殺し屋プランターの憂鬱

殺し屋プランターの憂鬱

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鈴木太郎(42歳・課長補佐)の人生は、堆肥のように地味で、穏やかだった。唯一の情熱は、マンションのベランダで営むささやかな家庭菜園。ミニトマトの赤い輝き、バジルの清々しい香り、それらが彼の世界のすべてだった。

その日、鈴木は行きつけのバーで、ガーデニング仲間の佐藤と長電話をしていた。話題は、ベランダを侵食する凶悪な雑草「ヤマスゲ」との死闘についてだ。

「ああ、佐藤さん?例の『ヤマダ』の件だけど、ついに根っこから綺麗に“処理”しておいたよ。まったく、しぶとい奴でね。おかげで手が土で汚れちまった」

その言葉が、カウンターの隅で安酒を呷っていたチンピラの耳に突き刺さった。男は血相を変えた。組織を裏切った幹部「ヤマダ」が、数日前から行方不明になっている。そして、裏社会には伝説の殺し屋の噂があった。依頼されたターゲットを“処理”した後、その証拠をすべて植木鉢(プランター)に植えて消し去るという、冷徹無比の男。通称「プランター」。まさか、目の前の冴えない中年男が…?

翌日、会社の昼休み。鈴木が愛妻弁当の卵焼きを頬張っていると、黒服の男たちが彼を囲んだ。

「プランターさん、ですね?ボスがお会いしたいと」

「ぷ、プランター?」

鈴木の頭に浮かんだのは、先日ネット通販で買ったイタリア製のテラコッタプランターのことだった。まさか欠陥品だったのか?

「例の『アジサイ』の件で、お話を伺いたいと」

「アジサイ!」

鈴木の目が輝いた。近所のガーデニングコンテストで金賞を総なめにする紫陽花の名人、紫山(しざん)さんのことに違いない!きっと育成のコツを伝授してくれるに違いない!

「ええ、ええ、喜んで!」

鈴木は二つ返事で了承し、黒塗りの高級車へと乗り込んだ。

連れて行かれたのは、潮の香りがする寂れた倉庫街だった。紫山さんの豪邸とは似ても似つかない。倉庫の奥には、いかにも「ボス」といった風情の強面の男が葉巻を燻らせていた。

「よく来たな、プランター」

「はあ、どうも。それで、アジサイのお話というのは…」

鈴木が期待に胸を膨らませると、ボスは重々しく口を開いた。

「ああ。敵対組織の幹部なんだがな…奴を、美しく“枯らして”ほしい」

「枯らす!?」

鈴木は思わず立ち上がった。その声は怒りに震えていた。

「とんでもない!アジサイは!適切な剪定と水やり、そして何より愛情を注ぐことで、もっともっと美しく咲き誇るものなんです!それを枯らすなどと!命を軽んじるにもほどがある!」

園芸家としての魂の叫びだった。

倉庫に静寂が訪れる。ボスも、周りの黒服たちも、皆一様に目を見開き、息を呑んでいた。

(これが…伝説の殺し屋の美学…)

ボスは戦慄した。ただ消すのではない。死に様さえも芸術として仕上げるというのか。なんという男だ。

「…わかった。あんたの流儀に任せよう。報酬は弾む」

ボスが心酔したように頷いた、その時だった。

倉庫の扉が蹴破られ、マシンガンを構えた男たちが雪崩れ込んできた。敵対組織の殴り込みだ。

「ボス!危ない!」

「ぎゃあああ!」

銃声と怒号が飛び交う地獄絵図に、鈴木は完全にパニックに陥った。腰を抜かし、這って逃げ惑う。その手が、隅に無造作に置かれていた植木鉢に触れた。

「うわっ!」

銃弾がすぐそばの壁に着弾する。恐怖のあまり、鈴木は無我夢中で植木鉢を掴むと、中に入っていた土を、迫ってくる敵の顔面にぶちまけた。ガーデニングで鍛え上げられた、精密機械のようなスナップだった。

「ぐほっ!」

土が目に入った敵はもんどりうって倒れ、銃を乱射。その弾がシャンデリアの鎖を断ち切り、落下したシャンデリアが敵のボスを直撃した。形勢は一瞬で逆転した。

味方の黒服たちが、呆然と鈴木を見つめる。

「す、すげえ…武器も使わず、土一握りで…」

「これが…プランターのやり方…!」

尊敬と畏怖の視線が突き刺さる中、鈴木は「ひぃぃ!」と悲鳴を上げ、這うようにして倉庫から逃げ出した。二度とあの人たちとは関わらない、と心に誓いながら。

後日。裏社会には新たな伝説が刻まれた。「殺し屋プランターは土を操り、たった一人で組織を壊滅させた」と。

そして、鈴木太郎のマンションのドアの前には、最高級の培養土がぎっしり詰まった巨大なテラコッタプランターと、その土の中に無造作に突っ込まれた分厚い札束が置かれていた。

「おや、どなたからだろう?それにしても、なんて親切なガーデニング仲間もいたもんだなあ!」

鈴木は満面の笑みを浮かべ、その最高級の土と、肥料代としてありがたく頂戴したお金で、史上最高のミニトマトを育てることを誓うのだった。彼の憂鬱は、まだ始まったばかりかもしれない。

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