異常な日常、例外処理(エクセプション)の果てに

異常な日常、例外処理(エクセプション)の果てに

主な登場人物

九条 湊(Kujo Minato)
九条 湊(Kujo Minato)
27歳 / 男性
常にクマのある三白眼。ヨレヨレのスーツに、首から社員証を下げっぱなしにしている。猫背。
権田原 猛(Gondawara Takeru)
権田原 猛(Gondawara Takeru)
45歳 / 男性
脂ぎった肌に高価だが趣味の悪い腕時計。太鼓腹。常に眉間に皺を寄せている。
11 3992 文字 読了目安: 約8分
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第1章: 異常な日常(バグ・レポート)

レールの継ぎ目を車輪が叩く、一定のリズム。ガタン、ゴトン。単調な振動が、九条湊(くじょうみなと)の三半規管を蝕んでいた。深夜一時過ぎの地下鉄。窓ガラスに映り込む、死人と大差ない自分の顔。額に張り付く脂ぎった黒髪、その隙間から虚空を睨む、充血した三白眼。量販店の安物スーツは、連日の泊まり込み作業でヨレヨレになり、繊維の奥まで染みついた汗と埃の臭い。唯一、首から下げた社員証のストラップだけが鮮やかな青色で、彼をこの社会に繋ぎ止める首輪のよう。

「おい、聞いてんのか九条! お前のコードのせいで納期が遅れてんだよ!」

隣で怒声を張り上げるのは、上司の権田原猛(ごんだわらたける)。狭い車内に充満する、酒と脂の腐臭。揺れる太鼓腹、左腕で鈍く光る悪趣味な金の腕時計。唾を飛ばし、眉間に深い皺を刻むその顔は赤黒い。湊は視線を動かさず、ただ猫背をさらに丸める。

「……仕様変更の指示が出たのは昨日です。物理的に不可能です」

「言い訳すんじゃねぇ! 徹夜してでもやれってのが『社会人のルール』だろうが!」

権田原が湊の肩を小突いた、その時。

『次ハ、黄泉比良坂、黄泉比良坂。お降りの際ハ、肉ノ細切れニご注意くだサイ』

ノイズ交じりのアナウンス。奇妙なほどの甲高さ。

瞬時にして粘度を増す、車内の空気。向かいの優先席、スマートフォンを耳に当てていたサラリーマンが漏らす、間の抜けた声。「あ?」

パァンッ。

乾いた破裂音。

熟した柘榴のように弾け飛ぶ頭部。血飛沫ではない。霧散する黒いモザイク粒子。衣服だけを残し、座席へ崩れ落ちる肉体。

「ひっ……う、わあああああッ!」

腰を抜かし、床を這いずり回る権田原。対して、微動だにしない他の乗客たち。全員の顔がのっぺらぼうのように平坦で、消失した目鼻立ち。

早鐘を打つ心臓。こめかみを伝う冷や汗。だが、湊の瞳孔は恐怖で収縮する代わりに、異様な光を宿して見開かれた。震える指先で内ポケットからスマートフォンを取り出し、メモアプリを起動する。

「……優先席での通話。ルール違反に対する即時実行(キルプロセス)。例外処理(エクセプション)が発生していない」

目の前で人が弾けたというのに、湊の脳髄を支配したのは何か。あまりにも美しい「バグ」への解析欲求。

第2章: 解析(デバッグ)の迷宮

急停車と共に開くドア。ホームに吐き出された二人の前に広がるのは、見慣れた地下鉄駅ではない。

壁一面に敷き詰められた白いタイル。どこまでも続く蛍光灯の回廊。鼻をつく、消毒液と腐った肉が混ざり合った異臭。無限に「↑」を指し示す出口の案内板。

「おい九条! ここはどこだ! 警察だ、警察を呼べ!」

喚き散らし、スマートフォンを振り回す権田原。その怒鳴り声が反響した瞬間、タイルの目地から滲み出す黒い液体。人の形を成す、顔のない「駅員」。

滑るように権田原へ接近する怪物。その手に握られた、錆びついた改札鋏。

「課長、黙ってください。音量検知(オーディオ・センサー)に引っかかります」

湊は権田原の腕を掴み、配電盤の陰へ。

その時、暗がりから現れる小さな影。

ツインテールの半分がノイズのように乱れ、空間に溶けたり実体化したりを繰り返す少女。擦り切れたゴスロリ服、片目が縫い付けられた熊のぬいぐるみ。

「シーッ。あいつに見つかると、『チョッキン』されるよ?」

少女——アリスは、自身の唇に人差し指を当てる。透けた指先の向こうに見える壁。

機械的な動きで首を振る駅員。ターゲットを見失ったか、元の巡回ルートへ。一定の速度、一定の角度での方向転換。

「……NPCの巡回アルゴリズムと同じだ」

充血した目で追う駅員の挙動。恐怖で歯の根が合わない権田原とは対照的に、湊の思考は氷のように冷徹。この空間は混沌としているようで、厳格な「法則(コード)」によって支配されている。

大声を出せば排除。ルートを外れれば無限ループ。

「逃げるぞ、九条! 俺を守れ! 俺は部長だぞ!」

「ええ、守りますよ。貴方は貴重な『テストケース』ですから」

権田原を先行させる。曲がり角のたびに数える床のタイル、記憶する天井のシミの配置。権田原の荒い息にピクリと反応する駅員。見極めるべき閾値(スレッショルド)。

「右です、課長」

湊が指し示した先。微かな光が漏れる改札口。

第3章: 裏切りの断絶(フェイタル・エラー)

光の先にあるのは、一台だけの自動改札機。その向こう側、蜃気楼のように揺らめく灰色の空と現実のビル群。

アリスがぬいぐるみの耳を千切りながら、無邪気に笑う。

「『一人』しか通れないよ。キップは一枚しかないもん」

ドス黒く変わる権田原の顔色。

背後から迫る、無数の「顔のない駅員」たち。鳴り響くハサミの音。シャキン、シャキン、シャキン。鼓膜を削る金属音。

「く、九条……お前、今まで俺に散々迷惑をかけてきたよな?」

「……何を言っているんです?」

「ここで恩を返せ! 部下は上司のために死ぬのが、社会の常識だろおおおッ!」

権田原の太い腕が、湊の胸を力任せに突き飛ばした。

不意を突かれ、宙に浮く体。バランスを崩し、ホームの縁から転落する湊。スローモーションのように遠ざかる視界の中、改札機に駆け込み、光の中へ消えていく権田原。

「あぁ……やはり、そうなりますか」

驚きはない。むしろ、仮説が立証されたことへの奇妙な納得感。

背中が冷たいレールに叩きつけられる衝撃は来ない。

代わりに、彼を呑み込む底なしの闇。

闇から伸びる無数の蒼白い腕、掴まれる手足。食い込む爪、裂ける皮膚、激痛。だが、湊の目はカッと見開かれたまま。

暗闇の中を流れる文字列。

緑色の燐光を放つ、膨大なソースコード。

ここは地獄ではない。

世界の裏側。廃棄されたデータが集まる場所。

――デバッグルーム(管理者領域)。

「見つけた。ここが、特権階級(ルート)だ」

激痛の中、歪に吊り上がる湊の唇。

第4章: 管理者権限(アドミニストレータ)

権田原猛が目を覚ましたのは、オフィスの自席。

蛍光灯の白い光、電話の呼び出し音、キーボードを叩く音。

戻ってきた。悪夢からの生還。

「は、ははっ! 俺は生きてる! 当然だ、俺は選ばれた人間なんだからな!」

高笑いと共に、ふんぞり返って椅子に深く座る。

だが、違和感。部下たちが誰も自分を見ない。電話を取ろうとしても、机に張り付いて持ち上がらない受話器。

パソコンのモニター、突如としてポップアップするウィンドウ。

『権田原猛 様。業務効率化のため、貴方の権限を再定義しました』

「あ? なんだこれ、ウイルスか?」

『ERROR: その操作は許可されていません』

『ERROR: その発言は論理的ではありません』

『ERROR: 貴方の存在自体が、組織のバグです』

次々と開き、画面を埋め尽くす警告。

スピーカーから響く、聞き覚えのある、しかし以前とは全く異なる冷徹な声。

『再現性を確認しました。貴方は、無能です』

「く、九条!? どこだ! 出てこい!」

透けるオフィスの壁。その向こうに立つ、無数の文字列を纏った九条湊。

以前の猫背の弱々しい姿ではない。蒼く発光する瞳、指先を振るうたびに書き換えられていく世界。

「ふざけるな! 俺は部長だぞ! 査定でお前なんか……!」

立ち上がろうとする権田原。椅子にめり込む太った体。彼だけにのしかかる十倍の重力負荷。

「ぐ、があああッ!?」

「貴方が好む『理不尽』を実装しました。これからは、永遠に終わらない稟議書の承認作業を行ってください。ただし、承認ボタンを押すたびに、貴方の過去の不正の証拠が全社員にメール送信されます」

「やめろ……やめろぉぉぉッ!!!」

オフィスに響く絶叫。だが、誰も反応しない。彼は孤独なループ空間(サンドボックス)に隔離されたのだ。

冷ややかな目で見下ろす湊。暴力ではない。彼が最も恐れる「社会的地位の失墜」と「無能の露呈」が、永遠に繰り返される地獄。

「修正完了(フィックス)。……さようなら、課長」

パチン。湊が指を鳴らした瞬間、ノイズとなって掻き消える権田原。

第5章: 黄昏の例外処理(ワールド・デバッガー)

気がつけば、湊は駅のホームのベンチに座っていた。

始発を待つ、早朝の冷たい空気。

しかし、目に映る世界は一変している。

空の青も、木々の緑も、看板の赤も、全てが失われた景色。視界は完全なモノクローム。色彩という情報を処理する機能を、代償として差し出した結果。

その代わりに、見える。

サラリーマンの頭上に浮かぶ「事故遭遇率 0.002%」。

女子高生の背後にちらつく「精神崩壊まで 残り3日」。

自販機の足元に開いた、小さな空間の亀裂(バグ)。

「……綺麗だ」

湊の呟き。色彩よりも鮮烈な、世界の「構造」そのもの。

立ち上がり、払うヨレヨレのスーツの埃。首から下げていた社員証を引きちぎり、ゴミ箱へと放り投げる。プラスチックが底に当たる乾いた音。それが、彼なりの退職届。

灰色の空の下、交差点を歩き出す。

信号待ちの人混みの中、一瞬だけ見えた気がしたアリスの姿。彼女の微笑み、小さく振られる手。

湊は人差し指で、空中に浮かぶ見えないコードをなぞる。

世界はバグだらけだ。理不尽で、不条理で、エラーに満ちている。

だが、今の彼には、それを書き換える「指先」がある。

「さて、修正(デバッグ)の時間だ」

軽やかな足取りで紛れていく雑踏。その背中はもう、丸まってはいなかった。

クライマックスの情景

AI物語分析

【物語の考察:バグとしての社会】

本作における「バグ」は、単なるコンピュータ用語を超え、現代社会における「理不尽」や「歪み」の隠喩として機能している。地下鉄という閉鎖空間で発生する異常事態は、九条湊が日々感じている閉塞感の具現化であり、彼が手に入れた「デバッグ能力」は、システム(社会)に対する個人の反逆の象徴である。

【メタファーの解説:色彩の喪失】

ラストシーンで湊が失った「色彩」は、人間らしい「感情の揺らぎ」や「曖昧さ」を意味する。世界をコード(構造)として認識し、制御する力を得た代償として、彼は美しさや暖かみを感じる感性を手放したのだ。これは、強大な力を得るためには何かを犠牲にしなければならないという、等価交換の冷徹なルールを示唆している。

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