を追い出すと、再びカメラの前に座った。
スイッチを入れる。通信のノイズが走る。
その向こうには、彼の言葉を待つ数百万の「顧客」たちがいる。王宮の広間よりも遥かに広大で、熱気に満ちた、彼だけの王国。
「待たせたな。今日の目玉商品は、とびきりの『後悔』が詰まった、錆びた懐中時計だ。……心して聞け。この針の音は、君の涙腺を抉ることになるぞ」
アリエルはマイクに向かって囁いた。
ここには魔法はない。だが、真実という名の言葉がある限り、この夜は終わらない。