第一章: 真夜中の過熱シリンダー
シューッ!
高圧の白煙が耳を劈く咆哮を上げ、真鍮で組まれた巨大な骨組みを包み込む。
煤で汚れた濃茶のくせ毛を無造作に揺らし、ラスティ・クラインは拡大鏡付きゴーグルの奥で瞳をぎらつかせた。
ラスティ・クライン「見ろ……この爪の噛み合い。コンマゼロ一ミリの狂いすらない、神の領域だ!」
藍色の作業着に油染みのついた革エプロンをまとい、彼は複雑に絡み合う真鍮の円筒装置へスパナを当てる。
滑車の軋む音が鳴り止まぬ中、背後で甲高い軍靴の音が冷たく響き渡った。
ヴィヴィアン・ヘプバーン「そこまでですわ、蒸気テロリスト! その巨大シリンダー型時限爆弾から手を離しなさい!」
純白の近衛軍服に身を包んだヴィヴィアン・ヘプバーンが、鋭く研ぎ澄まされたレイピアの切っ先を喉元へ突きつける。
高い位置で束ねたペールブロンドのポニーテールが、荒れ狂う蒸気圧に煽られて激しく揺れ動いた。
ラスティ・クライン「ああん!? 邪魔すんじゃねぇ! 今まさに脱進器が極上のクリアランスで噛み合おうとしてる神聖な瞬間なんだぞ!」
ラスティは振り返りもせず、油に塗れた指先で細かな歯車の軸を微調整し続ける。
ヴィヴィアン・ヘプバーン「爆弾の信管を噛み合わせるですって!? 貴方、この大時計塔ごと帝都を吹き飛ばす気ですわね!」
ヴィヴィアンの青い瞳が大きく見開かれ、握りしめた剣の柄から微かな震えが伝わってくる。
ラスティ・クライン「吹き飛ばすわけねぇだろ! これは俺の魂の完全同期高圧振動装置だ! 触るな、過熱蒸気でこの極上の真鍮細工が歪む!」
ヴィヴィアン・ヘプバーン「言い逃れは見苦しいですわ! その不気味な装置を引き渡し、両手を上げて跪きなさい!」
冷徹な宣告。
しかし、ラスティは口角を深く歪め、スパナを握る手にさらに力を込める。
ラスティ・クライン「断る! お前みたいな鉄の美しさが分からねぇ無粋な女に、この娘の真鍮シールドを破らせてたまるか!」
ヴィヴィアン・ヘプバーン「なっ……破っ……!? なんて破廉恥で凶悪な思想の持ち主ですのーっ!」
ヴィヴィアンの刺突が空を裂き、過熱した配管のバルブを正確に弾き飛ばす。
噴流が視界を真っ白に染め上げる中、ラスティはシリンダーを大事に抱え込み、迷路のような時計塔の足場を蹴って駆け出した。
第二章: 油とコルセットの密室尋問

薄暗い工房『アイゼン堂』の重厚なオーク材の扉が、容赦なく蹴り破られる。
壁際に並ぶ無数の古時計の針が、衝撃で一斉に震え上がった。
ヴィヴィアン・ヘプバーン「追い詰めましたわ! 観念なさい!」
軍靴で床の油を弾き飛ばし、ヴィヴィアンが切っ先を構えたまま踏み込んでくる。
ラスティ・クライン「しつけぇ女だな! バルツァーの爺さん、この狂った近衛を追い出してくれ!」
部屋の奥、油と紫煙の匂いが立ち込める作業台の前。
真鍮の義足を鈍く軋ませ、パイプ煙草を燻らす白髭の老人バルツァー・アイゼンが、機械仕掛けの義眼をカラリと回して口角を釣り上げる。
バルツァー・アイゼン「ほう、ヘプバーン家の令嬢か。お嬢ちゃん、そのシリンダーに触らんほうがいいぜ。高周波の蒸気圧で、街中の婦人たちのコルセットの真鍮留め金が一斉に弾け飛ぶからな」
ヴィヴィアン・ヘプバーン「な、なんですって……!? コルセットが弾け飛ぶ……!?」
ヴィヴィアンの顔からスッと血の気が引き、思わず自身の胸元を庇うように腕を交差させる。
ラスティ・クライン「はあ!? 爺さん適当なこと言ってんじゃねぇ!」
ヴィヴィアン・ヘプバーン「黙りなさい変態兵器開発者! 街中の女性の尊厳を奪うなんて、卑劣極まりないテロ兵器ですわ!」
ラスティ・クライン「違う! コルセットのスプリング鋼の張力構造は美しいが、俺が興味あるのはこのシリンダー内部の多軸遊星歯車機構だけだ!」
ラスティの反論に、ヴィヴィアンは耳まで真っ赤に染め上げ、踏み込んだ足にさらに力を込める。
ヴィヴィアン・ヘプバーン「自白しましたわね! 締め付けられた胸元の構造を熟知していると!」
ラスティ・クライン「構造の話をしてんだよ! なんで顔を真っ赤にしてんだ!」
互いの怒鳴り声が木霊する中、バルツァーは紫煙を細く吐き出しながら肩を竦めた。
バルツァー・アイゼン「止めたいなら作業が終わるまで見張ることじゃな。無理に奪えば暴発して、まずあんたの胸当てが吹き飛ぶぞい」
ヴィヴィアン・ヘプバーン「ひっ……! いいですわ、信管を叩き斬るまで一歩も離れませんわ!」
軍服の硬質な胸甲を背中に押し当てるような至近距離。
ヴィヴィアンが背後にぴたりと張り付き、浅く早い呼吸を繰り返す。
耳元に直接かかる甘い吐息と、微かに漂う石鹸の香りに、ラスティの首筋がビクンと跳ね上がった。
ラスティ・クライン「近ぇよ! 息を吹きかけるな、歯車の軸が狂うだろ!」
ヴィヴィアン・ヘプバーン「だ、黙って作業しなさい……! 少しでも怪しい動きをしたら、即座に斬り捨てますわ……!」
背中から伝わる柔らかみと、レイピアの冷たい感触。
ラスティは額に滲む汗を拭いもせず、無理やり視線をシリンダーの細部へと固定した。
第三章: 沸騰限界のクリフハンガー

最頂部の文字盤裏。
満月の冷光が巨大な歯車を照らし出し、吹き荒れる熱風が二人の髪を乱暴に煽る。
ラスティ・クライン「どけ! この高圧蒸気の瞬間噴射圧を使わなきゃ、この頑固な機構は目覚めねぇ!」
ラスティの手元で、蒸気圧計の針がレッドゾーンに達し、小刻みに痙攣するように震えている。
配管のリベットが限界を迎え、金属が千切れるような悲鳴を上げ始めた。
ヴィヴィアン・ヘプバーン「狂気ですわ! この圧力で接続したら、時計塔ごと大爆発を起こします!」
ヴィヴィアンはレイピアを投げ捨て、素手でラスティの腕を必死に掴んで引き剥がそうとする。
ラスティ・クライン「信じろ! 俺が削り出した真鍮の肉厚は絶対に耐える!」
ヴィヴィアン・ヘプバーン「信じられるわけがありません! 貴方は私からすべてを奪うテロリストなのでしょう!?」
彼女の青い瞳から、大粒の涙が熱風に拐われていく。
ヴィヴィアン・ヘプバーン「母の形見の懐中時計も、貴方のような男が盗んで壊したに決まっていますわ!」
絞り出すような絶叫。
だが、ラスティの瞳に宿る狂気的な炎は揺るがない。
ラスティ・クライン「目の前で狂いそうな歯車があるなら命を懸けて直す! それが職人の生き様だ! どけぇぇぇっ!」
ヴィヴィアン・ヘプバーン「やめなさい、ラスティィィィッ!」
全体重をかけて飛びついたヴィヴィアンとラスティの体が激しくもつれ合い、冷たい鉄の床へと倒れ込む。
その衝撃で、ラスティの指が最終レバーを奥の奥まで叩き込んだ。
カチリ。
絶望的な音が響き、蒸気圧計の針が限界を完全に振り切る。
ラスティ・クライン「しまっ――」
ヴィヴィアン・ヘプバーン「あああっ――!」
暴力的で熱量の無い、純白の閃光が、もつれ合う二人の体を完全に呑み込んだ。
第四章: 真鍮仕掛けのプロポーズ?
身を引き裂くような爆音は、いつまで経っても訪れなかった。
代わりに鼓膜を震わせたのは、夜気を震わせるほど澄み渡るオルゴールの和音。
シリンダーの先端が蓮の花びらのように滑らかに展開していく。
朝露のように微細で温かな蒸気のベールの中から、狂いなくチクタクと時を刻む、黄金色の懐中時計がゆっくりとせり上がってきた。
ヴィヴィアン・ヘプバーン「……え? これ……お母様の懐中時計……?」
ヴィヴィアンは床にへたり込んだまま、呆然と目の前の輝きを見つめる。
ヴィヴィアン・ヘプバーン「泥水に落ちて、完全に壊れたはずの……」
ラスティ・クライン「下層街の側溝で泥まみれになって泣いてただろ。ハンカチ噛み締めながらさ」
煤と油で真っ黒になった顔を背け、ラスティはぶっきらぼうに言い放つ。
ヴィヴィアン・ヘプバーン「み、見てましたの……!?」
ラスティ・クライン「内部に泥が詰まって偏心軸が歪んでたんだよ。時計塔の過熱蒸気で洗浄して、超高圧で軸を一気に矯正した」
理路整然と語る彼の口調に、ヴィヴィアンはハッと我に返った。
ヴィヴィアン・ヘプバーン「テロ兵器は……? 街中の服が弾け飛ぶというのは……?」
階段の下から、息を切らせた義足の老人が顔を覗かせ、ニヤリと破顔する。
バルツァー・アイゼン「カッカッカ! ワシのホラ話じゃよ。真面目腐ったお嬢ちゃんをからかうのは、最高の酒の肴じゃからな!」
ヴィヴィアン・ヘプバーン「ば、バルツァー様ぁぁぁっ!?」
顔を真っ赤にして地団駄を踏むヴィヴィアンを横目に、ラスティは首の後ろをガリガリと掻き、明後日の方向へと視線を逸らした。
ラスティ・クライン「二度と落とすなよ。その脱進器……俺が作った中で、一番美しく噛み合ってんだからさ」
それは、世界一不器用な職人が絞り出した、不格好で真摯な言葉。
碧眼に大粒の涙を潤ませたヴィヴィアンが、震える両手でラスティの油まみれの腕をぎゅっと抱きしめた。
胸甲越しに伝わる、狂おしいほどの心臓の鼓動。
ヴィヴィアン・ヘプバーン「不器用で、口が悪くて、最低ですわ……! ♥でも、世界で一番の時計技師ですわ……![/Heart]」
ラスティ・クライン「おまっ、離せ! なんで腕に抱きついてんだ! 油がつくぞ!」
ラスティが振り払おうとするが、ヴィヴィアンのホールドは近衛仕込みの万力のように外れない。
ヴィヴィアン・ヘプバーン「職務質問ですわ! 貴方が二度と悪さをしないよう、この私が一生監視して差し上げます!」
ラスティ・クライン「一生!? 勘弁してくれぇぇ!」
朝焼けが帝都の空を黄金色に染め上げ、煤煙の立ち上る空気を切り裂いていく。
完璧に調律された大時計の鐘が、二人の門出を祝福するかのように、力強く高らかに響き渡った。