畑中食堂、宇宙人バイト始めました

畑中食堂、宇宙人バイト始めました

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「畑中食堂」の暖簾を揺らすのは、隙間風と、たまに道を間違えた宅配業者くらいなものだった。店主の畑中源五郎(六十五歳)が、いつものようにカウンターで新聞の競馬欄に赤ペンを走らせていた、そんな昼下がりのことだ。

店の裏のネギ畑に、何かが墜ちた。

「……隕石か?」

鈍い金属音と土煙。源五郎は「面倒くせえ」と呟きながらも、長靴を履いて様子を見に行った。そこに鎮座していたのは、隕石なんてものではない。ピカピカに磨かれた銀色のタコ。いや、流線型のボディから細い脚が数本伸びた、いわゆる空飛ぶ円盤というやつだった。

ハッチがプシューと音を立てて開き、現れたのは全身緑色でぬるりとした、二足歩行のイカのような生命体だった。大きな複眼が三つ、源五郎を捉える。

「……地球人カ」
「……宇宙人か」

しばしの沈黙。先に口を開いたのは宇宙人だった。
「ワレワレハ、イヤ、ワタクシハ、ゾルタクス星系第3惑星ヨリ飛来シタ。不時着ダ」
「だろうな。で、俺をさらいに来たのか?悪いが年金暮らしのジジイだ、解剖しても面白くねえぞ」
源五郎がぶっきらぼうに言うと、宇宙人は器用に触手を振り、「チガウ」と否定した。
「ワタクシは地球文化の研究者。特に『ショク』に興味がある。コノ星ノ知的生命体は、死んだ動植物の死骸を加熱シ、口から摂取スルソウダナ。実ニ、野蛮デ、興味深イ」

その日の夜、なぜか源五郎は、人間の青年の姿に擬態した宇宙人と食卓を囲んでいた。彼はテレビに映っていた演歌歌手の名前を拝借し、「鈴木タロウ」と名乗った。

「ゲンゴロウ、これは何ダ」
タロウが指差したのは、湯気の立つ肉じゃがだ。
「肉じゃがだ。食ってみろ」
タロウはおそるおそるじゃがいもを口に運び、数秒間咀嚼すると、その三つの目をカッと見開いた。
「……ッ!ナントイウ多幸感!脳内神経伝達物質ガ、爆発的ニ分泌サレル!コレガ『旨味』カ!」
「大げさな野郎だな」

感動のあまりプルプルと震えるタロウは、深々と頭を下げた。
「ゲンゴロウ、頼みがアル!ワタクシをココで働カセテクレ!『ショク』の真髄を学びタイ!」
妻に先立たれ、話し相手もいなかった源五郎は、少しだけ口角を上げると、「ったく、しょうがねえな」と呟いた。時給八百五十円の宇宙人バイトが誕生した瞬間だった。

翌日から、畑中食堂はカオスと化した。

「いらっしゃいませ!」と教えたはずの挨拶は、客が入ってくるたびに「侵略シマシタ!」という元気な声に変わり、常連の田中さんは腰を抜かした。

「タロウ、カツ丼一丁!」
源五郎が注文を伝えると、タロウは裏の鶏小屋から一番元気なニワトリを抱えてきて、客の目の前で「コレヲ解体スルノカ?」と真顔で尋ねた。客は泣きながら逃げ出した。

皿洗いを頼めば、触手から発する超音波で食器を分子レベルにまで分解してしまう。「洗浄は完璧ダ」と胸を張るタロウの足元には、陶器だったものの白い粉が積もっている。源五郎の血管が何本か切れた。

しかし、奇妙なことに、タロウの常識外れな行動は、寂れた町で妙な噂を呼び始めた。
「畑中食堂の新しいバイト、時々腕が触手になるのよ。最新のファッションらしいわ」
「『侵略シマシタ!』って挨拶、斬新で面白いじゃないか」
町の唯一の陰謀論者である田口に至っては、「間違いない、あれはグレイだ!俺は店の屋根裏に盗聴器を仕掛けて正体を暴いてやる!」と、双眼鏡片手に食堂の向かいの電柱に張り付く始末だ。

そんなある日、事件は起きた。
タロウが故郷の星と交信するため、店の巨大な中華鍋とテレビアンテナを組み合わせて、即席のパラボラアンテナを組み上げたのだ。彼がスイッチを入れた瞬間、上星町の全家庭のテレビが砂嵐になり、炊飯器が勝手に『きらきら星』を奏で始め、電子レンジが扉を開閉しながら謎のダンスを踊り始めた。町はパニックだ。

「タロウ!てめえ何しやがった!」
源五郎がタロウの胸ぐらを掴んだ、その時だった。

店の裏のネギ畑で、あの銀色のUFOが静かに浮上し始めたのだ。

「しまった!通信機ガ暴走シ、母船ヲ呼ンデシマッタ!」
UFOはゆっくりと高度を上げ、年に一度の「星空祭り」で賑わう町の広場の真上で静止した。祭りの参加者たちは、突如現れた巨大な飛行物体に呆然とし、やがて悲鳴を上げた。
「UFOだ!宇宙人だ!」
「田口さんの言ってた通りだ!」陰謀論者の田口は、なぜか群衆に胴上げされていた。

絶体絶命。タロウは青ざめている。だが、源五郎は腹を括った。彼はタロウの肩をバンと叩き、ニヤリと笑った。
「おいタロウ!こうなったら見せてやれ!俺たちの最高のショーをな!」
「……ゲンゴロウ?」

源五郎はUFOの操縦席に飛び乗り(なぜかマニュアル車と同じ構造だった)、タロウは通信機を操作する。
「いくぞ!畑中食堂スペシャルだ!」
源五郎がアクセルを踏み込むと、UFOの底部から七色のサーチライトが放たれ、夜空を彩った。タロウがボタンを押すと、謎の光線が発射され、夜空に巨大な「カツ丼」の絵を描き出す。打ち上げられた祭りの花火と、UFOのイルミネーションが奇跡のコラボレーションを果たし、見たこともない壮大な光のショーが繰り広げられた。

町民たちは、恐怖も忘れ、その幻想的な光景に魅入っていた。
「すげえ……!なんだこれ!」
「町の新しいアトラクションか!」
町長は涙を流して感動し、「我が町の新しい名物だ!これを企画した田口くん、君は英雄だ!」と、いまだ胴上げされている田口の手を固く握った。

翌日から、畑中食堂には観光客が押し寄せた。「UFOが見える定食屋」として、テレビや雑誌で紹介され、店の前には長蛇の列ができた。

厨房で鍋を振りながら、源五郎は汗を拭った。
「おいタロウ、今日の賄いは何がいい?」
隣でぎこちなくキャベツの千切りをしていたタロウが、キラキラした目で答える。
「ゲンゴロウ!今日コソ、アノ『プリン体』トイウ魅惑ノ物質ヲ摂取シタイ!」
「それは成分だっつってんだろ、このイカ頭が!」

源五郎の怒鳴り声と、客たちの笑い声。畑中食堂の暖簾は、今日も賑やかに揺れている。空には時々、銀色のUFOが遊覧飛行しているとか、いないとか。

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