揺りかごの星雲

揺りかごの星雲

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「なあノア、今日の獲物はどうだ? ダイヤの一粒でも転がってないか?」
カイは古びた宇宙船〈スターゲイザー〉の操縦席で足を組み、コンソールに映る星図を眺めながら相棒に問いかけた。返ってきたのは、合成音声とは思えないほど冷静な声だった。
『船長。その宙域はデブリベルトの外れです。過去100年間の航行記録にも、価値ある発見の報告はありません。期待値は0.01%未満と算出されます』
「ゼロじゃないなら上等だ」
カイ・サカモトは、宇宙を漂うガラクタを拾って生計を立てるサルベージャーだ。一攫千金を夢見てはいるが、現実は錆びついた貨物船の残骸か、機能停止した旧式のドローンを拾うのが関の山だった。

その日も、いつも通りの退屈な宇宙遊泳になるはずだった。ノアが警告音を発するまでは。
『未知の信号を捕捉。周期性を持つ微弱な電波です。既知のどの文明パターンとも一致しません』
コンソールに、奇妙な波形が表示される。それはまるで、心臓の鼓動のようだった。
「発信源は?」
『座標デルタ・ナイン。アステロイド・フィールドの更に奥。通常航路からは完全に外れています』
カイの口元が吊り上がる。危険宙域。誰も行きたがらない場所。だからこそ、お宝が眠っている可能性がある。
「進路変更だ、ノア。最大船速で頼む。早い者勝ちだぜ、こういうのは」
『……了解。船長、欲に目が眩んで船を失いませんように』
ノアの皮肉を聞き流し、カイはスロットルレバーを握りしめた。胸の鼓動が、あの未知の信号と重なるように高鳴っていく。

数時間の航行の末、〈スターゲイザー〉は信号の発信源に到達した。そこに浮かんでいたのは、カイの想像を絶する物体だった。
直径数キロはあろうかという、黒曜石のように滑らかな球体。小惑星にしてはあまりに完璧な形をしている。表面には幾何学的な紋様が淡い光を放ちながら、ゆっくりと明滅していた。
「おいおい……冗談だろ。なんだ、こりゃ」
『船体材質、スキャン不能。高密度のエネルギー反応を検出。これは……自然物ではありません』
カイはゴクリと喉を鳴らした。これは船か? 基地か? あるいは、何かのモニュメントか? どちらにせよ、とんでもないお宝であることは間違いない。彼は宇宙服を身につけると、小型ポッドで球体へと接近した。

黒い球体の表面に降り立つ。足元はガラスのように滑らかだが、不思議な引力で体が安定していた。彼が手を伸ばし、紋様に触れた瞬間だった。
足元の表面が静かに波打ち、目の前に円形の入り口が音もなく開いた。誘われるように中へ足を踏み入れると、そこは信じられない光景が広がっていた。

巨大な空洞。天井という概念はなく、遥か彼方まで続く空間の中心には、恒星のように輝く巨大な結晶体が浮かんでいた。そして、壁という壁には、信じられないほど緻密なレリーフが刻まれている。それは、生命の誕生、進化、文明の勃興、そして星々の戦争と和解……一つの宇宙の全てを物語る、壮大な叙事詩だった。
「すごい……。博物館か? まるで、宇宙そのものの歴史書だ」
カイが呆然と呟くと、ノアからの通信が入る。
『船長、危険です! 球体内部のエネルギーが急上昇しています! あなたがトリガーになったようです!』
その声と同時に、中心の結晶体がひとき khắp輝きを増した。そして、カイの脳内に直接、声とも思念ともつかない情報が流れ込んできた。

――我々は、旅人。
――我々の宇宙は、終焉を迎えようとしていた。エントロピーは増大し、最後の星も光を失う運命にあった。
――我らは、記憶と生命の全てをこの“方舟”に封じた。新たな宇宙の誕生を待ち、そこで我らの知識と遺伝子を解き放つために。
――この信号は、我らの目覚めを手伝ってくれる知性体を探すための呼び声。
――さあ、開闢の引き金を。

カイは理解した。これはサルベージできるような代物ではない。滅びゆく宇宙が遺した、最後の希望の種子なのだ。そして自分は、その目覚めのスイッチを押してしまった。
結晶体から放たれる光が、空間そのものを歪ませ始める。
『船長、脱出を! このままでは〈スターゲイザー〉もろとも消滅します!』
ノアの悲鳴に近い警告が響く。だが、カイは動かなかった。彼の目は、壁画の最後の一枚に釘付けになっていた。
そこには、緑豊かな惑星で、多種多様な生命が繁栄する様子が描かれていた。その中には、明らかにヒトの祖先と思われる姿もあった。そして、その絵の片隅には、小さな宇宙船と、手を振る人影。感謝を示すかのような、小さな花が添えられていた。

「……ははっ」
カイは乾いた笑いを漏らした。
「なあノア。俺はただのガラクタ拾いだ。歴史に名を残すような大層な人間じゃない。だがな、こんなデカい仕事、断るわけにはいかないだろ」
カイは踵を返し、自分の船に向かって走り出した。しかし、それは逃げるためではなかった。
操縦席に飛び込むと、彼は迷わずエネルギーコアの制御パネルを開いた。
「カイ! 何をする気です!」
「花火を打ち上げるんだよ。最高のやつをな」
カイはニヤリと笑い、メインエネルギーの供給ラインを、外部放出モードに切り替えた。
「〈スターゲ-ザー〉の全エネルギーを、あのでっかい結晶体にぶち込む。目覚めのための、最後の一押しだ」
『自殺行為です!』
「神話の始まりってのは、いつだって誰かの自己犠牲から始まるもんさ。……頼んだぜ、ノア」

カイがレバーを倒すと、〈スターゲイザー〉から眩いばかりのプラズマ奔流が放たれ、黒い球体の中心へと吸い込まれていった。
結晶体は太陽のように輝き、カイの視界は真っ白な光に包まれた。船体が軋み、砕け散る音を聞きながら、彼は満足げに目を閉じた。

―――

遥かな時が流れた。あるいは、別の時空かもしれない。
青く輝く惑星で、一人の少女が夜空を見上げている。彼女の隣に立つ父親が、空の一点を指さした。そこには、赤と青のガスが螺旋を描く、美しい星雲が輝いていた。
「お父さん、あの星雲はなんていう名前なの?」
「あれはな、『揺りかごの星雲』と呼ばれているんだ。我々の生命が生まれた場所だと、古い神話では伝えられている。大昔、名も知らぬ旅人が、自らの命と引き換えに、僕たちの世界を創造してくれたんだそうだ」
少女がキラキラと目を輝かせる。
その美しい星雲の中心で、新たな宇宙の誕生を観測し続ける一つの意識があった。

『観測記録、完了。彼の名はカイ・サカモト。彼は、ただのサルベージャーではない。我々の宇宙の、最初の神話になった男だ』

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