クロノス・コンパスと最後の宙賊

クロノス・コンパスと最後の宙賊

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オンボロの貨物船「スターダスト・ランナー」号の船長、カイトにとって、宇宙は巨大な宝の山であり、同時に巨大な質屋でもあった。彼は《先駆者》と呼ばれる超古代異星文明の遺物(アーティファクト)をサルベージしては、その日の燃料代と合成ヌードルに替える、しがないトレジャーハンターだ。

「ピップ、次の座標はまだか?」
コンソールの前に座るカイトの肩の上で、球形の小型ドローン「ピップ」が軽快な電子音を鳴らした。
『座標解析、98%完了。カイト、今回の獲物はヤバい匂いがプンプンしますよ。超高密度グラビトン反応を検出。既知の天体物理学では説明不可能です』
「ヤバいほど、高く売れるってことだ」
カイトの口角が上がる。借金は雪だるま式に膨れ上がり、もはや一発逆転しか道は残されていなかった。数週間前、辺境の闇市場で手に入れたデータチップが、伝説級のアーティファクト《クロノス・コンパス》の在り処を示していたのだ。時空を操るとまで噂される、まさしく幻の遺物。

やがて、ピップが最終座標をホログラムに投影した。そこは、かつて星系の内戦で破壊されたアステロイド宙域、「巨人の墓場」。無数の岩塊が静かに漂う、宇宙船乗りの誰もが避ける危険地帯だ。
「上等だ。お宝はいつだって危険と相場が決まってる」
カイトが操縦桿を握りしめた瞬間、船内にけたたましいアラームが鳴り響いた。
『警告! 後方より高速接近する船影! 識別コード、テラ・コープ社、執行部隊!』
「チッ、嗅ぎつけやがったか!」
巨大複合企業テラ・コープ。アーティファクトを独占し、その技術で宇宙を支配しようと目論むハイエナだ。バックミラーに映る、鮫のような形状の黒い巡洋艦から、警告通信が入る。
《スターダスト・ランナーへ。速やかに停船し、積荷の所有権を放棄せよ。抵抗は無意味だ》
「誰が聞くか、バーカ!」
カイトはエンジン出力を最大にし、アステロイド群の中へと突っ込んでいった。巨大な岩塊を盾に、巧みな操縦で追撃をかわす。プラズマ砲が船体を掠め、激しい衝撃がカイトを襲う。

「ピップ、目的地はどこだ!」
『目の前です! このアステロイドの内部!』
ホログラムが指し示したのは、直径数キロにも及ぶ巨大な岩塊。しかし、その表面には不自然なほど滑らかな、人工的なハッチがあった。先駆者のテクノロジーだ。
カイトは最後のエネルギーを振り絞り、ハッチめがけて急降下した。追っ手の巡洋艦には大きすぎて入れない。ギリギリのタイミングでハッチが開き、スターダスト・ランナーは暗闇の中へと滑り込んだ。

船が着陸した先は、信じられないほど広大な空間だった。淡い光を放つクリスタルが天井を埋め尽くし、中央には巨大な球体が静かに浮遊している。その球体の表面には、時計の文字盤のように複雑な紋様が絶えず形を変えながら流れていた。
「あれが……クロノス・コンパス……」
カイトが息を呑んだ、その時。
背後で爆発音が響き、ハッチが吹き飛ばされた。テラ・コープの武装部隊が、小型強襲艇で乗り込んできたのだ。
「宙賊カイト! 遺物を渡せ!」
レーザーの赤い閃光が飛び交う。カイトはコンソールの陰に隠れながら、ブラスターで応戦した。
『カイト! あの球体、単なる物体じゃありません! 周囲の時空が歪曲しています!』
ピップの警告通り、カイトの目に奇妙な光景が映った。数秒前の自分の残像が横を走り抜けたり、敵兵の動きがコマ送りに見えたりする。ここがコンパスの内部であり、空間そのものが時空の迷宮なのだ。

絶体絶命。カイトは一つの賭けに出ることにした。
「ピップ! コンパスの制御システムにハッキングして、ほんの数秒でいい、時間を巻き戻せ!」
『無茶です! そんなことをすれば、我々の時間軸もろとも崩壊する可能性が…!』
「やるしかねえんだよ!」
カイトの叫びに、ピップは意を決したように電子音を響かせた。
『…了解。マスターの無謀は、いつものことですから』
ピップが船の全エネルギーを使い、コンパスの制御コアへ干渉コードを撃ち込む。世界が真っ白な光に包まれ、カイトの意識が引き伸ばされるような奇妙な感覚に襲われた。

次の瞬間、カイトはコンソールの陰にいた。敵のレーザーが、先ほどと同じ軌道で空を切る。
(見えた!)
未来予測ではない。ほんの数秒前の「体験」が、カマキリの動きを予測するように、敵の行動を完璧にトレースさせていた。カイトは身を躍らせ、予測した射線上にあった船の冷却パイプを撃ち抜いた。高圧の冷却ガスが噴き出し、武装部隊の視界を奪う。その隙に、彼はコンパスへと走った。

だが、触れようとした瞬間、カイトは悟った。このアーティファクトは、個人の所有物になどなり得ない。持ち出せるような代物ではないのだ。
「……そうかよ。なら、誰にもくれてやるか」
彼は不敵に笑うと、コンパスの制御盤に手を伸ばし、一つの紋様を乱暴に操作した。
『カイト、何をする気です! それは空間座標を無限にシャッフルする…!』
「ああ。こいつらごと、この宝物を宇宙の迷子にしてやるのさ!」

建造物全体が激しく振動し、空間がガラスのようにひび割れていく。カイトはスターダスト・ランナーに飛び乗り、全速力で崩壊する入口へと向かった。背後で、テラ・コープ部隊の悲鳴と、時空が引き裂かれる轟音が響いていた。

アステロイドから吐き出されるように脱出した直後、巨大な岩塊は光の中に揺らぎ、蜃気楼のように宇宙から姿を消した。幻のアーティファクトは、追手もろとも、永遠に失われたのだ。

船内には静寂が戻った。カイトの手には何も残っていない。借金もそのまま。
『……カイト。サルベージ、失敗ですね』
しょげたようなピップの電子音に、カイトはニヤリと笑って、小さなデータクリスタルを摘まみ上げた。
「いや、大成功だ。置き土産は貰ってきた」
それは、コンパスの制御盤から一瞬で抜き取った、膨大なデータの一部だった。
『これは……! 未知のアーティファクトの座標が、星図になって……!』
「そうだろ? クロノス・コンパスは、次のお宝の在り処を示す、本物のコンパスだったのさ」
カイトは操縦桿を握り、新たな座標の一つを航路に設定した。
「さて、ピップ。借金返済の旅はまだ始まったばかりだ。次の宝探しといくぜ!」
スターダスト・ランナー号は、無数の星屑が輝く無限の可能性の海へと、再びその翼を広げた。

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