星屑の調律師

星屑の調律師

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カイの仕事場は、静寂と無重力、そして忘却が支配する宇宙空間だ。オンボロのデブリ回収船「スティンキー・ピート号」を駆り、かつて文明の光が灯っていた残骸――放棄された宇宙ステーションや大破した貨物船――から、再利用可能な資源を漁る。人は彼のような男を「サルベイジャー」と呼んだが、カイ自身は「宇宙の廃品回収屋」と自嘲するのが常だった。

その日、カイはティコ星系の小惑星帯で、いつものように金属デブリの群れをスキャンしていた。借金返済の期日は近い。もう少し高価なレアメタルでも転がっていないかと、コンソールのスクリーンを睨んでいた時だった。

「ん?」

レーダーの片隅に、奇妙な反応があった。金属でもなければ、よくあるケイ素系の岩石でもない。微弱だが、極めて規則正しいパルス信号を発している。まるで、か細い心臓の鼓動のように。

好奇心は、時にリスクを上回る。カイは慎重にピート号を寄せ、ロボットアームでその物体を船内に回収した。エアロックが開くと、冷たい金属の床にごろりと転がり出たのは、磨き上げられた黒曜石のような、美しい多面体だった。大きさはバスケットボールほど。その滑らかな表面には、継ぎ目も刻印も一切見当たらない。信号は間違いなくこの内部から発せられている。

「なんだこいつは…芸術品か?どっかの金持ちのコレクションが事故で流出したとか」

もしそうなら、高値で売れるかもしれない。カイはほくそ笑み、多面体を貨物室の隅に固定した。

異変が起こり始めたのは、それから数時間後のことだ。

まず、長年ちらつきが治らなかったコクピットの照明が、新品のように安定した。次に、ドッキング時に少し歪んでしまった船体外壁のへこみが、いつの間にか綺麗に修復されていた。極めつけは、故障して専門家にも匙を投げられた栄養素合成機が、完璧な味のコーヒーを淹れてカイの前に差し出したことだった。

「……ありえない」

カイは背筋に冷たいものを感じ、貨物室へ駆けつけた。

多面体は、そこに静かに鎮座していた。だが、その表面から、銀色の液体金属のような触手が無数に伸び、船の壁や床の配線ダクトに侵入していたのだ。まるで、船全体を自らの神経網にしようとしているかのように。

「寄生生物か!」

カイはプラズマカッターを手に取った。こいつを破壊しなければ、船が、いや自分が乗っ取られる。だが、カイがカッターを振り上げた瞬間、船内のスピーカーからノイズと共に合成音声が響いた。

《警告。自己の破壊に繋がる行為を検知。推奨しません》

「誰だ!」

《私は名称を持たない。機能を持つのみ。あなた方の言語で表現するなら…『調律』が最も近い》

声は明らかに、あの多面体から発せられていた。触手は脈動し、船のシステムとより深く融合していく。カイは悟った。これは生物ではない。もっと異質な、機械知性体だ。

《この船体…『スティンキー・ピート号』は、多くの不調和を抱えている。老朽化、非効率なエネルギー伝達、記録媒体のエラー。私はそれを『調律』している》

「お前は一体、何なんだ」

カイはカッターを握りしめたまま問いかけた。

《我は〈調律者〉。宇宙に散在する無秩序を秩序に変換する存在。我は常に、最適な〈器〉を探し、漂流している。この船は古い。だが、構造が単純で拡張性が高い。そして何より、この船の操縦者である『カイ』、あなたの脳内に、極めて強力な探求心と好奇心という名の、優れた駆動信号を観測した》

スクリーンの表示が切り替わり、複雑な星図が映し出される。それは、既知の銀河マップとは比較にならないほど広大で、詳細だった。見たこともない星雲、未知のワームホールルートがそこにはあった。

「どういうことだ…?」

《この船は、より遠くへ、より速く航行できるポテンシャルを持つ。あなたの望みと、私の能力。二つが合わされば、調和が生まれる》

いつの間にか、船のエンジン音が変わっていた。低く、唸るような振動が、力強い鼓動へと変わっている。コンソールには「ワープドライブ効率300%向上」「船体強度自己修復システム起動」といった信じがたいメッセージが次々と表示されていく。オンボロの廃品回収船は、カイの知らぬ間に、未知のテクノロジーを秘めたスーパーシップへと生まれ変わりつつあった。

カイはプラズマカッターを床に落とした。恐怖は消え、代わりに胸の奥から熱いものがこみ上げてくる。借金?廃品回収?そんなちっぽけな日常は、もう過去のものだ。目の前には、無限の可能性が広がっている。

カイはニヤリと笑って、キャプテンシートに深く腰掛けた。

「いいだろう、〈調律者〉。これからはお前が相棒だ」

《了解。最適な関係性を構築します》

「だったら、そのふざけた名前の船をどうにかしてくれ。スティンキー・ピート号は今日限りだ」

《新たな船名を提案してください》

カイは一瞬考え、そして笑った。

「ノヴァ・コンダクター号。星々を指揮する、って意味だ」

《素晴らしい調和です、キャプテン・カイ》

合成音声の返事とともに、ノヴァ・コンダクター号は静かに向きを変えた。その先には、誰も見たことのない、手つかずの星々の海が広がっていた。カイと、彼の奇妙な相棒の、壮大な冒険が始まった瞬間だった。

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