逆行の時間(クロノス・リヴァース)

逆行の時間(クロノス・リヴァース)

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第一章 漂流する残骸、蘇る幻影

広大な宇宙の墓場、通称「スクラップヤード」。そこは、役割を終えた宇宙船の残骸や、開発競争に敗れた実験モジュール、あるいは未知の災害で破壊された文明の断片が、永遠に漂い続ける場所だった。アリスは、その中でも最も孤立した宙域を、古びたサルベージ船「カサンドラ」で巡回していた。彼女の任務は、価値ある残骸を回収し、再利用可能な資源へと変換すること。だが、アリスの真の目的は、常に手の届かない場所にあった。

宇宙空間に溶け込むような深碧の瞳は、どんな金属の破片も見逃さない。しかし、この日、彼女のセンサーが捉えたのは、これまで見たことのない、奇妙な光を放つ巨大な構造物だった。それは、星屑の光を不自然に吸い込み、そして吐き出すかのように脈打っていた。通常の観測機器では、ただのエネルギー反応としてしか認識されない。だが、アリスの脳裏には、ある一つの記憶がよぎった。――リラ。彼女の最愛の妹が、五年前に消息を絶った事故。その時、リラが乗っていた実験艦のデザインに、この残骸は酷似していたのだ。

「そんなはずはない……」

アリスは固く唇を噛んだ。リラの船は跡形もなく消滅したと報告されていた。しかし、眼前の光景は、彼女の論理を嘲笑うかのように、信じられない現象を起こしていた。まるで時間が巻き戻されるかのように、巨大な金属片がゆっくりと元の形を取り戻していく。破壊されたはずの外壁が、少しずつ、まるで生命を得たかのように再構築されていくのだ。これは錯覚か? それとも、宇宙の新たな悪戯か?

好奇心と、失われた妹への微かな希望が、冷え切ったアリスの心臓を熱くした。危険を承知で、彼女はカサンドラの残骸へと針路を取った。船体が、奇妙な光を放つ構造物の外縁に吸い寄せられる。船内を覆う沈黙の中、コックピットの計器は狂ったように針を振り乱し、警告音を鳴らし続けた。アリスは深く呼吸し、操縦桿を握りしめた。内部へと進入するエアロックが開き、真空の音が船内に吸い込まれていく。その瞬間、彼女の全身を、冷たい電流のような感覚が駆け抜けた。

第二章 時間の逆流、変容する現実

構造物の内部は、外観以上に異様だった。壁面は滑らかな金属に覆われているが、所々に深い亀裂が走り、有機的な繊維が絡みつくように伸びている。空間そのものが歪んでいるかのような錯覚に陥る。アリスの足元には、宇宙船の残骸が散らばっているはずが、それらがゆっくりと、しかし確実に、元の形へと復元していく。砕け散ったガラス片が宙に舞い上がり、瞬く間に一枚の透明な板へと戻る。錆びついた金属パネルは、時間を遡るかのように新品の輝きを取り戻した。

「これは……まさか」

アリスは、自身の宇宙服の腕に目をやった。数週間前、スクラップの破片で擦りむいた傷が、わずかに薄くなっているような気がする。そして、何よりも驚くべきことに、彼女の記憶の中の風景が、より鮮明に、より色彩豊かに蘇ってきた。特に、リラの笑顔。それは五年もの間、薄れゆくばかりだった幻が、まるで昨日のことのように明確にアリスの視界に現れたのだ。

まるで過去が、彼女を取り戻そうとしているかのように。

その時、空間の奥から、微かな歌声が聞こえてきた。それは、リラが幼い頃によく口ずさんでいた、古い子守歌だった。アリスは吸い寄せられるように、その声のする方へと進んだ。奥まった小部屋に足を踏み入れると、そこには光の粒子が寄り集まって形作ったかのような、半透明の少女が立っていた。それは、若かりし頃のリラだった。彼女はアリスに気づくと、無邪気に微笑んだ。

「お姉ちゃん、ここ、変な音がするよ」

リラの幻影は、事故が起こる前の、屈託のない姿だった。アリスは思わず手を伸ばしたが、彼女の指は光の粒子をすり抜けた。幻だと分かっていても、その存在感はあまりにもリアルで、アリスの心臓を締め付けた。過去を取り戻せる。そう確信した瞬間、しかし、彼女の直感が危険を告げた。このままこの空間にいれば、彼女自身も、過去へと引きずり込まれ、最終的には存在そのものが消滅してしまうのではないか?

さらに奥へ進むと、破損した端末が一つ、復元されつつあるのが見えた。アリスは急いでそれにアクセスし、残されたログデータを読み込んだ。そこには、この奇妙な構造物を「時間逆行領域(タイム・リヴァース・ゾーン)」と名付け、その研究を行っていた先駆者たちの記録が残されていた。彼らは若返り、ついには存在そのものが消滅していったという、悲劇的な実験の報告書だった。

この領域は、自らを「修復」するために時間を逆行させている。そして、特定の条件が満たされると、完全な過去への再構成が起こり得る。それは同時に、その領域内にいた全てのものの存在を完全に消滅させるという結論で、ログは途切れていた。アリスの鼓動が早まる。リラの幻影は、まるでその結論を知っていたかのように、悲しげな微笑みを浮かべている。

第三章 再生と喪失の選択

ログの奥深くを解析していくと、アリスは、凍りつくような真実に行き当たった。この巨大な構造物、すなわち「時間逆行領域」の中心にある施設は、かつて彼女自身が、リラと共に設計に関わっていた「時間エネルギー研究施設」だったのだ。

アリスとリラは、幼い頃から共に科学に情熱を燃やしていた。特にアリスは時間物理学の可能性に魅せられ、リラはその夢をいつも応援し、サポートしていた。二人は、失われた時間を修復し、過去の過ちを正すという、夢のようなプロジェクトを秘密裏に進めていた。それは、時間軸のゆがみを修正し、特定の物質や事象を「過去の状態」へと戻すという、あまりにも危険で倫理的に問題のある研究だった。最終的に、その技術は「危険すぎる」と判断され、開発は中止され、施設は厳重に封印されたはずだった。

「どうして……こんな場所に……」

アリスは、震える手でさらにログを辿る。そして、リラが乗っていた実験艦が、封印されたはずのこの施設にアクセスしようとしていた事実を知った。リラは、姉であるアリスが諦めた「時間逆行」の夢を、一人で追い求めようとしていたのだ。おそらく、事故が起こる前に、何らかの異常に気づき、それを止めようとしていたのかもしれない。あるいは、自分たちの技術が暴走したことを知り、修正しようとしていたのかもしれない。

リラの幻影は、今度はアリスのすぐ目の前に立っていた。透き通るような指先が、アリスの頬に触れる。冷たいはずなのに、熱いような錯覚に陥る。

「お姉ちゃん、また始められるよ。あの時のように、最初から」

幻影の瞳は、過去の希望に満ちていた。アリスの胸中に、失われた妹との再会という、究極の誘惑が渦巻く。もしこの場所が完全に再構成されれば、リラは、この暴走が起こる前の状態で「復活」するかもしれない。だが、それはログに記されていた通り、同時に自分自身の存在を完全に消滅させることになる。過去を取り戻すことは、未来を消し去ること。その厳粛な真実が、アリスの心を激しく揺さぶった。

妹を失った喪失感から、長年逃れられずにいたアリスにとって、これはあまりにも甘美で、あまりにも恐ろしい選択だった。自分たちの夢が、このような形で暴走し、宇宙の片隅で悲劇を生み出していたとは。そして、その悲劇の渦中に、最愛の妹がいたとは。彼女の価値観は根底から揺らぎ、これまで抱いてきた後悔と罪悪感が、津波のように押し寄せた。

第四章 未来への決断、そして別れ

アリスの脳裏で、リラの幻影が再び語りかける。

「お姉ちゃん、この場所は、過ちを修正するためのものじゃない。未来へ進むための、もう一つの道を探す場所よ」

その言葉は、まるで過去から送られてきた、未来への導きのように響いた。リラの幻影は、時間逆行のエネルギーによって再構成された、彼女の「意識の残滓」のようなものだった。過去に囚われ、絶望に沈んでいたアリスに、リラは「過去に執着するな、未来を見ろ」とメッセージを送っているのだ。

アリスは、震える手で端末を操作した。過去を修正する誘惑は強烈だったが、リラの言葉が彼女の心に新たな光を灯した。過去を取り戻すのではなく、未来を選ぶ。それが、今、彼女にできる、そしてすべきことだった。

ログのさらに深い部分に、施設の緊急停止プロトコルと、暴走した時間エネルギーを安定させる方法が記されていた。それは、領域の中心核に到達し、自身も逆行の影響を受けながら、エネルギーフィールドを「停止」状態へと移行させるという、極めて危険な操作だった。アリスの肉体は、この領域に長く留まったことで、すでにわずかに若返り始めていた。記憶の一部も曖昧になりつつある。しかし、彼女の瞳には、かつての迷いはなく、強い決意が宿っていた。

アリスは、施設の中心核へと進んだ。空間の歪みはさらに激しくなり、時間はあらゆる方向へと奔流していた。壁面に手を触れると、過去の記憶がフラッシュバックする。幼いリラと二人で、この研究に夢中になっていた日々。そして、技術が封印された瞬間の、リラの悲しげな横顔。

中心核にたどり着いたアリスは、最後の力を振り絞って停止プロトコルを起動した。膨大なエネルギーがアリスの全身を駆け抜け、彼女の記憶が激しく揺さぶられる。その瞬間、目の前に立つリラの幻影が、ゆっくりと薄れ始めた。

「お姉ちゃん……ありがとう」

リラの声は、囁きとなり、そして、静かに消え去った。その瞬間、暴走していた時間逆行領域は、まるで深い呼吸を終えたかのように、静止した。

第五章 新たな時間、胸に刻む過去

沈黙が、停止した時間逆行領域を支配した。アリスは、重い体を起こし、周囲を見渡した。時間は、通常の流れに戻っていた。壁面にあった亀裂は、修復されることもなく、ただの傷としてそこに残り、有機的な繊維も消えていた。宇宙の残骸は、奇妙な光を放つこともなく、元の「ただの残骸」に戻っていた。

アリスは、停止した施設からカサンドラへと脱出した。宇宙空間は、普段と変わらない静けさで広がっている。過去を取り戻すことはできなかった。リラはもう、どこにもいない。しかし、アリスの心には、これまで感じたことのない穏やかな感情が満ちていた。過去への執着という重荷が、彼女の肩から滑り落ちたかのようだった。

リラの最後のメッセージ、「未来へ進め」。その言葉は、アリスの心に深く刻み込まれていた。彼女はもう、過去に囚われない。喪失感は消えないだろう。しかし、その痛みは、彼女を縛りつけるものではなく、未来への糧となることを知った。

カサンドラは、再び広大な宇宙へと向かっていく。宇宙は広大で、まだ見ぬ現象や秘密に満ちている。時間逆行領域のような未知の存在は、これからも現れるだろう。だが、アリスはもう恐れない。彼女は、自分自身の存在が、失われた時間と、これから創造される未来の間に位置することを理解した。過去を背負いながらも、新たな探求者として、アリスは未来へと目を向ける。彼女の航海は、まだ始まったばかりだ。

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