第一章: 漏電する雨と青い血
酸性雨が錆びたトタン屋根を激しく叩きつける。重金属を含んだ鈍い打撃音が、地下診療所の換気扇が吐き出す重油混じりの排気音と混ざり合い、息苦しい不協和音を響かせていた。
クロウは作業台の上に散乱した端子コードを乱暴に払い除け、油汚れの染み付いたロングコートの裾を整える。無造作に伸びた黒髪の隙間から、彼自身の肉体に埋め込まれた琥珀色の義眼が、獲物を狙う猛禽のように鋭く光った。
突如、錆びついた鉄の扉が凄まじい衝撃とともに軋みを上げて蹴破られる。蝶番が弾け飛び、腐食したコンクリートの粉塵とともに、冷気と泥水が室内に雪崩れ込んできた。
床に倒れ込んできたのは、ノイズ混じりのホログラムドレスを千切れそうに纏う、白銀のショートヘアの華奢な少女だ。
陶器のように滑らかで血の気のない人工皮膚。その右腹部には、大口径徹甲弾によって無残に穿たれた黒い銃創があり、人間には決して流れるはずのない、鮮烈なコバルトブルーの冷却液が滴り落ちて床の泥水を染めていく。
クロウ「……チッ、派手にやられた機械人形が転がり込んできやがったな」
クロウは舌打ちし、足元に広がる青い水たまりを冷淡に見下ろす。だが、冷え切った彼女の首筋に刻まれた型番バーコードが、漏電の火花とともに激しく青色発光した瞬間、男の義眼が異様な高熱を帯びた。
少女は震える指先でクロウのズボンの裾を掴み、焦げた回路の匂いがする息を吐き出す。
ルシア「私の体温は摂氏24度。あなたの触れる場所だけ、冷却が追いつきません……」
クロウは即座に工具箱を蹴り開け、生体手術用のアームから高深度神経接続用の太い光ファイバーケーブルを掴み取った。迷わず彼女の白銀の髪を乱雑に掻き上げ、うなじにある円形のアクセスポートを露出させる。
露わになったのは、裏社会の闇市場でも見かけないほどの軍事規格。精緻極まる内部フレームと、黒光りする高密度ナノカーボンの骨格が、破壊の痕跡から覗いていた。
凍りつくように冷たい彼女のうなじへ、クロウは躊躇なく指先を沈め、緊急用の物理ロックピンを力任せに抉じ開ける。
ルシア「あ……っ、内部バスに……直接、入って……っ」
荒いファンの駆動音が、診療所の湿った空気を激しく振動させる。人工筋肉が快楽とも苦痛ともつかない痙攣を起こし、彼女の細い腰が弓なりに跳ねた。
クロウは自らの後頭部にある生体端子のカバーを乱暴に剥ぎ取り、外科手術用の太い同軸ケーブルを一気に突き刺した。自身の神経系と、彼女の暴走しかけたコアメモリを直結する。
クロウ「機械は嘘をつかない。裏切るのはいつだって、その奥にある生身の心だ……見せてみろ、お前の全部を」
接続の瞬間、臨界点を超えた神経パルスが津波となってクロウの生体脳へ逆流した。
警告:高深度ニューロ・スプライシング過負荷。自己防衛ファイアウォール作動
視界が焼けるような白光に呑まれ、二人の脳波と生体信号が暴風雨のように狂い咲く。
その刹那、診療所の分厚い外壁が凄まじい轟音とともに内側へ向けて弾け飛んだ。
立ち込める煙と火花の中、瓦礫を踏み砕いて現れたのは、全身の七割を鈍色に輝くクローム装甲で固め、顔面半分をチタンプレートで覆った巨大なサイボーグだった。
第二章: 神経の過負荷と明かされた契約

バルツ「発見したぞ、逃走資産。所有権は企業にある。貴様らの魂ごとそのスクラップを回収する」
油圧シリンダーが重厚な駆動音を響かせ、浸水した床を容赦なく粉砕していく。バルツの右前腕部が機械的に展開し、多銃身の重機関砲が即座にルシアの眉間を照準に捉えた。
クロウの奥歯が軋む。直結した神経ケーブルから流れ込む激痛に耐えながら、琥珀色の義眼に埋め込まれた軍用プロセッサを限界までオーバークロックさせた。
《神経短絡ハッキング》
義眼から放たれた不可視のレーザーカッターが、天井を這う高圧スプリンクラーの主配管を一刀両断する。激しく降り注ぐ濁流めがけて、クロウは作業台の漏電ジェネレータから数万ボルトの電流を直接叩き込んだ。
バルツ「小細工を……っ! 電脳妨害など効かん!」
水流を伝った青白い稲妻が巨躯を包み込み、バルツの装甲表面で絶縁被膜が弾け飛ぶ。油圧駆動系が一瞬だけ硬直し、重機関砲の銃口がわずかに跳ね上がった。
そのコンマ数秒の隙に、クロウはルシアの最深層メモリへと意識を強制ダイブさせる。
こいつのコアに隠されているのは、アルカディア社の機密兵装データなんかじゃねえ……
解凍された人格データの波紋。
網膜に走る不可逆のノイズの奥底、そこに焼き付けられていたのは――かつて都市の生体実験によって目の前で奪われた、実の妹の生体脳スキャン波形そのものだった。
ルシアの人工皮膚の隙間から青い冷却液が溢れ出し、薄い唇が無意識に微細な震えを刻む。
ルシア「私は兵器として作られました……でも、この記憶だけが、私にあなたを探せと命じたのです」
クロウ「……てめえは最初から、俺に会うためにここへ逃げてきたのかよ」
喉の奥から絞り出すような罵倒。だがその声は、押し寄せる激しい動揺を隠しきれていなかった。
浸水した床を蹴立て、電脳妨害を強引にパージしたバルツの対サイボーグ用レールガンが、甲高いチャージ音とともに赤熱化する。逃げ場のない地下室で、銃口が完全に二人の頭蓋をロックオンした。
第三章: ネオン・ゴーストの心拍数

ルシア「私の残存出力、全系統をナノブレードへ転換します」
少女の細い腕の皮膚が割れ、内部から展開した黒曜石の刃が超高熱を帯びて紅蓮に染まる。
床を蹴る音すら置き去りにする超音速の跳躍。ルシアの刃は、バルツの胸部クローム装甲の継ぎ目、唯一の冷却スリットへと正確無比に突き刺さった。
鼓膜を破る爆発音が地下空間を揺るがし、内部ジェネレータを破壊された巨漢の身体は地下室の亀裂へと吹き飛び、底なしの暗黒へと沈んでいった。
雨はすでに上がり、冷たい夜風が吹き抜ける高層ビルの屋上ヘリポート。極彩色のホログラム広告が、二人の寄り添う影を濡れたアスファルトの上に長く伸ばしている。
ルシアの背骨に沿ったサーマルベントからプシューと最後の余熱蒸気が噴き出し、膝の油圧ロックが外れた彼女の身体は、力なくその場へ崩れ落ちた。
主電源破損。バッテリー残量:0.8%……カウントダウン開始
クロウは泥と油にまみれたロングコートを乱暴に脱ぎ捨て、濡れたヘリポートへ両膝をついた。
自らの首筋にある生体ポートの皮膚を爪で引き裂き、血に塗れたバイパスケーブルを彼女のうなじへ力任せにねじ込む。
クロウ「おい、勝手に電源落としてんじゃねえよ」
ルシア「クロウ……私の内部時計が、止まりかけています……」
熱を失い、硬直を始めた金属の指先を、クロウは震える自らの手のひらで痛いほど強く包み込んだ。
♥二人の脈動[/Heart]が有線ケーブルを介して激しく共振し、瀕死の冷却ファンの微かな駆動音と、狂おしい人間の心拍が完全に重なり合っていく。
バッテリー残量:0.0%
無慈悲な警告ログが網膜の隅で消失し、世界は完全な静寂に包まれていく。
だが、光を失いかけた彼女の透明な硝子体に、雨水ではない、温もりを帯びた本物の雫が一筋だけきらめき、静かに頬を伝い落ちる。
ルシア「……あたたかい、ですね……お兄ちゃん」
琥珀色の義眼に映る少女の微かな微笑みを、クロウはただ黙って、夜の底で抱きしめ続けた。