クロノスの揺り籠

クロノスの揺り籠

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紫色の空に、双子の太陽が爛々と輝いていた。惑星ゼノア。人類が初めて発見した、知的生命体の痕跡が眠る星だ。私は、言語学者のリア・サカモトとして、調査隊「アルゴス」と共に、その巨大な地下遺跡の入り口に立っていた。

「まるで神殿だ……」

誰かが息を呑む。黒曜石を思わせる滑らかな壁面が、幾何学的な精度で天へと伸び、空洞の巨大さを物語っていた。数億年前に滅びたというゼノア文明。彼らは一体、何を遺したのか。

私の仕事は、壁面に刻まれた無数の楔形文字を解読することだ。それは文字であり、同時に数式であり、音楽でもあった。複雑怪奇な体系に没頭して数週間、私は一つのパターンを発見した。それは、繰り返し現れる警告だった。

『揺り籠に触れるな。目覚めは終わりを告げる』

私はすぐにコールドウェル船長に報告した。だが、功名心に燃える彼は、それを一笑に付した。
「臆病風に吹かれたか、サカモト博士。これは人類史における最大の発見だ。迷信に付き合っている暇はない」

船長の命令で、調査隊は遺跡の最深部へと進んだ。そして、我々はそれを見つけたのだ。空洞の中央に鎮座する、直径50メートルはあろうかという白銀の球体。表面には、解読した警告文と同じ文様が、青白い光を明滅させながら流れている。あれが「揺り籠」か。

コールドウェル船長は、まるで聖杯に手を伸ばすように、ゆっくりと球体に触れた。
その瞬間、世界が変わった。

凄まじい振動が足元を揺さぶり、球体は太陽のように輝き始めた。壁面の文様が脈動し、遺跡全体が巨大な生命体として覚醒したかのような咆哮を上げる。計器がけたたましい警報を鳴らし、オペレーターが絶叫した。
「船長! 球体から未知のエネルギー波が放出されています! これは……全方位、超光速で銀河系全域に拡散していくパターンです!」

パニックに陥るクルーを尻目に、私は必死で思考を巡らせた。揺り籠が目覚めた。そして、終わりが告げられる。一体、何の終わりが? 私は補助AIに、解読したばかりの言語データを再構築させ、文脈からその真の意味を探る。モニターに表示された翻訳結果に、血の気が引いた。

『宇宙の庭師、クロノス。生命が熟れすぎた時、その揺り籠は目覚め、実りを収穫する』

これは兵器だ。それも、特定の文明を滅ぼすためのものではない。宇宙に知的生命体が一定の密度を超えて繁栄したことをトリガーに、銀河系全域の文明を「リセット」する、超古代の自動装置。ゼノア文明は、自らがその引き金を引いてしまい、収穫されたのだ。そして今、我々人類が、新たな引き金を引いてしまった。エネルギー波は、宇宙に散らばる知的生命体を探し出し、殲滅するためのマーカーだ。リセットまで、おそらく数時間もない。

「止められないのか!」
船長が私の肩を掴む。その顔は恐怖と後悔で歪んでいた。

「停止シーケンスがあるはずです! 彼らが作ったのなら、止める方法も遺しているはず!」
私は再び壁面の碑文に向き合った。そこには、揺り籠の構造図と共に、彼らの哲学が記されていた。彼らは、個の生存を至上命題とし、他者との調和を軽んじた結果、この装置を暴走させてしまったらしい。停止の鍵は、彼らが持ち得なかった概念の中にあるはずだ。

「自己犠牲……共存……」
私が呟いた言葉に、コールドウェル船長がはっとしたように顔を上げた。彼は何かを決意した目で私を見ると、球体へと繋がる動力パイプを指差した。
「サカモト博士、あれを過負荷で暴走させれば、一時的にでも動きを止められるかもしれん。私の命で、君たちに時間を稼ぐ」

船長の覚悟は本物だった。だが、破壊は解決策にならない。ゼノア文明の過ちを繰り返すだけだ。その時、私の脳裏に電撃が走った。彼らが持ち得なかった概念。それは破壊の対義語。創造。いや、もっと根源的なもの……。

「対話よ!」

私は叫んだ。「この装置は、知的生命体を判断する。なら、私たちに知性があることを、彼らの言葉で証明するのよ!」

コールドウェル船長が動力炉へ向かい、命がけで時間を稼いでくれている間に、私はコンソールに駆け寄った。ゼノア語の論理構造を応用し、私は球体に向けて一つのメッセージを紡ぎ出す。それは祈りにも似た、私たちの存在証明だった。

『我々は未熟だ。過ちも犯す。だが、我々は学ぶことができる。あなたたちの遺した警告から、共存の意味を。我々は、あなたたちのようにはならない。この宇宙で、孤独に滅びはしない』

入力が完了した瞬間、耳を劈くような轟音が止んだ。白銀の球体の輝きが収まり、遺跡は再び数億年の沈黙を取り戻す。

静寂の中、球体の表面がゆっくりと開き、中から無数の光の粒子が溢れ出した。それは破壊のエネルギーではなかった。ゼノア文明が遺した、膨大な知識のアーカイブ。科学、哲学、芸術……滅びゆく彼らが、後続の文明に託した、最後の希望だった。

私たちは、宇宙を滅ぼしかけた。そして、宇宙から許された。紫色の空の下、私は人類が手にした重すぎる遺産を見つめながら、これから始まる本当の宇宙時代に思いを馳せていた。

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