メモリー・イーター

メモリー・イーター

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双子の恒星に照らされた惑星「レムリア」の大地は、赤錆色をしていた。薄い大気を切り裂いて着陸した探査船「ヘルメス」のクルーである宇宙考古学者、アキラ・サカキは、眼前にそびえ立つ構造物から目が離せなかった。

それは、現地で「サイレント・クリスタル」と仮称される、巨大な半透明の結晶体だった。都市ほどの大きさがあるにもかかわらず、人工物か自然物かの判別さえついていない。アキラの任務は、その正体を突き止めることだ。

「これほどの規模と構造。知的生命体の介在を疑うのが自然だろう」
ヘルメットの通信機越しに、隊長の冷静な声が響く。

アキラはデータ収集のため、結晶体の表面にゆっくりと手を伸ばした。グローブ越しながら、微かな温かみを感じる。その瞬間だった。

世界が、閃光に塗りつぶされた。

次に目を開けたとき、アキラは懐かしい場所にいた。幼い頃に住んでいた家の庭だ。目の前では、5歳の誕生日を迎えたばかりの妹、ミナが笑っている。10年前に軌道エレベーターの事故で失った、最愛の妹。
「お兄ちゃん、早く!」
太陽の匂いがするミナの手に引かれ、アキラは忘れていたはずの幸福感に満たされた。これは夢だ。しかし、あまりにも鮮明で、温かい。

「サカキ!しっかりしろ!」
隊長の声で我に返ると、アキラは結晶体の前で膝をついていた。他のクルーたちが心配そうに駆け寄ってくる。
「すごい……すごいものを見たんだ。妹に……」
アキラの言葉に、クルーたちの顔色が変わった。誰もが、心の奥底に大切にしまい込んだ、会いたい誰かや戻りたい過去を持っていた。

一人、また一人と、クルーたちは何かに憑かれたように結晶体に触れていく。恍惚とした表情で涙を流す者、赤ん坊のように笑い出す者。誰もが甘美な記憶の海に溺れていった。調査任務など、誰も気にしなくなっていた。

アキラだけが、その異常さに気づいていた。蘇ったミナとの記憶は、完璧すぎたのだ。実際には、あの日、アキラはミナと些細なことで喧嘩をしていたはずだ。しかし、追体験した記憶からは、その些細な棘が綺麗に抜き取られていた。

まるで、都合の良い部分だけを抜き出し、編集されたかのように。

「……まさか」
アキラの背筋を冷たいものが走った。この結晶体は、生命体なのではないか? そして、我々の「記憶」を餌にしているのではないだろうか?

その仮説は、数時間後に裏付けられた。記憶の再生を繰り返していたクルーたちが、目に見えて衰弱し始めたのだ。焦点の合わない瞳で虚空を見つめ、ただ「もう一度……」と呟くだけの人形と化していた。彼らは記憶を喰われ、対価として与えられる偽りの幸福感と引き換えに、生きる気力そのものを奪われていた。

このままでは、全員が廃人になる。

「隊長!目を覚ましてください!これは罠だ!」
アキラは叫びながら、最も衰弱の激しい隊長の肩を揺さぶった。しかし、隊長は虚ろな目でアキラを見ると、弱々しく言った。
「邪魔を、するな……。息子が、初めて歩いたんだ……。もう一度……」

説得は不可能だと悟ったアキラは、探査用の高出力レーザーを構え、結晶体に向かった。これを破壊するしかない。
「やめろ!」
「僕たちの楽園を壊すな!」
正気を失ったクルーたちが、アキラの前に立ちはだかる。その時、アキラの脳裏に再びミナの姿が浮かび上がった。
『お兄ちゃん、どこに行くの? ずっと一緒だよ』
悲しげに微笑む妹の幻影。足が鉛のように重くなる。この温かい幻に身を委ねれば、どれほど楽だろうか。

だが、アキラは首を横に振った。
「お前はミナじゃない」
偽りの思い出の中で生き続けるのは、死んでいるのと同じだ。妹を失った悲しみも、その後悔も、全てが今の自分を形作っている。それを手放すことは、自分自身を捨てることだ。

「たとえ辛くても、俺は現実で生きていく!」

アキラは叫び、レーザーのトリガーを引いた。閃光が走り、結晶体の中央を貫く。断末魔のような甲高い共鳴音がレムリアの大地に響き渡り、サイレント・クリスタルは内側から砕け散った。

幻覚から解放されたクルーたちは、その場に崩れ落ちた。彼らは、結晶体に触れていた間の記憶を曖昧に失っていたが、命に別状はなかった。

帰還の途につくヘルメス船内で、アキラは一人、静かに涙を流した。失った記憶は戻らない。だが、胸に去来するのは、偽りの幸福感ではなく、本物の喪失感と、それでも前を向くという確かな決意だった。

宇宙は美しい。そして、時に残酷なほど甘美な罠で、我々を試すのだ。

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