リプレイ・マエストロの憂鬱

リプレイ・マエストロの憂鬱

7
文字サイズ:

俺、佐藤健太には秘密がある。それは「発動からきっかり五秒間だけ、時間を巻き戻せる」という、神に選ばれし能力だ。

一度使えば一時間のクールタイムという制約はあるものの、この力はまさしく奇跡。いずれ世界を揺るがすような大事件で、俺が颯爽と登場し、この「五秒リプレイ」を駆使して世界を救う――そんな輝かしい未来を、俺は信じて疑わなかった。

「佐藤くん!この資料、数字が一行ズレてるじゃないか!君の人生もズレっぱなしだねぇ!」

しかし、現実の俺が能力を使うのは、だいたいこういう場面だった。田中部長のネチネント(ネチネチ・オリエンテーションの略)が始まる直前にリプレイを使い、僅かにマシな謝罪の言葉を選ぶ。そんなセコいことに、貴重な一時間を費やしてしまうのだ。カップ麺のお湯を入れすぎた時、コンビニのクジでハズレを引いた時、俺の神の力は発動する。我ながら、神への冒涜だと思う。

そんなある日の昼下がり。失意のプレゼンを終え、ATMでなけなしの金をおろそうと銀行に立ち寄った、その時だった。

「全員動くな!騒ぐと蜂の巣にするぞ!」

野太い声と共に、黒い目出し帽の男がショットガン(みたいなもの)を天井に向けた。銀行強盗だ。

来た。ついに来た。

俺の全身を、武者震いが駆け抜けた。心臓が早鐘を打ち、口の端が吊り上がるのを止められない。これだ。この瞬間のために、俺の能力は存在したのだ。しょーもない日常は、今日で終わりだ。さよなら、ズレた資料。こんにちは、俺のヒーロー伝説。

強盗が威嚇のために一歩踏み出し、行員を怯えさせた。
「今だ!『五秒リプレイ』!」
俺は心の中で叫ぶ。世界がぐにゃりと歪み、強盗が一歩踏み出す前の、静寂の瞬間に戻った。

よし。まずは冷静に、そしてヒーローらしく状況を打開する。
「待つんだ、強盗さん」俺は、磨き上げたバリトンボイスで語りかけた。「その銃を降ろして、話をしようじゃないか」
完璧だ。人質たちの尊敬の眼差しが俺に集まる。強盗は俺の王者の風格に気圧され――

「ああ!?なんだテメェ!」

強盗は俺に銃口を向けた。やばい。めちゃくちゃ怖い。話が違う。俺の王者の風格はどこへ。五秒後、リプレイしなかった世界線と寸分違わぬ「俺に銃口が向いている状況」が再生された。俺は腰を抜かさんばかりに固まった。

「……っ!」

無駄死にだ。神の力を、完璧に無駄遣いしてしまった。
そして最悪なことに、次のリプレイまで、あと一時間。

絶望的な膠着状態が続いた。俺は腕時計の秒針を睨みながら、ひたすら縮こまっていた。ヒーローの風格は、五秒前にとうに捨ててきた。

五十九分後。強盗が金を袋に詰めさせ、逃走準備を始めた。その背後に、警備員さんがそっと忍び寄る。いけるか!?いや、タイミングが悪い!強盗が振り返りそうだ!

「今だ!『五秒リプレイ』!」

二度目の奇跡。再び、警備員さんが動き出す前の時間に戻る。俺は今度こそ、と小声で警備員さんに囁いた。
「だめです!今行くとバレます!」
警備員さんは俺の方を向き、怪訝な顔で聞き返した。
「え?」

その声に、強盗がバッと振り返った。
「誰だ!」
俺と警備員さんに、再び銃口が向いた。デジャヴ。しかも、俺のせいで状況が悪化している。もう泣きたい。

さらに一時間が経過した。銀行の外はパトカーのサイレンで騒がしく、強盗は完全に逆上していた。
「こうなったら、人質だ!」
強盗は、俺の隣にいた美しい女性の肩を掴み、銃を突きつけた。

もうだめだ。俺の能力は、世界を救うどころか、状況を五秒間ややこしくするだけの間抜けな奇術だったんだ。俺が絶望に膝を折ろうとした、その瞬間だった。

ツルッ。

「おわっ!?」

なんと、強盗が清掃用のモップの濡れた跡に足を滑らせ、マンガみたいに宙を舞い、後頭部から床に叩きつけられたのだ。手から離れた銃が、カシャーンと軽い音を立てて床を滑り、まるで磁石に引かれるように、俺の足元でピタリと止まった。

銀行内の全員の視線が、俺と、俺の足元の銃に集中する。

これは……神の采配か?
俺は、震える手で銃を拾い上げた。まるで何十もの修羅場をくぐり抜けてきた歴戦の勇士のように、ゆっくりと立ち上がり、気絶した強盗に銃口を向ける。

そうだ。俺はヒーローになる男。

すると、床に伸びていた強盗が「う……」と呻き、ゆっくりと顔を上げた。そして、俺が構える銃を見て、顔を真っ赤にした。

「ま、待ってくれ……!」
「……なんだ」
「そ、それ……百均で買ったやつなんだ……!」
「……は?」
「だから!そんなガチな顔で持たれると、めちゃくちゃ恥ずかしいからやめてくれ!」

銀行内に、史上最も気まずい沈黙が流れた。
ショットガン(みたいなもの)は、ただの精巧な水鉄砲だった。

事件は解決した。俺はヒーローではなく、ただの「お騒がせな一般市民」として、こっぴどく事情聴取された。

翌日。
「佐藤くん、銀行でヒーローごっこしたんだって?人生、リプレイしたいだろう?」
部長のネチネントが炸裂する。俺は死んだ魚の目で頷いた。

会社の自販機でコーヒーを買おうとして、間違えておしるこのボタンを押してしまった。
缶がゴトンと落ちる。
一瞬、リプレイが頭をよぎった。だが、俺は首を振った。

「……まあ、いっか」

ぬるいおしるこを一口飲む。甘ったるくて、少ししょっぱい。
五秒では変えられない、このどうしようもない日常が、なぜだか少しだけ、愛おしく思えた。

TOPへ戻る