虚構の宇宙の記録者

虚構の宇宙の記録者

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第一章 記憶の裂け目

「……おかしい」

私の名前はエリス。宇宙開拓史を未来へ伝える、記憶記録者だ。私の仕事は、人類が経験した重要な出来事を、五感を伴う「共鳴記憶」として記録し、恒久的なデータとしてアーカイブすること。一度記録された事象は、たとえ何万年経とうとも、その瞬間を追体験できる。だからこそ、私の記憶は、宇宙で最も正確で、揺るぎないはずだった。

それは、数年前の「星間開拓二百周年記念式典」の記録映像を再生していた時のことだった。式典のハイライト、宇宙連盟旗が掲揚される瞬間。私はその場に立ち会っていたかのように、あの日の風の匂いや、集まった人々の熱狂までをも記録した。しかし、今、ディスプレイに映し出された映像は、私の共鳴記憶と微妙に異なっていた。

連盟旗の色が、僅かに違う。確か、中央の星章はもっと深い青だったはず。そして、式典を飾る巨大な宙空オブジェの配置も、私の記憶ではもう少し左寄りにあった。細かすぎる差異だ。周囲の誰もが気づかないような、取るに足らない違い。しかし、私の共鳴記憶は、この微細な差異を許さない。まるで、誰かが私の記憶の隙間を縫って、密かに「書き換え」を試みているかのように。

最初は、記録機器の不具合か、あるいは私の脳が疲弊しているのだろうと思った。しかし、違和感は増幅していく。先日記録したばかりの、新惑星発見の瞬間。その惑星の地表の色、最初に植え付けられた記念樹の種類、果ては探査機クルーの制服の細部までが、私の記憶とズレ始めた。同僚に確認しても、彼らの記憶はディスプレイに映る「書き換えられた」情報と一致する。彼らは、私が現実から乖離し始めているかのように訝しげな視線を向ける。

「エリス、君は少し疲れているんじゃないか? 記録は正確だよ。君の記憶の方が間違っているのかもしれない」

私の親友であり、同僚でもあるカインが、心配そうに言った。彼の声は優しく、しかしその言葉は私の心を深く抉った。私の記憶が、間違っている? 私が? 宇宙で最も正確な記憶を持つ私が、間違っているというのか?

私は知っていた。私が正しく、世界が歪み始めているのだ。だが、その事実を証明する術がない。ただ一人、この宇宙で最も孤独な真実を知る記録者として、私は、その静かな恐怖と闘っていた。

第二章 書き換えられた宇宙

私は、自分の記録と世界の間に生じた、この「裂け目」の根源を突き止めることを決意した。カインたちの心配をよそに、私は密かに過去のアーカイブデータを洗い始めた。数十年、数百年、数千年前の記録。そこには、私の共鳴記憶による直接記録だけでなく、様々な情報源からの記録も含まれている。

その作業は、まるで砂漠で一粒の真珠を探すような果てしないものだった。だが、私は諦めなかった。そして、ついに、あるパターンを見つけ出す。数百年前に設置された、とあるコロニーの建築様式が、公式記録ではごくありふれたものなのに、古い私的な映像記録では、独特の意匠が施されているものがあった。さらに、そのコロニーの創設者の名前が、ある時期を境に、別の人物へと「修正」されている記録を見つけた。公式の歴史書では、その修正された名前が「真実」として語られている。

この現象は、ごく微細で、かつランダムに発生しているように見えて、ある種の規則性を持っているようだった。特定の出来事、特定の人物、特定の場所に関連する情報が、まるでウイルスのように、少しずつ書き換えられている。

私は、この奇妙な現象について、表立って語れる相手を探した。精神科医は私の言葉を妄想と診断し、情報管理局はシステムエラーではないと断言した。だが、私は諦めなかった。インターネットの深層部、公にはアクセスできないフォーラムで、「デジャヴュが頻発する」「自分の記憶と世界の認識にズレがある」といった、私と似た症状を訴える人々の書き込みを発見した。彼らの多くは、精神疾患を患っているか、社会から隔絶された存在だった。

その中に、ひときわ目を引く書き込みがあった。「集合的忘却現象。再び、始まりつつある」。投稿者は、「カーラ・メイ」という名で、連絡先が記されていた。

私はその連絡先にメッセージを送った。数時間後、返信があった。それは、宇宙の果てに近い、廃棄された観測ステーションの座標だった。私はカインに嘘をつき、単身、その場所へ向かった。ステーションの薄暗いメインハッチを開けると、古びた機械とホログラムが散乱する部屋で、一人の老女が私を待っていた。

「あなたがエリスね。共鳴記憶の記録者、噂はかねがね」

カーラと名乗る老女は、白衣をまとい、その瞳は深い知識と、諦めにも似た疲労を湛えていた。彼女は元「情報整合局」の研究者で、かつて「集合的忘却現象」について研究していたという。それは、情報構造の微細な歪みが、やがて宇宙全体の歴史を書き換える可能性を秘めた、危険な研究として封印されたものだった。

「この現象は、忘却の病と呼ぶべきものよ。特定の記憶が、それを覚えていた人々の意識から、そして記録から、徐々に消去される。まるで、存在しなかったかのようにね。そして、その消去された穴を埋めるかのように、新しい『虚構の記憶』が、世界に上書きされていく」

カーラの言葉は、私の心の奥底で鳴り響いていた警鐘と完全に一致した。世界は、やはり狂っていたのだ。そして、その狂気の根源は、私の想像をはるかに超える規模で進行していた。

第三章 忘却の病、集合的歪み

カーラは、私が見つけた「書き換えられた」データと、彼女が過去に収集したデータとを照合し始めた。彼女の研究室は、埃っぽいながらも、過去の技術と最先端の解析装置が混在する、ある種の博物館のようだった。様々な時代のホログラムが浮かび上がり、宇宙の歴史が時系列で表示される。

「見て。このパターンよ。微細な歪みは、特定の『感情的エネルギー』が集中した地点から、まるで波紋のように広がっていく」

カーラが指し示したホログラムには、宇宙の地図が投影され、いくつかの赤い点が点滅していた。それは、かつて大規模な悲劇や、深い感情的ショックを伴う出来事が起こった場所だった。そして、その赤い点から、光の波紋が同心円状に広がり、時間の経過とともに宇宙全体に拡散していく様子が示されていた。

「集合的忘却現象は、無意識のうちに、宇宙の情報構造そのものに影響を及ぼす。特に、深い悲しみや後悔、あるいは強烈な否定の感情が、特定の記憶を『消去』しようとするとき、それが歪みを生むトリガーとなる」

私の共鳴記憶は、感情と直結している。私が記録する際、対象の出来事に対する感情もまた、記録の一部として取り込まれる。もしかしたら、私の能力が、この現象と関係しているのではないかという疑念が、私の心をよぎった。

「あなたのような共鳴記憶能力者は、極めて稀有な存在。感情と記憶の結びつきが、一般の人よりもはるかに強い。だからこそ、あなたは『書き換え』に気づけた。他の人々は、その歪みを違和感として感じることはあっても、具体的な情報として認識できない。そして、やがては、その歪んだ記憶を『真実』として受け入れてしまう」

カーラの言葉は、私の能力の持つ重さと、この現象の恐ろしさを改めて私に突きつけた。私は、唯一「真実」を見抜ける存在であり、同時に、この現象を最も深く理解できる存在なのかもしれない。

カーラの解析はさらに進んだ。彼女は、これまでのデータから、歪みの「震源地」を特定しようとしていた。それは、複数の波紋が交差し、最も強い感情的エネルギーが検出される場所。その震源地こそが、この宇宙を蝕む「忘却の病」の、最初の発生源である可能性が高かった。

ホログラム上の複数の赤い波紋が、一つの地点へと収束していく。それは、数万光年離れた、地図上でもほとんど見つけられないような、忘れ去られた辺境の惑星だった。その惑星は、私の故郷、アステリアだった。

私の心臓が、激しく高鳴った。アステリア。私が、最も深く、そして最も避けてきた場所。なぜ、そこに? なぜ、そこから、この宇宙を蝕む病が広がっているというのか?

カーラは、私の顔を見て、ゆっくりと首を横に振った。

「準備しなさい、エリス。私たちは、その場所へ向かう。そして、そこで、この現象の真の姿を目撃することになるでしょう」

第四章 虚構の創造者

アステリアへ向かう小型探査船の中で、私はずっと落ち着かなかった。故郷。そこは私にとって、甘く、そして苦い記憶が詰まった場所だった。特に、私の幼い妹、リラの面影が、深く焼き付いている。だが、私はあえて、その記憶に蓋をしてきた。

アステリアは、過去に大規模な災害に見舞われ、多くの人々が命を落とした惑星だった。その中には、私の最愛の妹、リラも含まれていた。私はその悲劇から生き残ったが、喪失の痛みはあまりにも深く、私はその記憶を心の奥底に封じ込めていた。

アステリアに到着した探査船は、荒廃した大地に着陸した。かつて緑豊かだった大地は、今や赤茶けた砂漠と化している。カーラは、特殊な装置を手に、ある地点を指差した。

「ここよ。ここが、すべての始まり」

その場所は、かつて私とリラが、よく一緒に遊んだ、小さな丘だった。丘の頂上には、一本の枯れた樹が、まるで墓標のように立っていた。私の心臓が、不規則に脈打ち始める。

「エリス、あなたは共鳴記憶能力者として、悲劇の瞬間、そしてその後に抱いた強烈な感情を、誰よりも鮮明に、宇宙の情報構造へと『記録』した」

カーラの声が、私に重くのしかかる。

「その悲しみ、その無力感、そして何よりも『リラが生きていてほしかった』という、強烈な願望と、その事実を『無かったこと』にしたいという、深すぎる否定の感情が、あなたの共鳴記憶と結びついた」

彼女の言葉は、雷鳴のように私の頭の中を駆け巡った。

「あなたの無意識の願望は、まるでプログラムのバグのように、宇宙の情報構造に干渉し始めたのよ。リラの死という事実を『消去』し、それに伴う現実を『修正』しようと。微細な歴史の書き換え、人々の記憶の変容、それはすべて、あなたの心が創り出した『虚構の現実』だったの!」

私の心臓は、激しい痛みに襲われた。カーラの言葉は、私の価値観、私の存在意義そのものを根底から揺るがした。宇宙の歴史を正確に記録するはずの私が、その宇宙の歴史を、自らの手で歪めていたというのか?

私は、この宇宙を蝕む「忘却の病」の、まさかの「創造者」だったのだ。リラの死の痛みに耐えられず、私は無意識のうちに、宇宙全体を巻き込む壮大な「自己欺瞞」を繰り広げていた。ディスプレイに映し出された、微妙に色違いの連盟旗。書き換えられたコロニーの歴史。それは、私が「リラが死んでいない世界」を創造するために、関連する情報を少しずつ修正した結果だった。

私の記憶の蓋が、軋みを上げて開いていく。リラが息を引き取った瞬間の、あの衝撃。私の腕の中で冷たくなっていく妹の感触。土砂崩れに巻き込まれ、助けを求める彼女の絶望的な叫び。そして、何もできなかった私の無力感。それらすべてが、鮮明な共鳴記憶として、私を襲い始めた。吐き気が込み上げ、その場に膝から崩れ落ちた。

「虚構の記録者……」私は、かすれた声で呟いた。これまで誇りに思っていた自分の能力が、宇宙規模の災害を引き起こす引き金だったとは。

「この歪みを止めるには、あなたが、リラの死の真実を完全に受け入れるしかない」カーラの声は、静かに、しかし決然としていた。「あなたの共鳴記憶を使い、その悲劇の瞬間を、再び意識的に追体験し、その痛みと真実を、宇宙全体へと『再記録』するのだ。それは、想像を絶する苦痛を伴うでしょう。しかし、それが、この宇宙を救う唯一の方法」

私に突きつけられた選択は、あまりにも過酷だった。宇宙の安定か、それとも、永遠に続く安らぎに満ちた虚構か。私は、深い悲しみを再び抱きしめることを、拒絶できるだろうか。

第五章 真実の残響

アステリアの枯れた丘の上で、私は究極の選択を迫られていた。リラの死という、最も忌まわしい記憶を再び呼び覚まし、その痛みを全身で受け入れるか。それとも、このまま虚構の世界に閉じこもり、宇宙がゆっくりと忘却の彼方へ消え去るのを見過ごすか。

激しい葛藤が、私の心を切り裂いた。しかし、カインや、世界中の人々が、私の創り出した虚構の記憶の中で生きている姿を想像した時、私は深い罪悪感に苛まれた。真実から目を背けた結果が、この広大な宇宙に及ぼす影響の大きさに、私は打ち震えた。

「リラは、生きていた」

私は、そう自分に言い聞かせた。たとえ短い命だったとしても、彼女は確かにこの宇宙に存在した。その記憶を、私自身の手で消し去ることは、彼女の存在を否定することと同じだ。痛みを伴うとしても、真実こそが、彼女への最大の敬意であり、この宇宙への責任なのだ。

私は、目を閉じ、共鳴記憶の力を最大限に解放した。周囲の空気は重く、時間が止まったかのように感じられた。私は、あえて最も鮮明で、最も苦痛を伴う記憶を呼び覚ます。

豪雨。土砂崩れ。逃げ惑う人々。そして、私の手を掴もうとしながら、泥に飲まれていくリラの姿。

「お姉ちゃん……!」

その声が、私の鼓膜を突き破る。小さな手が、私の指先を滑り落ちていく。冷たい泥水の感触、絶望に満ちた瞳、そして、その命が尽きた瞬間の、宇宙が凍り付くような静寂。私は、そのすべてを、五感の限りを尽くして追体験した。胸が引き裂かれるような痛み、肺が破裂しそうなほど苦しい呼吸。それは、私がこれまで逃避してきた、あらゆる苦痛を凌駕するものだった。

だが、私は耐え抜いた。涙がとめどなく溢れ、地面に吸い込まれていく。その一滴一滴が、宇宙の情報構造を修復していくかのように感じられた。

数時間が経過しただろうか。私が再び目を開けた時、世界は、以前とは少し違って見えた。アステリアの荒廃した大地は変わらない。しかし、私の心の中には、深い悲しみとともに、静かな充足感が満ちていた。

カーラが、私の隣で、ホログラムディスプレイを食い入るように見ていた。

「成功したわ、エリス。歪みは消えつつある。宇宙全体の情報構造が、元の状態に戻っていく。人々は、真の歴史を思い出すでしょう」

私は、空を見上げた。そこに広がるのは、私が作り出した虚構ではない、真実の宇宙だ。

数日後、私はカインの元へと戻った。彼は、私を見るなり、困惑した表情を浮かべた。

「エリス……君、リラの墓参りに行っていたのか? 随分と、久々だな」

彼の言葉に、私は息を呑んだ。私が虚構を作り出す前、リラの存在は、彼の記憶からも消え去っていたはずだ。そして、彼は今、リラという妹が私にいたことを、明確に認識している。

世界は、元に戻ったのだ。

私は、リラの墓へと足を運んだ。そこには、真新しい花が供えられていた。以前は無かった、リラの名前が刻まれた墓標。私が創り出した虚構の中で、リラの墓すらも曖昧な存在だった。今、それは確かな形でそこにあった。

私の心には、リラの死の痛みが、再び鮮明に刻まれている。だが、それはもう、耐え難い苦痛ではない。悲しみを受け入れたことで、私は、より強く、より深い人間へと成長した。真実を直視する勇気。愛する者を失う痛みを受け入れる強さ。それが、私の中に芽生えた新たな力だ。

私は再び、宇宙の記憶記録者として歩み始める。しかし、もう二度と、真実から目を背けることはない。私は、痛みを知る記録者として、虚構ではない、真の歴史を次世代へと語り継ぐだろう。その記憶の残響は、悲しみと共に、未来への希望を灯し続けるだろう。

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